カエル博士の退休日記 村松伸

2020.3.6

03木遣り歌を習う1

 

カラオケぎらい

 カラオケは嫌いだ。歌を忘れたカエル博士といえば聞こえがよいが、そもそも私は歌が歌えない。小学校2年生のある日、母親が忘れ物を届けてくれた。そして、担任の鳥居先生と立ち話をしているのを盗み聴きした。しんくんはね、音痴なんですよ。なぜそういう話になったのかは不明。だが、他の学科ができたにもかかわらず、音楽が異常にできなかった、からだと思う。
 テレビが始まったこの時期、奥深い田舎の音楽環境は不毛だった。もちろん、父がギターを弾いていたとか、母が音楽の教師だった、わけではない。どちらも私本人よりもさらに悲惨な無音楽環境で育っている。だから、この言葉がどれほど深く考えられて発せられたのか、以後、どれほどの影響を及ぼすのか、当時まだ26、7歳だった母を責めることはできないだろう。もっとも今は老年合唱団にはいってますがね、母は。きっと全く忘れているのだろう。
 しかし、音痴なんですね、の担任と母との間で交わされたこの一言は、以後息子を60年間苦しめることになる。つまり、その瞬間からは私は歌を歌えない身体になってしまった。音楽の時間は、いつも声を出さずにぱくぱくと水面呼吸する金魚のように口を開け、歌を歌うふりをしていた。中学の時の音楽のテストでは、ペーパーテストは暗記で乗り切れたが、実技はどうしようもない。恥ずかしいやら何していいやら、今でもその時のことは記憶からすっぽりと抜け落ちている。高校に入って美術と音楽が選択科目となってやっと私のこの辛い金魚口パク人生は終焉した。
 したはずだったのだが、社会にはカラオケというものがあった。コミュニケーションの手段として、謳わざるを得ないことはままある。サラリーマンだったら頻繁にあるのだろうが、研究者仲間でも時たま、カラオケに行かざるを得ないときがある。カラオケはコミュニケーションの工具だといいつつ、結局は個人の陶酔感の発露であることが多い。私にしてみれば、しかし、それは悪夢で苦痛の時間だ。合唱ではないから口パクはできない。鉄腕アトムや天才バカボンを歌って、ほうほうのていで退散する。だから、カラオケは嫌いだ。

 

木遣り歌に魅了される

 それなのに「木遣り歌」に魅了された。木遣り歌とは、鳶たちが歌う日本の伝統歌。数少ない友人のひとり、写真家の浅川敏さんの還暦パーティでのことだった。昨年末新宿のビアガーデンで、寒風の中で行われた。100人ほどの、季節の厳しさとは対照的に温かさに満ち溢れたものだった。私は最年長ということもあって(たぶん)、冒頭の挨拶をさせられた。以後、数々のひとびとの祝福の辞が続き、数年前に祝ってもらった自分の還暦の会を思い出してもいた。
 浅川さんは、近年、写真撮影という本業とは別に、即興楽団うじゃという活動に参加している。大阪や東京の様々な状況、様々な場所で、即興的コンサートを開催する。幕末のええじゃないかを彷彿とさせるその力ある歌舞の活動で、ドラムを叩いている彼の凛々しい姿がFacebook で時たま流れる。でも画像では猥雑さや音は伝わってはこない。やはり私には遠い存在だった。
 その即興楽団うじゃが、浅川さんの還暦パーティに登場した。アルコールは控えているので、白湯を呑みつつその音と声と踊りに聞き入った。うじゃの主宰者ナカガワエリさんの声は圧倒的だった。腹の底から湧き出てくる強い張りのある声はひとを一瞬で惹きつける。浅川さんのドラム、即興楽団全体が奏でる音楽とそれに巻き込まれる参加者すべて。ええじゃないかの興奮は新宿の歌舞伎町のビアホールを埋めた。酒に酔ってはいない私も、太鼓を叩き、踊りの輪の中にはいった。
 ナカガワエリさんが歌った後、浅川さんが木遣り歌で締めた。終わりの言葉の代わりに、懐かしい節回しで本日のお礼を歌い上げた。それをなんと形容すべきなんだろうか。感動とともに、この節回しで無性に歌いたくなった。私の最終講義の後に催される懇親会で。

 

習うということ

 興奮のあまり、浅川さんとナカガワエリさんに共演をお願いします、と言ってしまったとき、その先の艱難辛苦を描いていたわけではない。音痴で心身ともに硬直した私はどうしたらいいのかと、その時、なぜ、私は事前に想起しなかったのだろうか。東京で歌と踊りのワークショップをやりますから、それに出たらすぐですよ。むらまつさんは、文章が書けるから、歌詞を準備すれば、あとはどうとでも。ふたりは簡単にそういう。でもこちらもこちらで、ほぼ60年間の岩盤のような音楽への屈託がある。トラウマがある。それをどうやったら打ち破って歌が歌えるのだろうか。新宿からの帰り道、不安は大きくどこからともなく湧きあがってきた。
 木遣り歌を習うということはどういうことなのだろうか。早速、ネットで調べて木遣り歌を教えてくれる講習会を探した。初心者歓迎します、という案内をみて即座に見学を申し込んだ。最終講義の3月までに4回の講習会ある。4回あればなんとかなるだろう、そう思って、夜の赤坂の会場に出かけた。すでに何人かは来ている。初めまして、むらまつです。そういってみんなが自己紹介をしながら、そもそも木遣り歌とは、あるいは、その歌い方の解説が始まる、はずであった。このアウェイ感は、いつもながらドキドキする。新たなことを学ぶときの胸の疼き、のはずであった。
 だが。ひとりひとりが立ち上がり、名前を述べて、歌っていく。私を除いた10人ほどすべてが歌い終わると、再び次の順番で木遣り歌を歌い上げていく。一枚だけ渡されたプリントには、歌詞が書いてあるのみ。こちらはどこを歌っているさえもわからない。比喩で言うなら、全く水の中にも潜れない自分のとなりを、バタフライで10人が悠々と遊泳しているのをただ茫然と見ているようなもの。初心者なんて私ひとり。みんな上級じゃん。そうやって2時間が終わった。最後に講師からひとことだけ言われた。最初は歌わないでください。
 聞くだけ。たくさん聞いてください。変な癖がつくと、治りませんから、と。木遣り歌を習うのは難しい。はて、3月13日の歌い初めに間に合うのか。