見えないものと仲良くなる 安田登

2018.4.25

08見えないものと仲良くなるためのツール6、祈り(2) 夢告と帰神

 
 
 今月は、先月に続いて「祈り」について書こう。
 前回は、「祈り」という行為は、もともとは神の名を唱える(のる)ことで、自分の望みをかなえてもらうために超越者に何かをお願いすることではなかったということを書いた。祈りとは神への称賛なのだ。
 神社の参拝は二礼二拍手一礼で行う。二回おじぎをし、二回柏手を打って、そしてもう一度おじきをする。この間にお願いを言っている時間はない。しかし、それでいい。もし、本当にそれを望んでいるならば、心も体もそのことでいっぱいのはずだ。いっときもそれを忘れないはずだ。そんな全身全霊がその願いでいっぱいならば、ことさらコトバにしなくても神の名を唱えるだけで、その願いはかなえられるはずなのだ。

 「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん(心さえ誠の道にかなっていれば、祈らなくても神は守ってくれるだろうか)」という古歌があるが、まさにそれである。

 よく「世界の平和を祈る」という人がいる。世界中から争いがなくなり、世界が平和になることは多くの人が望むことだ。だが、本気でそれを願うならば、祈るより前にまずは自分の周囲から争いをなくすことから始めなければならないだろう。
 そのための第一歩は、自分の周囲からあらゆる競争を排除することだ。これは大変だ。たとえば、人が落ちて自分が受かるという、入社試験や入学試験、あるいは昇進試験などはすべてボイコットしなければならない。そこまでラディカルにしなくても、自分のせいで他人が不利益を被るような事態は意識して避けねばならぬ。
 そのように自分ができるところ最大限のところまでやって、そこではじめて「祈り」が始まる。

 「人事を尽くして天命を俟(ま)つ」というやつだ。

 しかし、世界平和なんていう大げさな話ではなく、昔の人だって神様や仏様に何かをお願いしたくなる状況はあっただろう。そのときに「祈り」でなければ何をしていたのか、それが気になる。

 私たちが祈りたいと思うときにはニつの状況がある。
 ひとつは望みをかなえたいとき。もうひとつは苦しみを取り除いてほしいときだ。
 この両方をしてくれる仏様(正確には菩薩)がいる。観音さまだ。観自在菩薩、あるいは観世音菩薩と訳されるサンスクリット名、「アヴァローキテーシュヴァラ(avalokiteśvara)」という菩薩さまだ。
 『法華経』の中に「観音経(観世音菩薩普門品第二十五)」があり、そこには観音様の功徳が書いてある。まとめれば「抜苦(苦しみを取り除く)」と「与楽(福禄を与える)」である。
 観音様は両方をかなえてくれるのだが、むろん緊急度としては「抜苦」の方が高い。

 少し余談を…。
 私の出身地の銚子は坂東三十三観音の霊場のひとつであり、子どもの頃から観音様には親しんでいた。しかし、本堂の奥にまします十一面観音ではなく、ガキども(自分も)が攀じ登って遊ぶ露座の大仏と、それからサーカスや見世物小屋、そして縁日の出店こそが観音様だった。「観音様」と聞いて思い出すのが、蛇女やろくろ首、射的や金魚すくい、丸い鉄網の中を疾駆するオートバイ、半裸(と感じた)のお姉さんが空を舞う空中ブランコだ。観音様の近くには、(少なくとも私が大学時代までは)自由恋愛OKという女性たちを擁するお店がたくさん並ぶ街があり、まさに聖俗入り混じる猥雑な界隈というのが観音様のイメージなのである。
 観音様は聖俗併せ持つ仏(菩薩)様だからこそ、私たちの苦しみを抜いてくださるのだろう。
 観音様と、それから自由恋愛OKの女性たちのことは今度、別の機会に書くことにして、今回は「祈り」が選択肢としてなかった前・古代の人たちはその代わりに何をしていたのか。そこらへんをいろいろ見てみようと思う。

