前回、前々回と書いた「祈り」についてはもう少し書きたいのだが、そのための調べものに時間がかかっているので、ちょっと寄り道をお許しいただきたい。今回と次回は「聞こえない声を聞く」ということについて書いていく。
巫者はトランス状態になると「憑依(possession)」状態か「脱魂(ecstasy)」状態になることが多い。神霊や精霊が人にのり移って、神託を宣べたりするのが「憑依」だ。それに対して「脱魂」は、巫者の魂がその身体から脱け出て神界などを遊行する。
聞こえない声を聞く方法として「憑依」と「脱魂」というふたつがあるが、今回は「憑依」を扱う。
能は、そのルーツは憑依芸能であったという人もいる。能面をかけ、しかも大きな鏡の前で面をつけた顔を見つめてから舞台に出る。変身の儀式であり、憑依の儀式だ。そして、そんな憑依芸能の性格を色濃く残しているのが『翁(おきな)』という演目だ。
『翁』のルーツがチベットにあるという話を聞いて、チベットに行ってみた。そんな話からはじめよう。
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もう30年以上も前の話になる。チベットの首都ラサにひと月ほど滞在した。チベットに滞在だなんて書くと素敵なリゾート旅行のようにも聞こえるが、実際は一泊300円にも満たないドミトリーを使っての貧乏旅行である。
1988年にチベット大暴動(チベット側から言わせれば「チベット大虐殺」)があり、それ以来、外国人がチベット自治区内を自由に歩くことが制限されるようになった。それまでは寺院で夜を明かしたり、チベット人の家に泊ったりすることも自由に(…というほどでもないけど)できた。
街行く人も、漢族の人はまれで、腰に刀を下げた剽悍な顔つきのチベット人男性や、瞳の大きなチベット人女性が胸を張って歩いていた。
ポタラ宮は不在のダライ・ラマの威厳を呈してそびえ、名刹ジョカン(大昭)寺は五体投地する信仰者を迎える。極彩色の曼荼羅に囲まれた寺院の中に入れば、不思議な倍音を有するチベット声明の深い響きや変拍子の打楽器の音に唱和するパーカッシブな読経の声々が満ち、ヤクの油を使った灯明の炎や香りとあいまって仏国現前の幻影を生み出す。
路傍にはダライ・ラマの写真やバッジ、あるいはどこから流出したのか立派な仏像や仮面などが売られていたし、チベット語の経典なども安価で売られていた。チベット語のテキストを見せて発音を聞けば、集まった人たちがみな違う発音をし、果てには口論になる始末。標準語なるものが、当時はまだ確立していなかったのだろうか。
また、一妻多夫制度も残っていた。間違えてはいけない、一夫多妻ではない。「一妻多夫」だ。遊びに行った家のベッドルームには男性の写真がいくつも飾られ、「これ、みんな私の夫なの。いい男でしょ」と、お母さんから自慢された。高校生の娘さんに一妻多夫について尋ねると、「だって一夫多妻だと男性が大変でしょ」とあっけらかんと答えられ、こちらが赤面したりもした。
なんとも大らかなチベットだったが、しかし学校ではチベット語を使うことが禁止され、新生児の名には中国名を付けることが推奨されていたりして、漢化政策も進んでいた。
チベットに行ったのは、先ほども書いた通り『翁』のチベット語由来説を確かめるためだった。
能には『翁』という演目がある(正確には能とはいえないとも言われています)。その謡の冒頭部分が何とも不思議なのだ。
「とうとうたらりたらりら。たらりあがりららりとう」
とても日本語には聞こえない。これは観世流の詞章だが、金春流では「とうとうたらり」が「どうどうたらり」となる。
これがチベット語だという説があるのだ。その説を出したのは、『チベット(西蔵)旅行記』で有名な黄檗宗の僧、河口慧海(えかい)師である(後年、還俗する)。
昭和3年、朝日新聞紙上で「古今の学者連顔色なし」という刺激的な見出しとともに、この「とうとうたらり」にチベット語表記を付して、さらには日本語訳まで付けて「太陽賛歌」として発表した。
しかし、その後に能勢朝次氏や表章氏など斯界の権威によって、この説は完膚なきまでに叩きのめされて、現在ではほとんど誰からもかえりみられない。
でも、魅力的でしょ。
そんなわけでチベットに行った。
