ソウル㊙️博物館&美術館探訪 大瀬留美子

2024.9.19

11ソウル工芸博物館①

 地下鉄3号線の安国(アングク)駅1番出口を出ると、すぐ目の前にソウル工芸博物館がある。安国駅は、韓国の伝統工芸品やアンティークショップ、ギャラリー、韓国伝統茶を楽しめるカフェ、そして韓屋(ハノク)を改装したレストランが集まる人気のエリア、仁寺洞(インサドン)の最寄り駅だ。また、ソウルを代表する観光スポットである北村(プッチョン)韓屋村の入口に位置し、景福宮(キョンボックン)もすぐ近くにある。
 しかし、実際にこの博物館を訪れた人は意外と少ないのではないだろうか。広大な敷地に複数の大きな建物が並んでいるにもかかわらず、多くの人はその存在を意識せずに通り過ぎてしまうように思われる。韓国の工芸に関心がある人なら訪れるだろうが、どこかぼんやりとした印象を受けるかもしれない。2023年12月にオープンした、向かい側にある人気のベーカリーショップは行列が絶えず、常に賑わっているのにも関わらずだ。
 ソウル工芸博物館は、ソウル市が旧豊文(プンムン)女子高校の5棟の建物をリノベーションして設立した、韓国初の公立工芸博物館だ。2021年の開館まで敷地は塀に囲まれており、外部とのつながりがまったくなかった。隣接する「開かれた松峴(ソンヒョン)緑地広場」も、2022年秋に一般開放されるまでは立ち入ることのできない場所だった。
 突然都会の真ん中にある広大な敷地が開放され、「さあ、入ってみてください!」と言われても、少々困惑してしまうかもしれない。しかし、動線をしっかり押さえれば2倍、3倍楽しめる魅力的な博物館である。さらに、博物館が歴史的な場所に建てられている場合、建物の過去の用途や関わった人物を知ることで、その場所自体を展示物の一部として楽しむことができる。ソウルには、そのような博物館や美術館が数多く存在し、ソウル工芸博物館もその一例だ。今回は博物館の空間を中心に紹介してみよう。

博物館の基本的な構成を確認
 この博物館では、様々な時代や分野にわたる工芸品と関連資料を展示するだけでなく、工芸アーカイブの管理やさまざまな層向けのプログラムも提供している。特に、白磁の壺を模したキャンドル作りが人気で(不定期)、しかも無料で参加できるため、申し込みがすぐに埋まってしまうことが多い。
 次に博物館の基本的な構成について説明しよう。この博物館は、カフェを併設した案内棟、展示1棟、展示2棟、展示3棟、教育棟(こども博物館)、管理棟、韓屋を含む7つの建物と広場で構成されている。「工芸別堂」と呼ばれる雰囲気の良い韓屋は、残念ながら一般の人は入ることができないが、外観だけ眺めるのは可能だ。
 この博物館には4つの出入口があるためどこからどう見たらいいのか迷い、同じところを行ったり来たりして迷いやすい。観覧の際は、まず案内棟に入り、展示3棟→展示2棟→展示1棟の順に進むことをおすすめしたい。常設展を動線に沿って整理すると、以下の通り。

 ◉展示3棟2階: 「ポジャギ、日常を包む」
 ◉展示3棟2階: 「刺繡、花が咲く」
 ◉展示1棟2階: 「匠、世を利する」
 ◉展示1棟2階: 「工芸、近代の扉を開く」
 ◉展示1棟2階: 「工芸、時代を映す」
 ◉展示2棟2階: 「匠、工芸の伝統を作る」

 なお、企画展は展示1棟で開催されている。

 案内棟に入ると、まず目を引くのが存在感のある案内デスク。とても重そうで(?!)動かすのは容易ではなさそうだ。これは「PROJECT9」というプロジェクトの一環として、博物館の開館を記念して設置された作品の一部である。
 このプロジェクトでは、空間(Space)の発見、作家(Artist)の発掘、作品(Artwork)の創造という3つのコンセプトを基に、工芸作家が博物館にふさわしい作品を制作し、館内および外部空間に展示した。デスクの他に、天井を飾るオブジェや、建物の外壁を覆うオブジェ、屋内外の腰掛けなどがある。
 作家の選定は、市民の意見を反映させ、アンケート調査と作品審査委員会による審査で行われたそうだ。触っていいのかな、座っていいのかなとドキドキしながら竹細工の腰掛けに腰をおろしてみたが、実用性のほうはどうだろう、うーん長くは座っていられない。しかし、このような形で貴重な作品に直接触れられるのは楽しい経験である。

