科学と民主主義 藤井達夫

2024.2.6

0404 連載第2部、その後の民主主義へ

 

はじめに

 第一部では、十八世紀の終わりに誕生し、一九六〇年代に黄金期を迎えた代表制度による民主主義が現在、適切に機能しなくなっている理由を「工業化社会/ポスト工業化社会」と「人新世」という二つのキーワードを通して明らかにした。別の言い方をすれば、「過去/現在」という視点、および「未来」という視点から、代表制民主主義の機能不全について説明した。

 第二部では、民主主義という政治のあり方を人新世の時代に適合させるべく、もはや戻ることのできない完新世の時代のままの代表制度をどう改革するべきかを主要なテーマとする。要するに、来るべき代表制民主主義がいかなるものであるかを検討する。

 このために、前半部分では、代表制民主主義の現状を診断する。第一部で論じたように、代表制度が適切に機能する条件を喪失した今、民主主義の危機は二つの方向からの脅威によって生じている。

 一つは上からの脅威だ。これは、現代ならではのエリート主義という形態をとっている。第二次世界大戦後に成熟する工業化社会は、ケインズ主義によって統治された。しかし、一九七三年の石油危機以降、西側先進諸国はポスト工業化へと移行していく。その移行において、統治を司ったのが新自由主義であった。それは、工場労働者を中心にした大規模で組織化された社会を破壊する一方で、現代のリベラルでグローバルに活躍するエリート、すなわち高学歴の管理職や専門技術者集団への権力と富の集中をもたらした[1]。もう一つは、下からの脅威であり、ポスト・トゥルースを背景にしたポピュリズムである[2]。これは、一般に新自由主義の統治の下で進んだエリート主義への反動ないし抵抗として観察されている。後に議論するように、大切なことは、これらの反民主主義的な圧力を押し退けることは現行の代表制度では困難であるということである。

 現在、代表制民主主義の改革が必要なのは、これらの脅威に対峙し退けるためであるものの、それだけではない。人新世ならではの課題によっても、代表制度の改革は危急の要請となっている。これが本論考での中心となる洞察だ。第一部で論じたように、その課題とは、未来の他者の声や人類以外の存在者、すなわちノン・ヒューマンの声をどのように代表するかというものだ。これに取り組むには、選挙による代表という、なじみ深くはあるが極めて一面的な代表の理解を刷新せねばならない。選挙とは異なる代表の理解がなければ、代表制民主主義の再構築はまず不可能である。第二部後半の議論では、科学技術を民主的にコントロールしようとする取り組みを参照することで、その再構築の可能性や方向性について検討する。

 現行の代表制度による民主主義が行き詰まっているのは誰の目にも明らかであるものの、代表制度民主主義をすっかり放棄することは、「現在の選択は、過去の制度や慣習に拘束されるため、簡単に変更できない、つまり自由にはできない」という経路依存性の問題を重視するなら、現実的でも望ましくもない。これが本論考での基本的な立場だ。しかしながら、人新世の時代だからこそ民主主義は代表という制度に依拠せざるを得ないとしても、この場合の代表とは、機能不全に陥った完新世の選挙による代表ではない。選挙以外で選ばれた代表を民主主義に組み込むこと。ここから、来るべき代表制民主主義の姿の一端が垣間見えてくるのである。

 

化石燃料と代表制民主主義

 代表制度によって運用される民主主義の現状を理解し診断するには、この現状がどのように生じたかを検討することが不可欠である。つまり、少なくとも近年の民主主義の歴史を振り返ることを避けて通れない。第一部でも代表制民主主義の歴史について論じたが、ここでは、新自由主義という視座を差し挟むことで、もう少し深く掘り下げてみたい。この視座に立つなら、工業化社会からポスト工業化社会への転換が代表制民主主義の機能するための条件をどのように破壊したのかがより鮮明に見えてくるだけでなく、人新世の現在に民主主義が直面している危機が何であるかについても、理解を明確にすることができる。

 工業化社会とは、膨大なエネルギーによって稼働する機械を中心に備えた工場において、画一的で大量の製品を製造することで富を産出する社会である。またそのような社会では、生産力の発展に伴い増大する富の配分をめぐる対立が主要な政治的争点となった。十九世紀の一部のヨーロッパ諸国やアメリカにおいて誕生し、第二次世界大戦後に完成する工業化社会は、組織化された大規模な「重く硬い」社会でもあった。そこで暮らす人びとは、固有の利害関心と慣行を有する社会の諸集団に組み込まれる。そうした集団の中でも、この工業化社会を特徴づけるのが工場で働く労働者という集団であった。

 近代の市民革命直後、選挙で選ばれた代表者が統治するという代表制度は当時のエリートによる支配を確立するための制度として導入された。すなわち、資本や土地、奴隷といった私有財産を所有する社会集団のための寡頭制度であった。ところが、この新しい貴族制が民主主義の理念と接合され、代表制民主主義として確立されていく。このプロセスにおいて決定的な役割を果たしたのが、その労働者たちであった[3]

