科学と民主主義 藤井達夫

2023.9.13

01はじめに

コロナウイルスのグローバルなパンデミックやロシアによるウクライナ侵攻など、近年立て続けに起きた想定外の出来事によって、私たちの生活は歴史的な激変を経験しつつある。これらは、控えめに言っても、未来の世界史の教科書に載るに違いない出来事だ。

ただ、コロナの猛威やロシアの暴挙が起きていなかったとしても、そもそも、日々の生活において、一歩先は闇である。例えば、日本のような国に暮らしていれば、明日大地震が来て、すべてが破壊し尽くされるということは十分想像できる。そんな大ごとでなくとも、買い物に出かけて、交通事故に巻き込まれることもありうる。新型のコロナウイルスではなくて、極々ありふれたウイルスによって命を落とすこともあるかもしれない。要するに、私たちの生は偶然性と不確実性に満ち溢れているということだ。

ホモ・サピエンス、すなわち、賢いヒト。そのように自称する私たち人類は、知恵を武器にして偶然と不確実なものに抗い続けてきた。その過程で手にしたのが文明だ。文明は、偶然を飼いならし、不確実なものをより堅固なものに結わい付けることで、現在を安定させ、未来を予測可能にしようとする諸制度から構成されている。そうした諸制度が機能している時、そこに暮らす人びとの多くが、生活の安定と安心を享受する可能性を手にすることができる。おそらく、これが戦後の昭和の時代に私たちの社会が実際に経験したことである。そして、令和の時代、私たちが最も欲しているものなのかもしれない。

文明が生み出した制度は数多くある。この論考で取り上げる代表制民主主義は、近代という時代を象徴するそうした制度の一つである。統治される者が自ら統治するという民主主義の理念は古代のギリシアのアテネで生まれたが、選挙によってこの理念を実現しようとしたのが代表制民主主義だ。それは、国家の直接的な統制によらず、人びとの自発的な創意と自律的な活動を通して、偶然を飼いならし、不確実さを計算可能にする政治制度ともいえる。二〇世紀の中葉以降に代表制民主主義という制度を掲げた国家に暮らす人びとは、その実情はさておき、自分たちが選んだ政府に対して、個々の自由を損なうことなく、豊かさと安全とを保証するよう正統にも求めることができたのである。しかし、どうやら、この制度は現在、上手くいっていない。それどころか、民主主義諸国におけるポピュリズムの主要な原因となっている。そして、アメリカやブラジルで見られたように、ポピュリズム化した民主主義は、いま、選挙を基盤に運用される代表制度それ自体を破壊し始めている[1]

それはなぜなのか。この問いを出発点にしながら、以下では、現代の激変する世界の中で、代表制民主主義がどのような課題に直面しており、それに対応するためにどのように変容をすべきかについて検討する。ここから、《来るべき代表制民主主義》がこの論考のテーマということになる。そこでまず、現在の代表制民主主義が直面している課題について二つのキーワードからフォーカスしよう。

二つのキーワード

代表制民主主義は、十八世紀の西洋に誕生した。十九世紀から二〇世紀にわたり、幾度となく消滅の危機を乗り越えながら、一九六〇年代に黄金期を迎えた。しかし、それは、もはや現代社会に適合しなくなっている。その結果が、代表制民主主義の機能不全である。人びとはそんな代表制民主主義に対して不満や不信を募らせているだけではもはやない。今では公然とその「終焉」が口にされ、学術上の争点にもなっている[2]。その理由を「ポスト工業化社会」および「人新世」というキーワードを手掛かりにして探求する。

どんな制度であっても、その制度が適切に作動するために必要だと想定される条件がある。代表制民主主義という制度にとってのそうした条件を提供したのが、工業化社会の到来とその成熟であった。その条件が具体的にどのようなものであったかは、追って議論する。ここで押さえておきたいのは、日本を含めた現在の民主主義諸国では、社会の工業化はすでに終わりを迎え、ポスト工業化社会へと移行したという事実である。私たちはこの事実を直視する必要がある。この事実からすれば、代表制度民主主義が現在機能不全に陥っていることは当然の帰結と言える。なぜなら、ポスト工業化社会では、代表制民主主義がうまく作動する条件を提供できないからだ。社会が工業化していく中で確立された代表制度の仕組みのままでは、民主主義を運用しようとしてもうまくいかないことが目に見えているとするなら、現状維持という選択は理に適っていない。現状の維持以外に、私たちに残されているのは、二つの選択肢である。民主主義をあきらめて権威主義を採用するか、それとも、代表制度をポスト工業化した現代の社会に適合させるべく改革を行うかだ。現行の代表制度民主主義の「終焉」のあり様は、この選択肢のいずれを選ぶかによって大きく異なってくると言えるだろう。