他の博物館では見ることのないアートな案内デスク、素材に注目

本当に座っていいのか一瞬ためらわれる工芸作品

場所の記憶に目を向ける
 案内棟には、博物館の歴史を紹介するパネル展示や模型が設置されている。元々、この場所にあった豊文女子高校は、現在江南エリアに移転して男女共学となっているが、その歴史をたどると非常に興味深い。

展示三棟の模型があるが、模型の建物は著名な建築家金正秀(キム・ジョンス)が1965年に設計


 豊文女子高校の歴史は、1937年に開校した京城徽文小学校にさかのぼる。創立者は銀行家の閔大植(ミン・デシク)で、彼は母親である安遺豊(アン・ユプン)の遺言に従い学校を設立した。1944年に孫の閔徳基(ミン・ドッキ)が財団法人豊文学院を設立し、1945年に豊文女学校として開校、初代校長に金成達が就任した。「豊文」は、安遺豊の「豊」と徽文の「文」を合わせたものである。
 安遺豊は、日本統治時代に朝鮮貴族であった閔泳徽(ミン・ヨンフィ)と事実上の婚姻関係にあった女性だ。閔泳徽は、朝鮮第26代国王で大韓帝国皇帝の高宗(コジョン)と遠い親戚関係にあり、親日派として知られている。一般的に「親日派」という言葉は、日本や日本人、日本文化に対して好意的な態度を示す外国人を指すことが多いが、韓国では「親日派」とは、日本統治時代に日本の支配者に協力して、社会的な地位や成功を得た人々を指す。このような親日派は、日本の支配から解放された後、裏切り者や売国奴として強く非難された。現在でも韓国の政治や社会において親日派はセンシティブなものとして扱われており、彼らの歴史的な評価は常に議論の的になっている。
 博物館の建つ土地にはかつて、安国洞別宮(アングクドンビョルグン)という王室の建物があった。この建物は、ハングルを創製したことで知られる朝鮮第4代国王・世宗(セジョン)の息子、永応大君(ヨンウンデグン)の邸宅として使われ、その後、朝鮮最後の国王・純宗(スンジョン)の嘉礼(王室儀礼)のために増築された歴史がある。
 しかし、1910年の韓国併合後に安国洞別宮は廃宮となり、土地は安価で払い下げられ、閔泳徽が取得した。この取引には当然ながら、何らかの権力が影響していたと考えられる。
 ちなみに余談だが、連載第5回の朴乙福刺繡博物館&浄源朴光勳服飾博物館の中で、韓国の財閥の一つであるサンヨングループの創立者、省谷(ソンゴク)金成坤(キム・ソンゴン)の別荘として紹介されている立派な韓屋は、実はこの安国洞別宮にあった浄化堂(チョンファダン)だ。現在は、メリッツ火災研修院として使用されている。
 また、顯光樓(ヒョンガンヌ)と慶衍堂(キョンヨンダン)という建物は、1960年代にソウル郊外の高陽市にある漢陽ゴルフカントリークラブの敷地内に移築された。学校の理事長で、閔泳徽の孫である閔丙燾(ミン・ビョンド)が会長を務めていたゴルフ場である。2006年に文化財庁(現在は国会遺産庁)が買い取って修理し、忠清南道扶余郡(チュンチョンナムドプヨグン)韓国伝統文化大学校に復元した。

1960年代まではこの敷地に安国洞別宮の韓屋が建っていた

 学校が移転した後、安国洞別宮に関連する遺物が発見されたということで、長い間調査が続けられていた。その調査の様子を横目に見ながら、何ができるのか気になったものだ。なお、まだ何か出てくるかもしれないということで、地下に駐車場は作られていないそうだ。
 この地域は、朝鮮時代に手工芸品を製作し、官公庁に納めていた職人「京工匠」が多く住んでいた鍾路区の中心地だ。近くには北村韓屋村(プッチョンハノクマウル)や仁寺洞(インサドン)、景福宮(キョンボックン)といった歴史的な名所がある。この場所に工芸博物館が建設されることになったのは自然な流れだろう。