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中国語がわかる若者をつかまえて、彼を頼りにいろいろな人に「とうとうたらり」の謡を聞いてもらった。これを知る若者はいなかったが、ある老人が「聞いたことがある」という。
歌ってもらうと、まさにそれだった。
それは『ケサル王伝説』と呼ばれる叙事詩の一部だ。ケサル王とは伝説の英雄王であり、この歌は幾世紀にもわたって漂泊の吟遊詩人たちによって伝承されてきた大長編叙事詩だ。
この叙事詩は散文と韻文の混合文体で、「とうとうたらり」は韻文の部分の冒頭にしばしば現れる章句だ。
よく聴いてみると、それは「とうとうたらり」ではなく、「あらたらたらり」だったり、「たらたらたらり」だったり、その他いろいろなバリエーショがあって、どうも定まったものはないようだ。
これが太陽賛歌だというのが河口慧海師の説だ。そこで、この章句の意味を尋ねてみると「意味はない」という。「じゃあ、なぜそれを歌うのか」と聞くと、「これは神降しの呪言のようなものだ」として、次のようなことを語ってくれた。
この句を唱することによって、語り手にケサル王の霊が降りて来る。霊をうけた語り手は、一種の神懸かりの状態になり、自身がケサル王自身に変身して、その叙事詩を己れの事跡として語るというのである。しかも、この叙事詩の語り手は、誰からも教わらずに、ある日突然、『ケサル王伝説』を語ることができるようになるというのだ。
まさに「憑依」である。
ちなみに能の『翁』では、この「とうとうたらり」のあと、翁太夫(翁を演じる役者)が舞台の上で面をかける。そして翁神として予祝の舞を舞う。そういう意味では、『翁』の「とうとうたらり」も、翁神に変身するための憑依の呪言だといえるかも知れない。
むろん、だからといって『翁』と『ケサル王伝説』に関係があるなどということをいうつもりはない(そういう短絡的なことをいう人は信用しない方がいい)。
ただ、ともに憑依のために呪言を唱えるということにも興味を覚える。そして、神降ろしの呪言に似たような音を使うことにとても惹かれるのだ。
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日本の芸能は「神懸り」から始まる。天岩戸神話におけるアメノウズメ命の舞だ。「神懸りして、胸乳(むなち)を掛き出で、裳緒(もひも)をほとに忍し垂りき」と書く。
しかし、アメノウズメ命は神託をしない。だからこれは「憑依」ではなく、次回に扱う「脱魂」に近い(ので詳しくは次回に)。
『古事記』の中の憑依といえば、以前にお話しした神功皇后の託宣がまさにそれだ。ただし、神功皇后がケサル王や翁のように歌を歌ったということは書かれていない。が、その夫である仲哀天皇が琴(楽器)を演奏している。琴の演奏と憑依といえば、『史記』に書かれる孔子のエピソードも思い出す。「この曲を作った人がわからない」と琴の稽古を続ける孔子の姿が、周の文王の姿に変容して来る。文王が孔子に憑依した。文王こそが、この曲の作曲者だったのだ。
話がどんどん膨らんでしまうが、孔子が夢にまで見た周公も憑依体質だったようだ。この金文によれば、周公は「某(謀)」した、とある。「某」とは祝詞を木の上に載せた形で、神託を意味する。神託を宣べた周公は神霊に憑依されていたのであろう。近年、出土した竹簡には『周公琴舞』という詩があり(『清華大学蔵戦国竹簡』)、周公も琴を弾き、舞を舞っていたことがわかる。
憑依には歌か、あるいは楽器が必要なようだ。
日本の平安時代後期の有職故実書に『江家次第』というものがある。そこには「語り部」が出てくる。日本の古代の「語り部」といえば、『古事記』の稗田阿礼が有名だ。先ほどから話題に出ている『ケサル王伝説』の叙事詩人も語り部だし、古代ギリシャの叙事詩『イーリアス』のホメーロスのような人たちもそうだろう。『ケサル王伝説』の語り手は、ある日、突然語ることができるようになるという。ケサル王の霊に憑依されるのだ。『ケサル王伝説』だけでなく、長大な叙事詩を語るには、憑依状態に入る必要があるのだろう。
そして『江家次第』には「語り部、古詞を奏す」とあり、その註に「その音、祝に似る」とある。古代の語り部たちは「古詞」を、祝詞のような特別な節、特別な発声で語ることによって、神話の神々や人物が語り部に憑依したのだろう。
