沖縄 オトナの社会見学 R18 仲村清司・藤井誠二・普久原朝充

2015.10.22

02沖縄そば抗争 ホワイトカラーそばとブルーカラーそばの仁義なき戦い

 

 ところは沖縄、三バカ男たちは沖縄そば屋をめぐり歩いていた。そこで勃発したのは、沖縄そばをめぐる「ホワイトカラーそば」と「ブルーカラーそば」の仁義なき闘いだった……!? 沖縄そばには二大派閥がある? どういう訳かは本文を読めばわかります。それでは、今日も三バカツアーのはじまりはじまり。

仲村 よく「沖縄そば」と一口に語られますけど、いま那覇で食べられている沖縄そばというのはすごく洗練されていて、もともとはあんなものじゃなかったんですよね。沖縄そばをいま那覇の行列店で食べると六〇〇円から七〇〇円くらいしますが、以前はだいたい三〇〇円とか三五〇円程度でした。
 那覇のそばがここ二〇年くらいのあいだにものすごく進化していくにつれて値段も上がったわけです。なので、旅行者がおいしいと言っている人気店は沖縄そばというよりも「那覇そば」なんです。那覇にある名店の『首里そば』もそうですけど、大衆的なものというよりは、ちょっと高級なハイソサエティなそばなんですね。もともとの大衆的な沖縄そばというのは、那覇では老舗の大衆食堂ぐらいにしかなく、大ざっぱに言えば中部や山原(やんばる)にしか残っていません。中部の人が新都心のおしゃれなそばを食べると「ああいうのはそばとは言わない」と言いますからね(笑)。

首里そば

首里そばのそば。透き通るような透明なスープに気品が漂う

藤井 なるほど。じゃあ、むつみ橋の『かどや』みたいなのが、もともとの沖縄そばなんですか? とんこつベースでスープが濁っていて太麺の沖縄そば。ぼくはかどやのそばをはじめて食べた時「あれ? 博多のとんこつラーメンなのかな?」って思いました。しかも注文してから一五秒くらいで出てくる、そのうえ替え玉まで出来る(笑)。替え玉は五秒ぐらいで出てくるからますます博多的な感じです(笑)。

仲村 替え玉は沖縄ではめずらしいけど、見た目や味はそんな感じです。

普久原 沖縄そばは、ゼロ年代に入ってからだいぶ変わりましたね。それ以前は主に大衆食堂で注文するメニューのひとつでしかなかったのに、専門店が増えて、お品書きの書式から店員の格好含め味以外も変わってしまっています。ぼくはむしろ「本土のラーメンブームから学んだな」って思いました。

仲村 昔、実際に沖縄そばの店をプロデュースしたことがあるんです。だしは『首里そば』をモデルにしました。『首里そば』のスープは限りなく透明に近い。そこで、とんこつではなくて、豚のブロックをダシに入れて、引き上げる方法をとりました。あとはカツオと利尻昆布でうま味と風味を出す。贅沢なだしですが、そうしないと透明にならないんです。ただし、原材料がものすごく高くつく。そうしたらつぶれちゃった(笑)。

藤井 ははははは(笑)。でも贅沢なスープですね。

仲村 もう絶版になっていますが、朝日新聞社発行の沖縄の郷土料理本に写真が載っているんですが、これが首里そばの源流と言われる『さくら屋』の沖縄そばです。九六年頃まで営業していましたが、いま名店として有名な『首里そば』や『御殿山(うどぅんやま)』はこのさくら屋の味を引き継いでいると言われています。このそばはコシがすごくあるんです。麺は手打ちで、かん水ではなくて、木灰汁を使っています。昔ながらの製法です。前言を翻すようですが、洗練された店の沖縄そばは先祖返りしたとも言えますね。そうして、大衆化するにつれて白濁したスープのそばも生まれた。

さくら屋『郷土料理とおいしい旅20 沖縄』(朝日新聞社編)

いまはなき名店さくら屋の店舗とそばの様子。『郷土料理とおいしい旅20 沖縄』(朝日新聞社)所収

藤井 写真を見ると、『さくら屋』の麺は極太ですね。

仲村 手打ちのぼそぼそした感じです。『首里そば』や『御殿山(うどぅんやま)』がこの味を受け継いで、さらにそれをいろんな人たちが発展させていったんです。『さくら屋』がなければいまの洗練された沖縄そばはなかったと思います。

