鶏まみれ 繁延あづさ

2023.10.14

10春、ひらいていく

 

 

 

 朝4時、目覚ましが鳴る。静かに起き出して、音を立てないよう階段を降りる。身支度を済ませると、ブラシとゴムを持ってそろりそろりとまた2階へ。わが家には各人の部屋などなく、全員雑魚寝。だから息子たちや夫を起こさないよう、娘の耳元でささやく。

「髪結ぼう」「ほら、昨日の夜話したもんね」

 いくつか声をかけていくうちに、娘は目を瞑ったままムクリと上半身だけ起き上がらせた。夢遊状態みたいな娘の髪の毛を結い上げる。「できたよ」と言うと同時に、娘の上半身はふたたび布団へと倒れていった。肩まで毛布をかけてやる。

 食鳥処理場へ向かうのは、正直いえばやはり気が重かった。
 一昨日(おととい)の朝とはまったくちがう気分。なにもわかっていなかったそれまでの自分の能天気さに、いまの自分が呆れてしまう。なぜ私はいつも人一倍  “わかってない” のだろうか…などと考えていたら、車は食鳥処理場を通り過ぎてしまった。いや、ハンドル握って運転しているのは私で、素通りしたのは私なんだけれど、なぜか止まってハンドルを切るというアクションを起こせなかった。通り過ぎたまま進み、食鳥処理場が後ろへと遠ざかっていく。登校拒否する感覚ってこんなだろうか…などと考えていると、むこうにコンビニが見えた。こんどはハンドル切って車を止められる気がした。

 夜明け前のコンビニは店員さんも休んでいるのか、無人のように見えた。入ってみるも、何の用事もない。ブラブラ物色するように歩き回っていると、小さなボディーソープのボトルが目に入った。手のひらサイズの〈ビオレu〉。これだ! ひらめいたと同時に手を伸ばし、早歩きでレジへ。「レジお願いします!」と言うと、奥から眠そうな表情の店員さんが出てきてくれた。こんな夜明け前から仕事してくださるなんてありがたい。私は何かすごいアイテムを入手した気分で、来た道を戻るように車を走らせた。次こそハンドルを切ってあの門の中へ入ろう。

 

 

 駐車場でエンジンを止めると、迷いが起きないようなにも考えず、すぐドアを開けて建物へと走った。大きなトラックに積み上げられたカゴを横目に見ながら。無意識に、臭いを嗅がないよう息を止めていた。初日の経験を経て、身構えまくっている自分に苦笑してしまう。憶病になってるのは、言い換えれば防御反応なんだろう。

 控え室に入ると、先日のおばあちゃんたちが着替えを終えておしゃべりしていた。「おはようございます」と挨拶すると、「おお、来たね!」と溌剌とした声が返ってくる。自分のロッカーを探って「これ、使いんしゃい」とアームカバーをくれたのは小森さんという人。もうひとり橋本さんという人が、薄手の白いレインコートをくれた。こうよ、ああよ、と言われつつ身につけていると、二十歳(はたち)前後に見える女性が入ってきた。私が「若い人も勤めていらっしゃるんですね」と言うと、「ああ、この子はミャンマー人でピューちゃん。ここに若い日本人はおらんよ」と小森さん。
 え、ミャンマー⁉︎  先月のクーデター(2021年2月)以降、ミャンマーの情勢は連日トップニュースだ。

「あの、ご家族は無事ですか。連絡はできていますか」

 思わず口を衝いてでた。抗議活動するミャンマーの若者や、それに対する軍の激しい弾圧の報道も見かけていた。ちょっと前には、ネットが遮断されて通信困難になってきているという記事も。だから、ミャンマーと聞いて反応せずにはいられなかった。
 ピューさんは考えるように瞳を動かして「ダイジョウブ。家はヤマノホウだから」と笑って、「でも連絡はちょっと難しい」と少し顔をしかめた。
   “ヤマノホウ” は “山のほう”で、大きな都市から離れているということだろうか。そこはまた状況がちがうのだろうか。報道では深刻そうなシーンばかり目にしているから、それ以外のことはわからない。
 それにしても流暢な日本語。「日本語がじょうずですね」と言うと、小森さんが「ピューちゃん、もう長かもんね〜」と言葉を継ぎ、ピューさんは屈託のない笑顔を見せると、そのまま小森さんと彼氏の話で盛り上がっている。私はもう次に問う言葉が引っ込んでしまった。
 報道で目にするミャンマーは遠くだった。でも、こんな身近にミャンマーがあったのか。私の中ではまだつながらないけれど。

 

 

