犬(きみ)がいるから 村井理子

2019.2.15

36暗闇の先


 ハリーが無理矢理私と寝るようになって、もうどれぐらいだろう。それまでは、お気に入りのソファ(すでに大破しましたが)の上で夜を過ごしたり、まるでジプシーのように毎日寝床を変えたり、誰かの横でひっくり返ってお腹を出して寝ていたりと様々だったのだが、ここ一年ほどは、明らかに私を狙って、選んで、一緒に寝ようとしている。ハリー用の立派なベッドもある。しかし、それには見向きもしない。
 夜の散歩が終わると、次は寝る時間であることを覚えているハリーは、たぶん、玄関に戻ってすぐに「散歩が終わったので寝なくてはならない」と考えるタイプだ。そして、そう考えた瞬間、まぶたが閉じるのだろう。水を飲みながら、もうすでに半分寝ている。私自身は、ハリーの散歩が終わってほっとした瞬間から、パソコンの前に座って、翌日の予定確認だとか、書きかけの原稿を整理したり、SNSで遊んだりしたいわけだが、ハリーは私のその行動が、どうも苦手な様子だ。
 しばらくはパソコンの前に座っている私の横で大人しくしているのだが、5分ほどすると私の膝を前脚でドガッ! と押してくる。数回は耐えられるが、あまりに頻繁にやられるとこちらも痛いし腹も立つので、そこからはiPadに切り替える。読書タイム(そしてゲームタイム)のはじまりである。私がパソコンの電源を落とし、iPadを手にすると、「よしきた!」とばかりに、ハリーは私のベッドまで激走し、そのままの勢いでベッドに飛び乗る。当然、整えてあるベッドは一瞬でめちゃくちゃだ。
 私はその台無しにされたベッドに座って、とりあえず本を読み始める。直後、ハリーはゴゴゴと、まるで地獄の鉄扉が開いたかのような音でいびきをかきはじめ、寝てしまう。その大きな音を聞きながらしばらく本を読み、30分ほど経過したところで、ハリーが寝ている場所を避けて、なぜか私が身を縮めて窮屈な思いをしながら横になる。ベッドサイドの窓から空をぼんやりと眺める。満月の夜は、ギラギラと光る月を眺めてしばらく過ごす。


 だれでも多かれ少なかれ同じような傾向にあると思うのだけれど、冬はどうにも調子が悪い。だるいし眠いし、なにより寒いし、メンタルも不安定だ。私の住む滋賀県北部は、もう二ヶ月も、雨や雪が降ったりやんだりの天気で、まったく気分が晴れない。そんなこんなで、夜もなかなか眠りにつくことができない。ハリーの頭を撫で、大きな両耳の位置を正してやり、やかましい寝息を聞きながら、ぎゅっと目をつぶる。様々な思いが頭のなかを駆け巡る。
 私はこれから先も大丈夫なのだろうか。あと何年、心臓は元気に動いてくれるのだろう。いつまで経ってもそんな不安が抜けない。今年に入ってはっきりと、精神的に完全には立ち直れていないことを自覚するようになった。心のなかにぽっかりと開いた、大きな暗闇のような穴を何度も覗き込んでしまう。その闇の先に何があるのか、どうしても確かめたくなってしまう。どれだけ見ても底は見えてこないというのに、どこまでも永遠に続きそうな、その暗い穴に引きずり込まれそうになる。
 ハリーはもしかして気づいていたのだろうか。最近眠れない日が多く、私が夜中まで起きていたことを。だからハリーは、わざわざ私を選んで、一緒に寝ているのだろうか。ハリーは、もしかして私を心配してくれているのだろうか。
 ……いやいや、いくらなんでもそんなことはあるまい。いくらハリーが奇跡のイケワンで、来年ぐらいには九九を覚えるかもしれない天才犬だとしても、そこまで理解しているはずはないだろう。
 それでも私は、眠れない夜には、ぐっすりと寝ているハリーの大きくて柔らかな頭に手を乗せながら目を閉じて、あの暗闇の先をじっと見つめてみようと思う。きっと、キラキラと輝く、二つのまん丸い光が見えてくるはずだ。そのまま辛抱強くじっと見つめ続ければ、ハリーの大きな顔と体がぼんやりと浮かんでくるに違いない。ハリーは目を輝かせながら、口をモフモフと動かし、尻尾を勢いよく振って、こう言うだろう。


「ジャーン! 実は僕でした!」


 私の心の中のあの暗闇は、ハリーなのだと考えればいい。ベッドを我が物顔で占領するハリーの体を撫でていると、それが真実のように思えてくる。いや、今の私にとって、それが真実でいいのだ。

 

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この連載は月2更新でお届けします。
次回は3月1日(金)掲載です。