リキッド・アマゾニア 太田光海

2024.2.16

 「今降りるよ! ほら、何してんだ、行くぞ!」スリティアクの怒号が走行中のバスの中に響いた。ついに俺たちが降りる番だ。何も目印がない道の途上で、乗客たちはそれぞれが降りたい場所で運転手に声をかけ、次々に出ていく。急いで70リットルのバックパックを摑んで飛び降りると、辺りは舗装されていない道路以外は全て緑色に囲まれていて、俺たちが降りた横にはバスが通るには狭そうな右折する道があった。「ここからは歩く。この真っ直ぐな道の先にセバスティアンの住む村がある」、とスリティアクは言った。俺たちは今、初めて「本物のアマゾン」に入る旅の途中だった。
 俺はキトで2週間を過ごしたあと、バスで約6時間かけてエクアドルにおけるアマゾン熱帯雨林最大の街であるプーヨに向かった。パスタサ川沿いに位置する人口約4万人のこの街は、その地を拠点にしてアマゾン熱帯雨林の様々な地域を訪ねて回るのに適していた。セバスティアンというシュアール族の男の存在をスリティアクから聞いたとき、確かに興味が湧いた。だが、ここでセバスティアンに会いさえすれば全てが上手くいくと考えるのは虫が良すぎる話だ。実際、キトではスリティアク以外にも知人からの紹介で何人かの先住民のフィクサーやガイドを紹介してもらったが、彼らはプーヨの近くに住んでいることが多かった。
 しかし、彼らに電話で連絡を取ってみると、高額なガイド料を要求してきたり、自分はアマゾンのことならなんでも知っていて全ての人間と友達だ、と言い放ちながら実際には街から近い自分の出身の村に連れて行き、手慣れた流れで観光客向けのダンスや料理を振る舞うことで代金をもらうことだけを考えている場合がほとんどだった。「君が見たいものはどうせこれだろ?」そう言われているようだった。これも、植民地主義的権力によって何百年もかけて「君たちのこの部分は面白いが、それ以外はつまらない。この部分だけ保存しておいてくれ」と言われ続けた結果だ。
 自分は人類学を学ぶ学生で、観光客とは求めていることが違う。自分が求めているのは観光客向けに毎日行っているダンスや紋切り型の「文化」の説明ではなく、観光客が興味を持たないかもしれない君たちの生活のディテールだ。言葉の組み合わせや視点の角度を変えてこのことを伝えようとしても、腑に落ちた様子の人はスリティアク以外いなかった。日本で起きた地震や原発事故の話などをする遥か手前の部分で、お互いの意図を理解し合うことが困難だった。
 このままキトに留まりながらルートを開拓しようとしても限界がある。アマゾン熱帯雨林の中にあるプーヨに拠点を移して、先住民の人たちとの出会いを増やし、より解像度の高いリアリティの中で開拓を続けよう、と思った。スリティアクの知り合いでチリ出身のビデオグラファーが住んでいるアパートに空きがあるというので、月90ドルで簡素なワンルームを借りることができた。キッチンや家電などは何一つなく、ベッドとシャワーがあるだけだったが、自分にとっては十分すぎる場所だった。
 プーヨに拠点を移した効果は、キトからプーヨに向かうバスの中ですぐに表れた。なんと、バスで隣の席に座った男が、シュアール族のシャーマンだというのだ。アルベルトと名乗るその男は、長髪を後ろで束ねていて、拡張した耳のピアスの穴に木製で筒型のアクセサリーを着けていた。シャーマンとしてセレモニーを行うために世界各国を飛び回り、スイスに2年間住んだ経験があるらしく、スイスとアメリカ合衆国に愛人がいると得意げに話していた。せっかくシャーマンと名乗る男にバスの隣の席で出会ったのだ、とにかく彼に付いて行って話を聞いてみよう、と思った。俺のフィールドワークはすでに始まっているし、人類学者に経験と思考のサイクルを止めていい瞬間などない。
 プーヨに着くと、彼は早速俺を街の様々な場所へ案内してくれた。すれ違う人たちの中に彼の友人が多くいて、声をかけている。さすがシャーマンなだけあるな、と思った。街の中心にある市場、メルカード・マリスカルに行くと、そこには色とりどりの野菜や果物に加え、アマゾンの森から採れた多種多様な薬草も売られていた。葉を束ねたものに加え、木の皮や根っこ、粉末にしたもの、液体にしたもの、あらゆる形態の薬草がそこにはあった。
 「見ろ、ここには色んな野菜や果物が売られている。アマゾンの森で採れたものには化学物質が入っていない。全て、自然のものだ。でも、あのリンゴやオレンジは山の方から来たものだ。あれには農薬が使われている。俺は農薬が嫌いだ。農薬は俺たちの身体を壊す」。市場の中を歩いて回りながら話すうちに、アルベルトはいかにアマゾンで採れたものが「自然」なものであり、それ以外が「化学物質」にまみれているか、それがいかに有害なことかを語り始めた。
 アマゾン熱帯雨林出身の先住民の人たちと関わり始めてまだ何日かしか経っておらず、知り合ったのもスリティアクとアルベルトくらいのものだったが、彼らが「自然=naturaleza」という言葉を頻繁に使うのは意外だった。アマゾン熱帯雨林の先住民を含む、「アニミズム的世界」に生きているとされる人々は、「自然」と「人工物」(あるいは「文化」)を二元論で捉えない、という議論が人類学の中で最もホットでラディカルな学説だったからだ。俺はまさに、フィリップ・デスコラを筆頭にその議論を展開している人類学者たちの著作をエクアドル渡航前に洗いざらい読み込み、そういう世界に自分はこれから飛び込んでいくと期待していた。
 しかし、実際にアマゾンにやってきてすぐに出会ったのは、むしろ徹底的なまでに「自然である」ことにこだわり、「自然でない」外の世界を警戒する先住民の人々の言葉だった。この言説としての二元論が具体的な生の次元でどのように物質化されていくのかは、まだこれから経験的に探究しなければならないにしても、この時点ですでに先行研究を通して自分の中で組み上げてきたアマゾン熱帯雨林の像とはかなり異なる現実の諸相が存在している、という強い感触を得た。現地の人たちの言葉に徹底的に耳を傾ける、という人類学的フィールドワークの原則を真に受けるならば、これほどまでに現地の人間が強調する「自然=naturaleza」へのこだわりについて知的検討が全く行われていない状況は異常だ。そこには「その部分は聞かなくていい」とされている何らかの理由があるはずだ、と直観した。
 アルベルトは、市場の一角でヤディという若い女性を俺に紹介した。彼女はそこで「チチャ」と呼ばれる口嚙み酒を提供しているという。アマゾン熱帯雨林の先住民たちが飲む口嚙み酒については、ピーター・ガウ『混ざりあった血について』(未邦訳、1991年)やフィリップ・デスコラ『飼い慣らされた自然』(未邦訳、1986年)の中での議論で知って以来、強い興味を持っていた。彼らの構造主義的解釈とは異なるが、俺は自給したキャッサバ芋を自らの唾液を通して発酵させて作るこの酒が生活のあらゆる場面において消費されることで、社会的関係が編まれる結節点となっている点に、人間と自然との物質的かつ身体的な互酬性の発生を見ていた。この博士課程の研究は、当初「チチャの研究」と呼んでも過言でないほど、この口嚙み酒に重点を置いた計画をマンチェスター大学に提出していた。しかし、実物にお目にかかるのは、これが初めてのことだった。
 ヤディは彼女自身の唾液で発酵させたというチチャを俺に勧めた。実は、キトでは知り合った非先住民系の人たちにチチャのことを話すと「飲まないほうがいい」という忠告を必ずと言っていいほど受けていた。病原菌による衛生上のリスクがあるから、という理由だった。このようなことを言うのは、何も先住民について全く無知な差別主義者ではなく、むしろエクアドルの中ではかなり彼らに対する理解があると自負している人間たちだった。
 今まで東南アジア、南アフリカ、マグレブ諸国、バルカン半島など、世界の様々な地域を単独で旅してきた経験があるといっても、俺は向こう見ずな選択をしたことはない。基本的には、「現地の人の生の声を取り入れながらリスク管理をする」という旅人の鉄則をある程度守りながら行動してきた。今回もそれに従うならば、目の前に差し出されたチチャは飲まない方が身のためということになる。
 だが、今回は事情が違った。俺はこのフィールドワーク中に、自分が覚悟を決めて飛び込んだ先に死が待っているとしても、それを受け入れる用意ができていた。もちろん、だからといって全てのリスク管理を放棄するわけではない。しかし、これほどアマゾン熱帯雨林の先住民たちにとって生活の中心にある口嚙み酒を飲まないで、彼らの懐に入っていけるわけがないのは明白だった。万が一何かが起こるとしても、せいぜい食あたりの一種で、死に至るわけがない、そう腹をくくってヤディから土器に注がれたチチャをもらうと、グッと一飲みした。
