カエル博士の退休日記 村松伸

2020.5.2

07頭痛肩こり満身創痍

 

武漢のシュワイショウ

 まだ、20世紀の終ろうとしていた頃、2年に1回中国の各地を巡回して「中国近代建築国際シンポジウム」というやつをやっていた。ものものしい名前だが1840年のアヘン戦争から1949年の中華人民共和国建国以前に建てられた建物や都市について、中国や世界からの研究者が集まって喧々諤々と、知っていること知らないことを話し合うというもの。いろんなところに行けて各地の特産料理を食べられるという役得がある。いや役得の方が先行していた。
 そのうちの何回目かに武漢大学でのシンポジウムがあった。そう新型コロナの発祥地で一躍全世界に名前を轟かすようになったのだが、この話はそれとはとりあえず関係がない。シンポジウムは朝から晩まで中国語でやるために、座って聞いているだけでもとても疲れる。3日ほど続く会議の2日目あたりだったと思う。午前の部が終わり美味なる昼飯を食べて、食堂からホテルの自室への帰り道のことであった。ひとりの中年の中国人が奇妙な体操をしているのに出くわした。
 腕を交互に振り、肩まで上げる。オラウータンにも似たような腕を上げる動作があったような気がするが、それよりずっと軽やかである。すとーん、すとーんと交互に腕が反対の肩にはまっていく。腰をたおやかに揺らし、その反動で腕が上がるのである。当時、中国人の大人(たいじん)ぶりに憧れていたから、さっそくその大人に声をかけ、やり方を教えてもらった。それはなかなか難しい。やってみるとすぐわかるのだが、腕は硬直してどんと反対側の胸にあたるだけ。オラウータンではなく、ゴリラの胸叩きのよう。
 調べてみるとこの体操は、甩手というものだった。シュワイショウと発音するのだが、甩の漢字は日本語では使わない。用の字の真ん中の棒が尻尾のように右側に捻じれる。振るという意味であるから、甩手全体では手を振る、となる。まあ、日本語にすると意味通りの味もそっけもないので、シュワイショウという中国語読みを使うことにするのだが、医学や体育系の論文をひもといてみると、この動作手軽に自律神経を整えることができるらしい。単に手を前後に振るという作法もあって、毎日1000回振ると癌が治ったとか、やや眉唾物の過大評価もみられる。

 

健康オタク

 武漢で私が見たのはこの単純な前後の腕振りではなく、腰を動かし腕を反対側の肩に載せる、もう少し複雑な形式であった。毎日1000回で3か月もやるとやや様になる。腕振り3年栗8年ほどではなかったが、次第に腕がゆったりと振れるようになった。コツは腰の動きより一瞬だけ遅らせて、力を抜いて腕を反対側の肩に放り投げること。軽やかに腕が反対側の肩に載った時、すがすがしい気持ちになる。やっとあの中国人の大人になれたと少しほくそ笑んだ。その直前に四十肩が起こってしばらく接骨医に通っていたのが、嘘のように肩こりが消えた。学者というこの仕事、パソコンになったとはいえ、いやパソコンになったからこそ、眼を使い前かがみになる。だが、このシュワイショウで頭痛肩こりにはてきめんに消えた。
 実は私のやっているのはこのシュワイショウだけではない。真向法、野口体操、ヨガもどき、そんなものをせっせと寄せ集めて独自の体操に付け加えている。ただ、いずれの体操も見ているひとに清々しさを与えはしない。真向法は座って開脚や座禅をするのでまあいいかもしれない。野口体操の動作はだらだらぐにゃぐにゃぶらぶらと、そんな風に擬態語で表現できるのだが、もうそれだけでも拒否反応を示すひとがいるはずだ。ヨガ、とてそれほど爽やかではない。ギリシア彫刻のような端正な肉体美を作り出すのでも、空手などの武道のようにパキパキとした動作でもない。そもそも思想としては異なっているからだ。

 

頭痛肩こり満身創痍

 かくのごとくギリシアの肉体美や日本精神一杯の武道に抗って、毎朝小一時間部屋の片隅でのそのそ、だらだらと体操をやるのは、やらないと不快感、端的に言えばダルさなどがてきめんに身体に出現するからだ。腺病質、虚弱で、漢方ならば虚とか蒲柳とか呼ばれる体質である。子供の頃からかかった病気を順に羅列していってみようか。驚くなかれ。
 小児腎炎、小児結核、盲腸、腹膜炎、虫歯、蓄膿症、リンパ腺結核、貧血、近眼などなど。いっときこれが納まったのだが、還暦近くになって複視、右顔面の麻痺、網膜剥離、糖尿病、高血圧、頭蓋骨骨折、花粉症に老眼、最近だったらすい臓がん(らしき影)。病院に行くたびに既往の病歴を書かされるのだが、とても困る。書く欄が小さすぎるのである。
 病名のわからないものもある。午後4時くらいに怠くなる、倦怠感というやつ。風邪もよく引く、年に数回、40度前後の熱と大汗をかく。よく考えて見れば新型コロナウィルスの初期症状によく似ている。こんな状況でとてもギリシア的肉体美を求めようというのがそもそも間違っている。日々の穏やかな生活がまっとうできることが第一の目標である。
 昨年の秋口、シンガポールで建築関係のワークショップとシンポジウムに参加した。やはり昼飯が終わった時、吹き放ちの階下で体操をしているひとが微かに見えた。お、この体操、変さは尋常ではないと小躍りした。だが、私ほどになると大方察しがつく。その男性(遠目だったので定かではない)は腕ではなく足振りをしていた。片足でもう一方の足を横に振り上げ、振り子のようにぶらぶらと何度もやる。スワイショウの足版である。
 中国の大都市にある公園に行くと、太極拳や老人ダンスを見るのが常なのだが、時たま健康器具が陳列されているのにぶちあたる。その中のひとつに空中歩行器がある。起源はどこにあるのかは不明で、日本でもスカイウォーカーという名称で販売されている。空中歩行器は前後に動くのだが、シンガポールで観察したのは足の横振り。中国の公園にも横降り空中歩行器は時たまある。
 その足の縦振り、横振り各50回ずつが近頃私の朝の体操に加わった。それからスワンアーム50回、これは二の腕の衰えを防ぐ。そして、その場雑巾掛け足蹴り100回。私の毎朝の体操の時間はなかなか終わらない。