読めないサインはなんのため?
有名人が色紙やポスターに書く小洒落たサインに憧れて、自分の名前をいかにカッコよく書くかをひそかに試行錯誤した経験、みなさんはありませんか。もちろん、わたしはあります。ノートの隅っこに書いては消し、折り込みチラシの裏でひとり猛練習をはじめたのは十、十一歳のころ。英語の筆記体を知ったのがきっかけです。
当時、知っていたアルファベットは活字体だけでした。活字体とは、印刷された字のように一文字ずつ区切って書く書体。それに対して筆記体は、線が途切れないよう文字を右に倒しながら続けて書いていくものです。
小学校では、ALT(外国語指導助手)の先生と英語でコミュニケーションをとる授業はありましたが、書くより話すことに主軸が置かれていました。中学に上がれば筆記体を習うんだろうな、漠然とそう思っていましたが、平成八年生まれのわたしの世代は習わずじまい。二〇〇二年(平成十四年)の学習指導要領改訂を受け、必修ではなくなったようです。
それでも、生活のなかで筆記体を目にする機会はよくありました。たとえば、ペコちゃんキャンディーでおなじみ不二家ミルキー(Milky)のロゴ。年賀状でよく見るHAPPY NEW YEARの流れるような文字。Tシャツに印刷されたたくさんの英字。当時お気に入りだったデイジーラヴァーズやエンジェルブルーの服には筆記体のデザインが多く、なんと書いてあるのかわからないのに、つい何度も目で追っていました。
そんなこんなで、すっかり筆記体の虜になっていたわたし。いよいよローマ字の直筆サインを習得するための一歩を踏み出します。
まずは母に筆記体を教わるところから。サインの見本として「Yuki」と筆記体で書いてもらい、それをひたすら真似て、真似て。あとで聞いたら、母はわたしが学校で筆記体を習っていないことに衝撃を受けたそうです。わたしのころは筆記体のテストまであったのに! と。
練習するうちに筆記体が書けることが誇らしくなり、そんな自分にうっとり。だんだんTシャツにデザインされた英単語を読めるようになったのも、うれしい変化でした。
一方で、いつまでたっても解読できなかったのがいわゆる有名人のサイン。勢いのある曲線と大胆な直線の組み合わせが、新体操で使われるリボンの軌跡にしか見えないし、漢字のサインにしても、かたちが崩れて元の字を類推することができません。
わたしが一生懸命に練習している筆記体のサインとは、決定的になにかがちがいました。正しい文字のかたちと照らし合わせようとしても、それに当てはまるものがない。当時は、自分の名前を売るのが仕事である有名人が、なぜ判読できない字でサインを書くのか理解できませんでした。
あれからおよそ十五年。とくにここ一年ほどは、仕事でサインをする機会が増えました。なにかを契約するときの署名ではなく、かつて憧れていた色紙などに書くあのサインです。とはいえ、いまでは日本語本来の文字が持つ無限の可能性にすっかり魅入られ、筆記体は使用していないのですが(あんなに練習してたのに)。
では、漢字のサインはどうやって考えたか。
ぱっと頭に浮かんだのは、森見登美彦氏のサインでした。著書の特典だったサイン入りメッセージカードがちょうど手元にあったので見てみると、ああ、やっぱり好きな字だ。
森見氏のサインはすべて漢字で、各文字の一部の線を左側にスーッと引っ張っているのが特徴です。それに対して右側はコンパクトで、その左右バランスにぞくぞくします。縦書きのサインも見たことがありますが、横書きよりさらに美しくて、左側にスーッと伸びた線の並びが京都・糺(ただす)の森を抜けていく風のようです。
森見氏のサインを参考に、意図的なアンバランスさを取り入れた試作を重ねました。最終的に採用したのは、本連載のトップ画像(タイトルと著者名)の字をやわらかく崩した書体。判読できないほど崩す考えは端からありませんでした。十五年前の “読めないサイン” に対するわずかな拒否反応が、いまだに胸の内に残っていたのかもしれません。
日本には、漢字で書かれたサインのなかでも極めつけの「花押(かおう)」というものがあります。公式な書状などの最後に、筆者がみずからの署名・捺印の代わりに書く図案化された文字です。日本では平安時代中期(十世紀ごろ)から使われていたようですが、もちろん前触れなくぽんと生まれたものではありません。はじめは楷書で書くのが一般的だったはずです。それが次第に早く書くことを目的とした草書に変化。さらに極端な文字の簡略化が進み、花押が生まれるに至ったと思われます。