 「目の前にいる人の唾液が入っている」と予めわかっている飲み物を飲んだのは、これが初めてだった。ヤディは「どう、美味しい?」と聞かんばかりの目線で俺を見ている。俺はヤディをチラッと見返す。ほんのりツンとする発酵の匂いを伴いながら、トロっとしたテクスチャ―とともに彼女の物質、そしてエネルギーが喉を通って俺の中に入ってくる、という感覚だった。それは、ある意味でエロティックですらあった。
 幸いなことに、健康上の問題は全く発生しなかった。アルベルトは俺の横で「モカワ」と呼ばれる土器いっぱいに満たされたチチャをグビグビ飲んでいる。彼に勧められるままに、俺もさらに飲んだ。何杯か飲んでいるうちに酔いが回ってきたが、アルベルトはさらに勧めてくる。彼の信頼を得るために、俺も断るわけにはいかない。「出されたものを問答無用で全て食べ、飲む」ということが、いかに旅先で信頼を得るための最良の方法であるか、これまでの経験でわかっていた。アマゾン熱帯雨林は初めてでも、俺はこれまでの経験から得た全てをこの瞬間だけに投資している。マンチェスターのパブでも鍛えられていたので決して酒に弱いわけではないが、かなりふらつくくらい酔ってきた。しかし、なんとかアルベルトが切り上げるまで酔い潰れずに耐えることができた。
 プーヨでは、ほぼ毎日のようにアルベルトと会い、様々な場所に連れて行ってもらっていた。SMSで「明日はここに行こう」とアルベルトから連絡が来る。「わかった、明日も楽しみにしているよ」と返事をし、落ち合う。泊まっている場所がバレないようにはしていたが、彼のことは信頼していた。彼が連れて行ってくれる場所やそこで出会う人たちとの会話ももちろん有意義だが、その合間に彼と交わす会話を通して、俺は今まで全く理解の糸口がわからなかった、アマゾン熱帯雨林の先住民の思考や発想、言動について、彼という一個人の場合はという留保を付けた上で、徐々にではあるが確実に吸収していった。
 いや、むしろ、アルベルトと出会ったことで起きたのは、俺の中にある「先住民」と呼ばれる人たちのイメージが、音を立てて瓦解し、再構成され、ひとりでに動き出し、流動化していく現象だった。「自分は父からシャーマンとしての力を受け継いだ。その力を使って俺は今シャーマンとして人々を救っている」と語るアルベルトは、ジーンズにTシャツ、フェイクレザージャケットを着て、二輪車を乗り回す。チチャもビールも分け隔てなくかっ食らい、フェイスブックを使いこなし、夜はレゲトンやメレンゲに合わせて身を揺らす。
 アマゾンの森の外に出てエクアドル国内の都市を回るだけでなく、アメリカ合衆国やスイスといった西洋諸国も訪れ、外部世界を経験・観察した上で、自身が立脚するシャーマニズムと薬草の世界をなお信頼する。スリティアクとの出会いも衝撃的だったが、アルベルトとの出会いもまた、先行研究の精読から描いていたアマゾン熱帯雨林の先住民像とはかけ離れた彼らの姿を俺の目に焼き付けた。
 一般社会はおろか、人類学内部の議論にすら未だに蔓延る、「未開社会」としてのアマゾンへの視線は、一体誰が何のために保持しようとしているのだろうか? 先住民の人たちが携帯電話を使用していること、二輪車に乗って自分の村と都市部を行き来していること、ジーンズを履きレゲトンを聴いているという事実は、この上なく人類学的に重要かつ興味深いことであり、これまで蓄積されてきた人類学的議論を大きく刷新させ、それに付随する様々な文化理論の再考を現代的文脈の中で迫るはずだ。
 それは、現代のアマゾン熱帯雨林先住民たちの生が「内部」と「外部」の折衝ではもはや説明できないこと、いやそもそもそのような二分法自体がはじめから有効ではなかった可能性を否応なく我々に突きつける。また、決して逆らえない固有の論理を棲む者に突きつける、実存に先行する環境的条件としての「森」の存在と、そこで半ば受動的に森の論理に従いながら慎ましく生きる、決してその論理を超えた主体性を持ちえない先住民像を根本的に再考する必要を我々に迫る。
 貨幣経済の浸透や、徒歩やカヌー以外の移動手段の増加がもたらす時間感覚や地理感覚の収縮、アーバン・ラテン・ミュージックが流入することによる彼らと音楽との間の新たな関係、病院や街が先住民の村の近くに存在することによる彼らの知覚や嗜好や世界観の変容、それらがシャーマニズムやいわゆる「伝統知」と呼ばれる領域にもたらす影響……。アルベルトの奔放なライフスタイルを観察すればするほど、次々と疑問が湧いてくる。しかし、エドゥアルド・コーンも、フィリップ・デスコラも、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロも、これらの疑問にほとんど答えていない。彼らの著作を読んでも、目の前のアルベルトをどのように理解できるのか、示唆に富んだ視点を得られることは非常に少ない。彼らが描き、論じる先住民たちは、森の論理から決して逸脱せず、二輪車を乗り回さず、レゲトンも聴かず、ビールも飲まず、フェイスブックも使わず、スイスに行って愛人を作ったりもしないからだ。
 アルベルトと交流しながら上記のようなことを考えていた俺は、なぜかなんとも言えない不安に襲われた。「自分が存在するとぼんやり信じていたアマゾン熱帯雨林先住民の姿は、実は存在しないのではないか」という疑問が浮かんだからだ。森の奥へ進めば進むほど、原初的で手つかずの、外部世界から独立した先住民世界が開けてくるのではないか。そこにたどり着きたい、彼らの知られざる姿を観察したい、他の人が決して到達できない地点に到達し、未知の世界を知りたい。俺は自分の中に今なお巣食うヘルダー的ロマン主義に気付かされ、寄る辺のなさに打ちのめされそうになった。さて、お前はここでどうする? そう問われている気がした。
 「アマゾン熱帯雨林は、未だに手つかずの自然が先住民たちの生活を条件づけており、彼らはその圧倒的環境の中で、外部からの影響を受けることなくシャーマニズムを中心とした固有の世界観を維持し、自給自足の贈与経済を維持している」。こう主張したければ、いくらでも主張して良い、むしろするべきだとするお膳立てはいくらでもある。西洋にも、日本にも。地球の生態系破壊が今まで以上に危急の課題として認知されている現代においては、むしろ先住民の原初的な生活が未だに存在すると主張すればするほど、後期資本主義社会に生きる絶望した読者たちは色めき立つ。
 その意味で、人類学者と読者たちは、共犯関係にある。人類学者は、読者に「あなたたちが行ったことがない世界に私は行った」と告げ、「あなたたちがまだあると信じたい世界はそこにある」と救いを与える。ここで言う「読者」には、他地域を専門とする人類学者たちも含まれる。いや、むしろ「読者」とは主に彼らのことだ。アマゾン熱帯雨林は、いわば言説の利権なのだ。なぜなら、「アマゾン熱帯雨林に行ったことがある私」を権威づけし、読者の期待に沿って「本物のアマゾンらしく見える」議論を展開することによって、人類学者たちはアマゾンに行ったことがない非専門家が反証できない社会科学的知識を生産し、互いにその利権を侵害しないように監視し合っているからだ。
 例えば「シャーマニズムはアマゾン熱帯雨林で未だに盤石のものとして存在する」という立場と、「シャーマニズムは消失あるいは急激な変容の過程にある」という立場は、どちらが人類学者にとって得だろうか? 短期的には、前者だ。シャーマニズムが手つかずの状態で半永久的に存在してくれていた方が、人類学者は安定した論文投稿の機会が得られる。論文投稿の安定化は、学外との接点がますます希薄になることで自己充足化しつつ、投稿数と被引用数によって極限まで評価が数値化された現代のアカデミック・キャリアを成功に導く鍵である。そして、一度手にすれば終身雇用と年功序列によりその地位を脅かされる危険が極端に下がるテニュア・ポジションをめぐって、彼らはその言説の利権を武器に日夜戦っているのだ。