藤井 中部や南部のそばっていうのは、『我部祖河(がぶそか)食堂』みたいなものですか? あそこはたしかソーキそばの元祖って言われていますよね。

仲村 同じ名護にある『丸隆そば』も元祖を名乗っているから、どちらが本当かよくわからないですけど。
 この二〇年で沖縄そばの値段はほぼ二倍近くになってるんです。一時期、その反動で大衆化路線が流行って、鰹だし以上にとんこつを多めに使ってスープをこってりさせ、大盛りのボリュームで勝負していくという。昔ながらの沖縄そばとはちょっと違いますね。

藤井 さくら屋の味は大衆的なものというよりも首里の士族系の味なんですかね、やっぱり。どちらかというと内地的なダシの取り方ですよね? 江戸の立ち食いそばに感覚的には近いような気もします。

仲村 昔、普通にあった沖縄そばを食べたいと思ったら、宜野湾の三角食堂に行けば食べられます。スープもとんこつで白濁していて、麺もコシがなくて持ち上げるとブツブツと切れていく。沖縄の中部ではまだそういうそばが食べられます。

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宜野湾市にある三角食堂

藤井 豚のとんこつの方が沖縄の食文化的には理に適っている気もしますね。

仲村 昔の新聞広告なんかを見ると、最初は「シナそば」って言われているんですよね。戦後に「沖縄そば」と呼ばれるようになった。

普久原 そば粉を使っていないのに「そば」と称しているものだから、復帰後に紛らわしい名称ということで公正取引上の問題になったことがあるそうですね。名称登録が許可された一〇月一七日が「沖縄そばの日」ということになっています。
 ぼくが子どもの頃は普通に「そば」って呼んでましたから、まさに勘違いの当事者でした。例えば、「一杯のかけそば」は、「沖縄そば」を分け合っている情景を思い浮かべて読んでいた(笑)。だから、本土のそば屋に入って、そば粉のそばが出てきた時は、「なんだ? こんなのそばじゃないよ!」って思ったことがあります。間違っているのはぼくの方なんだけど(笑)。

藤井 ははははは(笑)。そういえば、とっくの昔に無くなってますけど、辻の元ジュリで『ウシンマーそば』は、 それまで豚肉の細切れとネギだけだった具に、かまぼことショウガをのせて、現在のスタイルにした元祖と言われていますね。

仲村 大正時代ですね。どんな麺でどんなスープだったか、いまでは謎だらけのそばです。

普久原 スープだけでなく、麺もすごく変わりましたよね。沖縄そばが三五〇円くらいの時代はだいたい麺にコシがなかったなあ。いま思い出すと、以前のそばは麺が伸びきっているようにしか感じませんね(笑)。いまの沖縄そばを認めないという人もいるけれど、ぼくは大歓迎です。

仲村 そもそも「コシ」っていう言葉はウチナーグチにないですからね。昔、那覇でそばのおいしい店に料理屋の主人を連れて行ったら「固い」って文句を言ってましたよ(笑)。

藤井 ぼくが最初に沖縄に来た時は、「沖縄そば」と言えば、そばというよりも上に載っている肉を食べるというイメージだったんですよ。ソーキそばとか三枚肉とか、とにかく肉のインパクトで食わせる。そのうちに、沖縄に通うようになって、だんだん上品なそばも食べるようになった(笑)。

仲村 戦後、沖縄そばを大衆化させたのは戦争未亡人という説があります。沖縄戦で夫を失った人が多かった女たちがどんどん店を開業させたというわけです。老舗食堂の主はオバァが多いのはそのためで、存外、あたっているかもしれません。そのうち、那覇だけがどんどん進化していって沖縄そばの専門店がたくさんできていった。でも、専門店は値段も高めでおしゃれだから、中部や北部の人間は入りにくいんですよ(笑)。

藤井 さっき大衆化の波の中で大盛りそばが流行ったっていう話がありましたけど、それがどんどん変な方向に進化していったものもありますよね。『前田食堂』とかが有名ですけど。ぼくはけっこういろんなメガ盛系の店に行きましたが、肉はそこそこ食えるけど麺はおいしくないところが多いんですよね。