こういった初期の花押は草名体(そうみょうたい)と呼ばれます。ほかにも、名前から二字をとって組み合わせた二合体(にごうたい)、一文字をとってデザインした一字体、文字とは関係ない鳥などの姿を用いた別用体、平行に引いた横線の間に意匠化した文字を書き込んだ明朝体などがあるそうです。
歴史上の歌人や武将、僧侶などの花押を調べてみると、十人十色のデザインで見飽きません。なかでも徳川歴代将軍の花押に惹かれました。下のふたつの書状末尾に、ひと際大きく書かれている明朝体は家康の筆跡です。
徳川家康書状 出羽侍従(最上義光)宛
徳川家康書状 堀直政宛(九州大学附属図書館付設記録資料館九州文化史資料部門所蔵)
「徳」の字をデザインしたもので、シンプルな意匠なのに、どんと構えた威厳が感じられます。ためしに歴代将軍の花押のなかから家康、家綱、家宣が書いたものを並べてみましょう。
家康(初代将軍)
家綱(第四代将軍)
家宣(第六代将軍)
ぱっと見た感じはどれも似たような雰囲気で、先代の花押イメージを代々踏襲してきたことが伺えます。とくに、家康の花押は線の強弱や緩急が目を引きます。
家康が明朝体の花押を採用したことで、江戸時代には明朝体が一世を風靡したといいます。堂々とした余白の使い方は、真似したくなるのも納得の佇まいです。
すこし時代をさかのぼり、ほかの著名な武将の花押も見てみましょう。

まずは、織田信長の花押。麒麟の「麟」の字だというのが定説です。正しい政治が行われている世にしか現れないと信じられていた「キリン」をモチーフにすることで、平和社会実現の願望を込めたと言われています。あまりに高度な崩し方で、わたしにはどうも地中からもぐらが二匹顔を出しているようにしか見えません……。
また、信長はたびたび花押を変えていたと言われており、これは十ほどあるバリエーションのうちのひとつなんだそうです。

こちらは豊臣秀吉の花押。「秀(しゅう)」と「吉(きつ)」から「し」と「つ」の二音をとり、「悉(しつ)」の字を当てたのだとか。「すべての国を平定する」という意味の「悉国平定」からの抜粋とも伝えられています。背骨のように中央をまっすぐ貫いた一本の線から、一代で天下統一を成し遂げた秀吉の強い信念を感じます。
花押は、模倣やなりすましを防ぐサインとしての重要な目的を果たしながら、同時に権力や存在感をアピールする戦略ツールでもあった。こんな押し出しの利いたデザインを実際に考案したのは、いったいどんな人だったんでしょうか。
ここにきて、ようやく腑に落ちたような気がします。むかし、読めないというだけで突っぱねていたいくつもの小粋なサイン。誰が書いたかわからないんじゃ意味なくない? と首をひねっていたけど、そうじゃなかった。名前を表す字から恣意的に要素を抽出し、図形的にデザインすることには大きな意味があったんですね。
そのサインがその人そのものを表すものだと社会で広く認知されていれば、なんの不都合もありません。むしろ、ビジュアルが唯一無二であればあるほど特別で、人々の記憶に刻み込まれる優れたサインだと言えるのかもしれません。
できることなら、小学生だったわたしに教えてあげたい思いです。
どんなサインを作ろうか。フルネーム? 下の名前だけ? もっと崩してもいいし、わざと線を省略してもいい。文字をくっつけたっていいんだよ。なにかモチーフを取り入れても面白いかもね。筆記体だけじゃなくて、漢字やひらがなで作ってみるのもおすすめだよ――
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美文字に憧れなくていい
なんだか最近じわじわと広がっている「美文字こそ至高」的な風潮。
自分が書いたメモなのに見返しても読めない。他人に字を見られるのが恥ずかしい。そんな人たちが、脱・悪筆をめざしているということでしょうか。今回は、根っからのくせ字ラブなわたしがその風潮についてちょっとだけ物申してみたいと思います。
まず、巷に聞こえる「美文字」とはなんなのか。おそらく、①美しくてきれいな字、②読みやすい字、③読み手に好印象を与える字、といったところではないかと思います。
わたしは、普段から①についてはあまり気にしていません。それよりも②や③のように、見る人にストレスを感じさせずスルッと読んでもらえる字を書くことがいちばんだと考えています。
