印鑑フォントはなぜ怖い?
お化け屋敷が子どものころから大の苦手です。うす暗さ、ひんやりした空気、どこからか聞こえる悲鳴、予告なく脅かしてくるところ。どれをとっても好きになれません。
先日、中部地区では有名な遊園地ナガシマスパーランドに出かける機会があったのですが、入園早々、木造家屋のようなお化け屋敷に行く手を阻まれました。毛筆風でホラーテイストな字体を用いた〈お化け屋敷〉の看板がでかでかと掲げられ、入り口脇の壁の注意書きまでもなんだかおどろおどろしい雰囲気です。
使われていたフォントは太さも不均一で、つながっているはずの線がところどころぷつんと途切れています。そうかと思えば、線が交差する部分は墨が溜まったように膨らんでいたり。ひゅうどろどろ……とお化けが寄ってきそうなこのフォントに、まんまと恐怖心を煽られました。
でも不思議なことにこのフォント、ホラーとはまったく関係ないところでも見かけます。コメダ珈琲店のドアに取り付けられた〈押〉と〈引〉の文字、お塩やちんすこうなどでおなじみ「雪塩」のロゴ、それに広島市内にある観光案内版の一部にも、このフォントが使われているそうです。

お化け屋敷やオカルトショップでもないのに、どうしてわざわざこんな不気味なフォントを選んだのでしょうか。このフォントの歴史を紐解いてみると、なんとわたしがこれまで抱いていた印象とは全然ちがう姿が見えてきたのです。
こうした書体を古印体(こいんたい)といいます。印章用に作られた日本独自の書体です。印章とは、つまりハンコのこと。古印体は中国から伝わった銅製の印や篆書体(てんしょたい)を模倣しつつ、奈良時代から存在する大和古印などをベースに作られた書体だと言われています。
文字を刻んだ原型の上に型をあてがい、そこに熱して溶かした金属を流し込んで作られるそうです。その際、溶けた金属が型にうまく行き渡らず、出来上がった鋳造印で捺印すると線が欠けたり途切れたり、液だまりが生じて太くなることもあり、それがそのまま古印体の風合いにもなっています。
その後、近代において現在の古印体の祖となるものを作りあげたのは、一八四三年に幕府御用印師の家に生まれた畑河 雄(はたがわゆう)氏。家業を継いだ畑河氏は明治になって、印章が偽造される心配のない書体を完成させたのです。
『箱根温泉案内』森田富太郎(森田商店・明治27年7月)内に掲載された畑河雄氏の広告
(国立国会図書館デジタルコレクション)
その背景には、それまで一家の主しか持つことができなかった印章を個人で所持することを政府が認め、名字を刻んだ印章が庶民の間で普及したという社会事情があります。
畑河氏が自作の印章を大久保利通に献上したことで古印体は人気を博し、印章用の書体として定着したと言われています。現代では認印として使われることが多い書体ですね。
このように、直近の経緯を見ただけでも一八〇年ほどの歴史がある古印体。言われてみれば素朴なかたちで読みやすく、どことなく古風な雰囲気もあります。では、なぜ、いつから「こうした書体が怖いものだ」という認識がわたしたちのなかに刻まれてしまったのでしょうか。
わたしたちがメディアから受ける影響は絶大です。とくに、七〇年代以降の経済成長期には、テレビや雑誌で目にする「活字」が人々の意識を大きく変えました。活字とは、文字を印刷するために一文字ずつそれぞれの書体で作られた字型のことです。
一九二六年に写真植字機研究所(現在の写研)が誕生してからは、独特なフォントが数多く写研で作られました。石井ゴシック、石井明朝、新聞ゴシック、丸ゴシック、ゴナ、ナール、ゴカール、スーボ……と名作ぞろいです。
そのなかで、写研は一九七九年に「淡古印(たんこいん)」というフォントを世に送り出しました。印章に文字を彫る印刻師として活躍された井上淡斎氏によるデザインです。古印体をベースに、職人が提案するかたちで生まれたこのフォント。活字メディアだけではなくテレビ画面のテロップでも多用されました。
では、淡古印=怖いフォントというイメージをわたしたちに刷り込んだのは一体何者でしょうか。一説には、とある漫画とゲームが発端とも言われています。
ひとつは、一九八四年から「週刊少年ジャンプ」で連載がはじまった『ドラゴンボール』。第一話の冒頭からさっそく淡古印が使われています。また、悪の心の化身ピッコロ大魔王が唱える呪文の活字にも淡古印が使われました。口から大きな卵を吐き出すように出産する際に唱えた、いかにも恐ろしい呪文で、まがまがしい雰囲気を効果的に高めています。作者である鳥山明先生のチョイスなのか編集者によるものなのか、気になるところです。
もうひとつは、一九九四年発売のスーパーファミコン用ゲームソフト『かまいたちの夜』。ミステリ系のサウンドノベルで、プレイヤーの選択によってホラー、サスペンス要素の強いシナリオへと分岐します。このタイトルに使われたフォントも淡古印。しかも血のように鮮やかな赤色でゲームのパッケージいっぱいにデザインされており、インパクトは絶大です。
その後、心霊写真やオカルト的な超常現象を扱ったテレビ番組でも、淡古印は頻繁に使用されました。そういったさまざまな場面で目にした印象から、「不気味なフォント」「おどろおどろしい文字」というイメージが伝染したのでしょう。
最近では、古印体をベースにしたようなフリーフォントも多く作られています。しかし、そのほとんどはホラーフォントとして紹介されている様子。本家本元の「古印体」で検索をかけると、サジェストに「古印体 怖い」と出てくる始末です。今後もしばらくは、畑河雄氏の意図から大きく離れたイメージがついてまわりそうですね。
(第6回・了)
本連載は、基本的に隔週更新です。
次回:2026年1月23日(金)掲載予定