 人類学の書籍を読んでもアマゾン熱帯雨林の生身の現実やその細部についてほとんど学べることがないにも拘わらず、それらが現地の姿を捉えるための重要な参照点になっている現状は、現地の人々を巻き込んだ表象を巡るポリティクス、読者たちへの責任、ひいては陳腐化した差異の空虚な再生産による異文化への先入観の強化をもたらすという観点から、極めて危険と言わざるを得ない。アカデミック・キャリアの成功を目指すのは大いに結構だが、人類学が生産する知識が、世界の多くの読者たちを巻き込みながら差異の知覚様態の形成を下支えし、政治的、社会的、文化的レベルで強い言説的影響力を持つことで、他者を巡るイマジネーションが生まれる大きな震源の一つとなっていることは紛れもない事実であり、その知識自体が、人類学者たちの相互監視による知の利権化によって担保されているという側面は、強く指摘しておく。そして、いずれこの構造は打破されなければならない。なぜなら、この根っこは、責任を取らないまま原発や放射能の安全性を吹聴する御用学者たちのメンタリティと、声なき他者を踏み台にして利権に吸い付いているという点で、なんら変わりがないからだ。
 プーヨでのアルベルトとの交流は続いた。ある日、二輪車の後ろに乗せられ、プーヨとマカスの間にあるパローラという街に連れて行かれた。人口1万人弱の街で、いくつかの小売店があるほか、木造あるいはコンクリート製の簡素な民家が広がっている。アルベルトは直接、街の中心にある市場に向かった。二輪車を降りると、すぐさま「アルベルト!」と笑顔で声をかけてくる人々に囲まれる。そこにはアルベルトの従兄弟、兄弟、元妻など、彼の親戚や友人が10人前後集まっていた。
 まだ俺には全く聴き取れないシュアール語で、彼らはテンポよく発話者を入れ替えながら談笑する。ひとしきり会話の流れができたあと、アルベルトはみんなに俺を紹介してくれた。すると、また大きなお椀に注がれた大量のチチャを男たちで回し飲みする一幕が始まる。さらに、今回はサトウキビを原料にした蒸留酒である「トラゴ・デ・カーニャ」を合間に挟むことにもなった。
 トラゴ・デ・カーニャはアルコール度数が数十度に達するが、彼らはストレートで無限とも言える回数を呷る。「アキミ、お前ももっと飲め!」そう笑顔で勧めてくる彼らに対し、俺も負けじと呷りまくる。当たり前だが、ペースは完全に彼らに握られているし、アルベルト抜きではこの後プーヨに帰ることもできない。とにかく俺はこの場に渦巻くエネルギーの連鎖に振り回されながらも必死にしがみつくしかない。だが、10人弱ほどの力みなぎるシュアール族の男たちの中に、突如混じった一人の外国人に対して、丁重な気遣いなどあり得ない。自らのコントロールを離れた社会的磁場の中で振り回され、自律的思考が溶解していく感覚と、度数の強い酒が止めどなく身体をめぐることにより、俺は二重の意味で目が回るような感覚に陥った。
 ブレイクがてら、途中でグループを抜けてすぐ真横にある市場に入ると、アルベルトのグループとは関係がない母娘に声をかけられた。どうやら先住民ではなく、メスティーソ系だという。「私たちは『コロノス』なの」と自分について説明する。スペイン語で「植民者」という意味だ。意味的には植民地主義と深く結びつく語句だが、彼女たちはネガティヴなニュアンスを込めているようには見えない。カロリーナと名乗る12歳くらいの娘の女の子が言う。「一緒に写真を撮ってもいい? 私、韓国ドラマが大好きなんだ」。エクアドルのアマゾン地域で、韓国ドラマの熱烈なファンがいる。だからこそ、カロリーナは俺に関心を持ってくれている。カロリーナに聞く。君はチチャを飲む? 「私は飲まない、だってよだれが入ってるから!」と彼女は答えた。
 ひとしきり吞み終わると、目が据わったアルベルトは「アキミ、行くぞ。俺の子供たちとその母親に会いに行く」と言ってきた。二輪車の後部に跨り、アルベルトの身体に腕を回す。当然、重度の飲酒運転だ。また、言い忘れていたが、ヘルメットは一人分しかなかったので、アルベルトが使っていた。俺はノーヘルメットだった。正確な行き先がどこかもわからないまま、相当酔っ払っているアルベルトの運転に任せてノーヘルメットで二輪車を飛ばすのは、今考えればなかなか命知らずな行為だった。
 だが、俺は冷静に物事を天秤にかけてもいた。アルベルトに連れられて様々な場所に行き、彼の親族や友人と直にコミュニケーションを取りながら参与観察を行うことで、俺はマイケル・ポランニーの言う「暗黙知1」に強烈に触れる体験を積み重ねていた。そこから得られる「知識」とは、彼らから言葉で「教えてもらう」記号的あるいは分節化可能な知識だけではない。
 どのように挨拶しているのか、目線をどう配っているのか、どのようなテンポで、どんな内容を、どのような人間関係に基づいて話すのか。そこに伴う身振りはいかなるものか。チチャをいつどんなタイミングで飲むのか、誰がどれくらい飲むのか、拒否はできるのか、できるとしたらどうやって? そこにジェンダー的差異は存在しているか、あるとすればどのように? 女性はチチャを作るようだが、彼女たちも飲んでもいいのか? 男性のように酔っ払ってもいいのか? 子供は? そこにある個別性は? なぜアルベルトの兄弟や従兄弟に混じって、彼の元妻も一緒にその場にいるのか? そしてこのあと、アルベルトは子供とその母親に会いに行くと言っているが、この女性との関係はいかなるものなのか? そもそもこの市場のような場所はなんだろうか? 市場以外としても用途があるのだろうか? アルベルトは市場にある野菜や果物を「農薬まみれで自然じゃない」と言って嫌っていた。彼は今どのような気持ちでここにいるのだろうか? そして、彼の兄弟や友人は、どのように考えているのだろうか? そもそも、彼らは皆どのような住環境に暮らしているのだろうか? そして、カロリーナのようなメスティーソ系の住民たちの彼らへの視線はどのようなものか?
 螺旋を描いているのは俺の視界だけではない。俺の思考もまた、螺旋を描きながら脳内で発生し、熟成し、溶け合い、形なき再構成を繰り返していた。まだほんの僅かなフレーズしか理解できないシュアール語と、上達しつつあるスペイン語を頼りに、全身のアンテナを解き放ち、肌の感覚や音、匂い、視覚、一瞬よぎる予感、どんな気付きも絶対に逃さない。朦朧とする意識の中で、それだけは譲りたくなかった。アルベルトとの交流は、研究大学院という名の鉄工所で徹底的に鍛造された人類学徒である俺にとって、芳醇な香りを放つ一切れの最高級のチーズのように、ある固有の時間性、場所性、そして物質性への没入を通してしか決して成立し得ない垂涎の対象を体現していた。それにありつくためには、自分を捻じ曲げ、身を危険に晒すことも厭わなかった。そこには狂気があった。だが、この狂気がなければ、最高のチーズにはありつけない。
 一本道が地平線まで続き、辺りは一面草木で覆われていて、雲が晴れやかに良く見える。時速は100キロを超えているかもしれない。砂埃が目に入らないように半目になりながら、アルベルトが正面を向いていることを必死に確認する。「アキミ、どうだ、気持ち良いか?」砂埃ではなく、酔いによって半目になっているアルベルトがチラっと俺の方に顔を向ける。「気分は良い、だけど前を向いてくれ!」と俺は叫んだ。ここは鬱蒼とした熱帯雨林というよりは、主に草で覆われた土地のところどころにバルサというアオイ科の木が生えているサヴァンナ地帯だったが、まだ熱帯雨林地帯に一度も入ったことがなかった俺は、見渡す限り緑しか見えないその光景に圧倒された。自分が今地図上において「アマゾン」と分類される地域にいるという情報的事実だけを観念的に捉えることで生まれる知覚に吞まれていた俺は、「これがアマゾンか……」と、森林伐採によってすでに半牧草と化していたその地域一帯を、原生林ではないものの「豊かな自然に覆われた土地」として眺めていた。剝げかけた草原を遠目に見ながら歩くことを自然との至上の交流とみなすイギリス的生活の癖がついてしまっていた。時はすでに夕方に近づいていた。
 アルベルトが二輪車を停めると、半径30メートルほどの範囲でキャッサバ芋などが植えられている一帯に、木造の掘っ立て小屋があった。そこにはアルベルトの子供たちと、その母親である女性がいた。女性や子供たちとアルベルトは現在も繫がりを維持しているようだが、ここはアルベルトの定宿ではないようだ。この女性以外との間にも子供はいるらしく、元々一夫多妻制を敷いてきたシュアール族の家族の形を垣間見ているようだ。
 ここでは、家の周りで「ユカ」と呼ばれるキャッサバ芋、「カモーテ」と呼ばれるさつま芋の亜種、「パパチーナ」と呼ばれる里芋の亜種、さらにはピーナッツやドラゴンフルーツ、インゲン豆などを植えていて、自給自足生活をしていた。「チャクラ」と呼ばれるこの空間は、「家庭菜園」と呼ぶ場合に想起されるような区分けや分類に基づいた「畑」というよりは、生成の場としての大地に対する異種混淆的介入の在り方であり、ひと目見て外部空間との境界がはっきりと見分けられるものではない。チャクラについてはその後より深く知ることになるが、この時点では「これが先住民の人たちの自給自足の実践か」と、初めて見る光景に圧倒されるままだった。