そして、「とうとうたらり」や「あらたらたらり」のような歯茎音の多用が、憑依を引き起こしやすいのではないかと思うのだが、それに関してはまたいつかお話したい。
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さて、もとは神霊を呼ぶための「憑依」だったが、やがて死者をも呼ぶようになる。
「口寄せ」だ。
恐山のイタコが有名だが、能『葵上』にも登場する梓巫女は、梓の弓を鳴らして死霊や生霊を呼んだ。このような口寄せは、どうも非文明的と思われたらしく、日本では明治6年に禁止令が出る。
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梓巫市子並憑祈祷孤下ケ等ノ所業禁止ノ件
明治六年一月十五日
教部省達第二号
府 県
従来梓巫市子憑祈祷孤下ケ杯ト相唱玉占口寄等之所業ヲ以テ人民を眩惑セシメ候儀自今一切禁止候(従来、梓巫、市子、ならびに、憑祈祷、狐下と昌る玉占、口寄せなどの所業をもって人民を眩惑せしめ候義、今後、一切、禁止候)
条於各地方官此旨相心得管内取締方厳重可相立候事
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ここにある「梓巫」が梓巫女、「市子」がイタコのような口寄せ巫者だ。また、さまざまな憑きものを祈祷する「憑祈祷」や、中でも主に狐憑きに対する「狐下」も禁止される。これらが明治6年に禁止されたということは、翻って考えれば明治の初年のころまではこのようなことは一般的だった…どころか、大盛況だったということだろう。
明治政府がこれらを禁止したのは西洋を意識してのことだといわれる。キリスト教を基礎とする西洋文明の人に恥ずかしいというのが日本政府の考えのようだ。いつの時代にも、外国の目を意識するのが日本の政府である。
確かにキリスト教の聖典である『聖書』には口寄せなどはなさそうである…と思っていたら、そうでもないということを高井啓介先生(関東学院大学)に教えていただいた。
『旧約聖書』の「サムエル記」にある。
サムエルは、最初の預言者であり、最後の士師(民族指導者)でもある。サムエルよりあとは、士師ではなく王の時代になる。士師ではなく「王」がイスラエルを治めることになるのだ。
主が選んだ王はサウルだった。最初はよき王だったサウルだが、やがて慢心していき、預言者サムエルとことごとく対立するようになる。サウルは、口寄せや魔術師も追放した。
そのうちにサムエルが死ぬ。そのときイスラエルは、ペリシテびとと戦っていた。ペリシテ軍は鉄器を中心とした大量破壊兵器を持った強国である。その大軍勢を見たサウルは怖れ、主に伺いをたてた。しかし、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてはくれなかった(これは前回にお話した『古事記』の中つ巻を思い出しますね)。
そこで、サウルは自分が追放した「口寄せの女」を捜せと命じ、エンドルにいたひとりの口寄せの女に死んだサムエルを呼び出してもらう。
その口寄せをヘブライ語では「オーブ(אֹב֥וֹ)」という。これは水やワインを入れる「革袋」をいう。これをギリシャ語(『七十人訳聖書』)では「エンガストリミュートス(ἐγγαστριμύθος)」という。これは「腹(ガストロ)から出る言葉(ミュートス)」、すなわち「お腹から託宣を宣べる」という意味だ。
能の稽古でも、よく「腹から声を出せ」といわれる。これは大きな声を出せという意味ではない。能のシテは神霊や幽霊が多い。その声は腹からの声、すなわち「エンガストリミュートス」なのだ。だから、正確にいえば「腹から声を出す」のではなく、「腹から声が出る」だ。
ちなみに「エンガストリミュートス」を辞書で引くと「腹話術師(ventriloquist)」という意味もある。デルフォイの神託を告げる巫女が腹話術を使ったともいう。腹話術というと人形を使ったものを思い出すが、もとは神託の声だったのだ。
中世には魔女として迫害もされた腹話術師だったが、ケントの聖処女として知られるエリザベス・バートンは「酒樽から出てくるような声(しかし唇は動かさない)」、すなわち「エンガストリミュートス」でお告げを行ったという。魔女の声と、聖なる声とは紙一重なのだ。