そういった文字を書くためには、いくつかの簡単なコツがあります。流麗な書きぶりである必要はまったくありません。相手に見てもらう際の視認性と読みやすさを念頭に置いたさりげない秘訣です。
コツその一、横線をやや右上がりに。
右上がりの程度は、時計の長針が十三~十四分を指す角度が目安です。横線が複数ある場合は基本的に角度を揃えます。横線がない字も右上がりを意識すると良いです。たとえば「心」という字。四画それぞれの書きはじめを線で結んだときに、右上がりになるよう意識すると収まりがよくなります。
コツその二、文字の重心を右下にかける。
その一のように右上がりを意識して書くと、文字全体が右上がりになってしまいがちです。そこで、右下部分に重心を置くことで文字全体のバランスをとります。たとえば、「天」は四画目をぐっと右下に引っ張るようにはらう。そうすると基本的に右上がりの文字が、全体としてはうんと安定して見えます。
コツその三、線の間隔は均等に。
「川」の三本線の谷間や、「日」の線で囲われた二カ所のすき間など、線と線の間にある空間が均等になるよう意識します。「聞」のように線と線の間隔が狭い場合も、すき間が等間隔になるよう線を引くだけで、整った字になります。
ほかにも、「一」や「上」の三画目の横線は弓なりに反らせる。「口」や「田」は全体の形状が逆台形になるように。
「目」や「自」は縦長の四角のなかにおさめるイメージで……。
などなど、文字ごとに書き方のコツがあります。
ただ、いくら漢字が単独できれいに書けるようになっても、たいていの場合は、ひらがな、カタカナが混在した文章を書きますよね。ということは、同じようにひらがな、カタカナの書き方のコツも覚えておいたほうがいい。いやいや、それは言うほど簡単じゃないよ、と思われる方もいるかもしれません。日常的にそんな細かい法則を意識して文字を書くなんて自分には無理かも、と。
美文字、美文字と聞かされていると、つい文字をいかに美しく書くかに重点を置いてしまいますが、いったんその思考から離れましょう。
たとえば、こういうことです。一字一字を百点満点のかたちに書こうと思わなくていい。ある漢字が六十点、あるカタカナは四十五点……でも大丈夫。並んだ文字のなかにいくつか八十点超えのものがあれば平均点が上がってラッキー。大切なのは、誰かが読んだときにつっかえない文字列に仕上がっているかどうか。
日常生活でオートクチュールのドレスを着て過ごすことなんてないですよね。身の丈に合った服を選んで、自分らしく見やすい文字を書くことが、居心地のいい暮らしにつながるように感じます。
では、文字の読みやすさを優先する際、なにを意識すべきか。それはずばり、その字がその字だと読める字を書くこと。「あ」が「あ」に見えるように書く。「い」が「い」と読めるように書く。たったそれだけです。
最後にひとつ、読みやすい文字列にするためのコツについて。
・漢字に対してひらがな、カタカナのサイズはやや小さくする
・文字同士の間隔は詰まりすぎず、かつ広すぎないように
・文字列の中心線を揃えて書くこと
これらを頭の片隅に置いておくだけで、あなたの書く文章は見違えるようになるはずです。もし自分の筆跡に引け目を感じている方がいたら、ぜひためしてみてください。
じつはこれ、コツを意識しながら書くことで、自然と文字を慎重に書くようになるところがミソなんです。慎重になれば必然的に時間がかかり、結果としてひとつひとつの文字を丁寧に書くことにつながります。丁寧に書こう! という気合だけで乗り越えるより、ずっと気楽な上達への道です。
一字一字を美しく書こうとするのは、次の段階でいい。もっといえば、そこまでステップアップしてもしなくても、じつはどちらでもいいくらいです。わたしは自分のくせ字が好きなので、胸を張ってノー・ステップアップです。
せっかく持っている自分だけのフォントを大切に育てていくのもひとつの選択。「美文字」だけが理想の字ではありません。自分に無理をさせずに文字を書き、自分の筆跡に愛着が持てる。そのほうがずっと大事。誰かに想いを伝えるため、ものごとを正しく伝えるために書いた文字に、へたな文字なんてないはずです。
悪筆への劣等感、美文字の呪縛から解き放たれ、ぜひ自分の字をたっぷりかわいがってあげてください。
(第5回・了)
本連載は、基本的に隔週更新です。
次回:2026年1月9日(金)掲載予定

