虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2021.12.15

07異次元のミクロワールド――顕微鏡観察の愉しみ

 

顕微鏡で最初に見たものは……

 顕微鏡を初めて使ったのは、大学に入り昆虫学研究室に所属してからでした。高校時代、私は地元の博物館を訪ねるようになり、その研究室で目にはしていたのですが、出入りし始めたばかりの高校生には、「それを覗かせてほしい」と言い出せる雰囲気ではありませんでした。

 私の所属した研究室は、他大学より恵まれた環境だったようで、入室したばかりでも机と、簡単な実体顕微鏡とが一人に一台ずつ与えられました。とはいえ、研究テーマが決まってはいませんから、しばらくの間は手持ち無沙汰です。暇(?)を持て余し、遊び半分で、手近な色々なものを顕微鏡で覗き始めるのはよくある話で、私も最初は自分の掌の指先を覗いてみました。見慣れていたはずの指紋も、改めて拡大して見ると、迫り来る何ものかがあります。ことさらに感動したのは、山と谷が連なる指紋の山の部分、つまり稜線から、点々と汗が湧いてくることでした。顕微鏡観察で初めて得た知識とは、昆虫に関することではなく、何と「指先の汗の出方」だった(!)のです。

 顕微鏡は正確に描くために欠かせない道具の一つですが、それ以前に、ただ拡大して見るだけで、かくも未知の世界や視界が開けるものかという感動を、私に与えてくれるものなのです。ここでは二種類の虫を例に、顕微鏡観察によって得られた感動、そして愉しみについてご紹介しましょう。

 

驚きの表面微細構造――スジグロボタルの幼虫を例に

 まず、日頃努めて研究している蛍の一種、スジグロボタルの幼虫についてお話しします。この蛍の成虫は昼間に活動し発光はしませんが、鮮やかな紅色の上翅が野外でも目立つ、とても美しい虫です(図版①)。

 

【図版① スジグロボタルの産卵 鮮やかな上翅の紅色は、木陰の下草の上にとまっているときも、とても目立つ。発光しない成虫は昼間に活動し、雌は午後の遅い時間帯に、湿地の泥土やコケ(蘚類)の隙間に産卵する ©川島逸郎】

 

 樹林に近い湿地にすみ、幼虫は半ば水が浸った地面で生活しています。艶やかな成虫とは対照的に、濃褐色の幼虫の姿は、住処の泥に溶け込む地味さです。目に付くものと言えば、胸の縁にある淡い斑紋くらいでしょうか。ところが、いざ拡大して見ると、背には一面に網目文様が拡がっていることが分かるのです(図版②)。濃色に見えたのは、その網目が密に凝縮されていたからでした。こうした微細な表面構造は、描写するには苦心させられますが、それだけの甲斐はあります。さらに目を惹いたのは、その網目文様が腹側の随所にみられたことです。

 

【図版② スジグロボタルの幼虫 幼虫は水気に富んだ湿地にすむ。体は背面が平たく、全体的に幅広い紡錘形。胸部と腹部の背板は、網目紋様で一面に覆われる。細かな形態的な特徴ばかりでなく、これら微細な表面構造も、ペン先を駆使しての点描によって正確に表現する。2019年の作品 ©川島逸郎】

 

 例えば、脚を見てみましょう。生物顕微鏡で光を通して見ると、背面ほどの細かさはなく粗いものですが、そのもっとも基部の節(図版③の右)には、その文様が現れていました。面白かったのは、背中での網目とは異なり、その一部屋(円)ごとに、中心から一本ずつ毛が生えていたことです。歩行を担う脚全体からして、感覚器の一つである刺毛が多いのですが、胴体に拡がる網目文様と脚に多い刺毛とが、脚の基部で出合い、折衷したように思われました。

 

【図版③ スジグロボタル幼虫の脚(側面) 脚の表面には太い刺毛が密に生え、爪にまで生えていることが特徴の一つ。もっとも基部の一節である「基節」(右)の表面にも、独特の丸みのある網目紋様があり、その各小部屋の中心から、一本ずつ毛が生える ©川島逸郎】

 

 

合理的な形態――ミツバチの花粉団子はいかに作られるのか?