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「腹」はイエスの「あわれみ」にもつながる。
『新約聖書』の中で、イエスの「あわれみ」だけに使われる単語がある。「スプランクニゾマイ(σπλαγχνίζομαι)」という語だ。これは『イーリアス』などで「(生贄の)内臓」という意味で使われる「スプランクノン(σπλάγχνον:複数形スプランクナσπλάγχναで使われることが多い)」からできた言葉で、「内臓が動く」というのが原義だ。
あわれむべき人を見るとイエスの内臓がぐわっと動いたのだ。
ちなみに『新約聖書』はコイネー(古代のギリシャ語)で書かれたが、イエスがふだん話されいたのはヘブライ語かアラム語だったと言われている(イエスはコイネーも話されていたようだ)。
そして、ヘブライ語の「あわれむ」は「ラーハム(רָחַם)=名詞:ラハミイム(רַחֲמִים)」であり、これには「子宮」という意味がある。あわれむべき人を見たイエスは内臓が動いたが、その本来の感覚は子宮の動きだったのだろう。
ちなみにシュメール語で「哀れみ」や「思いやり」を意味する「アルフシュ(arhuš)」は、もともとが「子宮」という意味だ。楔形文字では女性性器の上の部分を示す文字で表される。
また、中国でいえば「心」という文字は、周の時代に誕生するが、当時はこのような形で書かれていた。
辞書などには、これは「心臓」の象形だと書かれるが、子どもたちに見せると、みな「ちんちんだ」という。おそらく、それが正しい。漢字では「心」は最初、男性性器で表されていた。
古代中国では男性性器、メソポタミアでは子宮、ともに下腹部が心の定位置だった。そこから出る言葉、下腹部である「心」からの言葉が「エンガストリミュートス」なのである。
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お腹(腸)に、もうひとつの脳があるのではないかという人もいる。腸の中の細菌が私たちの性格を作っているという人すらいる。私たち、特に無意識の部分は、案外、お腹に支配されているのかも知れない。
憑依と脱魂の違いのひとつに、憑依状態では巫者の意識がなくなるか、希薄になることが多いといわれている。宗教的文脈から離れれば、憑依というのは、覚醒状態の意識を弱め、無意識を活性化させる行為であるともいえよう。
日本においては「憑依」は神託を与える聖なる行為だった。そして、その行為者も神功皇后などの身分が高い人がなった。しかし、キリスト教社会では「憑依」は、あまり好かれていない。パウロたちがあった「占いの霊に取りつかれている女奴隷」の「占いの霊」は、ギリシャ語では「ピュートーン(Πύθων、ラテン語: Python)と書かれる、ギリシャ神話に登場する巨大な蛇の怪物だ。「憑依」というと悪霊が憑くと思われているのだ。
古代のイスラエルやギリシャでは「憑依」状態、すなわち意識の境界が弱まり、無意識が顔を出して来たときに出てくるものが悪いものかも知れない。
先ほどケントの聖処女の声を「酒樽から出てくるような声」と書いたが、これは「口寄せ」のヘブライ語である「オーブ(ワインを入れる革袋)」を思い出す。口寄せの声が、そのような音を発したのだろう。
そして、革袋と霊といえば『ヨブ記』である。『ヨブ記』には、「言いたいことはたくさんある。腹の内で霊がわたしを駆り立てている。見よ、わたしの腹は封じられたぶどう酒の袋/新しい酒で張り裂けんばかりの革袋のようだ(32:18、19)」とある。
腹の中には「霊」がいて、封じられたその霊に駆り立てられて、腹が張り裂けんばかりの革袋のようになっているというのだ。
「聖霊」をあらわす語は、ヘブライ語でもギリシャ語でも「風」や「息」と同義である。日本語では深い息を「あはれ」と言った。深く感動したときのお腹の底からの「ああ」だ。「もののあはれ」の「あはれ」である。「エンガストリミュートス」は、「もののあはれ」の声ともいえる。
これを意図的に発したのが「とうとうたらり」であり、「あらたらたらり」であろう。
私たちはふだん「頭」から言葉を発している。しかし、ときには「頭」からの声を止め、「腹」の声を発したり、あるいは聞くことも大切なのではないだろうか。
(第9回・了)
この連載は月1回更新でお届けします。
次回2018年7月15日(日)掲載