あんぱん ジャムパン クリームパン 青山ゆみこ・牟田都子・村井理子

2020.5.31

14最後かもしれない

 

突然コロナがやってきた。
いろんな不便と、不安と、怒りを抱えながら、毎日を過ごす。
私たち、これからどうなっちゃうんだろう。

でも、みんなでおしゃべりすれば、少しは気が晴れるかも。
女三人による交換日記。(今回の筆者:ジャムパンこと牟田都子)


ゆみこさん、理子さん、こんにちは。

東京も緊急事態宣言が解除されました。宣言が出たのはちょうどこの交換日記が始まった頃ですから、2ヵ月ぶりですね。

2ヵ月間、ずっと仕事をしていました。理子さんの言うように、人は何にでも依存するのでしょう。わたしは仕事に依存していました。仕事をしていれば「それどころじゃない」と言えるから。考えなくてすむから。

考えたくなかったのはこれからのことです。

もう長いこと街を歩いていません。最後に歩いたのはいつだったろう。大きな本屋さんに行ったのは。カフェでお茶をしたのは。美容院で髪を切ったのは。ウィンドウショッピングをして歩いたのは。映画館に行ったのは。美術館は、ギャラリーは、ライブハウスは……。「あれが最後だった」と思い出すことは、失ったものを数えるようで、それがこわくてわたしは街へ出られないのかもしれない。

何を失ったか数えるのはきっとこれからなのでしょう。緊急事態宣言が解除されても、元の生活には戻れない。そんなことないよ、時間はかかってもかならず元に戻るよ、という人もいるかもしれないけど、わたしにはそうは思えない。世界ははっきりコロナの「前」と「後」に分かれてしまったように見える。

カフェにふらっとコーヒーを飲みにいくこと。本屋さんで時計を気にすることなく好きなだけ棚を見てまわること。友達とおいしいものを食べながら大きな声で笑うこと。あれが最後だったのかなと思い出しながら、いまだに信じられずにいます。そんな当たり前のことが、当たり前じゃなくなるなんて。

うちは小さなマンションの4階なんですけど、ちょっとへんてこな造りになっていて、玄関だけが3階にあります。ダイニングを出て廊下の突き当たりの階段を1階分下りると玄関。毎朝出勤する夫を見送るときはそこまで下りていく。たかだか1階分なのに、仕事がたてこんでいるときや、ケンカ(おおむね、しょうもない理由で)のあとなんかは、面倒だと思うこともしょっちゅうです。

でも、そのたびに「これが最後かも」と思う。

いつどこで読んだのかももう思い出せないんですが、小さなお子さんを亡くした人の文章を読んだことがあります。

朝、登校する子どもとささいなことで言い合いになって、投げつけるような言葉を放ってしまった。それが最後の会話になってしまったことをいまだに悔やみつづけている、というのです。

毎朝思うんです。これが最後かもしれないと。
そう思うと面倒だろうがなんだろうが、玄関まで出ていかないわけにはいかない。

ほんとうはいつだって、いまこの瞬間が最後になるかもしれないと頭では理解している。でも、どこかでそれはいまじゃないとも思っている。また明日ね、と手を振る小学生みたいに別れてから、あれが最後だったんだとあとになって気がつく。別れはいつも事後的にやってくる。気がついたらわたしたちが、当たり前に続くと信じて疑わなかった日常から、突然切り離されてしまったみたいに。

ジャムパンこと牟田都子より

 

(写真)吉祥寺でいちばん好きだったカフェのパウンドケーキ。季節ごとに使っている果物が替わるのが楽しみでした。縁あって半年ぶりに味わうことができたけど、お店で食べるのにはかなわない。同じ味のはずなのに。カフェは昨年秋にクローズしました。