カエル博士の退休日記 村松伸

2020.6.6

09三密とオールドノーマル

 

坂下の小さな菜園

 コロナ禍の緊急事態宣言が解除される直前の日曜日、娘の誕生日、連れ合いと一緒に娘のための祝宴の食材を街まで歩いて買いに行こうとした際のことだった。街までは徒歩で20分ほど。東京の西郊外の多摩川の古い段丘の中にたつ私の家は、50年前は武蔵野の農地や林の中だった。水路が流れ、細い道の北側に大きな農家が点在していた。やがて水路は暗渠化され、道は拡幅、そして、農地は宅地に変わった。農家そのものも広大な屋敷を売り払い、そこが細々として今風の宅地に変わっていく。私の家の南側もここ2年ほどで様変わりし、もとは一軒だった屋敷林がすっかりと切り倒され、竹林の崖はコンクリートに覆われてしまった。
 坂を下りていった。主要道に突き当たる手前にできた新築の家の隅で、若い男性がうずくまって土いじりをしている。ずっと空き地だったその場所に家が建ち上がったのは昨年末、ひとが引っ越してきたのは今年になってからだろうか。誰が越してきてどんな生活をしているか、不明だったしこちらの関心もさしてなかった。だが、その熱心に庭の手入れをしているのをみているとつい声をかけようという気持ちが湧いてきた。
 いい菜園ですね、前からですか。いえ、家にいたここ1か月ほどで始めました。土はどうしたんですか。買いましたよ。スイカですね。はい、どうなるか分かりませんが、などなど。あとから追いついてきた連れ合いも会話に参加した。引っ越してきた新住民への古い住民の詮索的わだかまりはこの数分の会話で一気に溶解していった。
 ステイホームの朝早く、家の前の公道を掃くのがしばらくの日課である。この季節に咲く白いモッコウバラの花びらが道に散り落ちていて、30分ほどの体操の後、それを取り除くのである。たいていその時刻、向かいの年配の女性の山川さんが起きてきて、更に美しく咲いているバラの手入れを始める。以前より会話はなかったわけではないが、それでもステイホームのゆとりから近隣のバラを介した紐帯は少しだけ強まった気がする。

 

「新しい生活様式」と古い生活

 緊急事態宣言中から厚生労働省が出していた「新しい生活様式」は、手洗い、マスク着用、三密の忌避などをうたっている。同時に時差通勤、リモート勤務、多人数の会食を避けること云々、ともある。活力が衰え、行動範囲が小さくなった老年期の私にとってこの「新しい生活様式」は、実は現在の私自身の生活様式が新型コロナ禍の中で適合しているとお墨付きをもらったようで面はゆい。近所の住人たちとの会話の増加も実は半分隠居の故かもしれない。しかし、よく考えて見ると単に老年期だけの理由ではない。私よりずっと歳上でも、ステイホーム中は多大なストレスを抱え、解除されると我先に外に出てゴルフや焼き肉を堪能している方々も多数いるのだから。
 私の故郷は、日本の典型的な小さな沖積平野が山で囲まれた場所である。数キロ先に小高い山々が折り重なって並び、その隙間に水田が広がっている。東京に出てきて驚いたのはどこまでも家並みが続き、遥か先まで山が見えないことだった。一方、私の故郷では昔からの農家は低い山裾に水田を避けてたてられ、数軒が集まって集落を作っている。三密とは今回新しく提示された新型コロナ感染を避けるために作られた概念で、密閉、密集、密接にならないようにとの提言である。
 私が育った場所にはそもそもこの三つはなかった。在来構法の田舎家だったからもとより密閉はない。唯一の密閉空間、蔵も戦中の南海沖地震で倒壊した。散村であるから密集はない。年が近い友だちも近所にはいないし、家すら散らばっている。密接とは「互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる」と定義されるのだが、寄り合いや年に一度の祭りならばいざ知らずそういった機会はめったにない。歓楽街ははるか10数キロ先だったから、週末はいつもステイホーム。つまり、ニューノーマルと呼ばれている生活は、実はわたしにとってオールドノーマルなのである。

 

「山のあなた」の三密

 それでも、いやそれだからこそ、そういった非三密の生活を抜け出したいとずっと渇望してきた。その衝動は一体何だったろうか。三密への衝動は、生の衝動、若さの疼きなのかもしれない。私の勉強机は古い家の西側にずっと置かれていた。300mほどの高さの山が間近まで迫り、その山を朝な夕なに見ているとその山の向こうに何があるか、ぜひ行ってみたいと考えたのは、やはり若さがもたらす生命力の増大のなせる業であったのだろう。まるで、上田敏『海潮音』に載るドイツの詩人カール・ブッセの「山のあなた」の状況にうりふたつ。
 ステイホームのこの状況で、一方でオールドスタイルを思い出し、でも一方で生の衝動を復活させるためにいかに行動すればいいのだろうか、とずっと考えてきた。この歳になって若さへの未練はやや見苦しいし、ゴルフや焼き肉を欲望してひたすらその日のために力をため込むのは、自分らしくない。18歳になってやっと盆地から抜け出した時、山の向こうには実は天竜川とそして、広大だが宅地化されて荒れ果てた浜松平野があっただけ。東京という日本の中心にも、山のあなたの幸いは発見できなかった。のち中国にわたり、空間だけでなく、それまでの経歴や経験からすっかり解き放たれた時、初めて心が自由になり、軽くなった。これは重要な発見かもしれないと月並みなのだが私は膝をうった。
 三密の密閉と密集は物理的なのだが、最後の密接は物理的だけでなく精神的な状態をも示すことが可能だ。たとえば、オンライン。以前から存在していたものの、このコロナ禍で一気に普及した。大学院の講義も会議も遠隔操作で実施される。さらに世界各地で行われる講演、講義、会議にも直接にオンラインで参加できる。時差や言語の障害、機器の質によるコミュニケーションの劣化はあるものの、ステイホームしながら私も新たな密接の手段を獲得したようだ。膝を打ったのはそれのことを想起したからだ。そこでは、密閉でも密集でもなく、でも、密接な状況が生み出されている。
 坂下角の若い家主やお向かいの女性との会話も、そして、遥か山のあなたのひとびととの遠隔コミュニケーションも、新たな生活様式と古い生活が相まって、私にとってはコロナ禍がもたらしてくれた思いがけない収穫のひとつであった。ちなみに、上田敏は旧幕臣の息子で静岡に育った。静岡も平野とはいえ盆地に近い。富士や南アルプスに囲まれている。彼も山のあなたに憧れて、新たな「密接」を探しに東京に出て、やがてヨーロッパに留学した。ブッセ「山のあなた」の発見、共感、翻訳は、案外この地形から来たものであったかもしれない。

次回2020年6月20日(日)掲載