夫「養鶏しようかな」
私「え?」
夫「養鶏家になって、卵売ろうかな」
私「本気で言ってんの?」
* * *
夫がリストラで失業したのはコロナが流行しはじめた2020年3月のこと。正確には、会社都合の大幅リストラに、正社員が自ら手を挙げれば退職時に少し余分に手当を出すということで、夫は真っ先に手を挙げたのだという。以来、ずっと求職活動中だ。
わが家は、夫と長男(中3)と次男(中1)と娘(小1)と私の5人家族。それに加え、ニワトリが15羽ほどいる。これは、長男が小6の頃に “家畜” として飼いはじめたもの。
2017年夏、長男から「ゲームの代わりにニワトリ飼わせて」と言われ、大反対したものの、彼は周囲や近所の人を巻き込んで突き進んだ。外堀を埋められるかたちで、私たち夫婦は長男の養鶏を認めざるを得なくなった。彼の目的は採卵で、その卵を近所の人に売って小遣い稼ぎをしている。ニワトリたちを代替わりさせながら(産卵が減る月齢になると捌いて家族で食べる)飼育をしており、それを高校卒業する前まで続けるつもりだと言っていた。最後は全部自分で始末をつけて家を出るつもりだ、と。
それが、ひょんなきっかけで、夫がニワトリの飼育をすることになったのだ。あのときのことは、いま思い出しても妙な展開だったと思う。なぜそうなったのか。狐につままれたようだった。
そもそも長男と夫は仲が悪かった。あれは思春期の萌芽だったのか、長男が小5の頃からは、一度火がついたら2時間は止まらない口論をしていた。夫はサラリーマンで、平日は帰りが遅く会話は少なかったが、土日はしょっちゅう朝から言い争いをぶっ放していた。開戦すると、下の子たちは蜘蛛の子を散らすようにその場から離れていく。離れていないと、飛び火してくることを経験的に知っていた。ちょっとでも口を挟めば巻き込まれる。私は当時、このふたりの言い争いを “日曜討論” と密かに呼んでいた。
それが、長男の成長とともに、次第に互いを避けるようになっていった。口論の糸口ができてしまうのが面倒になったのだろう。ただ、“避ける” ということは、相手を強く意識することでもある。家の中にふたりがいると、どことなくピリピリした空気が漂っていた。そんななかでの夫のリストラで、しかもコロナ禍のステイホーム。いつも家にいなかった夫が、いつもいる人になった。家人のいろいろなことが目につくようになり、とりわけ長男の難点が看過できなかったのだろう。
ある日、ニワトリの飼育がずさんなんじゃないかと疑った夫が、「あやめの飼い方がひどい!」と言い出した。
「はあ? 飼い方を知らないお父さんは想像だけで言ってる。ニワトリはオレが管理してるんだからお父さんにあれこれ言われる筋合いない!」
「もういい! これからはニワトリの世話はお父さんがやる!」
「オレが卵売ってんだよ!」
「売ることだけやればいいだろう。ニワトリたちの飼育はお父さんがやる!」
「……それでいいんだ? じゃあ、わかった。やって」
えっ? ナニこの展開。「ちょっと待って、それでいいの?」と口を挟みそうになったが、とっさに吞み込んだ。失業中の夫にとって、何かしら課役があることは精神的にいいかもしれないと思ったのだ。いや、夫はこれまでと変わらないようすで元気そうにしているのだが、一見健やかそうでも楽観はできないと心のどこかで思っていた。杞憂に過ぎないかもしれないが、夫がニワトリの世話をするというこの展開を見守ってみようと思った。
ただ、ニワトリの世話はすべて夫がやって、長男は採卵した卵を売るだけというのは、見方によれば夫は息子にうまく利用されているようにも映る。途中でそれを不満に思って、「やっぱりやめた、自分で世話して」と言い出すんじゃないかと想像していたのだが、一度放った言葉を引っ込められないのか、ニワトリの世話が気に入っているのか、結局あの日から一年間、夫は毎日ニワトリの飼育をしつづけている。いや、最近では “発酵飼料” も積極的に作っており、むしろ進化させているともいえる。
でも、それはそれ。ちゃんと仕事を見つけてもらわないと。そう思っていたし、夫だってそう考えていたはずだ。だからこそ、いつもハローワークに通っていたのだろう。それなのに「養鶏家になろうかな」って――。まさかの展開に、開いた口が塞がらない。
「ちょっと考えさせて」
私はそう言うのが精一杯だった。
* * *
考えあぐねていた。養鶏家になろうかと言う夫に、どう応えればいいかわからない。思春期の長男が「養鶏したい」と言ったときのような、“面倒臭いことになった” という思考停止に陥ってるわけじゃない。むしろ、ずっと考えている。
これまでサラリーマン経験しかない夫が、自営業者になって養鶏すると言っている。庭先養鶏で卵を自家用自給しているだけで、養鶏業界のことなどまったく知らない素人が。事業となれば当然それなりの初期費用もかかるだろう。うまくいかない場合、それをフォローするのは私の役目になる。だめだ、考えただけでゾッとしてきた。家族は私たちは夫婦ふたりきりじゃない。子どもたちも道連れになる。この家を破綻させるわけにはいかない。
