虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2021.12.1

06「描く」ための道具と、その界隈

ペンをいかに使いこなすか?

 今回はいよいよ、描画の道具について話したいと思います。資料性を伴う標本画を描くまでには、事前の手間や労力がかなり必要になるわけですが、その割に、私が使う道具は、いたって単純なものです。基本的に、製図ペンやつけペン(丸ペン)にインク、筆と絵の具(透明水彩)だけなのです。
 まずはペンについてです。線または点、あるいはその双方から成るモノクロ(白黒)の絵を描くときは、インクカートリッジを内部に備える製図ペンや、ペン先にじかにインクを溜めながら使うつけペンを使います。
 線と点だけで、必要最小限の情報を示した例として、ヤエヤマヒメボタルの雌の頭部を挙げておきましょう。この絵は、二通りの太さの製図ペンを使って描いています。

 

【図版① ヤエヤマヒメボタル雌の頭蓋(背面) 巨大な複眼をもつ雄に比べ、雌の複眼は小さい。頭蓋背面の点刻は、その外周に沿って一個ずつ毛のソケットがある。伝える情報は形状に加え、点刻の状態の二つだけ。実物にあくまで忠実に、製図ペンを使った線と点だけで表現する。2018年の作品 ©川島逸郎】

 

 ペン先のニードルの直径が決まっている製図ペンは、安定した太さの線が引け、丸いドットによる点描に向いています。一方、先端の割れたつけペンは、筆圧で開閉する先端によって、線を引きながら自由自在にその太さを変えることができます。線の太さが安定してはいるものの単調な画面になりがちな前者に対して、後者の利点は、変化に富み生彩のある線が引けることでしょう。

 と、定型的にはこのような説明がなされるでしょうが、実際の作業においては、二つのペンの特長はこればかりに留まりません。太さが一定のはずの製図ペンは筆と同様、同じ製品であっても、一本ごとに微妙な差異があるのです。こればかりは使ってみなければ分からず、細いペンのはずなのに、細くシャープな線が引けない品に当たってしまったときの悔しさ、もどかしさといったらありません。線引きに向かない品は、発想を切り替えて点描専用にする場合もままあります。

 ペン先というものは、紙面を走らせるほどに、思いのほか早くに磨耗してゆきます。これはつけペンで特に顕著ですが、昆虫のごくごく微細な繊毛や、シャープに先細に抜ける毛先などは、磨耗していない新品のうちにしか描けません。とても微小な甲虫であるチュウガタマルケシゲンゴロウを描いたとき、その前胸や上翅を一面に覆う点刻の間に、さらに微細な網目を認めた瞬間の記憶は、今でも困惑とともに鮮やかに思い出すことができます。この微細な網目を、いかにして表現すべきか? しばらく考えたのちに、新品の丸ペンの先を使い、きわめて軽いタッチで描きこんでゆくしか方法がないと悟ったものです。

 

【図版② チュウガタマルケシゲンゴロウ ごく小さなゲンゴロウ科の一種。斑紋はないが、きわめて微細な表面構造をもつ。前胸と上翅にある点刻の間は平滑ではなく網目が刻まれるが、それらは微細ながらも明瞭だったため省略はできず、ペン先のごく軽い当たりだけで描き入れた。2017年の作品 ©川島逸郎】

 

 細長い毛先を描くのに、快適に鋭く抜けなくなったら、さっさと諦めてどんどん交換してゆくしかないので、使えなくなったペン先が累積してゆきます。けれども、こうした犠牲とは致し方のないことと受け止めています。ペン先の磨耗は製図ペンでも起きるのですが、決して悪いことばかりではありません。磨耗の具合によっては、時には、ペン先(ニードル)の内径以下の小さな点(ドット)を作れるようになったりもするからです。使用の結果として、僥倖にもこうした品が生じたときは、小さなドットを置くための専用の品として、大事に使うようにしています。

 至って単純ながらも、上に述べたようなスペックの「行間」と言うべき感触の違いのある多種多様な道具を使い分けながら、一枚の図を創り出してゆくわけです。毛の一本を描くにせよ、その長さや毛の硬軟などの質に沿って、品を替えて描き分けています。その一例として、ヘイケボタル幼虫の頭部の図を紹介しておきましょう。この絵は二通りの製図ペンに加えて、毛については丸ペンと小筆を使って描きました。丸ペンでは、新品のペン先でなければ微毛を描写できないため、その何個かを費やしています。

 

【図版③ ヘイケボタル幼虫の頭部(背面) 水生の幼虫は、清流ではなく池や沼、田んぼにすむ。頭部は細かな構造物から成るが、とりわけ口器は、特徴的な微毛や繊毛で覆われる。これら多様な毛を、ペン先や筆先を使い分け、それらの感触(タッチ)を駆使しながら表現する。2019年の作品 ©川島逸郎】

 

筆先をいかに操るか?

 彩色には、私は透明水彩を使っています。水だけで扱える簡便さもありますが、その材質や配合による、文字通りの透明性から来る雰囲気が好ましく、自然物の微妙な色味を出すに最適と考えているからです。

 微細な構造の昆虫を描く上では、用いる筆は細いものが大半を占め、太いものや幅広い平筆が必要になることはまずありません。描く絵のサイズにもよりますが、広い面をむらなく色を伸ばさなければならない状況は、こと昆虫ではほとんどないからです。自ずと私が用いるのは面相筆や極細の小筆に限定されます。ただ細ければ良いというものではなく、これは水での溶き具合とも関わるのですが、絵の具の粘性に負けてしまうような細さや柔らかさでは、絵の具を含ませた筆先(穂先)を自由自在に、意のままに操ることができないのです。つまり、細くしなやかな先端を持ちつつ、全体的には腰が強い品を選ぶ必要があります。腰の強さがあってこそ、毛先の動きをコントロールできます。ペン先と同様に、直に使ってみながら良い品を見出してゆきます。また、細密な描写を行うには、新品の筆をそのまま使えないこともしばしばです。試し描きをしながら処理するのですが、手頃な使い勝手の穂先になるまで、二、三本の毛を残すまでに刈り込んでゆくことも珍しくはありません。

 彩色画においても、一定の線を引き、点描のように細かく色を置いてゆくという点では、ペンによるモノクロの画と描き方の根本は同じです。ここでは、セミの幼虫(ぬけがら)調べでよく使われる、種類ごとの触角節の違いを示した図と、トックリバチ三種の泥巣を描いた作品を挙げておきます。前者は、細筆を使った一筆描きの毛のシャープさ、後者は虫そのものではないですが、点描にも近い、細かな筆先さばきで描いた泥の質感が見どころになるかと思います。

 

【図版④ 日本産セミ科幼虫六種の触角 「セミのぬけがら」の触角は、種類の見分け方で必ず紹介される特徴の一つ。節の太さや各節の長さの比率のほか、生える毛の密度にも違いが現れる。しなやかさもある剛毛の質感を出すため、一本ずつ丁寧に、一筆で描き入れてゆく。2013年の作品 ©川島逸郎】

【図版⑤ 日本産トックリバチ属三種の泥巣 トックリバチは泥蜂の仲間。徳利状の巣を作ることは共通するが、取り付け方は種類によって違いがある。巣材である泥の質感ばかりでなく、継ぎ足していったさまが分かるように、筆先を細かく操りながら色を置き、重ねてゆく。2013年の作品 ©川島逸郎】

 

(第6回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
次回:2021年12月15日(水)掲載予定