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前回にお話した『イナンナの冥界下り』のヨーロッパ公演、行ってまいりました!
アーツカウンシル東京の長期助成を得て、東京での上演を何度か繰り返し、その最後の仕上げとしての欧州公演。ロンドン大学のSenate House(イギリス)と、ヴィリニュスの国立ドラマ劇場(リトアニア)で上演をした。
ロンドン大学の公演には、世界的なシュメール語学者や、中東音楽考古学者という専門家の方々がたくさん来場されるという、なんとも濃い公演で、終わってから寄せられた感想も専門的なものが多かった。
一方、リトアニアの方は、狂言師の演技では笑いが起きたり、音楽に合わせてお客さんも、そして照明・音響スタッフの方々も体を揺らしたりと、ノリノリの公演となった。
同じ作品を、同じ演出で上演したのに、お客さんの反応の違いがとても面白い。これも作品の持つふところの深さか。
さて、今回の公演は、事前のアクシデントが多かった。実現が危ぶまれたことが何度もあった。
たとえば助成金の問題。
出演者の航空運賃と滞在費は国際交流基金からの助成を予定していた。最初の感触では「大丈夫だろう」ということだったので、ほかに手を打たなかったのだが、結局、認められず、航空運賃と滞在費の出どころがなくなった。
およそ300万円。うわ~(笑)。
しかし、それはお金の問題だ。なんとかなる。
最大の危機は会場のドタキャンだった。
リトアニアの公演会場は、当初の予定ではヴィリニュス大学だったが、公演当日がロシアからの独立百年記念日に当たり、大学がクローズするという連絡が突然入った。それが公演2週間前。
これから会場が取れるか。また、観客もヴィリニュス大学の学生を見込んでいたが、大学が休みとなるとそれも難しいだろうとのこと。本番までたった2週間しかない。日本だったら、実現不可能だろう。
リトアニアでプロデュースをしてくれたのは、二十年来の知人で、リトアニア人の女性である。彼女と連絡を取り合いながら対処をしていたのだが、日本からは何もできない。
やきもきした。
そんなとき彼女から「あとは神さまにお祈りしましょう」とメールをもらった。
「なるほど!」と思った。
なすべきことをなしたら、あとは神さまに任せる。心に神を持つ人たちの強さだ。
ちなみに私は、信仰と呼べるほどのものは持っていない。しかし、だからといって神や仏の存在を強く否定する無神論者というわけでもない。自分でいうのも何だが、そういう輩が一番たちが悪い。中途半端なのだ。
祈るといっても、祈りの習慣すらない。
そんなわけで、自省も込めて、今回(と次回)は「祈り」について考えてみようと思う。
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まずは日本語の「いのる」という語から。
「いのる」という語は、案外新しい語だ。『古事記』にはない。古代の日本人は「いのる」という行為をしなかったのだ。
ちょっとびっくりでしょ。
「いのる」が出てくるのは平安時代になってからだ。それも、私たちの「祈る」とはだいぶ違う行為である。
「いのる」という語は「い」と「のる」とから成る。
いのる=い+のる
「い」は神聖さを表す接頭語であり、「のる」は「宣る」、すなわち呪力を持った語を発することをいう語だ。「のる」は「祝詞」の「のり」であり、「呪い」の「のろ」でもある。
すなわち「いのる」という語は、神聖な神仏の名や祝詞を口に出して唱えることを意味する言葉だ。使い方としても、「神にいのる」という言い方はせず、「神をいのる」という言い方をしていた。
だから、私たちがふだん使う「祈り」は、本来の「いのり」ではない。「いのり」というのは、あくまでも神仏の名を唱えることであり、それによって神仏の来臨を仰ぐ行為であり、神仏の力を強大化するための呪的行為であった。「願い」をかなえてもらおうというような人間中心の行為では決してなかったのである。
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「いのり」が、神仏の名を唱えるという呪的行為だということは、必然的にそれは「儀礼」を伴うことになる。儀礼というのが大げさならば、作法、あるいは手順といってもいい。
能には「祈りもの」と呼ばれる一連の作品群があるが、それも神仏の名を唱えることがその中心になっている。そして、この「祈り」には神仏の名を唱えることを含む、ひとつの手順があり、すべての能の「祈りもの」がその手順に従っている。手順から外れた祈りは祈りではないのだ。
これは能に限らない。