 顕微鏡観察の愉しみは、何も珍しい虫や、変わった形の虫だけでしか味わえないものではありません。むしろ、私たちの身近にいる虫を観察したときにこそ、その醍醐味が得られるかもしれません。見慣れていたはずの虫の体に潜む意外性に巡り逢えたりするからです。私にとってミツバチとは、まさにそのような虫でした。

 後ろ足に花粉団子を付けて花を訪れるハチの姿は、街中の花壇で見られる日常的な情景です。ところが、あの団子が一体どのようにして作られるものか、外国のテキストで目にした記憶はあっても、これまで実感として理解してはいませんでした。あるとき、絵を描くために改めて観察し直してみて、その作られ方が立ちどころに氷解するとともに、その形態の合理性にいたく感嘆させられました。

 まず、後脚の全体を見てください(図版④)。

【図版④ セイヨウミツバチの後脚(外面) 「脛節」は幅が広がり板状になる。その両縁にはカールした毛が並んで生え「花粉かご」を形成しており、平らな板とともに、花粉を受け止め団子状に形作るはたらきを担う。つまり、花粉団子は後脚の脛に付けて持ち運んでいるのである。2020年の作品 ©川島逸郎】

 

 幅広く、板状になっている節が二つあります。その上方のものを「脛節(けいせつ)」といい、内側に湾曲した毛が並んでいます。花粉団子はこれらの毛からなる「花粉かご」に抱えられるようにして付き、持ち運ばれています。

 では、花粉はどこからどのようにしてここに集められるのでしょうか。板状になっている下の節は、実は、脚の先に連なる「附節(ふせつ)」の第一節目ですが、この節の内面には剛毛の列が密集して並んでいます(図版⑤)。

【図版⑤ セイヨウミツバチの後脚の附節(内面)
  脚の先端は、細かく分かれる「附節」となる。後脚附節の第一節目は、脛節と同じように幅広い板状になる。その内面には、十列ほどの櫛状の剛毛列が整然と並んでいるが、この剛毛列を使って自身の体を撫でつけ、体毛に付着した花粉を搔き集める。2020年の作品 ©川島逸郎】

 

 ミツバチはまず、この毛の列を使って自分の体を撫で付け、体毛に付着した花粉を掻き取ります。次に、脛節内面の先に一列に並んだ棘の列(図版⑥)で、掻き取られて附節内面にたまった花粉をこし取ります。

 

【図版⑥ セイヨウミツバチの後脚(内面)の花粉圧縮器 附節がつく脛節の先端(内面)には、横一列の棘が並ぶ。左右の脚を交差させ、左脚の列で右脚の附節に集められた花粉を、右脚の列で左脚の附節に集められた花粉を、さらにこし取る。附節と脛節とが接する部分は外面上方に向けて平らになっていて、こし取られた花粉は二つの節の屈伸で圧縮されながら、脛節外面の花粉かごへと押し上げられてゆく。2020年の作品 ©川島逸郎】

 

 附節の第一節と脛節とが接した部分はお互いに、脛節の外面上方へ向かって斜めに平らな面になっているため、二つの節の屈伸によって、棘の列でこし取られた花粉は圧縮されながら、脛節の外面上方へ自動的に送られ、押し上げられてゆくわけです。押し上げられた花粉は、湾曲した毛によって抱えられるように溜まってゆき、自ずと団子が形作られるのです。と、こうして文章にするとやや難解ですが、私の一連の絵は、この花粉団子作りのストーリーを理解するために、少しはお役に立ったでしょうか?

 

 

(第7回・了)

 

本連載は隔週更新でお届けします。
年末年始を挟むため、次回は2022年1月12日(水)に掲載予定です。