 工業化社会において確立される代表制民主主義の主要な働きは、富の分配を中心とする社会内部の諸集団間の紛争を、選挙という政党間の競争へと転換することで、革命と呼ばれた内戦へと発展させることなく平和裏に解決することにある。ごくごく単純化した例を挙げるなら、資本家ないし経営者と呼ばれる富者と、労働者という貧者の二つの集団が抗争する社会において、それぞれを代表する保守政党と革新政党が選挙を通して競争をし、その結果に応じて、集団の利害関心を物理的な暴力に訴えることなく実現していく。こうした政治モデルが成立するための大前提は、労働者が社会的な権力を保持するようになることであった。別の言い方をすれば、労働者が社会集団として、資本家という集団を脅かすライバルとなることであった。では、どのようにして、労働者は集団としての要求を実現するための社会的な権力を手に入れるようになったのか。実は、そこでは、現在の気候変動を引き起こしている化石燃料がきわめて重要な役割を果たしていたのである。

 ティモシー・ミッチェルは、近代の民主主義が確立される上で、エネルギー源としての石炭の利用が不可欠であったことを指摘している。この指摘自体は、きわめてありふれたものだ。十九世紀に本格的に始まる産業革命が工業化社会を誕生させてたのであり、さらに、産業革命を可能にした蒸気機関が、太陽から石炭へのエネルギー革命に依拠していた[4]。ここから、石炭の利用が工業化社会において発展していく近代の民主主義と深く関わっていることは明らかであろう。とはいえ、その自明性は、労働者が社会的権力をどのように獲得し、資本家のライバルになったかまで説明するものではない。ミッチェルによれば、労働者が工業化社会の中心的な政治アクターとなることを可能にしたのが、エネルギー源としての石炭の使用であったのだ。

 

 石炭の利用によって、熱力学的な力の供給は十九世紀に急激に増加し始めた。時に民主主義は、この変化から生じたのであり、工業化された生活の急速な発達が、より古い形の権威や権力を破壊することで出現したとして描かれる。しかし、石炭の使用の増大のたんなる副産物として、民主的で政治的な要求ができるようになったのではない。人びとが政治的な要求をすることに成功したのは、新しいエネルギーシステムの内部において行動する力(power)を獲得したからである。人びとが、政治的なマシーンへと編成されたのは、石炭利用のオペレーションを通してであった[5]

 

 石炭の利用のオペレーションが重要なのだ、とミッチェルは指摘する。そのオペレーションは、石炭が眠る炭田を採掘し、それを鉄道やタンカーで現地へ運搬し、機械を動かす蒸気のエネルギー源としてーーそして後には、発電のためのエネルギー源としてーー使用する一連のエネルギーのフローにおいて実施される。このフローはエネルギー源としての石炭と原動力としての蒸気機関、そして鉄を主要な要素として構成されるエネルギーシステム内部で生じる[6]。フローの各ポイントにおける相互連結とエネルギー供給の集中化がその特徴だ[7]

 石炭の採掘地は、線路によって鉄道という輸送機関と連結し、その鉄道を通して港あるいは都市の工場と連結する。しかし、石炭という化石燃料のエネルギーフローにおける連結は、そうした具体的な場所同士の結びつきを意味するだけではない。各ポイントで独自の作業に従事する労働者たちを結びつけるのだ。

 労働者の団結といえば、すぐに思い浮かぶのは、「万国のプロレタリアよ、団結せよ」という『共産党宣言』の結びの句であるかもしれない。確かに、マルキシズムからサンディカリズムまで当時の様々なイデオロギーがなければ、工業化によって誕生した労働者たちを連帯させ、社会的な権力の獲得に向けてエンパワーすることは不可能であったろう。しかし、そうした理念や思想だけでなく、石炭を資源とするエネルギーフローの中でのこの物理的な連結が必要だったのだ。この連結こそ、労働者たちに歴史上これまでにない力を付与することになった。石炭の使用をとおして異なる場所で異なる仕事に従事する労働者たちが結合したことで生じたそのような力は、労働者が行使するストライキやサボタージュとして現出した[8]。この力が労働者たちを「政治マシーン」へと変貌させたのだ。こうした労働者たちは、ブルジョワジーと呼ばれた当時の支配集団に対して自分たちの要求を聞き入れさせようとしたのであった。

