あんぱん ジャムパン クリームパン 青山ゆみこ・牟田都子・村井理子

2020.4.24

02猫だけが変わらない

 

突然コロナがやってきた。
いろんな不便と、不安と、怒りを抱えながら、毎日を過ごす。
私たち、これからどうなっちゃうんだろう。

でも、みんなでおしゃべりすれば、少しは気が晴れるかも。
女三人による交換日記。


ゆみこさん、理子さん、こんにちは。

2018年の秋に、理子さんの『犬(きみ)がいるから』刊行記念トークイベントが開催されたとき、東京ではわたしが聞き役をつとめ、京都・大阪ではゆみこさんが登壇されたのですよね。

これはなんとしても聴きにゆかねばと、謎の使命感に燃えて、ひとり関西ツアーを決行し、初の菓子パン娘3人そろい踏みとなったのでした。

連日おいしいものをたらふく食べて、飲んで、肝心のトークの内容をほとんど覚えていないくらい(えええ)笑いました。ずいぶん昔のことみたいです。

フリーランスの校正なんて仕事をしていると、一日中家から出ない、誰とも口をきかないのが、むしろ「平常運転」です。

そういう意味ではコロナ前/後と、生活が大きく変わったわけではありません。

だけど、「変わった」と感じている部分は、たしかにある。
それは「不自由さ」じゃないかと思います。

ここでいう「不自由さ」とは、「外に出られない」「人に会えない」という物理的な困難とは別のものです。

「息苦しさ」「後ろめたさ」というほうが、体感としては正確なのかもしれない。

ゆみこさんはそれを「『わたし』である前に『わたしたち』でいなきゃいけないような『圧』」と書かれていました。

いま、「みんなで力を合わせて」とあちこちで見聞きします。

でも、その言葉を目にするたびに、個々人のいろんな「苦しさ」が、巨大な掃除機みたいなものにぎゅいーんと吸い上げられて、紙パックの中でくるくる回転しているうちに、もやもやした灰色の「みんなの苦しさ」に、いつのまにか変換されてしまうように感じるんです。

わたし自身は、このご時世に仕事の量もほとんど変わらず(ありがたいというべきなのか)、せわしない日々を送っています。

一方で街に出れば、よくごはんを食べに行っていた飲食店の人たち、仕事でもプライベートでもお世話になっている書店や古書店の人たちが、このままでは保ってもあと……と低い声で言い合っているのが聞こえてきます。

この乖離を「みんな」とひと括りになんて、できるんでしょうか。

そうはいいながら、じゃあ自分にいったい何ができるのか、と考えてみても、できることなどたかが知れていて、目の前にはつねに仕事があり、考える余裕さえ、正直ない。

なにをやっているんだろう、わたしは、と毎日のように思います。

わたしの仕事は「なくてもいい」といわれがちです。著者や編集者、あるいは印刷所や製本所なしに本が出ることは考えにくいですが、校正の入っていない本は、世にいくらでもあります。

そんな仕事を、いま、この状況下で、やる意味があるんだろうか、と考えてしまう。

そう考えることには、お店をやっている人たちのような差し迫った苦しさではないかもしれませんが、逆に、自分ではどうすることもできない、一種の苦しさがあります。

人の心配をしてもしかたがない、といわれれば、それまでなのですが。

猫たちだけが変わりません。食べて、寝て、起きて、仕事のじゃまをして、また寝てのくり返し。
(余裕がないと、猫が甘えてきても「うるさい」と思ってしまって、そんなふうに思ってしまったということにめちゃめちゃ傷つきますよね……)

ゆみこさんはお連れ合いが退院されたばかりですし、理子さんは双子くんたちが家にいるようになってもう1ヵ月半、大変さでいえばわたしなんかとは比べるべくもありませんが、どうか、できるかぎり心身いたわりながらお過ごしください。

ジャムパンこと牟田都子より

 

(写真)寝るのが仕事のひとたち。猫ってなぜか同じ方向を向いて寝ますよね。それで同じ瞬間に目を覚まして、同じだけの時間毛づくろいして、同じタイミングでまた寝ちゃう。うちだけかな。