東京都区部には23の区があるが、ソウルにはいくつの区があるかご存じだろうか? 答えは25。ソウルは中央を流れる漢江(ハンガン)を基準に、北側を江北(カンブク)、南側を江南(カンナム)と大きく分けることができる。江北には中(チュン)区、鍾路(チョンノ)区、龍山(ヨンサン)区など、古くからソウルの中心で歴史的建造物が多く集まる区を含め、14の行政区がある。一方、江南にはソウルのトレンドが集中する江南(カンナム)区、芸能事務所が多くハイソなイメージの瑞草(ソチョ)区、ロッテタワーがある松坡(ソンパ)区を含め、11の行政区がある。
今回訪れたのは、九老(クロ)区の九老女性労働者生活体験館。ソウルの南西部にあり江南エリアに属しているが、一般的にイメージする「江南」とは異なる雰囲気を持っている。九老区は主に工業地帯として知られ、特に九老デジタル団地にはIT企業やベンチャー企業が多く集まり、韓国のハイテク産業の中心地となっている。
九老女性労働者生活体験館を選んだのには、二つ理由がある。一つめは前回紹介した全泰壱(チョンテイル)記念館と同様に、韓国の1960年代以降の「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を支えた労働者に、スポットを当てた記念館であること。二つめは彼らの存在があったからこそ、工業化と輸出主導の経済政策が成功し、短期間で先進国の仲間入りを果たしたことを少しでも知ってもらいたいからだ。
観光では味わえないソウルへようこそ
九老区は、観光で訪れる機会が少ないエリアの一つである。現在も区の三割以上が準工業地域であり、1960年代に九老工業団地(九老工業地域、クロコンダン)が設立され、多くの工場や企業が集まり現在に至っている。
地下鉄2号線九老デジタル団地駅は、2004年に九老工団駅から改名された。「デジタル」を駅名に取り入れることで、イメージアップを図ったと思われる。地下鉄1号線・7号線の加山(カサン)デジタル団地駅も、2005年に加里峰(カリボン)から改名された。加山という名前は、町名の加里峰と禿山(トクサン)の頭文字を取って付けられたものだ。
九老工団時代の初期は軽工業の工場が中心で、「コンスニ」と呼ばれる女工たちが多く働いていた。「コンスニ」という言葉は、韓国で工場労働者、特に若い女性労働者を蔑称的に指す言葉である。以前紹介した朴正煕(パクチョンヒ)大統領記念館には、九老工業団地の航空写真や女工の様子を紹介するパネルが展示されているが、大統領の功績を称える内容に終始していた。低賃金で長時間労働を強いられ、労働者の権利が保障されない中でも懸命に生きていたコンスニたち。彼女たちのリアルな生活ぶりを知ることができるのが、九老女性労働者生活体験館である。
博物館は加山デジタル団地駅から徒歩約5分の場所にあり、駅に沿って続くポッコッ路と呼ばれる道では、春になると美しい桜が楽しめる。そこから一つ路地に入ると、ヴィラと呼ばれる低層の集合住宅が密集するエリア。駅の反対側には現代的な高層ビルが並び、コントラストがとても印象的だ。
集合住宅と遠くに見える現代的なビル

カリボン商会は見どころがいっぱい
中に入ると、1960〜80年代の「クモンカゲ」を再現した空間に、さまざまな生活雑貨や食品が並んでいる。クモンカゲとは町の小さな個人商店のことで、今はコンビニに取って代わられ、姿を消しつつある。昔の商品を眺めながら、日本と似ているものや異なるものを探すのに夢中になり、つい長居してしまう場所だ。若い世代にとってはすべてが新鮮で、不思議に思えるだろう。固定電話機を知らない世代と一緒に来ると、とても盛り上がる。
20年ほど前には、この時代のインテリアを取り入れた居酒屋や食堂が流行っていたが、今の若い世代にはレトロと言えば90年代が響くかもしれない。自分も歳を取ったと実感する。