 ここでもトラゴ・デ・カーニャをいただいた。幸いなことに、さっきのように集団で大量の飲み回しを行うわけではなく、少量の一杯をもらっただけだった。アルベルトは特に饒舌に話すわけでもなく、時折無言の時間も挟みながらその場にいた。だが、それが気まずさを生むわけでもなく、またただそこにいるということに、特別に高い価値があるというわけでもないことが、アルベルトやその家族の浮沈の少ない表情の動きから見て取れた。シュアールの人々が他者と場を共有しているときにふいに訪れる、この独特の時間の流れとそれに付随する内的感情の充満は、今までに訪れたどのようなコミュニティでも経験したことがないものだった。
 夜になり、アルベルトの家族の家を出ると、パローラからプーヨに戻った。すると、アルベルトは友人に電話をかけ、これから合流することになったようだ。俺の方を見てアルベルトは言った。「これからもっと楽しいことをやるぞ。わかるよな? クラブに行って女を探すんだ!」酒による酔いと、日中の活動による疲れもあり、乗り気ではなかったが、今はあらゆる場を経験し、観察することが大事だと自分に言い聞かせ、付いていくことにした。アルベルトが呼び出していた友人、ホセが合流すると、再び二輪車を走らせる。
 すると、ナイトクラブは街中にあると思い込んでいた俺の予想に反して、みるみるうちに俺たちは街から遠ざかり、真っ暗闇の中を進んでいた。そこはかとない不安を抱きつつも、アルベルトに任せて行き先にたどり着くまで待った。そして、15分くらい暗闇の中を進んだところに、灯りがついたホテルのような建物が現れた。街灯がないため、内部を照らす灯りが外に漏れることによって、薄っすらとその建物の輪郭を摑むことができた。しかし、音楽は鳴っていない。どうやらここは、音楽で身を揺らす場ではないようだ。二輪車を降りると、アルベルトは俺が喜ぶはずのことを提案していると確信しているような笑みを浮かべた。有無を言わせない、強力な進行の流れをアルベルトは一人で作り出していた。
 金を払って赤の他人の女性とセックスをすることに興味がなく、むしろ性搾取や暴力の観点から現在支配的な性産業の形態について批判的態度を持っていた俺は、アルベルトの誘いに困惑した。断りたいと思った。だが、アルベルトは単に次に遊ぶ場所を提案しているのではなかった。彼は「俺たちは真の友達だ」という、男同士の兄弟の契を交わしたいのだ。この提案を無下に断ることは、彼が俺に対して抱いてくれている友情を反故にすることを同時に意味する。彼の強い歩調や口ぶりは、俺が先に帰る可能性を微塵も考えていないことを表し、むしろ種々の身振りによって、帰らせないように積極的に外堀を埋めていた。それは、「友情」を用いた一つのジェンダー化された権力関係の誇示であり、特に男性研究者による人類学的フィールドワークの場において、常にと言っていいほど浮遊しているものだ。
 俺は妥協策として、あまり乗り気ではないという態度を見せながら彼に付いていき、あとで何か言い訳を作ってセックスを避けることにした。この時点では、アルベルトに付いていくということが何よりも重要であり、それは即ち彼が今まで俺にしてくれた様々な図らいに対して報いることを、社会的には意味していた。また、売春に対して批判的ではあるものの、この地域における売春というものがどのような形態で行われているのか、現状を少しでも知ることは、このフィールドワーク経験に異なる角度からバックグラウンドを付与するという意味において、無駄ではないと思った。
 中に入ると、照明が明るいバーのような空間が広がり、いくつかあるソファーに女性たちが座っていた。今日は繁盛していないのか、男性客はほとんどいなかった。女性は主に白人や白人に近いメスティーソ系が多く、数は少ないものの黒人系の人たちもいた。俺の前に座っていた白人の女性は、細身の体型で、瞼に青系のアイシャドウを入れていた。また、その横に座っていた女性は、身長が175センチ近くあり、褐色の肌を持ち、強いウェーブがかかった黒髪を後ろに束ねていた。アルベルトは俺の目の前にいた白人の女性に声をかけ、2人はバーカウンターの左側にある廊下沿いの個室に入っていった。「アキミ、お前も早く選べよ」と言いたげな、笑みに近い目線を俺に送りながら。
 俺は前に座っていた黒人系の女性と、ポツリポツリと会話を始めた。彼女はベネズエラ出身で、学生だという。父親が麻薬取引に関わっていたのだが、ベネズエラでギャング同士の抗争に巻き込まれ、殺害されてしまった。そのため、エクアドルに移住し、生活費と学費を稼ぐため、ここで働いていると明かす。自らの道のりを語る彼女は、諦念を滲ませるように淡々としていたが、目の焦点が最後までほんの僅か合わない感覚があった。ベネズエラは、2013年のウーゴ・チャベスの死後、大統領となったニコラス・マドゥーロ政権下で極度の危機に陥っていた。キト滞在中も、ベネズエラから多くの難民が流入していると人々が口々に語っているのを聞いていたが、ここアマゾン熱帯雨林の入り口にもその影響は及んでいた。
 結局、その女性と話しながら時間をやり過ごし、「あなたは今夜どうするの?」と聞かれても「疲れてるし、いまいち乗り気じゃなくて」と言い訳しながら、アルベルトたちが部屋から出てくるのを待った。10分も経たないうちにだろうか、それぞれ爽快な表情で部屋から出てきた彼らは、まだそこで女性と話している俺を見ると戸惑ったような表情を見せたが、彼女に伝えたのと同じような言い訳をすると、納得はできていなさそうなものの受け入れた様子だった。そして俺たちはプーヨに一緒に戻った。
 「アキミ、お前は俺にとって本当に大事な友達だ」とアルベルトは言い、次のように続けた。「どうだ? 次に会う時は、静かな森に一緒に行かないか? 今までみたいな中途半端な森じゃない。もっと奥深く、本物の原生林の森だ。そこで、アヤワスカを一緒に飲もうじゃないか。俺はシャーマンだから、アヤワスカの調合は当然お手の物だ。だけどな、俺たちにとってこの儀式はとても神聖で、誰にでも提案するものじゃない。お前のことを本当に大事に思ってるからこそ、体験してほしいんだ」。アヤワスカは、アマゾン熱帯雨林の先住民が生きている世界、そして彼らが見ている景色を理解する上で、避けては通れない重要な実践だ。このフィールドワーク中に物事の流れが合致した暁には、体験したいと思っていた。しかし、こんなに早く機会が訪れるとは。
 「ありがとう、アルベルト。俺も、君のことは本当に大事に思ってるし、感謝してる。アヤワスカはものすごく強い薬草だと聞いてるから、正直不安もある。だけど、君がそう言ってくれるなら、ぜひやってみたいと思う。まだ原生林に行ったこともないから、本物の森も見たい。案内してくれるなら、ぜひお願いしたい」と俺は答え、ガッチリと握手を交わし、その夜は別れた。
 プーヨでは、まだやらなければならないことがあった。先住民の村で調査をする際に、それぞれの部族を統括する組織から調査を承諾する署名入り公式書類を手に入れなければならない。これは、アマゾン熱帯雨林に入る前は必要かどうかわからなかったものだが、プーヨでアルベルト、そしてときにスリティアクを介して先住民の人々との交流やネットワークを広げていくに従って、アドバイスを受けたことだ。「先住民の中には疑い深い人たちもいる。彼らは許可を得ずに勝手に侵入してきた外敵だと勘違いする可能性がある。そんなとき、彼らに見せられるように組織の許可を示す公式書類を持っていた方がいい」と彼らは言っていた。
 プーヨはエクアドルのアマゾン熱帯雨林における首都のような存在だ。この街には、パスタサ州議会などの公的機関を始め、シュアール族、キチュア族、アチュアール族など、熱帯雨林に住む先住民コミュニティを統括する組織の事務所が集中していると、スリティアクは言っていた。ならば、事務所を訪ねて交渉しようと思った。しかし、インターネットで検索してみても、グーグルマップで探してみても、それらしき場所は全くヒットしない。
 中心部にある区役所で尋ねてみても、勤務している人たちは首を傾げるような反応だった。街のカフェや、行き交う人々に時折聞いてみても、誰もそのような事務所の存在を知らなかった。スリティアクはシュアール族のリーダーたちと面識があるようだったが、彼女は普段キトとプーヨの間にあるバーニョスに住んでいるため、常に行動を共にできるわけではなく、場所について訪ねたときも「街の人が知ってるから聞け」と返されただけだった。何がどこにあるのか、「ある」と言われたらそれは本当にあるのか。「事実」なるものを把握するその流儀自体に、この地特有の摑みどころのなさがあった。
