何でもかんでも自分でやろうとして、うまくいかずに疲れ果ててしまう。そんな人がみなさんの周りにもいるはずだ。
もちろん、頑張ることは重要だ。だが全てを自力でどうにかする必要はないし、専門化が進む現代ではむしろ現実的ではない。いかに手を抜くところを決めるか、やらないことを決めるか。つまり、「うまくサボるか」が成功の条件といってもいいすぎではない。
ビジネスの世界で「上手にサボる」ことで大成功を収めた人物も少なくない。そのひとりが、アップルを創業したスティーブ・ジョブズだ。
ウォズが作って、ジョブズが売る
ジョブズの凄さは天才を見つけて活用するところにあった。「もう一人のスティーブ」と呼ばれ、アップルの共同創業者である天才エンジニアのスティーブ・ウォズニアックとの出会いから、ジョブズの「うまくサボる人生」は始まる。
1971年、ジョブズは近所に住む友人を通じて、5歳年上のウォズと出会う。当時、ジョブズはまだ高校生で、ウォズはカリフォルニア大学バークレー校の学生だった。2人とも電子工作が趣味で、ジョン・マッカラムというエレクトロニクスを教える教師の教え子という共通点があった。
最初に2人が手を組んだのは、雑誌『エスクァイア』の記事がきっかけだった。記事には電話回線のハッキング方法が紹介されていた。ウォズはこの記事に触発され、デジタル方式の「ブルーボックス」という装置の開発に成功する。当時の電話システムは特定の周波数の音を検知して通話を制御していたが、この装置はその仕組みを無効化することで無料の長距離通話を可能にした。
2人は最初、この装置でいたずら電話を楽しんでいた。バチカン市国のローマ法王に電話をかけたこともあった。深夜3時半にジョブズが「今すぐローマ法王に電話しよう」と言い出し、純朴なウォズが「いくらなんでもこんな時間は失礼だ」と制止し、朝6時まで待って電話をかけることにした。時間の問題ではない気がするがやはり天才たちは注目するポイントが違うのだろう。電話には法王の下の司教が出たが、イタリア語が分からず会話にならなかったというが、ウォズは「もし法王が電話に出ていたら、『私の伯父はカトリックの神父です』と言うつもりだった」と後に語っている。笑いのツボもやはり天才は違う。
ジョブズはこの違法な装置にビジネスの可能性を見出していた。スマートフォンどころかインターネットもない時代だけに、大学生にとって長距離通話代は重くのしかかっていた。大学の寮を回って約100台を販売し、およそ1万ドルを売り上げた。材料費40ドルで作れる装置を150ドルで販売した。これが「ウォズが作って、ジョブズが売る」という勝利の方程式の始まりとなった。倫理的に正しいかどうかはともかく、この経験が後のアップル創業に活きることになる。
大学も“いい加減”に通った戦略家
ジョブズは1972年にリード大学に入学したものの、1学期で退学した。ただ、完全に大学から離れたわけではなかった。「もぐりの学生」として好きな講義だけ聴講する「うまいサボり方」をここでも発揮した。
空き缶を集めて小銭を稼ぎ、寺院で無料の食事をもらう。最小限の努力で生活しながら、自分の興味のある分野だけを徹底的に学んだ。怠惰に見える暮らしの中でもぐりで学んだカリグラフィー(装飾文字)が、後のマッキントッシュの美しい文字デザインにつながっていく。
「自分でやらない」という才能
話が少しそれたが、ジョブズは「自分でやらない」ことの見極めが秀逸だった。
1974年に当時働いていた会社でゲームの開発を任されたときもその能力を発揮した。
このゲームは、画面上部に並んだブロックをボールで崩していく単純なものだったので、会社としては「チップの数を減らせば、製造コストを抑えられる」と考えていた。ジョブズはこの仕事を任されたが、回路設計が複雑で自分の手にあまることはすぐにわかった。とはいえ、仕事だからやらざるをえない。そのとき、思い浮かんだのが、当時ヒューレット・パッカードに勤めていたウォズだった。
夜中にウォズを呼び出し、依頼するとウォズは4日で見事な回路設計を完成させた。通常なら50個は必要なチップをわずか30個まで削減することに成功した。アタリは5000ドルの報酬をジョブズに支払ったが、ジョブズは、実際の報酬額をウォズには告げず、「700ドルだった」と偽り、350ドルだけを渡した。
これまた倫理的には議論の余地が大いにあるというか、ジョブズの人間性のヤバさを後世に伝える有名なエピソードのひとつになっている。ただ、同時に彼の「他人の能力を最大限に活用して、利益を上げる」才能を物語るエピソードともいえるだろう。
1976年にAppleⅠを世に送り出したときもジョブズは同じ行動をとった。時代はコンピュータ黎明期だった。すでに個人向けコンピュータ(パーソナルコンピュータ)もいくつか発売されていたが、ウォズは「自分ならばもっといいものができる」と半年かけて完成させたのが伝説的なモデルApple Iの原型だ。商売っ気のないウォズは設計図を無料で公開しようと考えていたが、ジョブズは製品として売り出すことを提案した。アップルコンピュータ(現アップル)の創業だ。
やらないことを決められるのも才能
ジョブズはウォズがいなくても同じスタイルを貫いたが、これを徹底できたことでジョブズは名経営者と呼ばれるようになったのだろう。常に「サボる」領域を決めていたのだ。
ジョブズはアップルを追放され、ネクストコンピュータを設立。1986年にルーカスフィルムのコンピュータ部門を買収してピクサーを設立したときも、自身はアニメーション制作には一切関与しなかった。その代わり、ジョン・ラセターという天才クリエイターに全幅の信頼を置いた。クリエイティブな判断は現場に任せた。この割り切りが、『トイ・ストーリー』のような名作を生むことになる。
アップルに復帰し、2007年にiPhoneを開発するときも、同じスタイルを貫いた。技術的な細部には立ち入らない。その代わり、「画面を触ったときの感触」や「動きの滑らかさ」など、ユーザー体験に関することだけは徹底的にこだわった。エンジニアが「それは技術的に不可能です」と反論しても、「何とかして実現せよ」と突き放した。すると不思議なことに、優秀なエンジニアたちは必ず解決策を見出していった。
ジョブズはエンジニアの経歴はそれなりにあるが、技術者として成功しようとは考えなかった。その代わり、「技術を使ってビジネスで成功する」という道を選んだ。自分の得意不得意をよく理解していた。
真面目な人ほどやたらと頑張りすぎる傾向にあるが、完璧主義者として知られるジョブズですら、全てを自分でやろうとはしていなかった。他人の才能をうまく活用して大成功を収めたのだ。何も全てを自分でやる必要はないし、やろうとしてはいけない。自分の得意分野に集中し、不得意な部分は適切な人材に任せればよいのだ。
「賢くサボる」は限られた時間と資源を最適に使って、最大の成果を上げる戦略なのである。もちろん、全てを如才なくできてしまう人もいるにはいるが、多くの人はそっち側にはなれない。それならば、「賢くサボる」人生を歩むべきではないだろうか。できないことをちゃっちゃと諦めてやらないことはときに才能になるし、それが才能となるような人生を歩めばよいのだ。
今回の教え:じぶんの能力を素直に見つめよう。
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