鶏まみれ 繁延あづさ

2023.3.24

05そして、電話をかける

 

 

 

「これまでみたいに、自分で捌きたいな」

 そう思ったのは、Mさんの話から、廃鶏にするのも容易ではないという印象を受けたから。小規模の養鶏では一度に業者に出す廃鶏の羽数が少ない。そうなると儲けも少ないのだろう、疎まれることもある様子だった。
 もうひとつ。「運ぶときに臭い糞をするんですよね。それが嫌で」というMさんの言葉も耳に残っていた。庭先養鶏してきた実感としては、土があることで匂いは気にならなくなる。だからこの話は、移動で土から離したから臭いが気になっただけじゃないかと思った。が、カゴに入れられ運ばれるニワトリたちを想像すると、気持ちがズンと重くなった。イディッシュの歌「ドナドナ」の情景が思い出される。ニワトリだってずっと暮らしてきた平飼い鶏舎から狭い場所に閉じこめられるわけだから、不穏さを感じたりするのでは? いや、動物の感覚はその動物にしかないもので、反応や脳波からわかることがあったとしても、それは人間の感覚にまで変換できない気がする。だからといって、わからないから “無いもの” とすることもできない。想像しきれないものを想像してしまう。

 言葉にして話し合ったことはないが、これまで私と長男が心がけてきたことがあるとしたら、おそらく “サッと殺す” ことだと思う。こう書くと、なんだか人でなしのように思われそうだが。
 はじめて自分たちで殺したのは、猟師さんからもらった野生のキジだった。長男が「首がうまく切れない」とモタつく様子にいてもたってもいられなくなり、結局私は長男の手から包丁を奪い、そのまま勢いよく振り落とした。キジの頭はころんと転がった。不謹慎だが、私たちはこのとき心底ほっとした。

 山で猟師たちが速やかに獣を殺し、淀みない動きで内臓を出したり解体をするのを見てきた。殺すときは可哀想で胸が苦しくなるが、それでも流れに身を任せるように眺めていられた。けれど、自分たちの手で殺すときはそうはいかなかった。手間取る時間は、相手を苦しめてい
るようで、それは自分たちの苦しい時間でもあった。だから、サッと殺すようになった。なかば自分のためだ。鶏小屋から出すと同時に脚を結び、そのまま吊るして頸動脈を切るのは一連の作業。

 養鶏業者になれば、これまでの庭先養鶏のようにはいかないのかもしれない。たくさんのニワトリを相手にしたら、そんな気持ちは抱かなくなるのかも。それでも、いまは “サッと殺したい” という感覚からしか進めない。

「うちで食べるもいいけど、ダシのよくでる親鳥肉はほかの人にも知ってもらいたいかも。ニワトリを捌いて販売までするって難しいのかな。資格はいるだろうけど」

 軽い気持ちで言ってみた。害獣駆除の獣肉を販売するために小さな解体処理場を作る動きが各地であるのを知ってたから、それほど難しくない気がした。

 

 

 私が出会った猟師のひとりに、猿廻しを生業とし、猟犬と猟をする中村さんという男性がいる。猟犬に猪を見つけてもらい、足止めしてもらって銃で撃つという猟法だ。出会った当初から「自分の猟は銃しかない」と言っていた。いつも野生肉を分けてくれる近所の猟師さんは「人間はかならず誤るっさ」と言って、銃を持つまでだいぶ抵抗していたし、銃を持つようになっても最後の止(とど)め刺しにしか使わなかった。だから、なぜ中村さんは「猟は銃しかない」と言い切るのだろうと思った。威力ある武器を操ることに怖さはないのだろうか、と。

 中村さんは多くの動物たちと暮らしている。猿と犬のほかにも、大型犬のグレートデンやヤギ、爬虫類のサバンナモニターやコーンスネーク、コタツの中にはアオダイショウまで。なぜ動物と暮らすのかと尋ねると「動物と暮らしたいから」という禅問答のような答えが返ってくる。触れ合うほどに、動物たちとの関係が深まっていく。それが彼にとっての面白さ、楽しさなのだろうかと想像していた。ただ、そんな中村さんが、同じように動物である猪を殺すということが、どうもよくわからなかった。

 

 

 はじめて彼が発砲するのを見たときは圧倒された。駆けつけたときの、安全装置をはずし引き金に手をかける動作が一瞬に思えた。もちろん猟犬との息のあった連携あっての猟だが、両眼視力2.0の彼が撃つと、みごとに急所に当たり猪は即死していた。“あざやか” と思ったほど。それまで目にしていた獣が殺されていく風景とはちがうものがあった。直截にいえば、いつもなら湧き上がる憐れみの感情があまりなかった。
 捕らわれることもなく、野生動物として最後の刹那まで生きて、一瞬で撃ち抜かれる。想像するに、苦しませることの少ない究極の殺し方だろう。猪を擬人化するつもりはない。ただ、殺される立場をまったく想像しないではいられない人間の性分からすれば、殺す側の心的負担が少ないのは確か。中村さんらしい猟法だ。

 