 埒が明かなくなった俺は、これまで試していない方法を試してみることにした。適当に路上で止めたタクシーの運転手に、いきなり聞いてみるのだ。成果は思いの外早く表れた。2番目に止めたタクシーの運転手に、「シュアール族のリーダーたちが出入りする事務所に行きたい。どこにあるか知っていたら連れて行ってくれないか?」と聞くと、「ああ、知ってるよ。乗れ」と答えが返ってきた。あまりにあっさりと解決したので拍子抜けしたが、ようやく求めていた場所に行けるのだ。意気揚々と乗り込んだ。
 しかし、タクシーはしばらく進むと、どうやら街の外れに来ていた。不思議だ。このあたりに事務所のような場所があるとは思えない。あるのは点在する民家のようなものだけで、それもタクシーが進むにつれてみるみるうちに草木に囲まれた景色に変わっていく。「この先に本当にあるんだろうね?」と聞くと「ああ、任せてくれ」と運転手は答える。この1ヶ月足らずのフィールドワーク期間だけで、何度も自らの固定観念を覆される経験をしてきた。もしかしたら地元の人間にだけ知られている秘密基地のような場所があり、そこに民族の組織の拠点があるのだろうか? そんなことをぼんやり考えながらも、とにかく運転手がどこに連れて行くのか、見届けようと思った。直感的に、彼が俺を騙して危害を加えようとしているわけではないと感じていたからだ。
 15分くらいだろうか、草木に囲まれた一本道を進むと、遠くに屋根付きのコンクリート広場である「エスパシオ・クビエルト」が見えてきた。そこは土手のような傾斜の上に位置していて、車や人が上りやすいように少し土手を削って道を作ってあった。徐々に近づいていくと、不穏な光景がぼんやりと見えてきた。土手を上る道の入り口に、主に黒いTシャツで身を固めた10人くらいの男たちが槍を地面に突き立て、列をなして立っていたのだ。
 何が起きているのかわからない。だが、とにかく悪い予感しかしなかった。俺は運転手に「ちょっと待ってくれないか? こういうことだと思ってなかったんだ」と狼狽えながら伝えたが、彼は「どういうことだ? 君が望んだことだろ?」と、意に介さない様子で前進を止めなかった。そうこうしているうちに、車はすでに土手の手前に差し掛かっていた。車の窓越しに、槍を持った男たちが一斉に俺を睨みつけているのが見えた。この場をどう生き延びるか、自分の脳がフルスピードで回転しながら考えているのがわかった。やけに周りがスローモーションで見える。
 スリティアクとプーヨで合流し、アパートを紹介してもらったときに、2人で市場に行った日のことをふいに思い出していた。俺はゴアテックス製でミドルカットのマウンテンブーツを常に履いていたが、「その靴は役に立たない。これから森に入ったらそんな丈の短い靴は泥にハマるだけ。それ以外のときはサンダルの方が楽だ。一緒に靴を買いに行こう」と彼女は言った。市場で靴を見ていると、店主の女性が俺の方をチラチラ見ながらスリティアクに何かを尋ねている。スリティアクは笑みを作りつつも少し呆れた様子で何か答えていた。あとで何を聞かれたのか、スリティアクに尋ねてみると「『この人は中国人?』って聞かれたから、『違う、この人は日本人で、中国とは全く関係ない』って答えたんだ」と、彼女は答えた。そして、「アキミ、一つ言わないといけないことがある」と続けた。
 「今、シュアールの領地に埋まっている鉱物資源を狙って、中国人が入ってきて活動してる。先月には、彼らは政府の機動隊と一緒になって、シュアールの村を襲って住民を追い出したんだ。だから人によっては、アキミが中国人で、自分たちの敵なんじゃないかって疑ってるんだよ。私は、見た目が中国人みたいだとしてもアキミが中国と関係ないことをわかってる。だけど他の人たちはそうはいかない」
 エクアドル、とりわけプーヨでは、東アジア世界の構成について理解している人はほとんど皆無に近かった。日本という国名を知っている人自体が多くなく、中国とそれ以外の地域が互いに独立した関係にあるのか、それとも中国の一部なのか、また、言語や文化がどの程度異なるのか、想像自体が難しい。彼らにとって、東アジアは全て中国に含まれるのであり、中国以外に国家が存在することも、考えられないようだった。プーヨやその周辺地域の住民の世界認識に興味があった俺は、事あるごとに「どこまでを中国と捉えているのか」様々な質問を通して探っていた。
 多くの人は、この世界に「アメリカ合衆国」、「ヨーロッパ」、「アフリカ」、そして「アラブ」と「インド」が存在すると理解していた。その上で、インドより東、すなわちミャンマーやタイ、ベトナム、インドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国、日本などを含む「アジア」は、全て「中国」と認識していることが多いようだった。日本や韓国出身の人々が中国人と間違えられるのは、世界中で頻繁に起こることであり、想定内だった。だが、インドネシアやタイ、フィリピンなど、一般的に「東アジア」と呼ばれる範囲を越えた地域を全て含んで「中国」と認識されている現実を正面から突きつけられたのは、俺にとっておそらくこの地が初めてのことだった。
 事態を少しややこしくしているのは、アジア系の見た目を持つ人間を総称して「チーノ」という、直訳すると「中国人」という意味を持つ単語で呼ぶ、スペイン語圏特有の言い回しだった。「ネグロ」(黒人)、「モレーノ」(褐色)、「ブランコ」(白人)、あるいは「フラコ」(痩せている)、「ゴルド」(太っている)など、人種や見た目の特徴で誰かを名指すことへの忌避感が、例えば英語圏に比べて極端に低いスペイン語圏では、「一重瞼に見える人」や「肌の色が黄色人種的な人」あるいは「顔の彫りが浅い人」などを、それとない印象を基にまとめて「チーノ」(中国人)と呼ぶ。それは、身体的特徴を捉えた呼称の中で、唯一人種と国家名が一体となったものだ。それにより、見た目の特徴について語っていることが、いつの間にか国籍や言語、文化の問題にすり替わってしまうリスクが、「チーノ」という呼称には常に孕まれている。
 だが、今この瞬間、俺にとっての差し迫る危機は、車の窓の向こうで槍を突き立てて列をなしている男たちが、俺のことを自分たちの土地を脅かす中国人の鉱物資源採掘者と間違えることだ。
 中国によるシュアール族の領地の侵害については、エクアドル入国前に読んだ文献やオンライン上の情報では全く把握することができなかったため、スリティアクが俺にそのことを話したときに初めて知った。もしそんな重大なことが起きているとすれば、なぜ国内外メディアが全く報じないのか疑問だったが、同時に南米、特にアマゾン熱帯雨林で起きていることについて、遠隔的に情報を収集することの極度の困難を改めて示す事例だった。後日、ピンポイントで情報検索をしてみると、「エクアドル先住民族連合」(CONAIE)が中国系鉱物資源採掘業者によるシュアール族の権利侵害を非難する声明を発表していた2
 それによれば、俺がエクアドルに入国する直前の2016年8月11日に、シュアール族の集落であるナンキンツ村の住民たちが、中国系鉱物資源採掘業者「エクスプロル・コブレスS.A.」による採掘場開発のため、エクアドル機動隊により暴力的に居住地から追放された上、住居を破壊されたという。
 エクアドルの大手新聞である「エル・ウニベルソ」や「エル・コメルシオ」などを参照しても、そのニュースは全く見つけられなかった。さらに、後日キトに戻り、大学図書館で文献検索をすると、スペイン語で書かれた100ページに満たない小さな関連書籍を一冊だけ見つけることができたが、当時はほとんど本件に関する情報が表に出ていなかった。
 今、世界中の人間が「地球上にもはやオンラインで知り得ない情報はない」と語っているが、断言する。そんなことはありえない、と。そう思わされていることが人々の足を止め、スクリーンの前だけで人生を過ごすことをよしとし、唾棄すべき傲慢な怠惰を生んでいる。その間にも、辺境や社会の裏側に住む世界中のあらゆる人たちは、声を届けられないまま虐げられ、追い詰められている。
 もう一度正気に戻ろう。今俺が考えなければならないのは、目の前で男たちが槍を突き立てているこの状況を、どのように切り抜けるかだ。
 タクシーがゆっくりと土手に乗り上げていく間に、槍を持った男たちの後ろにある「エスパシオ・クビエルト」の方に目をやった。広場の中心にホワイトボードが置かれ、赤や黄色の鳥の羽でできた冠を被ったスラックスにシャツの男たちや、木の実やビーズを使用した装飾品を身に着けた女性たちが半円を描いて椅子に座り、話し合っている。俺が乗っている車の存在に気づくと、彼らは一斉にこちらに視線を向けた。警戒心に満ちた、厳しい視線だ。
