犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.3.31

56動物だってコロナ疲れ

 

 新型コロナウイルス感染拡大防止策として、全国の小中高校の休学がはじまり、はや一ヶ月だ。わが家の中学生の息子たちは、私が当初考えていたよりもずっと静かに、毎日を過ごしてくれている。いつ終わるともわからない休校措置に母としてはいろいろと不安を抱くのだが、子どもたちは降って湧いたような長い休みをそれなりに楽しんでいる。そして彼らの大親友であるハリーがどうしているかというと、毎日、いつもは家にいない遊び相手がいることがうれしくて、一緒に寝たり、映画を観たり、楽しそうにしている。
 息子たちが毎日家にいるということは、彼らが移動する場所に、ハリーにとってはうれしい発見があるという意味だ。それは、ほんのわずかなポテチやクッキーのかけらだったり、パンの耳だったりする。ハリーは、そのおこぼれをひとつ残らず口に入れてやろうと、いそいそと二人のあとをついてまわり、落としものを見つけては、うれしそうにぺろりと舐めては口に入れる。その落としものは、ハリーの体の大きさに比べたら、本当にわずかなものなのだけれど、これ以上ないほどうれしそうに拾うので、叱るのが可哀想になる。だから、息子たちに言いつけて、ハリーが食べられるものを時折与えてあげなさいと、低カロリーの犬用おやつを買ってきた。なんということだ……。中学生二人に加えて大型犬の世話もあるのだ、私には。
 それにしても、ほんの一ヶ月の間に、私の生活は大きく変わってしまった。テレワークには慣れている私だけれど、そこに息子たちが加わると、リズムに当然狂いが出る。なにせ孤独に仕事をこなすことに慣れていて、それが当たり前になっているからだ。息子たちが出すピコピコというゲームの音に敏感になる。トイレのドアがひっきりなしに開いたり閉じたりするのも、どれだけトイレに行くんだよ! と気になってくる。冷たいお茶は一日何リットル作っても足りないし、空になったポットにお茶を補充する様子は息子たちには見えない。
 いつもはハリーとキッチンに立ったままで簡単に済ます昼食だって、息子たちがいれば、ある程度しっかりと作らなければならない。冷蔵庫は常に空っぽになるので、買い物の回数も増える。驚いたのは、当然といえば当然なのだが、ごみの分量がどかっと増えたことだ。ごみの日の朝は、引っ越しでもするのかという量のごみ袋を運ぶことになる。こんなこといつまでも続くわけがない、いや、続いてもらっては困る。なんとか耐え忍ぶのだ……と考えつつ、やっぱりなんだか疲れてしまう。そしてふと気づいたのだけれど、ハリーも疲れてきているようなのだ。
 ハリーは普段、日中のほとんどの時間を、私と過ごしている。私は常に仕事をしているので、テレビもつけなければ音楽もほとんど聴かない。ただただ、キーボードを叩き続けている。きっとハリーの耳に届いているのは、カタカタというキーを叩く音、ストーブの上に乗ったやかんから出る、シューシューという湯気の音、そして風や雨の音だけだ。そのうえ、私はあまりハリーに声をかけることもない。私が歩けばハリーはついてくるけれど、頭を撫でたり、目を見たりするだけで、私と彼のコミュニケーションはとことん静かなものなのだ。それに慣れているハリーにとって、ひっきりなしに聞こえてくる、「ハリー!!!」という大きな声(それも妙に野太い声)や、ぎょえええええ! という奇声は、もしかしたらストレスなのかもしれない。
 最初の一週間ぐらいは喜んで息子たちと朝から晩までじゃれていたハリーが、最近、息子たちがいない部屋を選んで昼寝をするようになった。息子たちが二階で大声で叫んでいるとき、ハリーはそそくさと一階の部屋に行くようになった。決して避けているわけではない。息子たちのことは大好きだ。それでも、ハリーは時折彼らから離れて、自分一匹の時間を過ごすようになった。夜は今まで次男か長男か、そのときの気分で選んで一緒に寝ていたハリーだったが、最近は私と壁の間に無理矢理に体をねじ込むようにして寝ている(まるで身を隠しているようだ)。決して二人が嫌いになったわけじゃない。きっとハリーは私と同じような気持ちになっている。二人のことはもちろん大好きだけれど、できれば遠くから眺めていたい……。
 ここ数日のハリーは、午前中に息子たちと一緒にテレビを見たりして過ごしたあとは、やはり静かな部屋に自分から移動して、ガムを噛んだり、昼寝をしたりしている。そんなハリーを見てなんとなく気の毒になって、先日、音が鳴るおもちゃをたくさん買ってあげた。そのおもちゃはあっという間に破壊され尽くしたが、ハリーはその音が鳴らなくなった小さなおもちゃを、時折、私のところに運んできては、手渡してくれる。何に対する配慮だろうか。何を感じ取っているのだろう。
 ボロボロになったおもちゃを受け取り、ハリー、もうすぐだ、きっともうすぐ元通りの生活が戻るよと心のなかで言い、そっと頭を撫でてやっている。



 

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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

 

この連載は基本的に月2更新でお届けします。
次回は4月15日(水)掲載を予定しています。