犬(きみ)がいるから 村井理子

2021.8.19

73とりあえず警備保障

 

 

 最近、夫がぼやいている。ハリーの社会性のなさが辛いのだそうだ。

 ハリーの特徴は何かと考えて真っ先に思い浮かべるのは、その人懐っこい性格だ。とにかく人間が大好きで、誰に対しても尻尾を振ってにこにこしながら近づいていく。大きい体を精一杯小さく、頭を低くして、おずおずと近づいて行く。そしてあっという間に人間の足元に倒れ込み、大柄な体をぐるりんとひっくり返して、簡単にお腹を見せてしまう。それほどハリーは人間が好きな犬だ。これはラブラドール・レトリバーという犬種の特徴なのかもしれない。あまりにもいかついハリーがドタンと倒れて尻尾を振る姿を見る人は、決まって「かわいい!」と言ってくれる。私はとても誇らしい気持ちになってしまう。

 

 毎週木曜日はわが家に食材の配達がある日で(コロナ禍以降は配達に頼り切りだ)、午前中に一人、午後に一人、配達のお兄さんが一週間分の食材を抱えてやってくる。ハリーは木曜日の二人を心待ちにしている。午前中にA社のお兄さんが乗ったトラックが停車すると、どこにいても玄関に突っ走ってきて、ドアが開くのをいそいそと待っている。午前中にAお兄さんが来たということは、午後にもう一人来る! としっかり理解しているハリーは、Aお兄さんとしばらく遊んだあとは、そのまま午後まで玄関で、午後のB社お兄さんの到着を待つ。

 ようやく午後のBお兄さんのトラックの音がすると、長い間待っていたハリーは半分悲鳴のような鳴き声をあげて、大興奮する。午後のBお兄さんはそんなハリーをよく知っているから、配達してくれた食材を私に手渡しながらも、視線はハリーにロックオンだ。そそくさと作業を済ませると、「今週も待っててくれたんやな~」と言いながら、ハリーと少しだけ遊んでくれる。ハリーは、これ以上無理なほど尻尾を振って、耳を下げ、ごろんと寝転がったり、お兄さんの足元に体をすり寄せたりして甘える。「それじゃあまた来週な」と言って去って行くお兄さんは、ガタイのよいお兄さんだが、ハリーを見るその目尻は下がりっぱなしだ。ガタイのよいお兄さんといかつい犬が交流する姿は、コロナ禍で心がささくれ立った私にとっては、癒しの光景となっている。わが家の愛犬はそこにいるだけで幸せをまき散らしているので、飼い主の私としては、まったく誇らしくてたまらないのだが……夫が言うには、ハリーは相手が犬やその他動物になると、非常に態度が悪いのだそうだ。

 確かに、心当たりはある。ハリーは懐っこいわりに、警備には本気を出している。なにせわが家のイヌソック警備保障、近江のパトロール番長と呼ばれているほどの男だ。自分のテリトリーに誰かが入ると本気で怒るのだ。ハリーにとってのテリトリーとは、家の中、二階のベランダ、そして庭である。庭の場合、人間にはある程度寛容だが、人間以外の動物が入ることに関しては神経質だ。野生動物やヘビ、鳥、猫などは、やめろと言ってもかなりのスピードで追いかける。日々のパトロールも怠らない。なんだか鋭い目つきで辺りを見回し、風に乗って流れてくるにおいを頭を高くして嗅ぎ、なにやら難しい顔をしているときがある。実際に動物が動けば猛然と追いかけて、庭を出てしまうこともある。もちろん呼んだらすぐに戻っては来るものの、私としては肝を冷やすこともある。

 二階にあるベランダは少しややこしくて、上から下を見下ろして、そこにいる存在に対しては、一度は絶対に吠える。相手が大好きな人間であっても、とりあえず大声で一旦吠え、尻尾を振りながらも睨みつけている。ややこしいやつだ。相手が幼稚園の子どもでも、とりあえずは大声で吠える。とりあえずというか、かなり吠えまくる。きっと近所の人たちは、またあのアホ犬が吠えとるわと思っているはずだ。

 実はハリーには犬友がほとんどいない。ドッグスクールで仲のいい犬たちとは和気藹々としているらしいが、散歩などで出会う初対面の犬や近所のおなじみの犬に対しては、とりあえず必ず、それも結構激しく威嚇する。ご存じの通り体が大きいハリーが、その体を精一杯伸ばして、両目を見開き、両肩をいからせ背中の毛を逆立たせて自分を大きく見せようとする。実際に飛びかかったり、噛みついたりはもちろんないが、それでもリードには相当のテンションがかかるので、ハリーにとっては遊びという認識はないのだろう。

 最近、夫とハリーが散歩中によく会うのが、近所にやってきた黒ラブの子犬、ラフター君らしいのだが、ハリーはもう4歳にもなっている兄貴のくせに、まだ幼いラフターにギャンギャン吠えるらしい。「本当に情けない」と夫は嘆いている。確かにハリーは、私と車に乗っているときも、散歩中の犬がいれば目ざとく見つけて100メートルぐらい先から大声でわめき散らしている。実際にハリーが吠えるのは犬だけではなく、焼き肉店の店先に飾られている牛のオブジェだとか、おばあちゃんが引いている買い物カートだとか、犬っぽく見える何かに対して、一応吠えとくか~みたいな顔して、吠えているのである。ヒマなのかな。

「まあ、吠えるって言っても噛みつくわけじゃないし、ちょっとした挨拶かもよ」と私は言っている(もちろん気をつけてはいるけれど)。先日も、ハリーを乗せて車で家に戻ると、いきなり背中の毛を立てて何かを威嚇し、興奮しはじめた。助手席で仁王立ちしているハリーの視線の先を見ると、私が庭に放置していた洗剤のボトルだった。猫と間違えていたようだ。ドアを開けるとハリーは、「ンンッシャアアァァァァァァァァァ!!!」みたいな勢いで、その洗剤ボトルに向かって全速力で走って行き、ボトルだとわかると、「あ、違ったわ」みたいな顔をしてあっさり戻って来た。彼はとりあえず警備しておくタイプの犬で、あまり攻撃性はないように思う。とりあえずの男ハリーなのだと夫には説明している。

 

 

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本連載は、毎月第3週木曜日に更新します。
次回は9月16日(木)掲載を予定しています。