犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.1.15

52かけがえのない時間


 ハリーが散歩中に時折会う犬がいた。バーニーズマウンテン・ドッグの雄犬で、とても大きくて、体重はハリーよりもはるかに重かったと思う。
 ハリーは常々、人間は当然いないし、犬も滅多にいないような場所をわざわざ選んで、それも決まって早朝に散歩をさせている。でも、この大柄で(横に並ぶとハリーが痩せて見えるほどだ)穏やかなバーニーズには、何度も出会ったことがあった。理由は単純で、たぶん、飼い主の年配の女性が、その人里離れた湖畔に暮らしていたのだろうと思う。そしてもしかしたら、人間よりも犬のほうが好きな方だったかもしれない。喧噪からは距離を置いた暮らしを選んでいたのかもしれない。上品で、人当たりがよく、そのバーニーズと並ぶとアンバランスなほどに小柄な女性だったが、それでも、ゆったりと、一匹と一人で誰もいない湖畔を歩いている姿は、まさに大型犬飼育の醍醐味といった印象だった。私とハリーが邪魔なのではと躊躇するほど雰囲気のあるペアで、私はいつも、ハリーをあの飼い主さんのようにハンドリングするにはどうすればいいのかと、憧れのまなざしで見ていた。人懐っこいハリーは、その飼い主さんとバーニーズを見つけると、急いで駆けつけて、じゃれつこうとして私を焦らせた。ハリーが万が一にも飛びつけば、彼女は飛んで行ってしまいそうなほどに痩身だったのだ。
 バーニーズは完璧にしつけられていた。吠えている姿を一度も見たことがない。そして、手入れが行き届いていた。長い毛は常にきれいに洗われ、整えられているように見えた。ブラッシングだけで数十分はかかるのではと思えるほどの立派な体毛は、いつもふわふわで美しかった。少し垂れ気味の大きな目の周りには黒い毛が縁取りのように生えていて、穏やかな性格をより穏やかに見せていた。飼い主の女性も、静かな方だった。ハリーを見ては、かわいいわねえ、つやつやねえ、元気ないい子ねといつも褒めてくれた。



「あまり他の犬と遊ぶことがないから、一緒に遊んでもらっていいかしら」と頼まれて、ハリーとバーニーズを湖畔で一緒に遊ばせたこともある。ハリーはバーニーズの周りをせわしなく走り、お腹を見せ、仲良くなろうと必死だった。そんな騒がしいハリーをちらりと見ては、バーニーズは、ゆっくりと歩き、琵琶湖に足をつけ、散歩を楽しんでいたように思う。ハリーはザブザブ泳ぎ、四方八方に水をまき散らしながら、ドドドと全力で走っていた。それを見た飼い主さんが、「この子は元気でいいわねえ」と言ったのを記憶している。
 去年の夏の終わり頃、普段お世話になっているドッグスクールのSNSアカウントに、そのバーニーズが他の犬たちと遊ぶ写真が掲載された。もしかして遊びに来ているのかなと思い、トレーナーさんにメッセージを送って聞くと、飼い主さんが入院され、一時的に預かっているのだという。それならば、ハリーも預かってもらって、ついでに私もバーニーズに会いに行こうと思っていたのだが、とうとう予定が合わずに、そのときは会えずにいた。
 後日、ハリーを連れてスクールに行ったときに、そういえばバーニーズは元気ですかと聞くと、実は飼い主さんがお亡くなりになって、遠方の里親さんに引き取っていかれたのだと教えてもらった。長く闘病されていて、最後に入院される前に、信頼の置ける知人にバーニーズを託されたのだという。そういえば、最近しばらく湖畔でお会いしていなかったと思い出した。最後に挨拶したのはいつ頃だっただろう。もしかしたら、随分前のことだったかもしれない。
 ゆったりと湖畔を散歩していた、あの一人と一匹の姿を思いだすと悲しくなるが、きっと、私には想像も及ばないほど、濃密で、かけがえのない時間を共有していたのだと思う。本当に愛していたからこそ、託すことができたのではないか。私にはそう思える。


 

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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

 

この連載は月2更新でお届けします。
次回は1月31日(金)掲載です。