体験館は、蜂の巣と呼ばれる独特なスタイルの集合住宅をそのまま展示空間にしている。蜂の巣とは、1960〜1980年代に九老工業団地で働いていた女工たちが住んでいた小部屋を指し、九老にはこの蜂の巣スタイルの建物が多く建てられた。3畳にも満たない小部屋で、4〜10人が仮眠をとりながら生活していたそうだ。
地下1階から地上2階の構造の建物には、当時の女工たちの生活の様子が復元されている。1階の展示の一角には、スニの部屋という部屋もある。スニは日本の花子に相当する一般的な名前だが、今の世代には太郎や花子といった名前を知らない人も多く、この例えが通じるかは微妙かもしれない。
復元された女工の生活空間
地下1階には、女工の暮らしを再現した「小部屋体験館」があり、ファッション部屋、文化部屋、勉強部屋、思い出の部屋、縫製部屋、生活部屋など、テーマごとに復元された6つの小部屋が並んでいる。地下なので陽は当たらず、数多くのドアが印象的だ。なお、10年前に訪れた時とほとんど変わっていないことにも驚かされた。
自分が幼い頃家にあったビニール製の衣装ケースがまず目に飛び込んでくる。日本ではファンシーケースと呼ばれているが、韓国語ではビキニオッチャン(オッチャンはタンスという意味)という。ビキニのおっちゃん? 一度聞いたら忘れられない。由来が気になる方はぜひ検索を。
学生時代に東京・下北沢の古着屋で買ったようなワンピースやAラインのツイードジャケット、ラッパズボン(フレアジーンズ)もなつかしく感じる。ここでは作業服を羽織って部屋に上がり、写真撮影も可能だ。しかし、この空間ではしゃぐのは少しためらわれるというのが正直な気持ちだ。多い時には一部屋に10人が生活していたと考えると胸が痛む。
懐かしいアイテムでいっぱいの小部屋
ある蜂の巣の家は、32の部屋に対してトイレがひとつしかなかった。このような住環境で、田舎から上京してきた16〜19歳の若者たちが働き、青春時代を過ごしていたわけだ。時代の流れとともに、1990年代半ばからは外国人労働者が多く住むようになり、現在は建物の老朽化や再開発の影響で多くの蜂の巣が取り壊されている。リノベーションして広めのワンルームとして貸し出しているところも多いと聞く。
ソウルの不動産価格と家賃は非常に高く、現在も若者にとって大きな負担だ。韓国特有の賃貸制度であるチョンセは、大きな保証金を預けて一定期間家賃無料で住むスタイルだが、初期費用が非常に高く、準備できる若者は少数だ。そのため、より少ない保証金で借りられるウォルセ(毎月家賃を支払う方式)を選ぶ。コシウォン(ベッド、机、シャワー室といった必要最低限の設備からなるワンルームタイプの部屋)も蜂の巣とあまり変わらない。現在も若者は、首都ソウルに住むのが大変なのだ。

1階は、当時の資料を展示した企画展示館となっている。壁いっぱいに、九老工団で働いていた女工たちの様子や、当時の九老の様子を切り取った写真があり、とても見応えがある。前述した通り、この階にも女工の部屋の様子を再現した「スニの部屋」があり、小物がたくさん置いてあって、ひとつひとつ見る価値がある。もちろん当時のものではないものの。
壁に描かれた女工たちの表情はあどけなく、朝の準備をしながらおしゃべりしている様子がかわいらしい。といっても、トイレに並び1時間近く待ったので、毎朝大変だっただろう。
2階は映像コーナーになっている。九老工団を舞台にした小説や映画、音楽などが紹介されており、時間があればゆっくりと見学したい。
白い人形にはいつも驚かされる
ここに写っている人々は今、どこで何をして過ごしているだろう
拙著『ソウル、おとなの社会見学」の最終章「ソウルの外国人タウン」でも紹介しているように、1990年代半ばから中国の東北地域である延辺(ヨンビョン)やその周辺出身の朝鮮族労働者が加里峰一帯に住み始めた。コンスニたちが去った後、より安価な労働力として外国人労働者が増え、彼らを対象とした中国料理店、携帯ショップ、雑貨屋、安宿などが加里峰市場周辺に多く集まるようになったのである。
加里峰という名前には常に犯罪や治安の悪さといったイメージが付きまとうが、最近では朝鮮族や漢族のボランティアがパトロールを行い、町の安全を守っていると聞く。日中の人通りの多い場所を行き来する分には大きな問題はないが、何が起こるかわからないため、特に女性は夜に一人で行くのは避けたほうが良いだろう(外国で夜に女性が一人歩きするのはどこでも危険)。
きれいになった加里峰市場入口
チャジャンミョンやタンスユクといった韓国風中華ではなく、本場の中華料理をソウルで楽しみたいなら、ぜひ昼間の加里峰市場周辺を訪れてみてほしい。様々な粉ものやおかずが並んでおり、指差しで買い物を楽しんだり、一品料理をつまみにビールを飲むのも良いだろう。
1979年に九老エリア最大規模とされたパノラマショッピングセンターも、ついに撤去された。1990年代前半にはシャッター商店街となり、そのまま放置されていたが、イ・チャンドン監督のデビュー作『グリーンフィッシュ(1997)」でも独特の存在感を放っていた。現在、再開発が進み、このエリアも高層マンションが次々と建設中だ。中国語の看板が並ぶ通りを歩きながら、かつて工場で働いていたコンスニたちのことを思う。
ソウルや地方都市のどこかで暮らしているコンスニの皆さん、アンニョンハシムニカ?
心からそう言いたい。
かつて賑わったショッピングセンターもなくなった
開館:月曜〜土曜(3〜10月)10:00~17:00(最終受付16:30)
料金:無料
住所:ソウル特別市 衿川区 ポッコッ路 44ギル17(서울특별시 금천구 벚꽃로 44길 17)
交通:地下鉄1号線・7号線加山デジタル団地駅 1番出口 から徒歩 5分