前田食堂

前田食堂のメガ盛りそば。いと高き山頂

普久原 ラーメン二郎系の絵づらの山盛りの店が一定数ありますからね。具を食べているあいだに麺が伸びるという(笑)。ソーキは基本的に味付けが濃いので、スープの味がわからなくなることを避けるため、近年はあらかじめソーキを小皿に分けて出す店が増えました。

藤井 野菜炒めをそばの上にそのままのせるから、スープと混じっちゃって何を食っているのかよくわからなくなるという(笑)。味がもう、スープじゃないだろう、単に野菜炒め汁がそのまま入っているだけだろう、というのも少なくないけど、糸満のYそばは有名ですが、ぼくの中ではちょっと……。

仲村 ぼくが移住した頃はあれがおいしい有名店だと言われていたんですよ(笑)。

藤井 ほかにも、そばの上にちゃんぷるーをのっけただけ、っていうのもありましたね(笑)。別々に食った方がいいじゃないと思っちゃう。

仲村 ダシを大事にしていないんですね……。スープが濁るの嫌じゃないですか。明鏡止水のごとく自分の心を移す鏡としてさ(笑)。九〇年代の沖縄ブームの時はいろんな店がとにかくボリュームに走ったんだよね。

藤井 その頃のガイド本とか見ると、やっぱりボリュームに憧れるんだよね。「かつ丼のカツが二重になってるぞ!」とか、若いうちはまずビジュアルに感動するんです。実際食ってみると相当不味いところが多い(笑)。ぼくの最初のイメージで首里そばに行くと「嘘つき!」って思うもん。「少ないじゃん!」って。

普久原 そういえば、那覇市沖映通りのラーメン店『暖暮』の前で中国人観光客が並んでいる光景をよくみかけるようになりましたけれど、沖縄そばの方はあまり人気ないんですかね?

藤井 いや、そんなことないんじゃないの。この前首里そばに行ったらいっぱい客が入っていたよ。でも、中華圏の人は案外白濁系の方が好きなんじゃないかな。アジア的な味ですよね。フォーを食べてるベトナム人とかも好きそうですね。肉がごろごろ乗った沖縄そばは台湾の屋台みたいな感じもするし。

仲村 八重山の沖縄そばは丸麺で、延び具合も台湾の麺とほぼ同じですよ。

カツ

カツが二重になっている三角食堂のカツ丼。ご飯とカツの間には野菜炒め。沖縄のカツ丼は我が道を行く

茉家

琉球麺・茉家(まつや)の八重山そば。丸麺が特徴

藤井 そうなんだ。沖縄そばはけっこうグローバルな感じですよね。

仲村 じゃあ、ここらで、観光客にぜひ行ってもらいたいそば屋をあげてもらいましょうか。ぼくは普天間の嘉数高台の下にある『3丁目の島そば屋』

普久原 ぼくは大里の『玉家』が好きでしたね。薬味としてフーチバー(ヨモギの葉)を自由に足せるようになっているので、フーチバー好きの人にはいいのかも知れない。

仲村 あとは新都心の『てぃーあんだ』かな。

三丁目の島そば

普天間の嘉数高台公園前にある3丁目の島そば屋

てぃーあんだー

新都心のてぃーあんだのそば。このおしゃれさを見よ

藤井 ぼくがはじめの頃何度も通っちゃったのは『我部祖河』ですね。やっぱり肉にやられた(笑)。あとは『松そば』の牛汁そば。味噌で牛の内臓を煮込むでしょ。あのスープごと麺にどーんとかける。これはうまい。この上にフーチバーを大量にのせて食べるんです。麺は普通だけど、味噌と煮込んだ内臓がうまい。

仲村 それは内臓を食べに行っているんであって、麺類じゃないよ(笑)。

藤井 ちなみに『松そば』は宮古そばで丸麺です(笑)。那覇のそばはやっぱり首里発の文化で、内地の料理と混じったものだと思うんだよね。

仲村 じゃあ、首里そば系はインテリそばだね(笑)。そして大衆食堂の波布食堂をはじめとする肉体労働系が大盛りそば系……。

普久原 つまり、沖縄そばには「ブルーカラーそば」と「ホワイトカラーそば」のように住み分けがあると。那覇のホワイトカラー系の沖縄そば専門店には作業着では入りづらいということですね(笑)。

 

(第2回・了)

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2015年11月26日(木)掲載