ソウル㊙️博物館&美術館探訪 大瀬留美子

2024.7.10

08全泰壱記念館


労働者が主人公の博物館

 マンションの外から、興奮気味で何かを訴える拡声器越しの声が聞こえてくる。近くには大手企業のビルが立ち並ぶビジネス街。橋を渡れば国会議事堂がすぐそこにあり、いろいろな属性の人たちが、毎日のようにデモを行っている。韓国は国民が大規模なデモに参加して民主化を勝ち取った歴史があるためか、日本に比べてデモやストライキが日常茶飯事となっている。

 1919年の三・一運動から、2000年代の朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弾劾を求める運動まで、韓国では様々なデモが行われ、その時代背景と歴史を伝える博物館(記念館)も数多く存在する。

 今回訪れたのは、全泰壱(チョン・テイル)記念館。ここは、韓国の急速な経済成長と産業化の中で重要な役割を果たした若い労働者、全泰壱とその周囲の人々を中心にした博物館だ。特に、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の軍事政権下での1960年代から1980年代にかけての「漢江の奇跡」と呼ばれる急成長期には、労働者たちは過酷な労働条件に直面し、深刻な人権侵害を受けていた。それにもかかわらず、彼らはつつましい生活の中で小さな幸せを見つけ、未来に希望を持ち続けた。

 現代へとつながる労働者たちの連帯がどのように形成されていったのか、興味のある方にはぜひ訪れていただきたいスポットである。

清渓川沿いの町工場街にあるモダンな建物

 全泰壱記念館は、光化門(カンファムン)から東大門(トンデムン)へと流れる清渓川(チョンゲチョン)沿いにある。ソウル旧市街の中心を通る鍾路(チョンノ)と乙支路(ウルチロ)の間に位置し、周囲には工具卸売店や町工場が密集しており、非常に雑多な雰囲気だ。

 しかし、ここ数年で再開発が進み、高層マンションやオフィスビルが次々と建設され、町の風景は変わりつつある。それでも、庶民的な食堂や飲み屋が健在で活気に満ちている。表通りから一本入ると趣のある風景が広がり、個性的なカフェやレストランも増え、若者たちが多く訪れる。散策するだけでも楽しいエリアだ。

 記念館はもともとソウル銀行水標橋(スピョギョ)支店の建物で、1963年に建てられた。設計を担当した建築家金正秀(キム・ジョンス)は、汝矣島(ヨイド)の国会議事堂が代表作として知られている。銀行の建物は二度の増改築を経て、古くなったまま清渓川の前に放置されていたが、2019年にリノベーションが開始され、同年4月に全泰壱記念館として生まれ変わった。

 1階ロビーと資料倉庫、2階公演場、3階常設展示室および企画展示場、4階コワーキングスペースと会議室、5階ソウル労働権益センターで構成。一般の訪問者は、エレベーターでまずは3階にあがって展示を見るようになっている。

 建物のファサードの白い部分は、ハングルのオブジェだ。全泰壱が勤労監督官に送った陳情書をモチーフにしており、書体は施工上の理由で少し変更されているが、ある意味達筆である。ところで、手書きのハングルは大変読みにくく、読むのが苦手な韓国語学習者が多いのもうなずける。

 私自身、周りの韓国の人々から「きれいなハングルを書くね」とよく言われるが、それは単に癖のあるハングルを見る機会が少なく、崩し方を知らないだけのような気がする

紙縒(こよ)りに見えてしまったがハングルである

 

 目の前にある清渓川の歩道をよく見ると、銅板がはめこまれているのに気づく。全泰壱を偲ぶ個人や団体のメッセージが刻まれている。驚くことに専用のWEBサイトもあり、きちんと管理されているため、いつでもネット上で位置確認ができるようになっている。

 水標橋から東大門の近くにある五間水橋(オガンスギョ)まで銅板が並んでおり、時折日本語のメッセージも見つかる。時間があれば、探してみるのも面白いだろう。

知っていれば銅板設置の申し込みをしたかったなあ

 

全泰壱青年について
 1948年大邱(テグ)生まれ。 貧しい家庭の事情により中学校を中退し、家を転々としながら傘や新聞売り、靴磨きなどをして生活。ソウルに上京後、裁断師として働く。劣悪な勤労環境の中で「バカ会」という労働組合を結成し、勤労条件改善のために多様な活動を行った。

 しかし、努力は身を結ばず、絶望の中で1970年11月13日、ソウル平和市場前で「勤労基準法遵守」を叫びながら、22歳で自らに火をつけて命を投げる。その死は韓国の労働運動史に大きな影響を与え、民主化運動にもつながっていった。

入口にある全泰壱の銅像


 記念館に入って右側にあるエレベーターに乗って3階に向かう前に、モニター画面に目が留まった。有名な民衆美術家である林玉相(イム・オクサン)が制作した銅像を監視している映像が映し出されている。受付の方によると、いたずらや毀損の可能性が高いため、こうして監視しているとのこと。

 以前、林玉相が事件を起こして執行猶予付きの有罪判決を受けたため、この銅像を撤去して新たに制作する予定だというニュースを見ていたので、撤去されたかと思っていた。しかし、銅像はまだ存在しており、全泰壱が働いていた東大門平和市場近くの清渓川にかかるポドゥルタリ(もしくは全泰壱橋)にある。機会があればぜひチェックしてほしい。

 ハングルや制作背景がわからないと、突然、ニョキっと橋から出ている半身像に驚くかもしれない。初めて見た時、少し怖かった。外国語の案内板もあるとよいのだが

常に監視、お疲れさまである


見応えのある展示

 1階の企画展示はスキップし、3階の常設展示室へ。説明は韓国語のみだ。説明の内容が気になる時は、翻訳アプリで写真を撮ればおおまかには知ることができるので、使用をおすすめしたい。常設展示は全泰壱の子供時代、全泰壱の眼、全泰壱の実践、全泰壱の夢の4つのテーマからなり、幼少期から労働運動を始めた背景、そして彼の最後の瞬間までを詳しく紹介している。