ただ、だからといって「やめておきなよ」と彼のやる気を無下にすることもできない。そもそも何もやらなければ、夫の収入はゼロのまま。私ひとりで一家を支えつづける自信はない。そういう意味で、いちばんありがたいのはサラリーマンになってもらうことだった。初期費用もなければ、経済的リスクもない。けれど、この一年仕事を探しつづけて、たどり着けなかった。そのことは、私もよくわかっている。夫なりに考えてきたなかでの「養鶏しようかな」なのだ。
夫はいつも大きな決め事は私に委ねる。これまでもそうだった。今回もそうなのだろう。やるにしても、やらないにしても、私が背中を押せば夫はそちらに動きだすはず。だから怖いのだ。決断するのは、結局のところ私でもあるから。
本音をいえば、養鶏へと踏み出すことにはためらいがある。長崎に越してきたときのように、何も考えず、思い切って「よし!」と飛び込む気持ちには、どうしてもなれない。それはもしかしたら、いまの私には情報が多すぎるせいかもしれない。ここ数年、取材で農家を訪問する機会が多かった。畜産現場は数カ所だったが、4年間の庭先養鶏もひっくるめて、それがどういう仕事なのか薄々気づいてきている。
端的にいえば、それは “ほかの生き物の命を利用する” 仕事だ。日々の私たちの食を支えているのは、ほかの生き物の命と、それを取り扱う人たちであることは紛れもない事実。そうした風景を撮りながら、私は敬服し、憧れさえ感じてきたかもしれない。けれど――。どこか足元に線が引かれているような感じがあって、その線を踏み越えて “あちら側” に行くことには、まだためらいがある。
悶々としていたある日、久々におじさんの狩猟についていった。数日前に雪が降ったこともあり、なんとなく猪に会える予感があった。山の中を歩いているとほどなく、先を歩くおじさんが立ち止まり、「おる」と小さく言った。おじさんの右に出て見ると、若そうな猪がおとなしくこちらを見ていた。暴れるようすもなく、背中も逆立ってない。静かに目が合う。まだ敵視されてない気がした。そう思った次の瞬間、おじさんはするりと袋から銃を出し、周囲を確認しながら数歩前に出て銃を構えた。猪はまだじっとこっちを見てる。
バアアアン! 耳を擘(つんざ)く爆音。圧倒的な暴力の響き。猪はヒギュー! と嘶(いなな)き、暴れだした。バアアアン! 次の銃声で、猪は脚を踏み外したように転んだ。ブッホブッホと息を漏らすような声と、激しく空を駆けるように動かす脚。おじさんは少しずつ歩み寄る。猪の目は生きてる。動きが完全に止まるのを待って、おじさんは猪の頭側に回り込み首にナイフを刺す。バッと赤い血があふれるように流れだす。殺すための “止(とど)め刺し” は今でも胸がギュッとなる。“殺す” という行為から “絶命” までのあいだは、不謹慎だが、死ぬのが待ちきれないほど息苦しい。でも、だから「絶対おいしく食べてやる」と思う。
台所で猪の脚を切り分けながら思った。庭先養鶏にしても、山の獣にしても、“数” にならない、ひとつひとつの個体だったのだと。ニワトリたちが庭の産卵箱に入って卵を産んでいる姿を目にしていたし、猪や鹿も、一頭一頭を積み重ねるように食べてきた。それも、わが家の5人で。それぐらいがちょうどよかったのだろう。
でも、養鶏業者になれば、私たちにとってニワトリは、間違いなく数になるだろう。その卵を食べてくれる人も、数に思えてしまうのかもしれない。そうなれば、この台所の感覚もまた変わっていくのだろうか。
「お父さん、養鶏するかもしれないんだって」
夫がお風呂に入っている隙に、子どもたちの前で言ってみた。モヤモヤする気持ちをどうしていいかわからず、ただ聞いて欲しかったのかもしれない。
すると長男は、嬉々とした顔で「お、いいんじゃない」と言った。経済性を考えて養鶏を始めた張本人だけに、勝算ありとでも思ったのか。次男は「へえー、おもしろそう」と、こちらも好感触。末っ子は話を吞み込もうとしていたのか、しばらく黙っていたけれど、フッと笑顔になって「おとうさんのおてつだいする!」と張り切った声で言った。子どもたちの声に、ふわり目の前の景色が明るくなった気がした。
考えてみれば、職業にするにしても、しなくても、食べて生きていくことは変わらない。たとえば、これまでの続きのような養鶏はできないのだろうか。ひよこから育て、卵を採り、最後は――。そうしたからといって、たくさんのニワトリたちが “数” にならないとは思えないが、庭先養鶏の拡大版として考えていけるなら、その風景がどんなものか、私も見てみたい。
「養鶏、やってみようか」
(第3回・了)
本連載は隔週更新でお届けいたします。
次回:2023年2月14日(火)掲載予定