「そろそろいかんばね」

 おばあちゃんたちがゾロゾロと部屋を出ていく。私もあとを追わなければ。指示してくれる人が出勤するまでは、私はおばあちゃんたちについていくしかない。不思議だな。胸のポケットに忍ばせたビオレu がとても心強い。お守りみたい。重かった気持ちがだいぶ吹っ切れている。
 おばあちゃんたちの持ち場は、奥の首斬りの場所よりふたつほど手前の広い空間。キコキコと金属音が響いている。ニワトリを吊り下げる器具が、ニワトリ不在のまま室内をぐるぐる巡っている風景は、ひどく閑散としていてちょっと気味悪かった。
 準備が整い、ニワトリが流れてくるのを待つあいだは、みんなおしゃべりしたり、ナイフを研いだり、ぼんやりしている。私は部屋の隅にあるドアが気になっていた。黒っぽいレインコートに厚手の前掛けをした男の人が出たり入ったりするのだ。こっちはおばあちゃんがいっぱいなのに、ドアを出入りするのは男の人ばかり。眺めていると、ドアのむこうは別室ではなく、外なんじゃないかと思えてきた。もしかすると、ニワトリが到着する場所なんじゃないだろうか。先日首斬りした部屋の位置と考え合わせても、一致するような気がする。確かめたい。
 半開きのドアに向かう。目の前まできたとき、あの臭いが鼻をついた。隙間から見えたのは積み上げられたカゴの山だった。ああ、やっぱり――。 

 

 

 中のニワトリも蛍光灯に照らされて、それを男の人が運んでいる。半開きのドアを押し開けると、ニワトリを黙々と金属の器具に掛けている人たちが見えた。ああ、こうなっていたのか。一昨日の首斬りのときは、どこからともなく流れてきている気がしていたが、もちろんそんなはずはない。そうか、ここから流していたのか。それぞれの作業区域が分かれていることで、前後が見えにくい。特化した一部に集中して作業する場所になっている。

「シゲノブさん、こっち始まるよ!」

 後ろから声が聞こえて慌てて振り返ると、おばあちゃんたちが手招きしていた。なんだかさっきより騒々しい。蒸気を出すようなブシュー! という音やガチャガチャした音が加わって、なんだかクラブでかかるハウスミュージックに似てるような。滑らないよう早歩きで戻ろうとすると、目の前に頭の無いニワトリが数珠つなぎになって流れてきた。 

 

 

 この列の下をくぐって反対側から見ると、みな一様に内臓が外に飛びしてぶら下がっている。これが、さっきドア越しに見た生きたニワトリなのか。この流れのなかで、あれが、こうなるのか。わかるけど、わからない。

 

 

 橋本さんから「ズリ切りして」と丸い玉をポンと手渡された。これが砂肝だってことは私にもわかる。家(うち)でニワトリ解体するから。だけど、ここではそれが山積みだ。この風景に私はまだ馴染めない。「真ん中で縦に包丁を入れると」と橋本さん。
 言われたとおり包丁をあてると、弾けるようにパッとひらいた。中には黄色い粒々が詰まっている。つい見入ってしまうのは、家のニワトリの砂肝の中身とちがうから。
 そもそも砂肝は、飲み込んだものを擦り潰す器官。歯が無い鳥類は、咀嚼しない代わりに、そうやって消化しやすくする。ニワトリにはときどき小石を飲み込む習性があるが、それも砂肝の中で擦り潰すための工夫だと思われる。家のニワトリの砂肝をひらくと、よく揉みくちゃにされまくった繊維質な雑草と小石が出てきたりする。初めて見たときは “ここでモグモグするのか!” と驚いた覚えがある。
 けれど、ここのニワトリの砂肝には小石が入ってない。おそらく小石など落ちてない飼育場なのだろう。でも、すでに粉砕された乾燥配合飼料だけなら、砂肝で擦り潰す必要もない。黄色はトウモロコシの色か…と、つい推測してしまうが、いまはそれどころじゃない!  

  猛烈なスピードで砂肝を切っていくおばあちゃんが目の前にいる。私も真似て手を伸ばしていくが、ヌルヌルして一個切るのにさえ手間取る。おばあちゃんはリズムをとってダンスするかのように軽快だ。一個に1秒強くらいだろうか。一方、私は3秒以上かかってる気がする。でも、スピードを上げられない。ひとつひとつサイズもヌルヌル感もちがって、慌てると切る位置がズレそうになるから。一羽にひとつしかない砂肝。山積みにされたその数は命の数をあらわすように思えて、絶対に失敗したくない。まだ要領がつかめない私は、一回一回を試行錯誤するように集中して、無我夢中で切りつづけた。どれほど時間が経ったか。どれほどの砂肝を切ったか。不意に光を感じて我に返った。振り向くと、朝日。目が眩む――    

 

 

 ニワトリから立ち上る湯気と光。整然と流れていく様。これを美しいと感じることへの罪悪感。ニワトリの体内から飛び散る体液や、血や、臭いとともにあって、なお美しいと感じる。いや、飛び散るものを浴びながら内臓を取り出すおばあちゃんたちの背中も相まって、そう感じるのかもしれない。やっぱりすごい仕事だと心底思う。知らなかった、私たちの食べているスーパーの鶏肉はこんなふうにできていたのか。

