犬(きみ)がいるから 村井理子

2022.6.16

75嵐の日々を超えて




 二月に書いたきり、ぷっつりと途絶えてしまった名犬ハリー号のハートウォーミング連載「犬がいるから」。四か月ぶりの更新になってしまった。大変ご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。

 いやはや、本当に大変だったのだ。何が大変だったかというと、息子たちの高校入学、そしてその後の数か月が想像以上に怒濤の日々だった。自分が高校生だった頃を思い出しては、母として一体どうしたらいいのかと悩みまくったのだが、息子たちにとって高校進学という環境の変化は、私の想像以上に大変なことだったらしい。彼らに比べ、私は随分鈍感なティーンだったのかもしれない。なにせ、葛藤が記憶にない。ただただ、通っていたような気がする。部活は帰宅部、趣味は買い食い。私は本当に鈍感な子であった。しかし息子たちは違う。私と彼らとの間で緊迫したやりとりが増え、大いに悩まされた。申し訳ないとは思いつつも、ハリーのことを一番に考える余裕がなかった(普段はハリーが一番です)。 

 この四か月の間、そんな可哀想なハリーがどうしていたのかというと、これまで通り、幸せに、穏やかに暮らしていた。散歩に行き、湖で泳ぎ、盗み食いをしては叱られ、そしていつものベッドでグーグー寝ていた。ただ、ハリーも家族の調整役として相当頑張っていたとは思う。決して、寝ていただけではないはずだ。なぜなら、私と息子たちが些細なことで揉めると、必ず、血相を変えて走ってきては、私と息子の間に立ちはだかったのだ。対立する人間の間に大きな体をねじ込み、そのままドタリと寝て、腹を出しては「喧嘩をやめて」と精一杯のアピールをしていた。また、悩む息子たちの部屋に通っては、その50キロの体を横たえ、彼らの枕となっていた。ハリーなりの、人間への奉仕だったように思う。ハリーはそれができる犬だ。なにせ天才なのだ。そんなこんなで私たちは、喧嘩をしてもハリーのおかげで仲直りをしてきたというわけだ。

 高校入学直後は環境の変化に戸惑っていた息子たちも、ようやく落ちついてきたようだ。田舎ののどかな環境から、少しだけ都会寄りの場所に通うことは、まだまだ成長途中である十代の若者には戸惑いもあったようだが、今はもう、部活に勉強にそれぞれが打ち込んでいる。ああ、よかったと思う。ようやく、私とハリーの穏やかな日常が戻ってきたのだ。だからここ一か月ほどは、午前中にハリーと散歩に行き、ゆったりとした時間を過ごすことができているように思う。散歩だけではなく、時折(遅刻しそうになる)息子たちを学校まで送り届けるときには助手席に乗って、私と一緒に移動もしてくれた。夫の実家に立ち寄る際も、ハリーは勝手知ったるわが家のような顔をして、さっさと車を降り、勝手にサッシの戸を鼻先で乱暴に開けては、家の中に侵入して後期高齢者二名をとことん驚かせていた。ハリーはますます力強く、そして穏やかになっている。

 趣味の枝集めは今も精力的に行っている。強い雨が降った翌日は対岸から流れてくる枝が多いため、ハリーも忙しそうにしている。自分でめぼしい枝を見つけては私のところまで持ってきて、ほらよっと投げだし、「投げろ」という顔をしてみせる。しばらく、投げては回収という運動を繰り返し、そろそろ泳ぐ体力も尽きたというところで、なんだかビールでも飲みたそうな顔で家路につく。すっかりおじさんの哀愁が漂いはじめている。なにせ、今年は六歳になるもの(月日の流れは速い)。



 そろそろ梅雨が近づいてきたので、ここから数か月はハリーにとってメンテナンスの時期と言える。いくらなんでも体重は減らさないといけないだろうし、フィラリア予防薬やノミ・マダニ予防薬もしっかりと服用・滴下しなければならない。大型犬なので、そろそろ全身状態を定期的に検査してもらう必要もあるだろう。なにせ50キロの巨体なので大変だが、私もこの先数か月はしっかりと自分の体調をメンテナンスしながら、ハリーを夏の琵琶湖生活に向けて、準備万端整えてやらないといけないと考えている。

 それにしても、大型犬というのは素晴らしい存在だ。家族に人間が一人増えた程度のインパクトはあるし、当然、健康維持にはお金がかかるのだが、そんなことがすべて些細なことだと思わせるのに充分な愛が、そのでかい体に詰まっている。ハリーはわが家での役割をしっかり理解している。まだ子犬の頃は、家を破壊しまくる手に負えない存在だったが、今となっては、ハリーはわが家の守り神のような存在である。それに、なんと言っても顔がいい。黒いけれど白クマの重量感がいい。誰もがはっと息を呑む体の大きさがとてもいい。両手を置いても充分スペースがあまる額の広さがいい。ぴかぴかに光る被毛がいい。巨大な手足がいい。とにかく、とんでもなく彼は素晴らしい。めったに吠えない迫力もいい。そんな素晴らしい存在の彼が、私の横にずっといてくれるのが、本当に、最高に、愛!

 


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