犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.9.1

62きみがいてくれるだけで

 

 2020年は、本当にややこしい年だと思わざるをえない。
 年が明けて間もなく新型コロナウィルスの感染拡大がはじまり、東京オリンピックが延期となり、国中が一斉に自粛生活を余儀なくされ、学校は休校、多くの企業でリモート勤務がはじまり、猛暑がやってきて、とうとう首相は退陣を決め……こんなことが起きるなんて、誰が想像しただろう。のんびりしている人が多いわが家でも、さすがに至るところに影響がではじめた。
  最も大きな影響が出たのは子どもたちだ。経験したこともないほど長い休校(3ヶ月)からの登校、そして登校開始から1ヶ月後にはじまった短めの夏休み。その短い期間で、定期テスト、部活、学習塾の夏期講習などが次々とやってきた。大人からすれば、降って湧いたような休校はちょっとうらやましいし、部活は楽しいことばかりでしょ? なんて思ってしまいがちなのだが、本人たちにとっては、かなり大きなストレスがかかる日々だったようだ。ここにきて、子どもたちの様子が変わりはじめた。
  年齢的なものもあるとは思う。なにせ14歳だ。大人でもないし子どもでもない、本当に中途半端な状態だ。そのうえ、ひどく傷つきやすい。親の言葉がすべて心に突き刺さるらしい。こちらも手加減しなければと言葉を選ぶと、途端にすべて許されたと勘違いする、めんどくさい生きものである。自分は大人だと信じ込んではいるが、困ったことが起きると突然、子どもに戻るお調子者。私にもひどく覚えがある。簡単に言えば思春期であり、たぶん二人は大人になりかけている。態度の端々に、苛立ちのようなものも見えている。ママ友と話をすると、どうもわが家に限った話ではないらしい。
 そりゃ、そうだよね……と思う。だって、私たち大人だって、ここのところずっと、イライラしていませんか? 正直な話、私は結構イライラしている。例えばリモート勤務になった夫が、私が必死に仕事をしている後ろで冷蔵庫からやかましくアイスコーヒーを出して、ガラガラとグラスに氷を投げ入れ、ドバドバとコーヒーを注ぎ、ごくごくと飲み干して、プッハー!! うまあいいい!! と言ったりすると、本気でイラつく。SNSの世界を見てみれば……これはもう、詳細を書く必要もないだろう。ややこしい衝突があちこちで起きている。だから、子どもたちがイライラとした表情で部屋に閉じこもっていても、それは仕方のないことだと思うようになった。普段は大人しい長男でさえ、部屋のドアに鍵をかけているくらいだ(!)。次男に至っては、LINEで用事を伝えてくるようになった。親子の会話がLINE……
 でも、私にはとても頼りになる助っ人がいる。近江の黒豹、走る恵方巻き、チャーミングなサンドバッグとの愛称もすっかりおなじみとなった、わが家の愛犬ハリーだ。環境の変化と思春期が重なり、苛立ちを隠せない息子たちのそばをハリーは片時も離れないでぴったりとくっついている。常に二人の部屋の前に寝そべって、じっとドアが開くのを待っている(そこがクーラーの冷気が最も当たる場所だからという噂もあるけれど)。私に対しては素っ気ない態度の息子たちも、ハリーを見ると、いつもの二人に、私が良く知る二人にあっさりと戻っている。ハリーに対しては、二人のうちどちらも、絶対に辛く当たったりはしないし、無視することなんてありえない。
 ハリーは最近、二人の部屋を泊まり歩くようになった。どちらかといえば次男を気に入っているようだが、長男の部屋にも現れてはベッドに上で一緒に寝たりしている。次男は自分の部屋のフロアにハリー用の布団を敷いて、いつやってきてもいいように準備をしている。朝、これ以上寝ていたら遅刻してしまうという時間に私が起こしに行くと、ベッドに寝ているはずの次男が、床でハリーと寝ていることがよくある。
 ハリーと子どもたちのこんな関係性を見るたびに、ハリーがいてくれたら、ハリーさえ寄り添っていてくれたら、二人が大きく道を外れることはきっとないだろうと思えてくる。ハリーさえここにいてくれたら、二人がどんな困難に直面しても、きっと大丈夫だと思えてくる。ハリーは私にとって、ペット以上の存在になりつつある。

 

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この連載は基本的に月2更新でお届けします。
次回は9月15日(火)掲載を予定しています。