苦しくなれば神が来臨する
 最初に見たいのは、最古期のギリシャの叙事詩である『イリアス(ホメーロス)』だ。この物語の冒頭部分で、ギリシャ軍に属していた英雄アキレウス(アキレス)は葛藤に苦しむ。
 それは、ギリシャ軍の総大将であるアガメムノンから、アキレウスの愛妾ブリセイスを「俺によこせ」と命じられたからだ。
 アキレウスは強い男だ。自分の愛妾を奪おうとするアガメムノンなど、剣で切り殺すことは容易い。しかし、相手は自軍の総大将、すなわち上官でもある。自分個人の問題ならば簡単だ。だが、いまは戦争中だ。断れば軍の士気にもかかわるだろう。
 現代人ならば「どうしよう、どうしよう」という言葉が脳裏を駆け巡る状態である。アキレウスも葛藤する。
 『イリアス』を原文で読むと、アキレウスはその葛藤を「心」や「頭」でもなく、「腹」と「横隔膜」と、そして滾(たぎ)る「血流」で感じていたことがわかる(詳しくはページの末尾の付録を参照)。
 精神と身体は未分化の状態にあった。アキレウスの怒りは「頭にくる」ではなく、腹が反応する「腹が立つ」であり、そして「血が滾る」であった。身体全体が反応していたのだ。
 それが怒りだけならば単純だ。しかし、それを止めようとする力も身体の中で働いていた。
 全身が引き裂かれるこの葛藤がピークに達したときに、アキレウスは思わず太刀を抜こうとした。
 が、そのとき、天空からアテネ(アテナ)が舞い降りて、アキレウスに向かって翼ある言葉をかけたのだ。
 私たちだったら神仏に祈りたくなるような葛藤状況に追い込まれたとき、『イリアス』の時代には神が天空から降臨し、そして神託を下してくれた。祈りをしなくても、神はやって来てくれたのだ。

夢に神を待つ
 極度のストレス状態になれば神々が来臨してくれたという時代は『イリアス』を最後に終わりを告げる。やがて神々は人の前にその姿を見せなくなる。
 ここで突然、日本の話になるが、『古事記』の上つ巻は神々の活躍する巻だ。神はそこにふつうにいた。だが、中つ巻になると神々の姿は消え、人々はさまざまな方法でその声を聞こうとするようになる。
 神がそこにいた上つ巻と、神の姿が見えなくなる中つ巻。となると、『イリアス』の時代は、『古事記』の上つ巻と中つ巻の間に位置するといえるだろう。ふだんは不在の神が、すごいストレスになると来臨してくれた時代だ。
 ちなみに、下つ巻になると神々の声すらも消えてしまうが、それはまた別の機会にお話をすることにして、今回は『古事記』の中つ巻から、神々の声を人々がどうやって聞いたかを見てみることにしよう。

 神々がいなくなると、人々はさまざまな「行為」によって神々の声を聞こうとした。その最終手段が、現代的な「祈り」なのだが、祈りに至る前にもさまざまな行為があった。
 そのひとつとして「夢見」がある。

 崇神天皇(10代)の御世に疫病が多く起こり、人類滅亡の危機(人民尽きなむとす)に直面したことがあった。心配した天皇が「神牀(かむとこ)」で霊夢を待つと、そこに大物主神が現れて、「この疫病は私が起こしたもので、意富多多泥古(おおたたねこ)という者に私を祭らせよ」という。そして、その通りにすると疫病は止んだということが『古事記』の中つ巻に書いてある。
 次の垂仁天皇(11代)の時代には、本牟智和気(ほむちわけ)という皇子がいた。この皇子は、ひげが胸(あるいは腹)に至る年齢になるまでものをしゃべらなかった。憂えた天皇が寝ると、やはり夢に神が現れて、「我が宮を天皇の御殿のように作り変えれば、その子は必ず話すようになるだろう」という。
 だが、この神は自分の名を名乗ってくれなかった。そこでしたのが「布斗摩邇(ふとまに)に占相(うらな)う」という行為だ。占いをしたのだ。そして、その神が出雲の大神であることが知られた。
 そこで皇子を出雲に派遣することになったのだが、同行者として誰を付けたらいいのか。それも占ったところ曙立王(あけたつのみこ)という名が出た。そこで、この曙立王で本当にいいかどうかを決めるために「うけひ(誓約)」が行われた。

 「此の大神を拜(をろが)むに因りて、誠に驗(しるし)あらば、是
 の鷺巣の池の樹に住む鷺や、うけひ落ちよ」

 その占いの正しさを証明するために、「うけひ落ちよ」というと、飛ぶ鷺が落ちた(言葉だけで鷺を落とすことについては書きたいことがあるのですが、話がどんどん飛んでいってしまうのでこれもまた)。また、「うけひ活きよ」というと生き返った。このほかにも熊白檮(くまかし)も、「うけひ枯らし」、「うけひ生かし」たりもした。

 たった一代しか違わないのに、このふたりの天皇に起こったことは、まったく違うことに気づくだろう。
 崇神天皇のときには、神は夢の中でその名を名宣ったが、垂仁天皇のときには神はその名を明かしてくれず、占いをしなければならなくなった。また、崇神天皇は「夢」をそのまま信じたが、垂仁天皇の御世になると占いすらも信じられなくなり、その正当性を試す「うけひ」を行ったりするようになった。不信が生まれたのだ。
 能『巻絹』や『白髭』に「神は人の敬ふによつて威を増し、人は神の加護によれり」と謡う。
 人が神を敬わなくなるのが先なのか、あるいは神が人を見放すのが先なのかがどちらなのかはわからないが、神と人とはどんどん離れていく。