 向かいに位置する「開かれた松峴(ソンヒョン)緑地広場」も、複雑な歴史を持つ場所の一つだ。詳細は割愛するが、長い間この土地はソウルの中心にありながら、仮囲いで閉ざされており、人々が近づくことができない場所だった。現在では色とりどりの花々が植えられ、白岳山(ペガクサン)、北漢山(プッカンサン)、仁王山(イナンサン)の山並みとソウルの都市景観を一望できる空間となっている。
 この広場は2024年12月までの期間限定で開放されており、2025年からはサムスン電子初代会長、李健熙(イ・ゴニ)の美術品コレクションを展示する記念館を含む公園計画が進行中だ。しかし、市長が交代すれば計画の大幅な変更もあり得る。現在は、ソウル市が主導するさまざまなイベントの会場として利用されているのだが、短期間に行われるイベントの装飾は簡素で、場所の歴史を反映したイベントが行われることもなく、空間の活用が不十分に感じられる時がある。
 工芸博物館の広場も、十分に活用されているとは言いがたい。秋夕(チュソク)や旧正月などの伝統行事の際には伝統芸能のパフォーマンスで賑わうものの、それ以外の時期には特に目立ったイベントは開催されていない。しかし、その場に立つと、都会の中心とは思えない開放的な景色を楽しむことができる。展示棟に入れば、緑地広場の背後に山々と展示物の美しいコントラストが窓越しに広がっている。ぜひその眺めをじっくりと味わってほしい。

工芸品を見にきたつもりが窓の外の景色にうっとり

学校の記憶をとどめる建物とイチョウの木
 窓の多い長方形の建物でいかにも学校建築らしい外観の建物の間で、一棟だけ円形に建てられた建物がある。子どもたちが工芸体験できる子ども博物館で、予約制で運営されている。カフェも入店しており、5階の展望台もおすすめだ。温かな色味のリボンをぐるぐると巻いたような外観が印象的だが、鉄骨にテラコッタタイルを一枚ずつ貼っていって覆ったものだ。こちらも元々豊文女子高校に建てられた円形校舎だった。
 円形校舎(または円型校舎)は、日本では1950年代に多く建設され、北海道から九州まで広く分布していた。最近は少子化や老朽化によって解体されるようになり、珍しい存在になっているという。円形校舎の存在を最近まで知らなかったのだが、中学や高校をこういった校舎で過ごしたことがあるという方からの話も聞いた。
 韓国ではどうなのだろうと調べたところ、日本ほど多くは建てられなかったようで、現存する数も非常に少ない。ただ、釜山(プサン)の慶南(キョンナム)高校德馨館(トクヒョングァン)は、1956年築で、文化財にも指定されている大変モダンな建物だ。設計は李天承(イ・チョンスン)。韓国近代建築第一世代の建築家で、福岡の高校や九州大学で建築を勉強した経歴を持つ人物だ。

一番右側の建物は韓国近代建築の巨匠金重業(キム・ジュンオプ)設計の安国ビル

 円形校舎と展示棟の間に立つ大きなイチョウの木は、樹齢400年以上で豊文女子高校の象徴的な存在だった。その木は、安国洞別宮時代にも同じ場所に立ち、いろいろな歴史を眺めてきたに違いない。学校が移転することが決まった際、理事長はイチョウの木をまるごと移植するか、せめて一部の幹を持っていって新しい場所に植えようと考えたそうだ。しかしいろいろな事情により実現しなかった。一番は予算の問題だろう。
 新しい江南の校舎の中庭には円形の建物があり、設計を担当した建築家のインタビュー記事によれば、その不規則に配置された窓はイチョウの木のこぼれ日を表現しているという。また、イチョウの木から放射状に広がる白いラインは、木の生命力が元校舎だった展示棟全体に広がっていく様子を象徴している。いやあ、言われなければ気づくことのない粋な演出である。

樹齢400年以上のイチョウの生命力を感じよう


【インフォメーション】
ソウル工芸博物館
韓国の伝統工芸と現代工芸を専門に展示する博物館。館内では、朝鮮時代から続く陶磁器や刺繡、木工品、金属工芸などの伝統的な工芸品から、現代の工芸家による革新的な作品まで幅広く展示されており、韓国の工芸文化の歴史と進化を深く理解できる場所となっている。また、北村韓屋村や景福宮などの観光名所にも近く便利な立地。

開館:火曜〜日曜 10:00~18:00(最終受付17:00)

料金:無料
住所:ソウル特別市鍾路区栗谷路3ギル4(서울특별시 종로구 율곡로 1)
交通:地下鉄3号線 安国駅 1番出口からすぐ