カエル博士の退休日記 村松伸

2020.2.21

02冬瓜を煮る


冬瓜がやってきた

 冬瓜は確かに好きだ。中国料理を食べる場合、メニューに冬瓜湯(冬瓜スープ)があれば何をおいてもそれを注文する。冬瓜のもつ触感というよりも、スープという液体とその味に惹きつけられているのだと思う。それが回りまわって、「トーガン」という音、「とんぐわ」という中国音を聞くと何となく心が弾む。
 でも、実際、巨大な冬瓜が家にやってきて、デンと居座っているとなにやら心は落ち着かない。大きさ30センチ、胴回りも同等くらいの奴だ。中学の同級生の佐野泉くんが経営している田舎の農園からもらってきた。冬瓜には冬の文字が入っているが、そもそも夏野菜。ただ、ほっておいても長持ちして、冬くらいまでもつからかこの名称がついている。12月の半ばに、レモンやゆず、キンカンをもらいに行ったついでに、あまり手入れされていない畑に誰からも見向きもされずに転がっている冬瓜を、ひとつだけ譲ってもらったのだった。大きさやすすけた色にちょっとだけ違和感をもったのだが、ここでも「トーガン」という音色に負けてしまった。
 農薬を使っていないから、もらってきたキンカンをそのまま食し、レモンは薄切りにしてハチミツとともにお湯割りにする。ゆずは冬至の風呂にいれ、そのふくよかな香りとともに身体を温める。だが、この冬瓜はどうしよう。暢気な退休間近の私でも、けっこう忙しく、博士論文の審査や新年の企画の打ち合わせ、持病の病院通いなどで、なかなか家にながく滞在できない。なにかことを興すためには時間的な余裕が必要である。

 

冬瓜のスープをつくる

 暮れのある日、少しだけ時間的余裕があった。だがそれだけではなく、前日、久しぶりに遅くまで飲んだことも一因だった。ここ一年ほど身体的理由から酒は極力さけているのだが、私が指導しているロシア人留学生の博士論文の審査があり、お疲れ様なのか、残念だったねか、頑張ってねの激励なのか、悲喜こもごもが入り混じった夕食会+酒宴があった。年末でもあるし、自分の学生の案件でもあったので、最後まで付き合って、そして、午前様とあいなった。
 深い二日酔いではなかったものの、次の朝、身体はややささくれ立っていて、起きて台所に向かうと、冬瓜くんがでんといるではないか。相変わらず、肌は悪く無口だったが、冬瓜湯(とんぐわーたん)という響きが酒で弱った胃のあたりから聞こえてきた。数日前に妻が作ったローストチキンの残りかすがあって、冬瓜と一緒になりたいと呟いているようでもあった。
 正直にいって私は、料理達者ではない。私より多忙な妻に朝昼晩寄生することはできず、腹が減るから自分で何か作る、というもっとも原始的で本能に近い形で食べ物を作っている。冬瓜スープは好きだが、作ったことは全くない。冬瓜に包丁を入れたこともない。硬いのか柔らかいのか、中がどうなっているのが美味なのかもまったく見当はつかない。
 ためしに3 分の1ほどのところに包丁を入れてみる。硬くはないが、中はなんとなくすさんだ感じがする。でも仕方がない。先に進むことにする。種を取り、皮をむく。皮はカボチャよりも容易に剥ける。一口大に切って、鍋にいれ、ローストチキンの残骸といくつかのスープの素を入れて、ぐつぐつ煮る。愛用のクックバッドによると生姜を刷って加えること、とかいてあったので、素直にそれにしたがう。キッチンにニンニクが転がっていたので、それも刻んでいれてみる。でもそれは吉と出るか凶とでるか。
 とき卵をふたつ混ぜいれる。冬瓜は思ったよりも早く柔らかくなった。塩で味を調えて、冬瓜と卵のスープがはい出来上がり。疲れた胃に滋味が広がっていく。いやいや当然、そんなわけにはいかない。ぼんやりした味。おい、あの中国で飲む私の冬瓜スープはどこに行った、と不平不満が身体からあふれ出てきた。

 

冬瓜を煮る

 冬瓜の残りの3分2のはやはり不満顔でキッチンに居座っている。



 何とかしてくれとの哀願の声が聞こえてくるようだ。その日、あちこちに仕事で動き回りつつ、でも、この冬瓜くんとの付き合いをなんとか続けていくにはどうしたらよいか、とずっと考えてみた。中国人ならば、何かよい助言がもらえるのではないか。最近愛読している崔岱遠『中国くいしんぼう辞典』(みすず書房、2019)をひも解いてみたが、あいにく冬瓜に関する記述はない。袁枚『随園食単』、青木正児『華国風味』は、書庫のどこかにあるのだが、とりあえず探せないし、kindle にもなっていないので参照をあきらめた。
 もっぱらネットで調べても冬瓜はスープくらいしか料理法が見当たらない。冬瓜くん、けっこう友達すくないんだね。で、やっと豚肉とサツマイモとを合わせ煮る、という方法を発見した。そうそうサツマイモは冷蔵庫の片隅にあったではないか。老人だから肉は毎日70 グラム食べなくてはいけない、など、複雑な多元方程式を解くような形でやっと冬瓜くんに活躍してもらう料理のメニューにいきついた。
 こんどは、順調だ。冬瓜の皮をむくのも、一口大に切るのも、すでに経験がある。サツマイモと冬瓜を鍋で炒めて、水を入れ、和食出汁の粉末、めんつゆなどを入れ、沸騰したら豚肉を加え、ぐつぐつと煮る。というわけだ。30 分ほどで料理完成。でも、ごめんなさい。そんなにうまいわけではない。肉はぱさぱさ、冬瓜に味は滲みていない。せめてもの救いはサツマイモの甘さがうまくこの冬瓜と豚肉に合っていること、そして、空腹を満たすという最低限の目標のみは達成できたことだった。
 あ、そうそう、冷蔵庫の奥の方には豚肉が秘蔵されていて、できるだけあるもので料理すべし、とのさらにもう一つの方程式の解法は失敗。こうして、年末の貴重な一日は過ぎていった。まだ残っている3分の1の冬瓜くんとは、なるべく目を合わせないようにしている。