 展示のメインとも言える日記や使用した道具、当時の労働者の生活を垣間見ることができる写真や資料が思った以上に豊富だ。館内はとても明るく、パネルもカラフルな色使いで、今までなぜ行かなかったのかと少し後悔した。暗いイメージを勝手には持ってはいけないな

充実した展示内容

 

 展示の中で最も印象深かったのは、平和市場の縫製工場再現コーナーだ。天井が150センチでまっすぐに立てない屋根裏部屋である。その上のスペースにもミシン台が並んでいる。ここで一日座って14時間以上働き、肺炎などの病気にかかればすぐ解雇された。お昼ごはんを食べられない見習いの女の子たちに、全泰壱は自分のバス代でプルパン(小麦粉生地のお菓子)を分け与えたという。

一日中まともに立てないという過酷な労働環境


 お菓子を買ったために交通費がなくなった全泰壱は、最も遠い時には2時間かけて歩いて家に帰った。ソウル市の地図を見ると、中区から江北(カンブク)区、龍山(ヨンサン)区、東大門区、中(チュン)区、そして道峰(トボン)区と家が変わっている。当時の韓国では夜間通行禁止令があり(1982年に解除)、帰宅途中に午前零時を過ぎて何度も留置された。しかし、あまりにも頻繁に捕まるので、次第に見逃されるようになったそうだ。

 人影のないソウルの夜、全泰壱は何を見て、何を考えていたのだろうか。4時間近くの通勤時間の中で、自分の考えを整理していたのだろうか。一枚の地図と写真のパネルは、彼の状況を想像するための手がかりを与えてくれているようだ

全泰壱のソウル市内での移動



派出所の様子


パネルの前で動けなくなる

 実は約25年前に、全泰壱の人生を描いた映画『美しき青年 全泰壱』(1995)を日本語字幕で観た。当時は時代背景について全く理解していなかったが、それでもこの映画は長年にわたり、自分の「涙が止まらない映画」のベスト5に入っていた。

 当時の印象としては、文盛瑾(ムン・ソングン)演じる主人公の陰鬱な表情が強く残っており、李周實(イ・ジュシル)演じる全泰壱の母親李小仙(イ・ソソン)の存在はほとんど覚えていなかった。

 今回記念館を訪れてわかったことは、全泰壱の母親が彼の遺志を継ぎ、労働運動の母と呼ばれるほど熱心に、労働運動をする人々の応援を続けたという事実だ。もしかしたら、みんなが知っている事実かもしれないが、一番頭をガツーンと殴られたような瞬間だった。しかも、韓国政府から目をつけれられ、何回もの逮捕と拘束、獄中生活を繰り返したとパネルにある。

 彼らを突き動かす力は一体どこから生まれてくるのだろう。圧倒的なエネルギーに押されてしまい、なんだかその場から動けなくなってしまった。

 劇中の主人公は、1980年代に『全泰壱評伝――ある青年 労働者の生と死』という本を出版した弁護士趙英来(チョ・ヨンネ)がモデルで、この本が映画の原作だという。自分は何も知らないまま、少しの好奇心でこの記念館にやってきたが、心動かされる展示について仰々しく書くことになるとは、25年前には想像もつかなかった

母親の活動を伝えるパネル

 

 そして、ぱっと目に入ってきたのが、ムグンファ勲章と表彰状。文在寅(ムン・ジェイン)前大統領によって、労働界関係者に初めて授与されたと話題になった。
 今日もあちこちの会社のビルや官公署の前で、労働環境の改善を求めて労働者らが声を上げ、テントの中でごはんを食べている。こちらはその横を通り過ぎ、そしていろいろなサービスを享受している

 

母と息子の功績を讃える表彰状

 

若い人たちの連帯
 1時間ほど3階の展示を見た後は、階段で2階へ。こちらは公演場になっていて、普段はがらんとしているようだ。隅の方には小さな図書コーナーがあった。

 イベントごとにオリジナルグッズを作っているのか、かわいらしいバッグが並んでいた。残念ながら、期間限定の販売品のようだ。あの紙縒りハングルのバッグが個人的には一番好みだ。

 全泰壱記念館は全体的にとても垢抜けした若い感性が光るデザインで、若い人たちが引っ張っている博物館だと感じられた。若い人たちも高学歴・財閥中心社会の中で、就職難、低賃金、フリーランスの立場の弱さ、パワハラ、男女格差などいろいろな労働問題に直面している。労働に関する会議、講演、芸術、コワーキングなどのお知らせポスターがたくさん貼られていた。かつて全泰壱が仲間と共に理想を語り合い、そして若い人らしい幸せを日常に感じていたように、今の若い人もこうして記念館の建物に集まって、確実に活動をしているのだ

 

【インフォメーション】
全泰壱記念館
韓国の労働運動の象徴である全泰壱青年の生涯と、業績を知ることができる記念館。縫製工場で働く人々の労働環境改善のために、自らを犠牲にして戦った記録の展示、1960年代後半から70年代半ばの労働者の環境を再現したコーナーなどがある

開館:月曜〜土曜(3〜10月)10:00~18:00(最終受付17:30)、(11月〜2月)10:00~17:30(最終受付17:00)
料金:無料
住所:ソウル特別市 鍾路区 清渓川路 105(서울특별시 종로구 청계천로 105)
交通:地下鉄1・3号線鍾路3街駅 15番出口 から徒歩 8分