ポスト工業化社会への移行による代表制民主主義の機能不全については、拙著『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』で詳しく考察した[3]。しかし、残念なことに、代表制度民主主義が現代にそぐわないものとなったことの説明として、「ポスト工業化」にフォーカスするだけではもはや不十分である。そこで、本論考では、先に挙げた、民主主義をやめるのか、代表制度を改革するのかという選択肢に私たちが直面せざるを得ないもう一つの理由を「人新世」によって説明する。

通常、人新世とは、誕生して四十六憶年が経過した地球の歴史において、最新の地質時代を示す言葉として用いられる。地質時代は、地質学的手法によって特定され定義される。ここから、人新世は、人類の活動が地質に痕跡を残すようになるほど地球環境に直接的な影響を及ぼす地質時代を意味する。約一万年前に地球が急激に温暖化すると同時にその環境はきわめて安定化した。完新世と呼ばれるこの地質時代を通して、人類は文明を発展させ、この地球を支配するまでの種となった。しかし、その繁栄の飽くなき追求の道程で人類は、地球上に存在したあらゆる種で初めて、自分たちの手で地球環境を激変させ、強制的に完新世を終わらせることになったのだ。そうして現れたのが、人新世として理解された現代に他ならない。

この論考では現代を人新世として理解する。わざわざ人新世という言葉を用いるのは、人類が現在、これまでに経験をしたことのない特異な時代に生存していることを強調するのに相応しいからだ。以下の議論では、人新世としての現代の特異さをさらに際立たせるために、地質学のレベルで地球環境に生じているのと同じ事態――いわゆる、ステイト・シフトと呼びうる事態――が私たちの身体にも生じていることを論じる。地球環境と身体との双方で、私たちがホモ・サピエンスとしてこの地球上に誕生してから二〇万年の間に経験したことのない新たな事態が現在生起しつつある。これが本論考における人新世という言葉を通して提示したいことだ。いずれにせよ、ここで確認しておくべきことは、人新世として現代を理解することによって、代表制民主主義が現代の政治制度として不適合になった理由――ポスト工業化への移行とは異なる理由――をより正確に把握できるということだ。

人新世という言葉は、現代社会が政治に差し向ける課題を鮮明にしてくれる。それは、未来の他人たちの利害関心やその生存そのものに関わる課題である。気候変動や生物多様性の急速な消失に顕著に表れている地球環境の地質学レベルでの変容や、身体に対する生命医学的介入による分子レベルでの人類の改造は、私たちとは直接的な関係を持たない、数百年あるいは数千年以上離れた遠い未来の人類に計算不可能=予測不可能なリスクを与える可能性が大いにある。現在――そして近い将来――、代表制民主主義という政治制度に対してアジェンダとして提起されているのは、温室効果ガスの排出量をどの程度にするのか、あるいは、DNAを操作することで、胎児のいかなる感受性(サセプタビリティ)を改変し、いかなる能力や性質を強化するのかという人新世に特有の課題だ。すなわち、遠い未来の他者に多大な影響を及ぼす課題なのである。

ここに、代表制民主主義が時代にそぐわなくなった理由がある。代表制民主主義は現行の仕組みで運用されるなら、決定に関わる当事者の利害関心を優先し、かつ、成果がすぐに出やすく、しかも分かりやすい結果を伴う決定を好む傾向が非常に強くなる。自分本位で短期的なこれらの性質を「近視眼的」と呼ぶことにするが、代表制民主主義は、この近視眼的性格ゆえに、人新世としての現代に特有の課題に取り組むには不向きとならざるを得ない。そうであるなら、現在の代表制民主主義に失望したり、不信を抱いたりする人たちが出てきても不思議ではないだろう。こうして、ポスト工業化への移行とは違った理由でも、代表制民主主義には先に挙げた二つの選択肢が突きつけられることになる。権威主義体制への移行か、それとも代表制度の改革かという選択肢だ。本論考では、後者の選択肢の可能性を検討する。しかし、その前に、「ポスト工業化」と「人新世」というキーワードをもう少し掘り下げておく必要があるだろう。

