虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2023.12.6

28虫の王様、カブトムシとの再会

 

カブトムシとの出会いを振り返ると
 この文章を書き始める数日前に、カブトムシの全形図(全身像)を描き終えました。ところが、画を完成させたものの何をしたためればよいのかが一向に浮かびません。そこで、カブトムシとの出会いから振り返ってみようと思い直しました。
 この虫との私の出会いは、多くの少年少女の多くがそうだったように、小学校に上がるか上がらないかの頃です。私が幼少期を過ごした1970年代当時の川崎は、不名誉にも「公害の町」として知られていたものの、宅地開発が始まったばかりの西郊にはいまだ武蔵野の面影が残っており、あちこちに雑木林や草っ原、田んぼが広がっていました。
 舗装されていない砂利道を踏みしめ、小川やあぜ道で泥んこになりながら、生き物を求めて駆けずり回った記憶があります。夏休みを迎えた真夏の雑木林は、私にとって楽しい遊び場、多くの虫との出会いに心躍らせる宝物のような場所でした。子供らは、それぞれに秘密の場所を持っていて、お互いにそれを悟られないように、子供なりに探り合いや牽制をし、時にはそれらをめぐって情報戦も交わされたものです。そんな彼らの雑木林での狙いは何と言っても、クヌギやコナラの樹液に集まるカブトムシやクワガタムシといった甲虫でした。今の子供たちにも人気があると思いますが、日本の在来種よりも、巷で売られるようになった外国産の種類の方が、身近な存在になっているかもしれませんね。当時から変わり者だった私の目にもクワガタムシは魅力的に映り、好きな虫だったスズメバチ類とともに最も心惹かれる獲物でした。
 それらの甲虫は日が暮れてから活発に動き出すので、昼間からせいぜい夕方までを遊び時間として許された子供には少し採り難いものでした。けれども、日々を雑木林で過ごす中で、日が高いうちの彼らの居場所も分かってきました。とは言え、日が暮れてから俄然活発になるカブトムシは夕闇の迫る中、野太い羽音を立てながら樹々の間を飛び交う様子を見上げた情景のほうが、深く印象に残っています。

 

カブトムシとの再会
 以来、この虫にさしたる関心を抱くこともなく過ごしてきましたが、後年、あるヤンマの産卵行動を撮影したいと毎夏のように通っていた千葉県茂原市の寺の境内で目にした光景は驚きでした。本堂の裏手に一株のムクゲが植えられていたのですが、真昼間から、花盛りの細い枝々に多くの雌雄が集まっていたからです。樹高も低く、目線の高さで間近に観察できたのを幸いに、その挙動をつぶさに凝視してみると、口先を強く枝に押し当て前後させつつ抉じ入れ、時折鋭く撥ね上げるように、しきりに樹皮を削いでいるのです。クヌギをはじめ、どんぐりのなるブナ科の木の樹液に集まる光景はお馴染みですが、この虫の食餌として思いも寄らなかったアオイ科のこのムクゲの細枝から、一体どれほどの樹液が出るのだろうかと訝しんだものです。しかし、多くが集まっていた様子からしてみれば、わざわざ削って舐めるに値するほどには滲み出てくるのでしょう。小さく目立たないながら、カブトムシにも大あごがあることは知っていたとはいえ、こうした動きを実際に目の当たりにすると、いかにも樹皮を削ぐのに適した形状をしているものかと納得がゆきました。この出来事をきっかけにカブトムシに興味が湧いてきた私は、じっくりと口器を観察すべく解剖してみることにしました。そうして描いたいくつかの図の中から、一つご紹介しましょう。

 

外側へと反り返った大あご

【図① カブトムシの大あご(左上:外面、中下:背面、右上:内面)】水彩画用紙に透明水彩で描いてみたのですが、滲みも配慮されたその紙質は、昆虫の微細な造りを描くには向いていなかったようです。野外でカブトムシの摂食の様子を観察するにつけ、その口の構造や役割は気になっていました。そんな背景から、以前に何度か描いてみたうちの一点です。2020年制作 ©川島逸郎

 

 カブトムシの大あごは硬く頑丈な上、多くの虫とは逆に、全体的に外側へと反り返っているのです。さらに、その尖った先端は、基部寄りの上縁にもう一つある突起とともに上を向いています(図①)。こうした形状であれば、樹皮を削いで剥ぎ取ることもたやすいでしょう。標本画を手掛ける若手から、爪の内面に特有の細かな溝が刻まれていることを教えられていたので(本人曰く、そのさまを表現するのに「指紋」と例えていましたが)、それを長年見逃していた私は、今更ながら興味深く追認するといった一幕もありました。
 そういえば博物館勤務の折り、企画展示用にと同僚学芸員から頼まれたのをいいことに、カブトムシの全身を可能な限りばらばらに分解した標本箱を一つ作りました(第8回で示したもの)。実を申せば、その展示会の主旨からは外れていたのですが、一般にもよく知られた虫なので目を惹くでしょうし、そうした虫もまた昆虫形態での基本的な法則に則った構造をもっていることを示したいと考えたのです。完成まで人目を避け、一室に閉じこもっての制作作業は密やかな愉しみとなりましたが、さすがカブトムシと言うべきか細かな一部分ですら頑丈で、壊さずに分解するのはひと苦労だったのが思い出されます。こうした展示制作もまた、野外での生活ぶりを観、形態との関わりを考えてきた経験が活きた気がします。