しかし、だからといって、「いのり」という行為が、儀礼や手順を学んだ神職や僧侶などの聖職者の占有行為だというわけではない。
写経をしたり、読経をしたりする人も多い。毎朝、祝詞を唱えるという人もいる。これも立派な「いのり」である。そういう人も、写経や読経の前には手を洗ったり、口を濯(すす)いだりする人が多い。神仏の絵像や梵字の軸を掛け、それに拝礼をしてから写経・読経をする人もいる。手順を踏んでから「いのり」に向かうのだ。
もともと「祈り」というのは、それ自体が儀礼というか、決まった手順や形式を踏みたがるようなのである。そして、その祈りの手順化というのは、かなり昔からの性質であることが、漢字の古形からもうかがえる。
「いのり」の漢字というと「祈」や「祷」を思い出すだろう。しかし、このふたつは新しい漢字だ。ここで紹介したいのは、もっとずっと昔、紀元前千三〇〇年ほどの甲骨文字だ。甲骨文字の「いのる」は次のように書かれる。
これを現代風の文字に直すとこうなる。
この字は植物を逆さにした文字であるといわれる。
植物を逆さにする祈りといえば、榊(さかき)を逆さにして神に捧げる「玉串奉奠(たまぐし・ほうてん)」を思い出すだろう。玉串奉奠は、榊を逆さにすることだけでなく、いくつかの定まった作法がある。その作法にのっとって行うことが大切なのだ。
玉串奉奠だけでなく、ふだんの神社の参拝にも「二拝二拍一拝」という作法がある(出雲大社以外)。二度拝礼をして、二度柏手(かしわで)を打ち、そして最後にもう一度拝礼をする。
柏手を打ってから、長い間、お願い事をしている人がいるが、あれは邪道だ。何も考えずに、この一連の動作をただ行う、それが祈りだ。この一連の流れの中には神様に何かをお願いするという時間は含まれていない。
「祈る」は「お願い」ではないのだ。
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ちょっと余談だが、これが植物を逆さにした文字だと書いた。
じゃあ、逆さではない文字は何かというと、これである。
これは「木」だ。「木」という漢字では、枝も根も一本ずつだが、「いのる」という漢字は、枝の部分を強調するために二本にし、根の部分は一本にして、そして逆さにしている。「いのる」とは、根が上にあり、枝が下にある形なのだ。木、まるごと逆さまだ。
これを「玉串奉奠」と書いたが、これで玉串奉奠をしたらすごい。まるごとの木一本での玉串奉奠。ふつうは榊の枝だ。木ではない。
まるごと一本の木で、そんなことができるわけがない。
…なんて思っていたら、『古事記』ではあるのだ。
天岩戸神話で、アマテラス大神が岩戸に隠れたときに布刀玉(ふとたま)の命は、天の香山の榊の木を根っこから引き抜いて、そして上の方の枝に五百の勾玉を掛け、中の枝には八尺鏡という大きな鏡を掛け、そして下の枝には白い幣や青い幣をかけた。そしてこれを御幣のようにぐるんぐるん振る。その時、藤原氏の祖先である天の兒屋(こやね)の命が祝詞を禱(ね)ぐ…なんて描写がある。
古代人はスケールがでかい。
甲骨文字の「いのる」も、まるごと一本の木を逆さにしていのったのかもしれない。
▼『旧約聖書』に見るいのりの儀礼化
さて、閑話休題、ここでキリスト教の祈りを見てみよう。
日本人の多くは仏教徒ではあるが、「祈り」というときにパッと頭に浮かぶのはキリスト教の祈りだという人も多い。
例の「天にまします、我らの父よ」というやつだ。
しかし、イエス・キリストの祈りに行く前に、まずは『旧約聖書』から見てみよう。
祈りの方法を最初に示したのはモーセだった。
ヘブライ人を迫害するファラオにもたらされた「十の災い」のひとつ、「雷と雹の災い」におそれをなしたファラオは、人を遣わし、モーセとアロンを呼び寄せて「主に祈願してくれ」と懇願する。それに対して、モーセは「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう」という。そして、町を出ると、両手を広げて主に祈った。すると、雷も雹もやみ、大地に注ぐ雨もやんだ(『出エジプト記』)。
「両手を広げる」、これがモーセの祈りの方法である。これだって、モーセは「雷と雹を止めてください」とお願いしたとは書いていない。モーセの願いの言葉は書かれていない。モーセが両手を広げれば、なるべきようになっただけである。
これは「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神やまもらむ」という古歌や、古代中国の桑林の舞を思い出すが、話が広がり過ぎてしまうので、その話題はいまはしないようにしよう。
