犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.9.30

64大好きな秋

 

 ハリーにとっていつがベストシーズンかというと、実は秋だったりする。犬は暑さに大変弱く、特に、大型犬で体毛が黒いハリーにとって、真夏は命の危険さえ意識して行動しなければならない時期だ。飼い主としても、とても気を遣う。
 しかし秋は朝晩涼しく、アスファルトや琵琶湖の砂浜の温度もぐっと下がる。お盆の辺りを過ぎるとビーチにはほとんど人がおらず(たまにいるのは釣り人ぐらいのもの)、広い浜をハリーと私たちで占有できるのも素晴らしい。夏のバーベキューのなごりである煤けた松の枝も、ハリーにとっては格好のおもちゃだ。時々落ちているシワシワのソーセージだとかポテチの欠片などを探して私に叱られるのも、ハリーにとっては楽しいことのようだ。ただ一点だけ、問題がある。
 水温や水質が違うのか、それとも気温が下がるから乾きが悪くなるのか、肌トラブルが多発するのも秋なのだ。ハリーの体毛は冬を迎えるにあたってびっしり絨毯のように分厚くなってくるのだが、それがなかなか乾かない。夏だとさっぱりと乾いてくれるのだが、秋になってくると、しばらく地肌(ちなみに真っ白)のあたりが濡れたままだ。もちろんドライヤーの熱風を当ててやればいいのだが、ハリーはドライヤーがなにより嫌いだ。ドライヤーの熱風に噛みつこうと、大きな前歯をカチカチ鳴らしながら、目を剥いて襲いかかってくる(私の方向に)。タオルドライすればいいのだが、最近五十肩が辛くて……いやいや、ハリーはタオルドライも大嫌いなのだ。そもそも、四十五キロの巨体をタオルドライするのに必要なパワーを想像してほしい。四十五キロなんて、ハイエナぐらいの大きさではないか。
 だからいつも、「えーい、めんどくさい! ベランダで寝なさい!」ということになるのだ。そしてハリーは、素直にベランダでひっくり返ってグーグー寝ている。秋のさわやかな風に吹かれながら、なんとなく全身を乾かしている。それでいい。それでいいのだが、肌トラブルは発生する。
 肌トラブルだけではなく、耳のトラブルが増えるのも、夏から秋にかけてのような気がしている。というより、夏のトラブルを引きずって秋になるというイメージだろうか。ハリーも耳のトラブルが多い垂れ耳犬なので、頻繁に赤くなり、かゆそうにしている。だから、わが家の冷蔵庫には、ハリーの点耳薬が常に保管されている。秋は点耳薬に薬用シャンプーに、飼い主である我々も大忙しだ。フィラリアの薬もあるし、ノミダニの薬も通年で与えないといけないし(田舎だから)、犬を飼うっていうのは大変なことですよ、本当に。
 こんな飼い主の苦労を目撃しているはずのハリーなのだが、彼は彼で事情があるようで、日々記憶していく人間の言葉からヒントを得て、自衛体制に入るようになってしまってややこしいことになっている。ハリーが完全に覚えているのは、「耳」「シャワー」「シャンプー」「アイス」「散歩」「車」「クロネコ」「干し芋」だ。
 「そろそろシャンプーしなくちゃね」と私が夫に言うと、ハリーはビクッとして、さっと立ち上がり、息子たちの部屋に走って避難する。「耳、大丈夫かな」とつぶやくと、ビクッとして、耳を下げるようになった。「背中……」と言うと、とりあえず早足で遠ざかっていく。そんなことを繰り返し、最近では何も言わないのに、目が合うと、スッ……っと、立ち去るようになった。そんな時は決まって耳がかゆいのを我慢している時だったりするので、飼い主にとっては逆にわかりやすい。会話に耳を澄まし、自分のことを話題にされているのを察知した瞬間、「なにか嫌なことをされる!」と理解するわけだ。やっぱりハリーは天才犬なのかもしれないなと思いつつ、点耳薬を入れる日々だ。
 耳に薬を入れたあとは必ず、「アイス食べる?」と聞いてやることにしている。するとハリーは冷蔵庫の前に猛スピードで行き、座って、空中に向かって必死にお手をする。そんな時のハリーは、ニッコリ笑っているように見える。天才すぎる。

 

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この連載は基本的に月2更新でお届けします。
次回は10月15日(木)掲載を予定しています。