食欲の秋とはよく聞く言葉だが、ハリーにとって今年の秋は「爆食の秋」と言ってもいいのではないだろうか。それほど、彼の食欲は爆発している。十二月でようやく三歳になるハリーは、きっと今が食べ盛りという年齢だろう。とはいえ、想定外によく食べる。見ていて気持ちがいいぐらいだ。しかし、のんきに見守っているわけにはいかない。
ラブラドール・レトリバーの犬生は食欲との戦いと以前から聞いてはいたが、ここまでとは思っていなかった。家族の誰かが何かを食べる様子があれば瞬時に駆けつける姿は、まるで警備保障会社の警備員さながらである。その卓越した聴覚に感心する毎日だ。パンの耳を噛んだ瞬間に出るサクッ、階下で息子が静かに開けたアイスクリームの蓋のパカッ、スーパーの袋が出すシャカッといった、すべてのわずかな生活音は、ハリーにとってはスターターピストルの出す乾いた破裂音と同義らしい。真っ黒い巨体が魚雷のようにすっ飛んでくる。私たちは慣れたものだが、初めて見る人にとっては恐怖以外の何ものでもないだろう。
ハリーがなんでもかんでも食べるかというと、まったくそうではない。彼は、実は味にうるさい男(オス)だ。一番好きなのはスイーツ。クリーム系には目がない。次に好きなのがイモである。さつまいも、ジャガイモ、里芋、すべて好きだ。いわゆる、こってりとしたものは何でも好き。男子高校生か。だからといって私がすべてそれを与えているかといえば、それは絶対にノーである。イモ類に関してはフードをかさ増しする意味で、蒸したり茹でたりして与えることは多いが、生クリームやアイスクリームについては、ほとんどが盗まれるパターンだと断言していい。気をつけてはいるが、なにせ相手は知能犯である。ありとあらゆる手を使って盗みをしかけてくる。
満腹のときは別犬のように大人しいので、なんとかその状態をキープしたいとあらゆる手段を講じている。例えば、茹で野菜である。カロリーが低めの野菜をたっぷり茹でておくことでハリーの腹は満たされるものの、自分の食事の準備でさえ面倒なのに、ハリーのためだけに野菜を茹でるのは、正直面倒だなと思う日が多い。そんな日はきゅうりを与えることにしていたのだが、最近、ハリーはこのきゅうり作戦に腹が立つようで、与えたきゅうりを私に投げ返すようになったのだ。きゅうりはそこまで好きではないのだろう。
今まで何頭も犬を飼ったが、犬というものは、ある程度妥協してくれる動物で、例えばあまり好きではないものが出てきたとしても、一応は食べてくれるものなのだが、ハリーはそうもいかない。まず、ぷいっと横を向いて、無視する(しかし、両目はしっかりとこちらの様子をうかがっている)。根比べだったらこっちも負けないので、私もハリーを無視する。お互いに無視をして数分経ったあたりで、しびれを切らしたハリーがきゅうりをくわえて、あろうことか、ぶん投げはじめるのだ。私が仕事をしているデスクの真横で、ハリーは何度も何度もきゅうりを空中にぶん投げる。私が反応するまで、根気よくきゅうりを空中に放つ。相手が子供だったら、食べ物を粗末にするんじゃないとでも言えるのだが、相手は残念ながら犬。言って聞かせることができたら、どれだけ楽か。いや、相手が人間であってもその状況はまったく同じなのかもしれない。言葉を尽くしたって、わかってもらえないときはわかってもらえない。ハリーとの駆け引きは人生の縮図のようなものなのか……?
とにかく、ハリーは最近、きゅうりに激怒するようになった。私が冷蔵庫からきゅうりを出そうものなら、尻尾を追いかけるようにぐるんぐるんと回転して、「きゅうりは嫌だ!」と主張する。その姿があまりにも面白いので、なにかにつけてきゅうりを見せていたら、今度は「きゅうり」という言葉にまで反応するようになった。「きゅうり!」と叫ぶと、家中をドタドタと走り回って、大騒ぎだ。一階の部屋の隅から二階のベランダまで、ノンストップで駆け抜けるのだ……マットを蹴散らし、抜け毛をまき散らしながら。
ああ、ハリーよ。君は最高に面白くてかわいいやつだけれど、もう少し大人しくなってはくれまいか。もう少しだけ、ダイエットに協力してくれてもいいのではないか。見てごらん、君の体はすっかり黒毛和牛のように立派になり、すれ違う幼稚園児に「おっきい! おっきい!」と泣かれる始末ではないか。ガラス窓に映る君の姿を先日見たけれど、まるで狛犬のようにどっしりと立派だったぞ。
もうすぐ三歳になるハリーだが、教えることはまだまだたっぷりありそうだ。
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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!
この連載は月2更新でお届けします。
次回は11月15日(金)掲載です。