ポスト工業化社会の民主主義

まず私たちが直視しなければならないことは、現代社会において、代表制民主主義が適切に機能するための、社会・経済・文化的な条件はすでに消失してしまった、という単純ではあるが否定しがたい現実である。

そもそも、「支配されることを避けるべく、自分たちで統治する」という民主主義の理想を選挙を基盤にする代表制度によって実現しようとするのが、代表制民主主義である。民主主義と代表制度は同じもののように語られることがしばしばある。しかし、それらは異なる出自を持ち、相互に本質的な関係があるわけではない。それらの結合は歴史的なものだと言える[4]。歴史的なものとは、ある特定の時代において成立した社会的・経済的・文化的背景が民主主義と代表制度との結合を可能にし、さらに適切に機能する条件となっているということだ。そうした条件が消失すれば、民主主義の理念を代表制度では適切に実現できなくなる[5]。ここから、民主主義と代表制度の結合を無理に維持しようとすることは理に適っていないことになる。

では、代表制民主主義が機能するうえでの最適な歴史的条件を提供したのは、何であったのか。それは、工業化社会の到来であった。

工業化社会とは、工場において大規模で画一的な製品を大量に生産する工業に依拠する社会である。富の産出の基盤が製造業にある社会とも言える。資本主義それ自体とは区別されるものの、資本主義経済の発展の一段階として登場する工業化は十八世紀後半、当時の先進資本主義国であったイギリスにおいて開始される[6]。それ以後、アメリカや他のヨーロッパ諸国を席巻し、十九世紀の終わりには、アジアで最初に日本が工業を中心に組織化された社会の構築に着手した。工業化を歴史上最初に達成した国々――西欧諸国やアメリカ、そして日本など――では、二〇世紀の二つの大戦をくぐり抜け、以下のような代表制民主主義が機能する社会・経済・文化的条件が整えられていった。

第一に、莫大な富を産出する工業化社会では物質的な価値が支配的となった[7]。また、そこでの政治争点は、富の配分に収斂する傾向を帯びることになった。

第二に、労働者という社会集団が誕生した。歴史上、ほとんどの人々は生きるために働かなければならなかった。その意味で、人類を「ホモ・ファーブル」、すなわち、働くヒトと呼ぶのは正しい。しかし、十九世紀の工場の内部で生まれた労働者は、それまでの働く人とは異なる。労働者は大規模な規律の空間において作り出され、共通の利害を見出し、共通の政治的アイデンティティを形成し、集合的な行動をとりうる集団である。それらによって、革命と呼ばれた社会変革の担い手となりえたのが、《階級》としての労働者であった。

第三に、団結した労働者たちは大規模な社会集団として労働組合を結成していく。それと共に、労働組合を母体とする、厳格な組織と綱領を持った近代政党、社会民主主義政党が発展する。暴力による実力行使を控えるようになった労働者たちは、労働者政党の下で政治権力を獲得を目指す。こうして、工業化社会を二分する社会集団である資本家、雇用者という集団と労働者という集団がそれぞれ保守政党と革新政党によって代表され、これら二つの政党が政治的支配権をめぐって選挙を通して平和裏に競争する。こうして、一般に民主主義的だとされる政治モデルが打ち立てられることになったのである。

第四に、工業化社会では、新聞やラジオ、そしてテレビといったマスメディアが発展していった。マスメディアは、世論形成を通して、社会に遍在する諸ニーズを政治争点化し、公式の政治制度へと伝達するという役割を有してきた。しかし、代表制民主主義にとってのマスメディアの重要性はそれに尽きるわけではない。ここで注目したいのは、同一の言語で伝達される情報の共有を通して見知らぬ人びとの間に情緒的で道徳的な繋がりを作り出してきたというマスメディアの働きだ。この繋がりのおかげで、たとえ利害において対立する諸集団であっても殲滅すべき敵ではなく、いわば「想像の共同体」を構成する同類として互いを承認することが可能となる。マスメディアがその形成に一役を買った、互恵的な同類からなる想像の共同体は、労働者や資本家といった諸集団が政党を通して自分たちの利害関心を実現すべく、平和裏に競争するアリーナとなったのである。