 アマゾン熱帯雨林の先住民コミュニティで羽冠を身につけられる男性は、その民族の中でも特に強いリーダーシップと自信を持ち、周囲から信頼を集めている者だけだと、それまでの短いフィールドワーク期間でも理解していた。羽冠を被っている男の人数からしても、プーヨ近郊というアマゾン熱帯雨林の諸民族が交差する地域性を考えても、おそらく一つの民族の会合ではないだろう。つまり、この場には複数の民族のリーダークラスの人間たちが集結し、何かを議論している。そして、その議論の内容は反体制的なため、不測の事態に備えて有志の若者たちが槍で防波堤を築いている。そう推測した。
 車はついに土手に乗り上げ、槍を持った男たちに囲まれてしまった。このまま中に留まっていても仕方がないので、扉を開けてゆっくりと外に出た。途端に複数の男たちが槍を俺の方に向ける。すぐに襲ってくる様子ではないが、鋭く俺を睨みつけている。すると、40代くらいの女性が俺に近づき、鬼気迫る表情で問い詰めてきた。「あんたは中国人なの?」しかしその顔をよく見ると、どこかで見覚えがある顔だった。この場をなんとか凌ぐためにフルスピードで動く脳に頼って必死に記憶をたどると、思い出した。キチュア族で、サラヤク村の女性リーダーの一人である、エナ・サンティだ。
 サラヤク村は、2012年にコスタリカに本部がある米州人権裁判所の判決によって、歴史的勝利を手にした。彼らは、2000年代前半からエクアドル政府の不正なお墨付きを得て住民への事前交渉なく村の敷地内で石油採掘開発を始めたアルゼンチン企業CGCの開発を止めさせるため、エクアドル政府を相手取り裁判を行っていたのだ。その一部始終は、サラヤク村出身のエリベルト・グアリンガが主な撮影者および監督として映像に収め、アムネスティ・インターナショナルの支援を受けて『ジャガーの子供たち』というドキュメンタリー映画として発表し、国際的注目を浴びた3。その注目度の高さにより、2015年にパリで行われた国連気候変動枠組条約締結国会議(COP21)で、サラヤク村からの参加者たちはセーヌ川をカヌーで下るパフォーマンスを行い、イギリスのガーディアン紙4を始め各国メディアに取り上げられてもいた。
 エナはその映画に主要人物として登場し、コスタリカでの裁判にも原告団の一員として参加していた。10人の子供を育てながら村内にある小学校の教師として活動し、裁判では証人として胸を打つ発言をしていた彼女から、俺は強烈な印象を受けていた。また、裁判の数ヶ月前に夫を亡くしてしまったことにも、作品内では触れられていた。
 おそらく、中国系企業によって引き起こされた先住民に対する新たな侵略行為を受けて、エナは他のリーダーたちとともにサラヤク村からこの会合に参加していたのだ。そして今、俺はまさに彼女たちによって敵と見做されようとしている。
 「ここはお前が来るところじゃない。今すぐここを立ち去るか、それともここで死ぬかだ」と正面で槍を向けている男が言う。俺は掌を見せて両手を肩の上に上げ、敵意がないことを示しながら、エナに向かって声を掛けた。「あなたはエナ・サンティですよね? 映画の中であなたを観ました。サラヤク村を石油企業から守るためにあなたは戦っていた。本当に圧倒されました。僕は中国人じゃありません。日本という国から来ました。中国人みたいに見えるけど、本当に違うんです。僕は人類学者です。もし中国人が森を壊して資源を奪おうとするなら、僕はそれに反対している。僕も森やあなたたちの権利を守りたいと思っている」エナは不意を突かれた様子で「映画を観たの?」と呟くように答えた。
 すると、集まった人垣の裏から「アミーゴ!」と叫ぶ声が聞こえた。見ると、スリティアクに以前紹介されて会ったことがある、ルイスというシュアール族の若者だった。「みんな、安心してくれ! この人は俺の友達で、信頼できる人間だ!」ルイスの家族は、エクアドル先住民族連合(CONAIE)のアマゾン地域における分派であるエクアドル・アマゾン先住民族連合(CONFENIAE)のメンバーとして活動している。この会合はCONFENIAEが主催で、彼らもこの会合に参加していたのだ。
 敵だという疑いが少し緩和され、一気に肩の力が抜けるような感覚があった。まだここにいる全員の信頼を勝ち取るには程遠い。だが、少なくともいきなり槍で突き殺される心配はなくなったはずだ。まさかエナ・サンティにこの場で会えるとは思ってもみなかった俺は、なんとかこの会合に潜り込み、エナはもちろん、他のリーダーたちにも自分を認識してもらうことはできないか、模索したいと思った。
 だが、物事はそう甘くなさそうだ。確かに以前会ったことがあるルイスや、映画を観て感銘を受けたことを伝えたエナなどはいた。しかし、そこに集まった参加者たちの大多数は、俺に強い不信感を抱いていた。考えてみれば当たり前だ。俺が噓をついていない保証などどこにもない。それに、先住民たちに取り入るために企業のスパイとして活動する人類学者も存在する。武装してまで開く会合に、俺のような部外者が紛れ込むのは大きなリスクだ。
 集まった人垣は一度引き、会合が続行されるようだ。もうすでに誰かが熱弁を振るいだしている。俺がフランクに誰かと話せる雰囲気では全くない。結局追い返される可能性も想定しつつ、上手く気配を殺しながらなんとなくその場に留まってみる。ゆっくりと椅子とホワイトボードが置かれた広場の中心の方に移動し、コンクリートの縁ギリギリの部分に座る。それとなく、周りにいる人たちに「ここにいてもいいかな?」と小声で聞いてみると、怪訝そうな表情を浮かべる人たちに混じって「いてもいいさ。なあ、この人がいてもいいだろ?」と周りに言ってくれる人もいた。歓迎は全くされていないが、この場にいても追い返されるわけではない、絶妙な位置取りができるかもしれない。
 会合では、参加者が次々に入れ替わりながら皆の前で演説をしている。それを横目に、近くにいた若者に今までにどんな話し合いをしていたのか聞いてみる。どうやら、やはり中国系企業の資源採掘のために機動隊がシュアール族の村を襲撃した事件を受けて、対策を練っていたようだ。しかし、それ以外の議題も取り上げ、自分たちの住む環境をどのように侵略や破壊から守っていくか、共通認識を確認するための話し合いをしていたらしい。
 「ラファエル・コレア大統領は我々を迫害している! 我々は彼の圧政に屈せず、自分たちの環境を守るため、戦わなければならない!」演説者の一人はそう訴えていた。当時政権を握っていたラファエル・コレアは、国際的にはベネズエラのウーゴ・チャベスやボリビアのエボ・モラレスと並び、南米の反ネオリベラリズム的転回の一翼を担う存在だと考えられていた。実際、社会保障費の増額などを通し、国内の経済格差を是正しようとする政策や、第一次政権時の2008年に行われた憲法改正により、エクアドルを世界で初めて「自然が持つ権利」について憲法に明記した国にするなど、目覚ましい成果をあげているように対外的には見えていた。だが、この会合では、全会一致とも言えるレベルで、反コレアの姿勢が浸透していたのだ。
 確かに、「地上における世界最大の生物多様性」を誇ると言われる、エクアドル最東部に位置するヤスニ国立公園で、森林を保護する努力を一旦は試みた5ものの石油採掘を認めたのはラファエル・コレア政権下においてだった。また、2009年から2016年にかけて、中国から数十億ドルに及ぶ融資を受けてもいた。今回のシュアール族の村の襲撃は、当時中国とエクアドルの間で交わされた、半ば密約に近い取り決めによって起きたことだと、会合の参加者たちは考えていた。つまり、中国はエクアドルに多額の融資をする見返りとして、同国に眠る莫大な天然資源を狙っていた。その一部に、アマゾン熱帯雨林の鉱物や石油があったのだ。
 広義の社会主義的政権をめぐる盲点の一つがここにあった。キトで話した人たちの多くは、「コレア政権になって国は良くなった」と語っていた。コレアのおかげで道路の舗装の質は上がり、インフラも以前より整った。社会保障も充実した、と。しかし、国家的規模でインフラ設備を整える際に、必要となるのは資源である。あらゆる原材料や、それらを運ぶ輸送のためのガソリン。それはどこからやってくるのか? 山々や、森や、河川からだ。人々はあまりにも頻繁に、費用について話す。「原材料費」や「輸送費」などというように。だが、最初に捉えるべき問題は、そもそもの原材料や輸送手段をどこからどう調達し、どのように実現させるのか、実現に際して犠牲になるものは何か、その一連の過程の物質的次元である。
