犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.3.2

55不安な日々に

 

 コロナウィスル騒ぎで息子たちの通う学校が休校となってしまい、家の中に中学生二名と大型犬が常にいるという、私にとっては危機的状況が約一ヶ月も続くことになってしまった。 
 中学生がずっと家にいるということは、ひっきりなしに食べるということである。少年というものは、朝から晩まで、何か口に入れたがる生きものだ。どれだけ用意しても、あっという間に食材はなくなっていく。仕事の合間を縫って、急いで買い物に行き、慌てて調理し、食べさせる。ガツガツ食べる少年を見て興奮した犬が、「俺にもよこせ!」と大声で吠えて、暴れ出す。カオスの上にカオスをたっぷり乗せたような光景が展開される。書いているだけでぐったりだが、これが私の現実である。
 中学生男児は反抗期真っ盛りのうえ、耳には常にイヤホンが刺さっている。時折、唐突に、「ほかの誰かになんてなれやしない」と大声で歌う。ヘビでも踏んだのかというほど突然、手足を激しく揺らして踊ったりする。踊りながら私の足を踏む。むすっとしながら起きてくる。むすっとしながらいつまでも寝ない。風呂が長い。話しかけても答えない。答えたとしても、「それで?」とか「あ?」とか、そんな声が返ってくるだけだ。友達と話すときはめちゃくちゃに明るいが、私と話すときは声のトーンが下がる。切り替えスイッチでもあるのか? ヒマがあればLINEかyoutubeである。勉強しろよ、勉強を!
 犬の場合は、憎らしいことを言わないし、反抗もしない。すぐ寝るし、私が動けば飛び起きる。山ほど食べるけれど、そもそもドッグフードだから楽ちんだ。しかし、容赦ない馬鹿力で私の体力を奪う。ベランダに出て通行人に吠える。まくらを振り回しながら走りまわる。風呂場になぜか入ってシャンプーボトルを運び出したりする。体を洗うタオルを首に巻き付けて歩いていたりする。ヨーグルトを食べては、口についたそれを壁になすりつける。よくよく考えれば、犬だってややこしい。
 普段は、部活があったり友達と外出したりで、週末といえども息子たちとずっと顔をつきあわせることはない。しかし、今回は、不要不急の外出まで控えろとのお達しである。そんな無茶な。相手は思春期の少年と犬ですよ? どっちも大きいですけど?
 まったく、遠い目になっちゃうなあ。これから先の一ヶ月、こんな調子なのかなあ? 私の仕事、どうなっちゃうんだろう。今年一年はスローダウンするって決めていたのに、スローダウンはおろか、スピードアップして前倒して作業をしなくてはならなくなったようだ。人生、何が起きるかわからないなんてことは、この年になればさすがに理解しているが、まったく予想していなかった角度から、突然、クリームのたっぷり乗ったケーキを全力で顔面めがけて投げられたみたいな気分だよ。ケーキは好きだけどね。
 それでも私にはわずかな希望がある。ハリーがいつものように、私たちの細々とした争いごとを、でっかい体で吸収するという役割を果たしてくれるに違いないと考えている。みんなの相棒のようなハリーがいれば、森のクマさんみたいなハリーがいれば、イライラなんてどこかへ消えてなくなってしまうはずなのだ。ハリーは巨大な備長炭のように、部屋に流れる不穏な空気をゴオゴオと吸い込み、爽やかな空気にしてくれる犬だ。
 ゴミが落ちていたら、「ハリーや!」、コーラの缶が倒れたら、「ハリーや!」、ドアを乱暴に閉める音がしたら、「ハリーや!」 私たちは、なんでもかんでもハリーのせいにして、その場を和やかにするという方法を知っている。ほんの少しの間続くかもしれない我慢の日々を、ハリーを撫でて過ごせばいい……少なくとも、少年たちは。ハリー、どうにかしてくれよ! と頼めば、ハリーはその大きな瞳を見開いて、「了解しました!」とばかりに答えてくれるはずだ。
 ワンワン! というハリーの大きな声が空に響いて、打ち上げ花火みたいに広がって、気づいたら穏やかな春が来ていますように。頼むぞ、ハリー!

 

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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

 

この連載は月2更新でお届けします。
次回は3月15日(日)掲載です。