こうした条件が整備されていく工業化社会の成熟の中で、代表制民主主義は一九六〇年代に黄金期を迎えた。しかし、工業化に成功した先発の国々は、早くも八〇年代には、ポスト工業化社会への漸進的な移行を強いられることになった。ポスト工業化社会は、自動車などの製造業が基盤となった社会の後に登場する。それは情報や知識、サーヴィスを富の源泉とする社会だ。私たちが暮らす社会が、そうした第三次産業を基盤としているという理解は、日常的な感覚からしてもなじみ深い。しかし、工業化社会からポスト工業化社会への移行は、代表制民主主義に決定的な影響を及ぼしたのである。

工業化にいち早く成功した社会は、モノに溢れた豊かな社会となった。そうした社会に暮らす多くの人びとにとって、毎日の食事や住居の心配はなくなった。このため、物質的な価値と並んであるいはそれ以上に、セクシュアリティや人種、民族、宗教といった自らのアイデンティティに関わる脱物質的な価値が、重視され、政治争点化されるようになる。いわゆる「分配」をめぐる政治から、「アイデンティティ」をめぐる政治への転換である[8]

さらに、工場が人件費の安い後発の工業国ーー二〇世紀後半では、台湾や韓国、メキシコなどの新興工業国ーーへと移転する中で、工場を拠点に連帯しえた労働者という集団は徐々に姿を消していった。それに伴い、労働組合の組織率は低下の一途をたどる。代わりに出現したのが、働き方や収入は言うまでもなく、価値観やライフスタイルに至る点でまったくバラバラとなった、ホモ・エコノミクスとしての個人であった。かつては「労働者」と呼ばれ、またそのように自認していた個々人は、一起業家と見なされるようになり、自己責任のもと自分と家族の生き残りをかけて、市場での厳しい競争に打ち勝つことを使命とする[9]。そうなれば、通勤電車で隣に座る見知らぬ乗客は蹴り落とすべきライバルであって、同じ労働者としての同志どころではない。せいぜい、無関心というのが関の山であろう。

また、工業化社会を支えた「労働者」が消滅し、労働組合が解体される中で、この集団を支持基盤にした革新勢力および社会民主主義政党は一気に弱体化した。こうして、労働者集団と雇用者ならび資産家集団という二大勢力から構成される社会という理解は現実から乖離することになり、それぞれの集団の利害関心の実現を目指す二大政党間の選挙を通しての競争という代表制民主主義のモデルは成り立たなくなった。それに伴い、多くの民主主義諸国では、代表制民主主義のポピュリズム化が進むことになった。

「労働者」が消滅していけば、当然、労働組合の組織率は下がり、その力も弱くなっていく。労働組合の緩やかな解体は、政党が有権者と政治をつなぐ媒体としての機能を喪失し始めていることを示す象徴的な事態といえるだろう。政党がその機能を果たせなくなった結果が、選挙の人気投票化である。工業化社会において民主的な選挙は、社会に根を張った政党の政策を頼りにして、有権者が自らの属する社会集団の利害関心を表明する機会と想定されていた。これに対して、ポスト工業化社会の選挙では、誠実そうとか、頼りがいがあるとかいった政治リーダーのイメージが、何より重要だ。個々の有権者はそのイメージから自分自身に似た人物、ないし自分が理想とする個性を持つ人物に投票する。こうして、選挙は、有権者自らの社会的なアイデンティティを追認する機会となる[10]。例えば、日本では、二〇〇〇年代の初頭、非正規労働者が労働規制の大幅な緩和を推し進める小泉首相を熱烈に支持するという現象が生じた。ここから分かることは、すでにその当時において、日本の選挙は、ポスト工業化の徴候を示していた、ということである。