 ラファエル・コレアは、都市部に住む質素な住民たちのために、確かに様々な整備を行ったのだろう。しかし、アマゾン熱帯雨林に住む先住民たちはその裏で犠牲となり、彼らの声は都市部にあるメディアでは取り上げられないまま黙殺された。国際的に称賛を浴びた2008年の「自然が持つ権利」を盛り込む憲法改正は、このような状況を鑑みるに、むしろ先住民たちの反発を搔き消すための隠れ蓑として機能しているとすら言える。
 目の前で繰り広げられる苛烈な弁舌にひたすら衝撃を受けながら座り込んでいると、長髪を下ろした40代〜50代前半くらいの比較的細身の男が近づいてきた。何人か前に演説をしていたが、おそらく長年先住民コミュニティのために戦ってきたことで尊敬されているのだろう。参加者たちはひときわ大きな拍手を浴びせながら、息を潜めて彼の言葉に耳を傾けていた。彼の口ぶりは他の論者たちと比べても理知的で筋道立ち、威厳を漂わせていた。エクアドルの政治状況も、先住民たちが世界中で迫害されてきた歴史も、資本主義に支配される現代の状況も、その中でアマゾン熱帯雨林を守るべき理由も把握し、言語化していた。彼の言葉を、「近代人」とされる人々が翻訳する必要は微塵も感じられなかった。
 「お前は何をしてるんだ?」とその男は俺に尋ねた。「僕は人類学の学生です。あなたたち先住民がどのように森と共に生きているのか、理解したくてイギリスからやってきました。ここにはタクシーに乗ったら偶然たどり着いてしまったのです」と俺は答えた。すると、男は言った。「人類学は戯言だ。人類学は俺たちの真実を何一つ拾い上げないし、全て噓に過ぎない。それは俺たちの助けには全くならない」。そう吐き捨てると、男は俺にそれ以上目もくれずに去っていった。
 一瞬の出来事の間に、稲妻に打たれたような感覚だった。去っていく彼の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、何かが根本的に間違っていると思わざるを得なかった。彼のような存在に全否定されてしまう人類学とは、今まで一体何をしてきたのだろうか。人類学を、他者に対して開き、他者と共に現実を創り上げるクリエイティヴな実践として再構築することはできないのだろうか。
 結局、その日は参加者たちの信頼を得るには至らず、ほとんど周りの人と話すことができなかったので、夕方に切り上げて街に戻ることにした。だが、どうやら次の日にも会合があるらしい。ダメ元で聞いてみると、翌朝またここに来てもいいとリーダーたちから了承をもらうことができた。一度に長時間一緒に過ごすよりも、何日かにわけて継続的に時間を過ごす方が、信頼を得やすいものだ。エクアドルのアマゾン全域から来ている参加者たちは、会場の横にある木造の建物で寝泊まりするらしい。「また明日!」と声を掛け、ヒッチハイクで帰途に着いた。
 しかし、翌朝戻ると、目の前には信じられない光景が広がっていた。100人以上はいるであろう、小銃や盾で武装した機動隊によって、会合は完全に制圧されていたのだ。土手の前には、何台ものトラック型警備車が停まっていた。
 あまりの衝撃にしばらく立ち尽くすしかなかったが、少しずつ冷静さを取り戻すと、状況が見えてきた。まず、参加者たちに対する怪我人を生むような暴行や会合に対する破壊行為はほとんど行われておらず、拘束された人間もいないようだ。また、参加者の人たちは脇に追いやられ、会場の周りは機動隊に囲まれているものの、あからさまな行動の制限はかけられていないようだった。俺自身、意を決して機動隊の前を通ってみたが、特に尋問や拘束をしようという意思を感じなかった。
 付近を歩いてみると、昨日会った参加者たちが呆然とした表情で座り込んでいるのを見つけた。その中にいた、昨日皆の前で俺をかばってくれたルイスの姉であるロサと話して、何が起きているのか聞いた。「今朝6時頃、彼らは急に建物に侵入してきて、私たちを制圧したの。女性たちは半裸で寝ていて、小さな子どもたちもいた。機動隊は服を着る間も与えず私たちを強引に外に追い出した。あまりに突然のことで抵抗も何もできなかった。彼らは私たちに反対する勢力を強制的にリーダーにするために、彼らと一緒に来たんだ」と言う。
 昨日の参加者たちが締め出されている会場の中を覗くと、確かに昨日はいなかったグループの人間たちがいた。耳が痛くなるほどボリュームを上げたマイクを使って演説している。彼らの演説を聴いても、選択すべき政策などを具体的に主張するわけではなく、内容は主にアマゾン地域の異なる諸民族の団結の必要性を説くもの、そして分断を生もうとする勢力に対する非難ばかりだ。だが、ロサを始めとする締め出された昨日の参加者たちや、後にスリティアクに事情を聞いた際に返ってきた答えを総合すると、どうやらこのとき機動隊に守られてやってきた、今演説をしているグループは、アマゾン地域の資源採掘に賛成する勢力らしい。
 何人かマイクを握ったうちの一人が、シュアール族のフェリペ・ツェンクシュという人物だった。元々CONFENIAEのトップにいた彼は、資源採掘を強硬に推し進める政府を支持しているとして内部から追放され、資源採掘に反対するアチュアール族のマルロン・バルガスに取って代わられた。バルガスは昨日も会合に参加しており、「生きる糧の全てが生み出される自分たちの領地を守ることが、全ての戦いの本質である」と強調する演説をしていた。ツェンクシュは、自分を追放したCONFENIAEの決定の無効性を主張し、今もトップの座にいるのは自分であると示すため、政府からの支持の証である機動隊の護衛を引き連れてやってきた。ロサやバルガス、そして他の何人かの主張では、ラファエル・コレア率いる政府はツェンクシュに賄賂を渡し、傀儡として操ることによって、アマゾン先住民の間にわざと対立と混乱を生もうとしている。
 会合の元々の参加者たちの主張は、非常にシンプルかつ筋が通ったものだ。「私たちは森から食べ物を得て、川から飲み水を得る。石油採掘や鉱物採掘は、私たちの生きる糧を得るための環境を破壊してしまう。ツェンクシュは政府に操られ、自分自身のコミュニティが将来ダメージを受けることになる政策を支持した。彼は裏切り者で、私たちはそれを許すことはできない」。
 彼らにとって、善悪の基準が限りなく明快であることに驚いた。その明快さは、日々彼らが口にするものや触れるものが、限りなく大地に近いことに起因すると考えた。大地が汚染されれば、それはすなわち自分たちと、自分たちの子孫の死を意味する。物事の決定は、それに照らし合わせ、筋が通っているか否かで判断され、それ以外に横から挟み込まれる議題は非常に少ない。あれこれと勿体をつけて判断基準を相対化し、有耶無耶にし、「よくわからないけど、なぜかそうなった」決定をもとに、いつの間にか物事が動いていることはありえない。何かが起きるとき、それは明日にでも自分たちの身体に影響を及ぼすからだ。
 例えば、自らの生活基盤を成している大地が、数えられないほど先の未来の世代まで住めなくなる危険を冒してまで、原発を建てようとする人間たちがいる。あの手この手で彼らが吐く言い訳や詭弁によって、多くの人間は一番重要な本質を見失い、惑わされ、自分が何のためにどんな決定に加担しているのか理解しないまま、物事が進むことを許してしまう。原発に限った話ではない。生活を取り巻くあらゆる要素が産業化され、製造過程や流通経路が複雑化し、その裏で費やされる資源や資金、労働力、犠牲にされる動植物、そしてそれに関わる人々の感情や思考などが不可視化されることで、それらが回り回って少しずつ自らを追い詰めていることに、もはや気付くことができない。
 翌朝、もう一度現場に戻ると、機動隊も政府側に翻ったグループもすでにいなくなった「エスパシオ・クビエルト」に、CONFENIAEの現リーダー、マルロン・バルガスを始め、森での資源採掘に反対するメンバーたちが再び集まっていた。国内テレビ局RTSなど、集まった少数のメディアに対して記者会見をその場で開いた彼らは、昨日起こった機動隊という国家権力による先住民の集会の権利に対する弾圧に強く抗議すること、資源採掘を推進する政府権力に抵抗すること、自分たちの住む領域と森の環境を守ることを明確に宣言した。
