犬(きみ)がいるから 村井理子

2020.12.3

67ベッド戦争

 

 琵琶湖周辺も、すっかり気温が下がってきた。山と湖にサンドイッチされたような地域に住んでいるが、この山が相当なくせ者で、この時期は、鉛色の分厚い雲を頂上のあたりに鎮座させつつ、強くて冷たい風を情け容赦なく吹き付けてくる。これに雨が混じると、真横から吹きつける雪となる。そろそろ頂上は真っ白になる時期だ。楽しみのような、そうでもないような。数年前にどかんと降り、そのときは自家用車に辿りつくまで四〇分も雪かきをするハメになった。あの時は大変だった。大雪にハリーは喜ぶだろうけれど、私としてはなるべく避けたい事態である。でも、ハリーが喜ぶのだったら……いやいや、やっぱり大雪は困る。コロナ禍での大雪なんて本当に目も当てられない。
 季節がすっかり冬に変わり、そしてわが家ではちょっとした事件が発生した。ハリーではない。義父である。突然デイサービスで倒れ、そこから一週間程度入院することになってしまった。おかげさまで無事退院し、家に戻り、元気に暮らしている。しかし、彼が入院中に同じく後期高齢者の義母を一人で実家に住まわせることができず、わが家に滞在してもらうことになったのだ。これが、とにかく大変だった。いろいろと大変なことは起きたが、最も悩ましかったのが、スペースの確保だった。
 わが家は大きな男子が三名に、大型犬が一匹、そして私という家族構成だ。家は広くない。各自が部屋を確保しているため、余分な部屋は一部屋としてない。ハリーは遊牧民のように部屋から部屋を渡り歩き、家族全員に愛情を振りまくという犬界の皇太子のような生活を送っているが、一応彼なりのこだわりがあって、リビングに設置してあるソファベッドを自分の居場所と認識して譲らない。これが多少、厄介なこととなった。
 わが家に滞在中、義母にはリビングで寝起きしてもらっていた。テレビもあるし、(ハリー愛用だけど)ソファベッドもあるし、キッチン、バス・トイレが近いからだ。そして、暖房が効きやすいので暖かく、わが家では最も環境が良いスペースだ。しかしそこは、ハリーが最も気に入っている場所でもある。自分のソファベッドに、あまり見たことがない人間が寝ていることを認識したハリーは、少なからず腹を立てたようだった。じわじわと義母にプレッシャーをかけはじめたのである。
 ハリーは、義母がソファベッドに腰をかけると、必ず自分も座り込んで義母に全体重をかけた。当然、ハリーは義母よりも体重が重い。義母が、「ハリーちゃん、かわいいねえ」と声をかけつつ、頭を撫でると、ぷいっと顔を背ける。そして、これみよがしに、「ハァ~」とため息をつくのだった。義母がベッドから離れると、今度は脚を思い切り伸ばして、体全体を可能な限り縦方向に長くして、ベッドを占領する。そして、絶対に動かない。義母が畳んでソファの隅に置いていた洗濯ものを、前脚の先でじわじわと押して、床に落とす。それも、ちらっちらっと義母を見ながらやるのだ。そのうえで、大きないびきをかいて寝る。私がどれだけ体を揺らしても、絶対に起きない。上から見るとオットセイのようだ。
 義母には申し訳ないが、めちゃくちゃ面白かった。ハリーは本当に愉快な犬で、感情表現が豊かだ。義母にソファベッドを明け渡すのは嫌だけれど、決して吠えたり、前脚で押したりはしないところがいい。しかし、その目線が全てを物語っている。黒くまん丸の目が、「早くどけよ……」と言っている。その太くて長い前脚が、「ここは俺の場所なんだよ……」と主張している。どれだけ体を揺すっても、びくともしない態度は、「何を言われても起きねえよ……」と示しているのである。正直、ハリーがここまで面白い犬だとは思っていなかった。
 自分で義母をどかすくせにハリーは、義母が部屋のなかで移動すると、一応、いつも私にするように後をついてまわっては、行き先で何をするかを確認し、自分の寝床に戻るという警備はしていた。つまり、仕事は一応やる犬なのだ。義母がソファベッドで横になると、大きなため息をつきながら無理矢理自分も横に寝る。あまりに大きなため息なので、義母が気にして、「ハリーくんに申し訳ない」と言いだしソファベッドを譲ろうとするので、いやいやそれはしないで下さいと慌てた私は、自分のベッドをハリーに譲り渡し、自分は床に布団を敷いて寝ることにした。意味がわからない。でも、ハリーは私のベッドを常に狙っているので、私が寝ないとわかるやいなや、ウッキウキで占領しはじめた。私は大人しく床に寝た。
 夜中になって寒くて目が覚めると、ハリーが私の羽毛布団を引っ剥がしていた。寝床作りを丹念にやったようで、羽毛布団を丁寧に丸めて、そのうえですやすや寝ていた。ものすごく大きな爪でバリバリやられたはずの布団カバーは破れていた。どこまで丹念な作業だったのだ。腹が立つ。なんのこだわりなのか。なんで私が床なのだ。本当に腹が立つが、羽毛布団自体は無事だったので、全て許すことにした。


 

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うっかり食べ過ぎて近江牛みたいに太った「イケワン」ハリー。
丸くなって眠るさまは、まさに恵方巻。
愛されバディを取り戻すその日まで、理子さんは今日も奮闘!

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本連載は、毎月第1、第3週木曜日に更新します。
次回は12月17日(木)掲載を予定しています。