これらに加えて、近年では、ツイッターやフェイスブックといったソーシャルメディアの普及が、ポスト工業化社会の代表制民主主義のあり方に大きな影響を及ぼしている。この新たな情報コミュニケーションツールが普及することで、新聞やラジオ、そしてテレビなどのマスメディアが作り上げてきた、想像上の社会・文化的な同質性や連帯感は次第に融解していく。この結果、対立する集団は競争相手ではなく敵となり、交渉や取引の相手ではなく、嘲笑すべき侮蔑の相手、ひいては殲滅すべき相手となる。また、マスメディアは、各工場を越えて人びとを結びつける、国民や中流階級といったより大規模な集合意識の形成になくてはならなかったが、ソーシャルメディアはそうした共同幻想が存在する余地を完全に消去した。現在、ソーシャルメディアが育んでいるのが、ファクトかフェイクかにお構いなく、SNSの内部で自分好みの言説に群がる無数の小規模なクラスター=種族である[11]。社会が種族化すればするほど、人びとの間に対立を生み出す分断線(クリーヴィリッジ)は細分化・多様化すると同時に、曖昧になる。工業化社会における分断線は単純化されていた。政党はそれに沿って社会に根を下ろすことで、対立や紛争にアクセスしてきたが、それはもはや困難だ。政党は自らの役割を果たしえなくなると同時に、有権者は政党を疎遠に感じるようになっている。政党を中心に機能した、工業化社会の代表制民主主義はもはや過去のものなのである。そして、ソーシャルメディアをフルに活用して、ネットを彷徨う種族たちを一時的にまとめ上げるのに成功したボスが、ポピュリストなのである[12]

[1] 二〇二三年一月、ボルソナロ前大統領の支持者たちによる連邦議会や大統領府などの選挙は記憶に新しい。トランプ前大統領およびボルソナロ前大統領は、大統領選挙の結果を認めないことで、また彼らの支持者たちは、議会を暴力的に占拠することで、代表制度を破壊したと言える。

[2] Tormey S.(2015). The End of Representative Politics. Polity, ch.6.

[3] 藤井達夫(二〇二一年)『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』、集英社新書、第五章。

[4]本論考も、拙著『代表制民主主義はなぜ失敗したのか』と同様に、代表制統治に関するマナンの古典的テキストに多くを依拠している。Manin, B.(1996). The Principles of Representative Government. Cambridge University Press.

[5] 厳密にいえば、代表制度が民主主義の理念を実現しているかのような擬制が現実的な説得力を失うようになる。

[6]歴史的に見れば、工業化は資本主義の一段階として出現したものの、工業化は資本主義それ自体とは区別される。これは、二〇世紀においてソ連が社会主義の下で工業化に着手したことからも明らかである。資本主義と工業化の関係については、以下のテキスト参照。ユルゲン・コッカ(二〇一八年)『資本主義の歴史――起源・拡大・現在』山井敏章訳、人文書院。

[7] だからといって、工業化した社会において、宗教や民族、人種といった社会ー文化的な問題が解消されたわけではない。それぞれの社会が抱える様々な問題の中で、富の配分がより中心的で優先的な政治課題になったということに過ぎない。

[8] Fraser, N.(2013). Feminist Politics in the Age of Recognition: A Two Dimensional Approach to Gender Justice. In Fortunes of Feminism: From State-Managed Capitalism to Neoliberal Crisis. Verso.

[9] 新自由主義的秩序(Neoliberal Oder)が強力に推し進められていた時代の最中で、ニコラス・ローズはフーコー主義の視座からその統治の様式について議論をしているが、その分析は新自由主義的秩序が終わりを迎えつつある現在においても、未だに有効であるように思われる。Rose. N.(1999). Powers of Freedom: Reframing Political Thought. Cambridge University Press.

[10] 代表制度が民主主義の制度として想定されるのに不可欠な選挙の機能と実際の選挙の機能との乖離については、以下のテキストを参照。Achen, C.H. and Bartels, L.M.(2016). Democracy for Realists : Why Elections Do Not Produce Responsive Government. Princeton University Press.

[11] 情報コミュニケーションツールの普及を背景とするポスト・トゥルースについては、フィッシャーのコンパクトな分析を参照。Fischer, F.(2021). Truth and Post-Truth in Public Policy: The Interpreting the Arguments. Cambridge University Press.

[12] エルネスト・ラクラウ(二〇一八年)『ポピュリズムの理由』澤里岳史・河村一郎訳、明石書店。