しんにょうの点はいくつなの?
吉本新喜劇でよく見る “茂じい” 役って誰がやってるんだっけ。
ふと気になってスマホで検索をかけると辻本茂雄さんだとわかって、ああすっきり。
だけどそこから別の疑問が生まれました。「辻」ってこんな字だったかな? 学校で習った漢字はしんにょうの点がひとつだったはず。
手で書く文字とスマホやパソコンで見る文字のかたちがちがうのは珍しいことではありません。たとえば「糸」「衣」「令」。多くのフォントでは、「糸」は一筆で書く1画目が2画で構成されているように見え、同じく「衣」も4画目が2画で書いてあるように見えます。「令」の3〜5画目はそもそも書き文字とは全然ちがうかたち。
ひらがなだと「き」「さ」「ふ」。最後の画がひとつ前の画と繋がっており、これも実際に書く文字とは異なります。
しんにょうもまた、フォントと手書きとで異なった表現をすることがほとんど。まず注目したいのは2画目です。手で書くときはくにゃくにゃさせて、フォントでは真下にすとんとおろす。これはフォントならではの簡略化された書き方です。おかげで漢字自体がすっきりとして見え、文字が詰まった本や記事でもつっかえずにさらりと読み進められます。
では、点の数についてはどうでしょう。糸を偏にしたのが糸偏であるように、しんにょうは「辵(ちゃく)」という字を部首にしたもの(辵部という)。辵が省略され旧字体の「辶」となり、そこからさらに簡略化が進み新字体の「⻌」が生まれました。手書きではしんにょうの点をひとつにするのが一般的ですが、多くのデジタルフォントでは旧字体と新字体のしんにょうが混在しています。
どうして2種類のしんにょうを持つ漢字が存在しているのかというと、常用漢字と表外漢字(常用漢字表に入っていない字)とで、採用されたしんにょうがちがうからなんです。
「進」「送」「遊」などの常用漢字は点がひとつのしんにょう。
「迄」「辿」「逢」などの表外漢字は点がふたつのしんにょうです。
ややこしいことに、2010年に常用漢字表に追加された「遡」「遜」「謎」は、常用漢字であるにもかかわらず点がふたつのしんにょうを用います。
「辻」は表外漢字なので、フォントではしんにょうの点がふたつだったというわけです。
手書きではこう、デジタルフォントではこう、と文字の細部にこんな複雑なちがいがあるなか、小学生のころよく漢字の勉強ができたものだなあと思います。だけど当時の記憶をたどってみても、不思議とそういった文字のギャップに悩んだ覚えがない。
これには教科書体というフォントの存在がひと役買っているようです。
教科書体は手書き文字に近い書体で、小学校で使用する教科書のほとんどに使われています。しんにょうも手書きと同じようにくにゃくにゃっとしたかたち。冒頭で挙げた「糸」「衣」「令」なども書き文字にかなり近い表現です。
文字の書き方を習いはじめた小学生は、教科書体のおかげで教科書の字をそのままお手本にすることができます。わたしたちが漢字のかたちの差異に混乱することなく学べたのも、この書体の助けがあったからです。
扱う文字数がぐんと増える中学校の教科書では、読みやすさにウエイトを置いた明朝体が使われます。小説の本文や辞書をはじめ、大人になってから目にする機会が断然多い明朝体。小学校で正しい文字のかたちを覚えたあとは、明朝体に慣れる練習がはじまるわけですね。
こうして小学校から高校まで12年間かけて学んできた多くの漢字。
時が流れるにつれ文字の簡略化はもっと進むかもしれないし、消えてしまう字も出てくるかもしれない。いつか、文字を書いて覚えるという行為すらなくなってしまうのではないか、とつい気を揉んでしまいます。
自身の手で文字を書くという文化、そして漢字の未来がしぼんでしまわないよう、つぎの世代に繋いでいかねばと強く感じます。
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インターホソの返事がない場合は
誕生日会やらクリスマス会やらことあるごとに会う友人のひとり、Aくん。このあいだおうちにおじゃますると、玄関先にこんな直筆メモが貼ってありました。

たどたどしくも愛らしい筆跡のAくんはアラブ出身。アラビア語、英語、日本語をあやつる秀才です。このメモはGoogle翻訳の助けを借りながら書いたそう。あまりに魅力的な筆跡に、連載に使わせてほしいとラブコールを送ると速攻オッケーをくれました。ありがとう、Aくん!