帰神と願い
 神と出会う行為のもうひとつが「帰神」、すなわち「神がかり」である。
 先ほど名を出した能『巻絹』は、巫女が神がかりする能だ。この能については、いつか扱おう。
 さて、『古事記』の帰神者として有名なのは神功皇后だ。
 「帰神」はひとりではできない。(1)帰神者(神が憑依する人)、(2)楽器を演奏する人、そして(3)その神が本物かどうかを見極める人(審神者=さにわ)の三人が必要である。
 『古事記』では、(1)帰神者は神功皇后、(2)奏者として夫、仲哀天皇(14代天皇)が琴を弾いた。そして、(3)建内宿禰(たけうちのすくね)が沙庭(さにわ)にいた。この「さにわ」が後の審神者の「さにわ」という訓になる。
 状況が整うと、神は神功皇后に帰(よ)りまし、神託を与えた。
 が、琴を弾いていた天皇はその神託を不審とし、その神を「詐りをする神」として、琴を弾くのを止めてしまった。驚いた建内宿禰は「琴をやめてはいけない」と天皇を諌(いさ)めた。天皇はしぶしぶ弾琴を再開するが、ほどなく琴の音が止まった。
 灯りをつけてみると天皇は死んでいた。
 神の声を信じる人と、信じなくなった人がいたことを示すエピソードである。

 このように神は人からどんどん離れていき、『古事記』も下つ巻になると、霊夢を待つために「神牀」で横になっても神はアドバイスを与えてくれなくなる(正確にいえば、人が神の霊夢を待てなくなったのだが)。
 そこでもっと手っ取り早い方法が必要になってくる。それが「願い」である。
 「ねがひ」も、もともとは神の心を慰める「ねぐ=ねぎらう(労う)」ことであった。その「ねぐ」に反復を意味する「ふ」がつくのが「ねがふ(願う)」であり、繰り返し、繰り返し、神の心を慰めるのが「願う」であった。
 それが、いつの間にか神の加護を願う意味になり、やがて、「ねぐ」行為をする専門職、「禰宜(ねぎ)」も登場することになる。
 そして、これが祈りと混同されて、人の祈りはいまのように、何かを願う行為に変わってきたのだ。
 しかし、現代はその祈りも力を失いつつある。「祈らずとても神や守らん」という時代はとうに終わり、祈っても神は守ってくれなくなってしまった。
 そんな時代、人は「祈り」に代わる何を手に入れるのだろうか。それがとても気になる。
 私はそのひとつが「病」だったのではないかと思っているが、これについてはまたいつか書こうと思う。

付録
 『イリアス』では、アキレウスの葛藤が次のように書かれる(松平千秋訳:岩波文庫『イリアス』第1歌)
 ※行番号、括弧内の補足、アンダーライン:安田

188:(アガメムノンが)こういうと 、ペレウスの子(=アキレウス)は 、怒りがこみあげ
189:毛深い胸の内ではが二途に思い迷った-
190:腿の横にある鋭利な剣を抜いて
191:アトレウスの子を討ち果たすか
192:あるいは怒りを鎮め、はやるを制すべきかと。
193:かくの中、胸の内に思いをめぐらしつつ、

188:ὣς φάτοΠηλεΐωνι δ᾽ ἄχος γένετ᾽ἐν δέ οἱ ἦτορ
189:στήθεσσιν λασίοισι διάνδιχα μερμήριξεν,
190:  γε φάσγανον ὀξὺ ἐρυσσάμενος παρὰ μηροῦ
191:τοὺς μὲν ἀναστήσειεν δ᾽ Ἀτρεΐδην ἐναρίζοι,
192:ἦε χόλον παύσειεν ἐρητύσειέ τε θυμόν.
193:ἧος  ταῦθ᾽ ὥρμαινε κατὰ φρένα καὶ κατὰ θυμόν,

 189行目で「心」と訳されている語(原文では188行目に書かれる)は原形「エートル(ἦτορ)」である。これは「エートロン(ητρον=腹)」が語源となる語だ。反応したのは彼の腹だった。また、192行目の「心」は「テュモス(θυμός)」である。これは「テュオー(θυω=突進する)」が語源だから、血液の激しい流れを意味するのであろう。そして、193行目の「心」は「フレーン(φρήν)」であり、これは横隔膜だ。そして、同じ行の「胸」と訳されている部分は192行目と同じ「エートル(ἦτορ=腹)」である。
 188行目の「怒り」も、アキレウス自身が「ἄχος(痛み)」となったと表現される。

(第8回・了)

 

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