 彼の言葉で印象深いものがある。

「罠猟はあまりやりたくない。ちょっとでも捕まえたら、かわいく思えてくる」

 猪を捕まえた時点で、時間を共有した時点で、親しむ心が芽生える。彼の感覚が伝わってくる言葉だった。
〈かわいい〉はもともと〈かほはゆし(顔映ゆし)〉から転じた言葉。不憫で、気の毒で、見ていられない(顔を向けていられない)心境をあらわしていたという。〈かはゆし〉から〈かわゆい〉と転じるも、現在使われている親しみ愛でる意味とはちがう。現代の私たちからすると、一見チグハグに思える言葉の意味と由来。
 けれど、中村さんが捕らわれた猪に感じる心境に照らし合わせたとき、それは妙に一致してくる。不憫で、気の毒で、見ていられない〈かわいそう〉と思う気持ちは〈かわいい〉と感じる心から生じるという、ひと続きの感情と言葉のありようが腑に落ちてくる。そして、それは庭先養鶏を続けてきた私も、前よりずっと共感できるものになっていた。

 

 

「あれ? なんでかなあ」

 ネットで探ってみても、想像していたような結果にたどり着かない。たどり着いてしまうのは、「食鳥処理管理衛生者」という資格が必要ということと、それを取得できる資格要件のこと。以下のような具合だ。

(1)獣医師
(2)学校教育法に基づく大学、旧大学令に基づく専門学校において獣医学又は畜産学の課程を修めて卒業した者
(3)都道府県知事の登録を受けた食鳥処理衛生管理者の養成施設において所定の課程を修了した者
(4)学校教育法第57条に規定する者又は厚生労働省令で定めるところによりこれらの者と同等以上の学力があると認められる者で、食鳥処理の業務に3年以上従事し、かつ、都道府県知事の登録を受けた講習会の課程を修了した者

 まず(1)の獣医師。そもそも私が獣医師じゃない。だからこれはナシだ。次に(2)だが、獣医学も畜産学も卒業していない。だから、やるなら今から入学して卒業するしかないわけだが、夫が失業しているのに私が大学受験して大学に通うなんて、非現実的すぎる。いちばん身近に感じるのは(3)なのだけれど、そんな養成施設見当たらない。厚生労働省に問い合わせると、「いま現在はそういう養育施設はない」という返事が返ってきた。じゃあ、この選択肢は書いてあるけどないも同然じゃないか! ということは、残りの(4)だ。3年間食鳥処理施設で働き、そのあと講習会を受ける必要があるというもの。
 うーん、どう考えても可能性があるのは(4)だけだ。でも、まず3年間そこで働かなければならない。そこから講習の受講と次のステップに向かうという長い道のり。そうなの?

 私の日本語の読み方がおかしいのだろうか。夫に相談してみる。第一声は「いやあ、そんなに難しいはずないだろう」だったが、彼なりに調べてくれたようで、「うん、たしかにそうなってた」と静かな返事が返ってきた。やっぱりそうか。でも夫婦で勘違いということもある。今度は県に問い合わせてみることにした。すると、「そんな問い合わせはじめて」と言いつつも、調べてから返事の電話をくれることに。若い女性らしく、経験的な不安も感じたが、返事を待つことにした。

 そうして得た情報は、けっして喜べるものではなかった。結局のところ、3年間働いてようやく受講資格が得られるという、知り得ていたことを確認したにすぎなかった。彼女の口ぶりから、私と同じサイトや文面にたどり着いている模様。なんだかなあ。せめてもう少し情報をもらいたいと思い、「ではその食鳥処理の職場を教えてください」と言ったら、そこからまた時間が経ってメールで送られてきた。
 一覧を眺めながら、すごいなあと思う。県内に10ヶ所ぐらいある。これまで食べてきた鶏肉は、みんなこういう場所からやってきていたのか。そんな場所があること、いままで考えたことなかった。

 パソコン画面から、窓の外へ目を移す。10年前ここに越してきたときとほぼ変わらない、長崎の斜面地の風景がある。
「3年かあ……」
 そう言って頭に浮かんでくるのは、3年後の自分ではなく、3年後の子どもたちだった。長男はもう高校卒業のタイミングで、次男は高1が終わるころか。いま小学1年生の娘は小4の終わり。いまはまだランドセルが歩いているような小さな後ろ姿だが、そのころにはお姉さんっぽくなっているのだろうか。
 わが家はどうなっているのだろう。本当に養鶏しているのだろうか? 養鶏に失敗して、路頭に迷ったりしてないだろうか。まだ始めてもいないだけに、まったく想像がつかない。けれど、もし養鶏業を実現させ、運営が軌道にのっていたとしたら。それから食鳥処理管理衛生者の資格取ろうとしても、そこから3年の労働と、その後の講習が待っている。時間がかかりすぎる。だったら、先はどうなるかわからないが今すぐスタートを切っておいたほうがいいのではないか? そんなことを考えながら、わたしはパッと目にとまった食鳥処理の事業所に、電話をかけてみることにした。

「あの、パートとかアルバイトの募集してますか?」

 

 

(第5回・了)

本連載は、基本的に隔週更新予定です。
次回:2023年5月12日(金)掲載予定