さて、とはいっても、ただ両手を広げて祈れば神が聞き入れてくれるわけではない。『イザヤ書』には次のように書かれる。
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お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。『イザヤ』1.15
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祈りの際に広げる手は清らかであることが求められるのだ。
同じ『イザヤ書』には「祈りの家」も現われる。祈りの家で開かれる喜びの祝いに連なるためには「主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく、わたしの契約を固く守る」必要がある。祈りの手に清浄が求められるのと同じく、祈りの家にも清らかさが求められるのである。
だが、そんな「祈りの家」である神殿も、時とともに聖性は失われ、やがて「商売の家」となる。
イエスは「祈りの家」である、神殿の境内で「お前たちは祈りの家を強盗の巣にした」と、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒して追い出した。イエスは荒っぽい行為と叱責とで、商売の家と堕した「祈りの家」の聖性を取り戻そうとしたのだ。
▼イエスによる祈りの儀礼化
聖性を失ったのは祈りの家だけではなかった。「祈り」そのものも聖性を失っていた。
これはイエスの時代の話だけではありませんね。現代の私たちの「祈り」は、だいたいが聖性を失っている。ほとんどがわがままな「願い」ばかりをしている。そのようなものは、本来は「祈り」ではない。しかし、それは一般人の祈りだ。まあ、笑って許すことができる。
イエスがもっとも非難したのは律法学者の祈りだった。神が与えた律法(ト-ラー)を研究、実践し、そしてそれを教える「ラビ(先生)」として尊敬される聖職者、律法学者の祈りだ。彼らは「長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にする」とイエスはいう。
俗に堕した聖職者の祈りをイエスは「見せかけの長い祈り」といい、そして「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」と糾弾する(『マルコ伝』)。
うわ、こわ。
そういえば『神曲(ダンテ)』の中にも地獄に堕ちた聖職者が登場するし、落語や講談で有名な「真景累ヶ淵」の元となった江戸時代の『死霊解脱物語聞書』でも地獄に堕ちた聖職者の話が出て来る。聖職者の方が地獄に堕ちてからが大変なようだ。
しかし、そのような祈りをするのは聖職者だけではなかった。「人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる」人たちをイエスは「偽善者」だという(『マタイ伝』)。
たまに「あの人には、こんなすごいパワーがあるんだよ」という人を紹介されるが、そういう人からは極力遠ざかるようにしている。自分にはこんな力があると見せびらかす自称「聖人」は、イエスにいわせると「偽善者」なのである。
みなさんも、注意してくださいね。
さて、イエスは、祈りは人に見てもらおうと思ってしてはいけないという。祈りの場所は「奥まった自分の部屋」であり、そこに入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい、とイエスは教えるのだ。
さらに「異邦人のようにくどくどと述べてはならない」ともいう。なぜなら神は、人が願う前から、その人に必要なものをご存じだからだ。モーセが両手を広げただけで雷と雹が止んだように。
イエスは、祈りは人知れず、そして願いを述べてはいけないといい、そして例の「天にまします我らの父よ(天におられるわたしたちの父よ)」という祈りの文を示し、ただそれだけを唱えればいいと教える。まさに、日本語の「いのる」である。
リトアニアのプロデュースをしてくれた彼女の祈りは「お願い」ではなかった。ダメだったらダメでいい。それが神さまの御心ならば、それを受け入れる。
「祈って、あとは待つ」
祈ったあとは、うまくいくか、いかないかは気にしない。うまくいっても、いかなくてもそれでいい。それが「祈り」なのだ。
(ちなみに『旧約聖書』の『歴代誌(上)』にも「神の箱」の前での儀式の祈りの言葉が示される)
祈りの話、次回に続きます。
(第7回・了)
この連載は月1回更新でお届けします。
次回2018年4月15日(日)掲載