犬(きみ)がいるから 村井理子

2018.11.15

31小さな幸せ

 

 そうなると噂には聞いていたが、去勢後、ハリーは大変な食いしん坊になった。そもそも、ラブラドールは大食漢であると知られているが、それにしたって、いきなりこうまで変わるのかと唖然である。最近のハリーは、とにかくなんでも食べたがる。用事もないのに冷蔵庫の前に座っている。パソコンに向かって仕事中の私の足元に陣取り、キーボードに伸ばした両腕の間に無理矢理毛深い顔をねじ込んで、上から(つまり私の顔のあたりから)何か落ちてきやしないかと待っている。なにやってんだ、このイケワンめ! と、叱る時も彼への賛美を惜しまない私は、瞬きもせずこちらをじっと見つめるハリーに根負けし、ついつい、おやつをひとつ与えてしまう。これだからダメなのだ。そんなことはわかっている。でも、荒野をさ迷ったブラッド・ピットが、着の身着のままの姿で目の前に現れ、乱れた金髪を整えることもせず、あなたに食べ物を求めたとしたら? とりあえずこれでも食べて下さいと、できる限りのものを差し出すだろう。それと同じです(違います)。

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 さて、季節はすっかり秋となり、私とハリーが住む琵琶湖周辺の山々も見事に紅葉した。朝晩の冷え込みもどんどん厳しくなってきている。このシーズンになるとわが家のリビングに登場するのは大きな石油ストーブだ。今年もすでにリビングの真ん中にドーンと鎮座している。熱量が多いので、家中温かい。水をたっぷり入れたやかんを天板に置けば、いつでもお茶を淹れることができるし、おでんが入った大鍋を置けば、常にリビングにコンビニのおでんコーナーがある状態となる。そして子どもたちがなにより楽しみにしているのは、焼き芋だ。大きなさつまいもをアルミホイルに包んでストーブの上に置き、じっくりと焼き上げる。これが最高に美味しい。どんなに大きなさつまいもだって、二十分も焼けば部屋中に甘いにおいがふわ~んと漂ってくる。ソファーの上でいびきをかいて寝ているハリーも、たまらずガッシーンと起き上がってくるほど、香ばしくて、甘ったるい、あの焼き芋のにおいだ。私がアルミホイルを触って焼け具合を確認する姿を見ると、ハリーは急いで立ち上がり、私の後ろにぴったりくっついてくる。
 過去に飼っていた犬も、この時期の焼き芋が大好きだった。せっかちな性格だったスコッチテリアのトビーは、焼きたて熱々のさつまいもに飛びついては、上顎をやけどしそうになってジタバタしていた。そんなことを思い出しながら、ハリーが口の中をやけどしたら大変だと考え、熱々のさつまいものアルミホイルを剥がし、冷ます。焼きたても美味しいけれど、少し冷ましたほうが、もっちりとして、甘みが増すのだ。食いしん坊のハリーは、よだれを垂らしながら、指示されてもいないお手を繰り返す。大きな前脚がむなしく空気をかき混ぜる。それがとても気の毒になって、ついつい多めに与えてしまう。ハリーのお気に入りのおやつナンバーワンは、アイスクリームを抜いて焼き芋となった。

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 ハリーのおやつ好きには頭を悩ませている。とにかく、ドッグフード以外のものをなんでもかんでも食べたがる。そりゃ、欲しがるだけ与えることができたら本犬は喜ぶだろうが、そうすればハリーはあっという間に太ってしまうだろう。そういえば最近、トレーニングセンターで出会う飼い主さんたちに、「ハリー、ちょっと最近太ったんじゃない?」と言われているのだ。確かにハリーの下半身は、以前より明らかにどっしりした。元々がイケワンなので、少し太ったぐらいでは普通にイケワンだが、精悍な雰囲気は確かに薄れてきたような気もする。それでも明らかにイケワンだが(しつこい)、やはり健康のためにも体重は絞っておいたほうがいいだろう。そして現在、わが家ではハリーのダイエット作戦が行われている。茹でキャベツ、ゆで卵、りんご、きゅうりなどなど、様々な食材を使ってドッグフードをかさ増しし、ハリーが太らないよう気をつけている。寒さが厳しい季節にはなったが、朝晩の運動も欠かしていない。
 トレーナーの先生曰く、「犬は量より回数!」という。例えば、犬用のジャーキーをおやつに与える場合、一度にまるごと一枚与えるのではなく、それを十等分にして、十回に分けて与える。犬にとっては、大きなジャーキーも小さなジャーキーも大差なく、何度も与えられることで喜びが増し、満足するというのだ。飼い主にとっては面倒な作業である。十等分するのも面倒だが、十回も与えるだなんて、どれだけ相手にしたらいいというのだ。でも、愛するハリーのためだ、仕方ない。
 しかし、なるほどなあと思った。これは人間にも当てはまるのではと思う。大きな喜びが一度にやってくるよりは、小さな喜びを毎日感じる方が幸せなのかもしれない。一度に大きな悲しみは背負いきれないけれど、毎日少しずつであれば荷を増やしていけるだろう。私にとっての小さな喜びは、毎朝、足元に寝ているハリーの姿を見ることだ。家族の誰でもなく、私を選んで足元に寝てくれるハリーのやさしさを感じることだ。その温かさ、柔らかさ、重さは、他でもなくハリーしか私に与えることはできない。そんなハリーの姿を見るたびに、このささやかな喜びが、いつまでも続きますようにと祈るのだ。


この連載は月2更新でお届けします。

次回は11月30日(金)掲載です。