虫を描く私――標本画家のひとりごと 川島逸郎

2022.1.26

09ひたすら点を置き続ける

 

私と点描画

 私の「標本画」の多くは点や線、あるいはその双方によって描かれています。いかに細密で複雑な仕上がりの作品にせよ、煎じ詰めれば、これらたった2つの要素から成ることに変わりはありません。

 対象の形状を示したい、つまり二次元の情報を示す図などは、シンプルにそれらを抽出した線だけで描きますが、立体構造といった三次元情報や色彩斑紋を示したい場合は、点描を加えます。

 もっとも、なぜ私がこうした点描画を手掛けるようになったのか、今となっては、確かなことは思い出せません。技法書などから学んだ記憶もないのです。標本画に開眼した契機は第2回に書きましたが、そこで出会った鳥類の図は木口木版でしたし、点描によるものではありませんでした。手元に残る昆虫画では、三十年余も昔の大学入学の以前にすでに点描で描いていることから、その頃、どこかで目にした絵に触発されたのかもしれません。事の始まりは何かを模倣したのでしょうが、その繊細なタッチに惹かれたのでしょう。

 

一個の点へのこだわり

 印刷技術の一つに、「網版(あみはん)」というものがあります。これは、インク自体の濃淡を調節するのが難しいことから、「網点」と呼ばれる点(ドット)の大小やその密度によって、画像の濃淡を再現する方法です。点描とは、その網版を手作業で行うのに等しい手法とも言えます。

 私がかつて目にした、点描によるもっとも優れた標本画は、スイスの甲虫研究者が著した論文の挿図です。専門の画家によって描かれたであろうそれらの図は、線の美しさもさることながら、様々な直径の点が駆使され、まさに迫真と言える表面、立体構造が表現されていました。ただの一個の点に至るまで、完全にコントロールされていたのには驚愕したものです。これが目標とすべき究極の標本画だと心中思い定めはしたものの、それから四半世紀、未だ到達できていません。今なお、点の大小までは駆使できてはいないな、といった思いを抱えつつ私は描き続けているのです。

 その代わり、そうした自身の技術レベルから目を逸らさず、一個一個の点をできる限り均一に揃えようとは心掛けてきました。均一な点だけで、どこまでの表現や描写が可能になるのか、そこから挑んでみようと考えたのです。

 まず、点は「円く」あるのが理想です。いびつで不揃いな点の集合では、美しい描画面を展開することはできません。丸ペンなどのつけペンは、尖ったペン先の形状からしても円い点を作るには不向きです。先端が細く突出したニードル型で円形のペン先をもつ製図ペン(ニードルペン)を私が手に取ったのは、自然な成り行きと言えます。加えて、私はこの三十年間、一貫して太さ(内径)が0.1ミリの品だけを使い続けてきました。

 一般的には、点は「打つ」ものというイメージを持たれることでしょう。しかし、急ぎ足で打ってしまえば筆勢が付き、その点は円くなくなるばかりか、不揃いなものになってしまいます。そこで私は、ペン先の行き先を瞬時に見極めつつ、一個ずつを丁寧に慎重に「置く」点へと意識的に変えてゆきました。こう書くと、点描画はどれほどの時間や労力のもとに描かれているのか、と思われるかもしれません。けれども、乱雑に素早く点を打ってゆくより、一個一個のあるべき位置を見定めて置いてゆくほうが効率的で、描画面の見た目から来る印象ほどには時間は掛かってはいないのです。何より、点同士の間隔や位置関係の上での乱雑さや無駄がなくなり、美しい点描の面を展開できます。

 同じ道具を使っていても、描いた年代によって絵の出来栄えに明らかな差があることに気付かされます。しかし、そこに見て取れる点の質の向上は、手先のわずかな感触を研ぎ澄ますことができた賜物でしょう。点を置くという、きわめて単純な作業でありながら、突き詰めればどこまでも新たな境地があると言えそうです。

 

点の離合集散から

 虫の三次元情報や斑紋などを示したいとき、点描をもってそれらを表現すると先に書きました。ひと言で言えば、点の離合集散に拠っています。虫体の表面に現れる立体構造に伴う陰影、斑紋、色調とその濃度。まず、対象をざっと見渡しながら、それら取り上げるべき特徴を読み取ります。その後に続く観察によって、さらに詳しい情報を読み取り、いかなる点描を加えてそれらを表現するかをイメージします。そして実際にペンを持ち、線をすべて引き終えたら、いよいよ点描の出番です。はじめは、ごく粗い間隔で点を置き、その面を拡げます。その表現に応じて点の密度を高める際は、まばらに置いた点の間隙を、周囲の点からさらに等間隔に点を置いて埋めてゆきます。このように、同様の作業を繰り返すことによって濃度を高めるわけです。

 ここでは、3つの作品を例に示しました。ウシカメムシ(図①)は、やや淡い地色の中、全体に散らばる点刻(昆虫の体表にしばしば現れる微小な凹み)が濃く染まっているので、その部分の点の密度を高めています。さらに、これらの凹みは、内部の点の密度を変えることで陰影を付け、三次元(立体)情報を併せて示しています。

 

【図①ウシカメムシ 数こそ多くはないものの、私たちの身近にもいるカメムシ。その和名が示す通り牛の顔に似た姿形をしており、一対の淡色斑の部分も、その目を思わせる。カメムシの体表は独特の滑らかさを持つが、ウシカメムシでは、不規則に散布する点刻が濃色に染まる。滑らかさに加え、点刻の散布状況、濃く染まった状態を表現するために、位置や密度を加減しながら点を置いてゆかねばならない。2008年制作。 ©川島逸郎】

 

 カタゾウムシ(図②)は漆黒の虫ですが、体表はきわめて滑らかで光沢があります。乱反射を含めた光沢を表現するために、点の密度を徐々に変えることでのグラデーションを多用しています。

 

【図②カタゾウムシの一種(フィリピン・カタンドゥアネス島産) きわめて硬い体をもつカタゾウムシの仲間は、毛は鱗片となって体のあちこちに斑紋を形作るが、体表の多くはごく滑らかな部分が占めている。こうした平滑な面こそ、点描でもっとも気を遣うところ。点の密度が均一でなければ、たちまちその滑らかさが損なわれるからだ。併せて、白く残す反射部分に加え、乱反射の部分をも捉えて体の丸みをも表現しなければならない。置く位置を見極めながら、一個一個の点を慎重に配置してゆく。2019年制作。 ©川島逸郎】

 

 一方、ヤエヤママドボタル幼虫(図③)も体の地色は黒いのですが、つや消し状です。光沢はなくとも、独特のマット状の質感をもっているので、その表現に気を遣いました。まばらに並ぶ点刻に沿って、きわめてかすかに波打っているので、それらに沿って微妙な陰影を付けています。どの作品にせよ、線以外はただの点から成ることに変わりはありません。しかし、その集まり具合や密度を変えれば、実に多様かつ微妙な表現ができることがお分かりいただけたのではないでしょうか。

 

【図③ヤエヤママドボタル(幼虫) 成虫、幼虫を含め、日本の蛍としては最大。独特の体の斑紋は、その光の強さとともに野外でも目を惹く。体の黒い部分はつや消し状で、独特の質感をそなえる。点描では、黒い部分も塗り潰すことなく、点の密度を高めることによって、その「黒さ」を表現する。点同士の密度を極限に高め、また丹念に重ねてゆくことによってこそ、濃度の厚みを生み出すことができる。2021年制作。 ©川島逸郎】

 

 

(第9回・了)

 

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本連載は隔週更新でお届けします。
次回は2022年2月9日(水)に掲載予定