よみがえるヒロインたち 小川公代

2022.7.12

02ネオリベラリズムに抗う ケア・フェミニズム

むすび

 第三波フェミニズムの現在、争点はどこにあるのだろうか。たしかに、女性のメイクやハイヒールを「犠牲者」「被害者」と結びつけて考えるとその人が発揮できる力まで見えなくなってしまう。しかし、ハンビのように社会に「消費主体」として見られることで傷つく女性がいることもまた事実である。イ・ミンギョンは「脱コルセット」を次のように定義する。「立体感を自覚した身体、他者の視線によって侵食されてしまった身体の境界を回復した身体、機能を取り戻した身体に、これ以上つけることができない服を始末するという意味」(同、140頁)。「脱コルセット」を実践したハンビの物語には、消費社会においては「自由選択」を額面通りに受け取れない可能性が示唆されている。『逃げ恥』や『ハンガー・ゲーム』の「かわいい」や「おしゃれ/着飾り」に対しても、全肯定しないのが「ポストフェミニズム」の実践なのではないかと思われる。なぜなら、着飾りに足元をすくわれて最低限の生存(生活費や電気代)までも消費社会に吸い取られるのでは、「産湯と一緒に赤子を流す」という格言にもあるように、女性の解放を手放してしまいかねない。皮肉にも伊東氏の発言に想定されるような「誘導」される女性消費者になる事例なのかもしれず、社会に強要される「コルセットを捨てる」ことを意識する重要性を再認識させられる。第三波フェミニズムはまさにこのような「消費主体」として傷つけられる女性たちの問題に果敢に挑んでいる。キャロル・ギリガンのケアの倫理論には「ケア」の他に「責任」という鍵概念がある。ケアの言語は「責任の言語といってもよいもので、それは道徳問題を、思いやりの実践や人を傷つけることを避ける義務の一つとして規定してい」る。[23] つまり、暴力を回避することで相手を、あるいは自分を傷つけない選択をすることがケアの倫理の根幹にある。

 


[23]  キャロル・ギリガン『もうひとつの声――男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ』、岩男寿美子訳(川島書店、1986年)、128頁。