犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.6.15

58安心してはいられない

 

 新型コロナウィルス感染拡大防止のための休校措置がとうとう終わりを迎え、学校が再開されることになった、その直前の週末のことだ。長期にわたるギリギリの生活で疲労が重なり、そのうえ、授業がはじまることの不安になぜか私が押しつぶされ、胃痛で寝込んでいた。
 週末はハリーと琵琶湖に行くことを楽しみにしている私なのだが、さすがにこの時は行く気持ちになれず、ベッドに寝転んで本を読んでいたのだが、いつの間にかウトウトとしていたようだ。遠くで夫と息子たちがボソボソと、湖まで連れて行ってくれだとか、だいじょうぶ、いつも通りだから……とかなんとか、会話しているのをぼんやりと聞いていた。玄関ががらがらっと開く音、ハリーの喜びに溢れたハァハァという息づかい、そして、息子たちのバタバタとやかましい足音……ん? ハリーと子どもたちだけ……?
 ガバッと飛び起きた。急いでリビングに行くと、夫が映画を観ながら優雅に赤ワインを飲んでいる。え、この人、ここで何をやってるの? と思い、焦って聞いた。「ちょっと、ハリーの散歩は?」すると夫はこともなげに、「さっき、子供らが行った」と言うではないですか。涼しい顔して、赤ワインを飲みながら。私の方はといえば、血の気が引いた。
 ちょっと待って。週末の琵琶湖には犬連れが多い。ハリーは相手を見て行動パターンを変える犬で、リードを持つ相手が双子の息子たちとなると、半端なく暴れん坊になる(ちなみに私が相手だと、まっすぐ歩くだけのイケワンとなる)。そして、琵琶湖に行くには国道を渡る必要がある。この国道は福井まで続く二車線で、大型トラックの行き来が多い。その先は、自粛が開けてすっかり人の多くなった浜辺に行くことになる。まさかだけれど、田舎育ちで自由奔放な息子たちが、晴れやかな天気によりいっそう自由な気分になり、まさかまさか、オフリードをするのではないかとドキドキしはじめた。
 いや、オフリード云々というより、ハリーに振り回され、リードを放してしまい、あげくの果てに、明るい性格のハリーが浜辺でくつろく若者のところに魚雷のようにすっ飛んで行き、飛びつき、じゃれつき、あああああああ……!!!
 二人ともケータイを持って出ていることを確認すると、早速次男のケータイを鳴らしてみた。もちろん、反応なしだ。次に、祈るような気持ちで長男のケータイを鳴らしてみた。留守電だ。ああ、どうしよう。不幸中の幸いで、行き先はだいたいわかっている。今から車を出して、先回りしようか!? いつも行くあたりに向かっているとしたら、今すぐに出発したら先回りできるはずだ。いつもの駐車場に車を停め、浜辺に沿って少し戻れば、二人と一匹に出会えるはずだ。
 上機嫌で映画を観ている夫を睨み付けて、「なんで子供だけで行かすワケ?」と問い詰めるた。「いくらなんでも危険でしょ。まだ子供だよ、あの子たちは。そのうえ、ハリーは相手が双子だとわかると、一気にアホ犬になるのに!」そう怒る私に夫は「子どもだけって言ったって、もう中2やで。そろそろ行けるやろ」と、のんきに言うだけだった。腹が立つ。
 まったく危機感がなさすぎる。犬同士の事故はよく聞く話だ。いくらハリーが温厚な性格だとは言え、もしいきなり明るい犬が挨拶がてら近づいてきたりしたら……! 怒りはしないとは思うけれど、怪力を発揮して双子を振り回すに違いない。私の頭のなかに、ハリーと架空の犬の激しいじゃれ合いが繰り広げられた。それをギャーギャー言いつつ、なだめようとし、余計に事態を悪化させて、リードにグルグル巻きになる双子の姿を想像して、より一層青ざめた。
 その時だ、LINEに着信があった。ケータイに飛びつくと、次男からだった。震える指で急いで開くと、なんと撮影されたばかりの動画が送られて来ていた。浜辺をハリーと一緒に走る、満面の笑みの長男の姿が撮影されていた。なぜかBGMまでついている。イメージビデオかよ。ちょっと待て、BGMをつける余裕があるのか!? 大丈夫なのか!?
 急いで、「周りに人がいないか注意して! リードは放さないようにね! ハリーが逃げないように!!!」と悲壮な顔をしながら打ち込み送信すると、戻ってきた答えは「りょ」だった。なんだそれ……。
 結局、一時間ほどして、双子とハリーは上機嫌で戻って来た。玄関先で今か今かと帰りを待っていた私に、「そんなに心配することないで。ちゃんと散歩させてきたから」と、息子たちは涼しい顔だ。
 げっそりときた。私が心配性なのか、それともわが家の男子チームが大胆なのか。無事に戻ってよかったけれど、余計に胃が痛くなったのはいうまでもない。

 

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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

 

この連載は基本的に月2更新でお届けします。
次回は6月30日(火)掲載を予定しています。