犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.1.31

53香りが悩ましい

 

 わが家には男子中学生が頻繁に遊びに来る。特に水曜日は、学校が早く終わることもあって、午後3時過ぎには制服姿の男子たちが立ち寄ることが多い。わが家が帰宅経路の途中にあるからなのか、それとも私が水曜日だけ開店しているお惣菜屋の名物コロッケを山ほど買って夕飯のおかずにする習慣があるのを知っているからか、彼らは律儀に、ほとんど勤勉なまでにやってきては、1時間ほどキャーキャー騒いで、コロッケを食べて帰って行く。

 そんな男児が集まる水曜日、私を困惑させる些細な問題がある。大量のコロッケのコストでもなく、声変わりしたばかりの男子の、ギョエエエエ! というカエルのおもちゃを踏み潰したような大声でもない。お花の香りだ。最近、香害という言葉を目にすることも多くなったが、害とまで言わずとも、あの独特な柔軟剤の香りが彼らから濃厚に漂ってくるのである。想像してみてほしい。一日中廊下を走りまわって戻って来た中学生、コロッケ、お花の香りだ。困惑しない人などいるのだろうか。

 中学生が去り、戦場のようになった部屋の窓を開けながら、最近流行ってるのかなあ、この柔軟剤……としばし考える。時代は変わった。私が中学生のころ、男子がお花の香りを漂わせていたら、ちょっとした話題になっただろう。それでもまあ、清潔っていうのはいいことだ。身だしなみに気をつけることは大切なこと。それに、彼らの母たちの優しさが透けて見えるようで、これはこれでいいかもね……と考えていた。

 そんなある日、次男が帰宅直後に、「今日から洗濯ものはいいにおいのする洗剤で洗って欲しいんや!」と言いだした。するとそれを聞いていた長男が、「じゃあ俺もそれで洗って欲しい!」と言いだした。「え、もしかしてあの柔軟剤のこと!?」と聞くと、「なに剤かはわからんけど、あの、いいにおいのするやつやんか! あれで制服も胴着も全部洗ってほしい!」と、若干怒り気味に次男は言う。「えー、ママ、あのにおい、ちょっと苦手なんだけどなあ~。剣道の胴着までって、ちょっとそれはやめた方がいいんじゃない? 道場にお花の香りってどうなの?」と聞くと、いや、全部だ! と譲らない。一体なぜ急に? と聞くと、次男は渋々、「犬のにおいがするって言われたんや……」と白状した。

 犬のにおい? 思わず、「へ?」と言ってしまった。もしかしてわが家の愛犬ハリーのことだろうか。近江の黒豹、走る恵方巻き、令和のイケワンとの呼び声の高い、名犬ハリーのことだろうか? 「まさかハリーのにおいってこと?」と聞き直すと、「そうや」と次男。この会話を聞いていた長男は、自分の着ている服のにおいをクンクンかいで、首をひねっていた。

 読者のみなさんは、犬には「肛門腺」というものがあるのをご存じだろうか。私は以前からその存在は見聞きしていたが、はっきりと意識して、認識するようになったのはハリーを飼いはじめてからだ。今まで飼ってきた犬は中型犬だったが、肛門腺の存在を強く主張する犬……というか、存在を主張してくる肛門腺には出会ったことがなかった。

 しかし、ハリーである。体の成長とともに、ハリーの肛門腺はその存在をアピールしはじめ、今となっては彼のボディパーツのなかで最も強いオーラを放っている。今まではあまりなかったことなのだが、車に誰かを乗せると、「クサッ!」と言われることが増えた。これは明らかにハリーの肛門腺から分泌される、肛門腺液と呼ばれる強烈なにおいを放つ液が原因だ。シートについてしまった液が、いつまでもにおうのだ。スカンクが出す液もこの肛門腺液だと言えば、そのにおいがどれぐらいものものかは想像していただけるだろう。息子たちが被害を訴えているハリーのにおいというものも、間違いなくこれが原因のひとつだろう。

 正直、「だから?」と愛犬家の私は思う。犬を飼っているから犬のにおいがして何が悪い。堂々としていればよいのだと言いつつも、私だって中学生を経験した人間だから、そうはいかないことも重々承知である。なんらかの手を打たねばなるまいと考えた。

 普通は、肛門腺液はトイレのときに自然に一緒に排出されるが、なかにはそうではない個体もあるらしい。ハリーがその選ばれし個体である。解決法はずばり、肛門腺を絞るしかないそうだ。誰が? やっぱり私? お尻の4時と8時の位置にそれはあるとインターネットには書いてある。尻尾を持ち上げ肛門をぎゅっとつかむように絞って液を出すのだ。

 賢いハリーは、私の悲壮な決意を肌で感じるのか、後ろから近づくと、大きな目でギロッと睨んで、ものすごい勢いで逃げていく。柔軟剤は一応買ったが、根本的な問題解決を後回しにして応急処置でごまかすなんて、愛犬家として恥ずかしい。でもやっぱり勇気が出ない。最近では、時計を見てはハリーのお尻を思い出し、ため息が出るようになってしまった。このようにして、私の生活はハリーと中学生たちに振り回されて、あっという間に過ぎていくのである。

 

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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

 

この連載は月2更新でお届けします。
次回は2月15日(土)掲載です。