 それに加え、本件について米州人権裁判所に訴える準備をすること、フェリペ・ツェンクシュが政府によって買収された明確な証拠を握っていること、ひいては真の敵は彼ではなくその裏にいる政府であり、「コレアイスモ」こそが葬るべき対象であるとも語った。「この場に留まっていつまで抵抗を続けるのか?」という記者からの質問に対して、「生涯ずっとだ。私たちは命と、命が育まれる領地を守るのだ」と、真っ直ぐに答えるマルロン・バルガスの姿からは、一向に要領を得ない様子の取材班と彼らの間に横たわる、踏み越えられない切実さの違いを感じざるを得なかった。
 俺はプーヨの宿に戻ると、グッタリと横たわり、視線を宙に泳がせた。たった数日の間に起きた出来事によってあまりに多くの衝撃を受け、体中を駆け巡る電流のような知覚の波を解釈する糸口を摑むことにすら苦心していた。だが、心身の疲労を感じながらも何とか自分が経験したことを必死にノートに書きつけた。以降、この機動隊による襲撃についての報道を注視していたが、結局詳細を報じるメディアは皆無に等しく、今現在に至るまで、この件に関する情報を見つけることは困難を極める。現場にいた外国人はおそらく俺だけで、演説の様子や現場にいた人々の声を映像に収めているのも、俺だけだ。
 CONFENIAEによる政治活動やそれに関わる先住民の人々を追いかけることは、現代エクアドルのアマゾン熱帯雨林におけるポリティクスの複雑な折衝や変容の過程とその最前線を記録する上で、確かに重要なことに違いない。しかし、メディアや書籍による情報収集が不可能に近く、極限まで自分の足で手に入れる第一次資料に頼らなければならないため、このテーマの周辺を知的に掘り下げるためにはそれ自体のための相当な労力をかける必要がある。俺はやはり、組織レベルでの政治闘争よりは、むしろ森の中で営まれる日常生活の次元を仔細に捉えることで、より感覚的かつ身体化された彼らと森との間の繫がりを探究することに立ち返ろうと思った。とにかく、スリティアクと一度、彼女が慕うセバスティアンという人物が住む村を訪ねてみるべきだ。
 セバスティアンの村に向かうため、スリティアクと日取りを決め、合流した。2週間くらい会っていなかったため、お互いの近況をなんとなく話す。その流れの中で、プーヨに拠点を移して以来、アルベルトというシュアール族のシャーマンの友達ができ、あちこちに連れて行ってもらいながら仲良くしているという話をした。すると、スリティアクは一瞬何かが頭をよぎったような間のあと、確認するように聞いてきた。「アルベルト? その人、もしかしてアルベルト・シャカイって名前じゃないよね?」そうだよ、と俺は事もなげに答える。破天荒なところはあるが、行く先々で多くの人たちに慕われている姿を見ていた。良い友人であり、フィールドワークのためにも最高のパートナーだと思っていた。
 だが、スリティアクに目をやると、明らかに血の気が引いた顔をしていた。そして、声を震わせながら彼女は言う。「今すぐそいつから離れろ。電話番号をブロックして、フェイスブックの友達リストからも消せ。二度とそいつと会うな。絶対に会うな」。いきなり大げさな反応を見せた彼女に対して、少し面食らってしまった。「なんで急にそんなことを? 何がそんなに問題なの?」と聞くと、声を潜めながら小声で彼女は言った。「そいつは、外国人を首狩りするビジネスに手を染めている」。
 鳥肌が立ち、全身が波打つようにザワザワした。アルベルトとは、次に会う時に「静かな森」に連れて行ってもらい、アヤワスカの儀礼を一緒にやる約束をしていた。もしスリティアクの言ったことが事実だとしたら、そのとき、俺は首を狩られるだろう。今までの交流は、全て俺を手懐け、信頼させ、2人きりで人目につかない場所に連れて行くための下準備だったことになる。
 だが、そもそも「外国人を首狩りするビジネス」とは何なのか、その動機や仕組みが全くわからなかった。元々首狩り族だったシュアール族は、部族間抗争などで敵の村を殲滅させるとき、その首を狩り、中身をくり抜いて乾燥させ、「ツァンツァ」と呼ばれる勲章として加工する風習を持っていた。だが、スリティアクによれば、その技術は今も一部のシュアール族によって継承されており、「ツァンツァ」の実物を歴史的資料として展示したい世界中の民族博物館に対して、アマゾンに紛れ込んだ観光客を狙って首狩りし、加工したものを「昔作られたツァンツァ」として高額で売りつけるビジネスがはびこっているというのだ。
 そんな情報はオンラインで探しても見つかるわけがなく、それ以前にも以後にも、読んだ文献に記述されていたこともない。正直、その話を聞いたときは荒唐無稽だと思った。しかし、試しにアルベルトや彼の周辺人物のフェイスブックページを見てみると、以前連れて行かれたパローラで一緒にチチャやトラゴ・デ・カーニャを飲み交わした彼の従兄弟のうちの一人のページに、トランクケース一杯の札束の写真がポストされているのを見つけた。何らかの常軌を逸したビジネスに手を染めていない限り、この地域の先住民のいち個人が受け取れる額でないことは明らかだった。
 なすべきことは明確だった。スリティアクが語ったことが事実かどうか、確実ではない。だが、この目で確かめる瞬間が仮にこの先来るならば、まさにそのとき俺の命は最大の危険にさらされることになる。俺は動悸を感じながら、アルベルトのメッセージや連絡先を消去し、フェイスブックの友達リストから外し、ブロックした。
 すると、その数時間後に、別の番号を通してアルベルトと思われる人物からSMSが届いた。「アキミ、連絡が取れないようだけど、どうかしたか? いつ森に一緒に行ける?」と書かれていた。俺はその番号もブロックした。プーヨで拠点にしている住居をアルベルトに教えていなかったことを、心底救いだと思った。動物的勘としか呼びようがない俺の感覚が、最後の一線を越える手前でアルベルトに対する警戒心を解き切っていなかったことで、命拾いをするかもしれない。今はとにかく、一度スリティアクとプーヨを離れ、セバスティアンの村に向かうのが先決だ。
 セバスティアンの村に向かうには、プーヨから南下し、モロナ=サンティアゴ州の都であるマカスへと続く道のちょうど真ん中あたりで一度バスを乗り換え、西に曲がって進む。南下する道は真っ直ぐ伸びる舗装された道路だが、乗り換えた次のバスの車体は古く小型になり、道も舗装されていないものに変化していく。ガタガタと音を立てながら進むバスの窓際には、いつのまにか今まで見たこともないほど巨大な葉っぱがスレスレで生い茂る景色が広がっていて、ときにその葉っぱや枝が窓を擦る音が響く。そんなとき、車内は薄暗くなる。
 プーヨでは、「先住民」と括られる人々といっても多様な個々人に出会ったが、彼らが口々に自分の出身の村について語るとき、「マス・アデントロ!」(もっと内側)と表現するのが印象的だった。「自分はこんなもんじゃない、もっと奥地の森の出身なんだ」というニュアンスを込めたその言い回しを耳にするたびに、「一体、さらに奥地に進んだときにどんな景色が見えるのか」と想像をめぐらせていた。今、俺はスリティアクの案内で奥へ奥へと進んでいる。バスに揺られながら変わりゆく景色を眺め、窓際にひしめく木々の圧力を感じるうちに、みるみるその実感が湧いてくる。

 

1. マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』高橋勇夫訳、ちくま学芸文庫、2003年を参照。

2. 下記リンクを参照。https://www.biodiversidadla.org/Noticias/Estado_Ecuatoriano_a_favor_de_transnacionales_arremete_contra_comunidad_shuar_Nankints_para_desalojar_de_su_territorio

3. 映画『ジャガーの子供たち』は、英語字幕付きでYouTube上に公開されている。下記リンクから視聴可能。https://www.youtube.com/watch?v=Ma1QSmtuiLQ&t=1400s

4. 下記リンクからガーディアン紙の記事を参照。https://www.theguardian.com/environment/video/2015/dec/10/the-amazonian-tribespeople-who-sailed-down-the-seine-video

5. 2007年に発表された「ヤスニITTイニシアティブ」と呼ばれるプロジェクトを通して、コレアはヤスニ国立公園の該当地域に眠る推定8億5千万バレルの石油開発を永久に断念する見返りに、予想される総利益の半分相当にあたる36億ドルの支援金を国際社会から募った。しかし、支援金不足により、コレアは2013年にこのプロジェクトの継続を断念し、石油開発開始を決定した。