 

標本画として初めて描くカブトムシ
 カブトムシについては、本の挿画として手掛けたり、体の一部に向き合ったりしたことはありましたが、実は、標本画としての全形図(図②)を描いたことはありませんでした。昆虫をあまた描いてきた私にとってもカブトムシは格段に巨大で、従来採ってきた手法からすれば、その外形のラインを読み取って紙上に写すだけでも中々の手間です。自ら描こうという発想に至らなかったのには、こうした心理が働いていたからかもしれません。何しろ、カブトムシの交尾器よりも小さな虫(と、その部分)ばかり描いてきたのですから。一部分であればより倍率の低い実体顕微鏡での描画装置あるいは接眼レンズに嵌め入れた方眼メッシュ(第4回を参照)が使えますが、そうした手法を取るにはカブトムシは大き過ぎます。そこで、ディバイダーを使って体のあちこちをじかに測定し、それらのプロポーションや比率を把握するしかありません。ディバイダーとは製図用の道具の一つで、二本の針状の脚(剣)の先端を対象に当てることで二点間の寸法を写し取ったりするものです。ただ、このような大雑把な方法で測った数値をもとに紙上に外形を写した際には、それらの線を再確認する必要があります。実物(標本)に立ち戻って、部分ごとに角度を変えては眺め、正対し直すなどして描線を厳密に決めるこの作業を省くことはできません。なぜなら、外形のライン一つを取っても、この虫に固有の微妙なカーブが連続しているからです。引き気味に撮影した全身像をトレースしても良さそうなものですが、二次元に変換され立体感が消えた写真では、体のあちこちにどうしても生まれる傾きから来る外形の歪みを読み切れず、誤った形に描いてしまいかねません。
 外形のラインを引いて全身像の線画を作り終えたら、あとはひたすら点を置き続けるのみ。点描で体表面の質感を表現してゆくのですが、この作業を始める前にも心配がありました。体の部位によってその質感が明瞭に異なるのを、それこそ子供の頃からの経験で熟知していたからです。大まかに言えば、二番目の短い角が生えている前胸はざらついているのですが、その後方に位置し、中央線に沿って閉じられた二枚の上翅は滑らかで、その分だけ光沢が強いのです。それらの描き分けは、例えばキャッチライトとして白く抜いて処理する反射部分の抜き加減や、乱反射の描写の程度に差をつけることで行います。漫然と点を置き続けていると、少し集中力を切らした隙に描き込み過ぎたなどという勇み足になりかねないので、作業を進めては手を休め、離して眺めることをあえて繰り返しました。
 頭部から生える長い角には大した表面構造もないのですが、一方の短い角には微細ながらも明らかな皺(しわ)があるのです。それらの対比は的確に表現しなければならず、よくよく注意して描写し分けなければいけません。今、上翅は平滑で光沢があると書いたばかりですが、実はこの部分には困ったことがありました。滑らかなその表面には、とても細かな微毛が密生しているのです。密生した毛の感触は、斜光でも当たればビロード状に反射しますし、指先で触れてみれば、それと感じられるほどの生え方です。そのような微毛が生えるさまをどのように表現しようかと悩んだのですが、毛の太さや長さを実体顕微鏡で確認した上で下した判断は「今回は描き込まない」というものでした。虫の全長20 センチ余り、今回の絵のサイズではその毛は表現不可能な微細さであり、無理に描きこまなくても質感を表現するのに支障はなかったためです。要は、この形質については割り切った上で「省いた」のです。

 カブトムシについて何を書けばいいのやらと筆を執ったはずが、書き終えてみれば、さまざまな記憶が蘇ってくるものですね。幼い時分から身近な虫ではあったのですし、無意識のうちにも、それなりの経験が積み重なっていたのでしょう。そして今、しっかりとした標本画を描こうといざ真正面から向き合ってみれば、まだ新たな発見がありました。読者の皆さんにとって「見慣れて興味も覚えなかったもの」があったとしても、目的意識のもちようによっては、ふとしたきっかけでその見え方が一転することがあるかもしれませんよ。

 

【図②カブトムシ(雄)】カブトムシと言って私がすぐに連想するのは、前胸から突き出た二番目の角です。暴れるこの虫は中々扱い難いものですが、少年時代の私にとっては、この部分を取っ手にするのが一番持ち易かったからでしょう。各部分で微妙に異なる体表面の感触の大変さを予測しつつ、慎重な作業を心がけた一枚です。2023年制作 ©川島逸郎

 

 

 

(第28回・了)

 

 

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本連載は今後しばらくの間、不定期更新でお届けします。
次回の更新をお待ちいただけましたら幸いです。