 ストライキやサボタージュをより有効にしたのが、石炭の使用によるエネルギー供給の集中化であった[9]。石炭という化石燃料の本格的な使用以前、人類の主要なエネルギー源は太陽であった。人類はこのエネルギー源を利用するために、分散して居住した。例えば、太陽光が生み出す物質である木材は燃焼材として長く利用されてきたが、その利用は人口の集中よりも分散を促す傾向にあった。人びとが密集して暮らすようなれば、利用可能な木材はあっという間に消費されてしまう。このため、小規模な集団で離れて暮らす方が、森林資源の持続的な使用という点では合理的であったのだ。対して石炭は、これまでにない大量のエネルギーを一カ所から集中的に供給することを可能にすると同時に、このエネルギーを消費する人びとを一カ所に集積して居住させることになった。さらに、エネルギー供給の集中化によって、供給源の近隣には工業地帯が形成されることになった。

 人びとと工場を一つの場所に集中させることになった石炭によるエネルギー供給のフロー。これが、労働者が新たに獲得した力を有効に行使する上での非常に重要な条件となった。なぜなら、ストライキやサボタージュによって、労働者がエネルギーフローにおける結節点を切断することで、一気にエネルギー供給を停止させ、社会全体を麻痺させることを可能にしたからだ。

 石炭の使用は、産業革命を引き起こし、社会の工業化を推し進める重要な要因であった。その過程で誕生したのが工場で働く労働者だ。彼らは、生まれたばかりの工業化社会において、法的な保護もないまま過酷な労働条件の下で酷使され、赤貧の生活を余儀なくされていた。しかし、同時に、彼らは、新たなエネルギーフローによって、自分たちを搾取する資本家や経営者に対して労働条件を改善し、貧困から抜け出すための要求を突き付け交渉する社会的な権力を獲得した。こうして、労働者たちは「政治マシーン」となった。ストライキやサボタージュといった労働運動のレパートリーを有効に活用することで、彼らは労働権などの社会的な権利のみならず、参政権などの政治的権利の獲得を目指すことになる 。ここに労働者を中心とする大衆民主主義が誕生し、エリート支配のための代表制度は次第に民主化され、代表制民主主義が確立されていくことになるのである[10]

 

[1] 二十一世紀版「エリートの反逆」(クリストファー・ラッシュ)として、以下のテキストを参照。マイケル・リンド(二〇二二年)『新しい階級闘争――大都市エリートから民主主義を守る――』施光恒監訳、東洋経済新報社。

[2] 一般に、ポスト・トゥルースは、事実よりも、個人の信条や価値観に訴えかける情報に基づいて、世論形成や政治行動がなされる状況を意味する。二〇一六年のイギリスのEU離脱やアメリカでのトランプ政権の誕生などは、ポスト・トゥルースの時代を象徴する出来事とされている。本論考でのポスト・トゥルースの理解はフィッシャーの以下のテキストに寄っている。Fischer, F.(2021). Truth and Post-Truth in Public Policy: Interpreting the Arguments, Cambridge University Press.

[3] 利害関心の代表という視点から、このプロセスについて歴史的な視点から論じたものとして、以下を参照。Maier C.S.(1987). In Search of Stability: Explorations in Historical Political Economy. Cambridge University Press, ch.6.メイヤーは、社会の諸集団の利害関心を代表する制度として、政党政治だけでなく、コーポラティズムにもフォーカスしている。

[4] シュミルによると、十九世紀から二〇世紀にかけて、エネルギーによって主導されたヨーロッパおよびアメリカなどの資本主義諸国が工業化を達成するには、新たなエネルギー源としての化石燃料の登場だけでなく、蒸気機関や電気による蒸気タービンなどの新たな原動力の登場が不可欠であった。この点については、以下のテキストが非常に詳しい。バーツラフ・シュミル(二〇一九年)『エネルギーの人類史』下巻、塩原通緒訳、青土社、三〇一頁。

[5] Mitchell, T.(2011). Carbon Democracy: Political Power in the Age of Oil. Verso, p12.

[6] シュミルによると、工業化に進展に不可欠な原動力は、十九世紀の蒸気機関から、二〇世紀の発電による蒸気タービンと自動車などの内燃機関に置き換わっていく。シュミル(二〇一九年)、第五章を参照。

[7] Mitchell(2011), pp.18-21.

[8] これらが組み合わされることで、「ゼネスト」と呼ばれる労働者の新たな抵抗のレパートリーが創出された。Mitchell(2011), p.23. ゼネストに関する最も興味深い思想は、ソレルのものであろう。ジョルジュ・ソレル(二〇〇七年)『暴力論』上、下、今村仁、塚原史訳、岩波文庫。

[9] Mitchell(2011), p.27.

[10] 歴史を振り返るなら、社会的権力を獲得した労働者には、代表制度の担い手になる以外の選択肢も存在していた。それが、革命である。資本家との階級闘争において、労働者はこの権力を直接的な暴力として行使することで、生産諸関係を変革し、資本主義から社会主義への転換を目指というマルクス主義の選択肢だ。世界史における最初の成功例が、一九一七年のレーニンによるロシア革命である。とはいえ、代表制民主主義をテーマとするこの論考では、革命の問題には触れない。