さて、あらためてメモを見てみると、記号チックな漢字のフォルムや、小ぶりなひらがながかわいすぎる。とくに好きなのがインターホソにしか読めないインターホン。
「ソ」と「ン」の書き分けには、日本語に長く触れてきた人でも一度は手を焼いたことがあるのでは。なんせ、どちらも点をひとつ打ち、線を1本スッとはらうだけ。「ソ」が「ン」に見えたり「ン」が「ソ」に見えたりするのも無理はありません。
ドバイの紀伊國屋書店で手に入れたカタカナ練習帳を使い、独学で日本語の勉強をはじめたAくんにとっても、それは大きな壁になっているようです。
これらを書き分ける際に重要なのは、1画目の角度と2画目のはらい方。「ソ」の点は立ち上がり気味で、はらいは右上から左下へ。「ン」の点はすこし寝かせ、はらいは左下から右上へ。「ソ」以外に「ノ」や「メ」もみんな右上から左下へはらうのに、「ン」だけがイレギュラー。
印刷された文字やスマホで入力した文字を手本にする際、フォントによってはどこからどこに向かって筆を運ぶのかがわからないものもあります。
起筆があり、線の強弱がはっきりとした明朝体であれば「ン」の筆順はけっこうわかりやすい。起筆というのは線の書きはじめのこと。たとえば毛筆で漢数字の一を書くとき、書きはじめ(起筆)はななめにぐっと打ち込んでから書き進めます。
一方で、ゴシック体を手本にした場合はやっかいです。線の太さがほぼ均一なため、線の流れを想像することができません。
どこからどこに向かって線を引くのかわからない状態では、文字が似てしまうもの当然。インターホンがインターホソになってしまうAくんも、書き順や筆の運びについては知らなかったようです。
一見そっくりな2文字ですが、それぞれの元になった万葉仮名を見てみると、書き方のヒントがありました。
万葉仮名とは、日本に現存する最古の和歌集「万葉集」に使われていた文字で、音を漢字で表したもの。カタカナは、この万葉仮名の文字の一部(もしくは文字全体)を用いて作られました。
「ソ」は「曽」のはじめの2画が元になっています。
元の字「曽」を見ると、「ソ」の1画目の点が立ち上がっているのも、2画目を右上から左下へはらうというのも納得。
「ン」は諸説あるようですが、「无」(「無」と同音同義)を変形させたものだとも言われています。「无」の横線からとったのか、「ン」の1画目は寝かせ気味。2画目は「无」の最終画である「し」のようなかたちの部分を変形させたため、左下から右上に向かってはらうと考えられます。
この2文字のほかにも書き分けがむずかしいのが「ツ」と「シ」。
実際に、Aくんもこの2文字に翻弄されているみたいです。
Aくんの名前の一部に入っているのは「シ」。だけど、Aくんが書くとどうしても「ツ」に見えてしまう。以前、日本でなにか名前の登録をする際、「シ」を「ツ」と読み間違われたまま登録されてしまったこともあるんだとか。
Aくんだけでなく、日本人でも書き分けがあいまいなときがあるこの2文字。どっちつかずの字になってしまう原因は、はじめ2画の点の位置があやふやなせいだと思います。
ではでは、「ツ」と「シ」の歴史とともに、それぞれの点を打つ位置のちがいを見てみましょう。
「ツ」は「州」が変形したもの。「ツ」は3画すべての書きはじめをおおよそ横一直線にそろえますが、「州」を見てみると腑に落ちますね。
「シ」は「之」の草書体の変形。これはぜひ「之」と紙に書いて確かめてみてください。だんだんと「シ」が見えてきますよ。「シ」のはじめ2画はどちらかというと上下に並びますが、「之」と実際書いてみると合点がいく。
こんなふうに、元になった万葉仮名を見てみると書き順や点の位置、はらいの方向のわけが見えてきます。これを機にみなさんもぜひ正しい書き方をマスターしてみてください。
と言いたいのはやまやまなんですが、「ソ」みたいな「ン」や、「ツ」みたいな「シ」にたまらなく魅了されている自分がいるのも事実。むしろ、そういう一見へんてこな文字を集めてじっくり鑑賞したいくらい。

上の謎めいた文字群は、わたしの筆跡偏愛と好奇心から、Aくんに頼み込んで書いてもらったもの。みなさん、読めますか。それにしても、あいまいながらもどうにか書き分けようとした文字たちの愛おしさといったら……。
Aくん、ずっとこのままの字でいてね。
というのが正直な気持ち。だって、こんなにも嚙めば嚙むほど味がするスルメみたいにうま味のある文字、わたしには書けないんだもの! うらやましい!
ちなみに、答えは上から「ガソリン」「リソグラフ」「ツーショット」「シーツ」でした。
「ン」はこうやって書くといいよ、とおせっかいを焼こうか焼くまいかはもう少し悩んでみます。まだしばらくの間は、
「そのままでいいんだよ。いや、そのままがいいんだよ」
とAくんをべた褒めし続けてしまうんだろうな。
(第10回・了)
本連載は、基本的に隔週更新です。
次回:2026年3月20日(金)掲載予定