 途中休憩は15分間の一度だけ。ニワトリがどんどん流れてくるあいだ、私の視界には砂肝の玉と自分の手元しかなく、ただ必死に切りつづけた。どこから来て、どこで何がおこなわれて、どこへ流れていくのかなんて、まったく目に入らないまま終わってしまう。  結局砂肝の玉を切りつづけて二日目の仕事は終わった。
 最後のニワトリが吸い込まれるように遠ざかっていく。その様子を眺めていると、どこへ向かうのか気になってきた。後をついていってみると、お腹の中をきれいに洗浄され、最後は大きな冷却プールらしき中にポチャンと落ちていった。

 

 

 ここがこの部屋の最終地点かと感心していたら、みんなは作業が終わったそばから掃除に取り掛かっていた。もうヘトヘトなのに、誰もがひと息も入れずに掃除に動き出すなんて。しかも、とんでもないほど汚れている。血、脂、内臓、砂肝の中に入っていたエサ、よくわからないヌルヌル。どこから手をつければいいのか途方に暮れるほどとっ散らかっている。それでも、おばあちゃんたちに指示されるまま掃除しつづけると、1時間半も経つころには朝出勤したときのような整然とした場に戻っていた。まるで、芝居で舞台転換後も同じ場所に立っている役者みたいな感覚。ここは目まぐるしく風景が変わる。
 帰り際、小森さんに率直に聞いてみた。

「あの、ここって最低賃金だったりしますか? あ、でもみなさんはベテランだから千円以上とかですよね」
「いやいや、私らみんな一緒よ。上がったりせん。まあ、最低賃金に近いね」

  あのスピードでこなしているおばあちゃんたちの対価が最低賃金だったら、今日の私の仕事量なら対価は時給500円にも満たないだろう。この仕事はカンタンじゃないと思う。手を動かすスピードといい、その動きをひと息も入れず何時間と続ける体力といい、少なくとも私には難しい仕事だった。そのうえ、血や内臓物や体液を浴びて酷く汚れる。それなのに、なぜこんなに賃金が低いのか。私の感覚がおかしいのだろうか。 

 帰るとき鏡を見ると、顔に血はついてなかったが、ポツポツ黄色や緑色のもの、帽子には赤い血と白い脂のようなものが付着していた。ニワトリの体内や内臓の中にあったものを浴びるというのは、やはり気持ちが悪い。私は胸のポケットに入れていたビオレuを取り出して顔と手をゴシゴシ洗った。ふんわりいい匂いがする。匂いは誤魔化しかもしれないが、私に付着した汚れはすべて落ちて、すっかりきれいになれた気がした。これがあれば、もう怖くない。なんとかやっていけそうな気がしてきた。 

 

* 

 

 帰宅するとメールが届いていた。 

《山の上で、周りに民家もないところに畑があります。友人で自然農をやってる人もいて、土地のことは彼に聞いてみてもいいと思います》

  夫がなかなか養鶏の土地を見つけ出せずにいるので、業を煮やした私が、友人らにどこか土地に心当たりはないかと呼びかけていた。夫からすれば、おそらく世話を焼く母親のような鬱陶(うっとう)しさだろう。そう思われていることはなんとなく感じているが、じっとしていて土地が見つかるはずがないという焦りが私にはある。住宅の賃貸物件じゃない、田舎の農地を探しているのである。ここはやはり現地の人づての情報しかないと思ったのだ。
 そんななか、丁寧にお返事くださったのがレストランを営む坂口さん。素材にこだわる料理人だけに、細かく伝えずとも私たちの養鶏のイメージはわかってくれているようだった。坂口さんとの話は進み、土地の見学がてら自然農の方も誘ってピクニックをすることになった。  

 

 

 紹介されたのは農家の囲(かこい)さん。近隣にいくつも畑を持っているとのこと。お昼は山の畑で食べることになり、坂口さんがその場で作ってくれた。私たちの持参した卵は目玉焼きに。
 周囲の風景を眺めながら食べて話すひとときは、何よりも贅沢だった。ふだん私の知人と関わろうとしない夫が、いつになく饒舌で可笑しかった。夫が農家になることの不安のなかには、人付き合いが苦手なこともあったから、少し安堵もした。あの場所には豆を植えたいとか、芋が合ってると話す囲さんに刺激されて、夫も養鶏への想像がふくらんだようだ。
 水場の様子、斜面の具合、風の通り方、土地を活かすイメージは現地で地形を眺めながらでしか湧いてこない。そういう意味では、山の畑周辺は利便性を考えると即決するのは難しそうだった。
 それでも今日の収穫は大きかったなと、満足して帰ろうとしたところで、囲さんに声をかけられた。

 「最後にもうひとつ僕の借りてる畑を見ていきませんか? その隣は別の地主さんだけど、いまは使われてないみたいなんですよ」

  家から遠いので帰宅時間が気になったが、せっかくなので連れていってもらうことにした。だんだん細くなる道を進むと、丘のような場所に出て視界がひらけた。
 小川に沿って曲がりくねる道と、その中程にある一本の木が印象的な風景だった。陽の傾きのせいか、印象派の絵画みたいに美しい。その絵の中に入っていくように、車は進んでいく。すると先に、また新しい風景がひらけてきた。
 獣避けのため入り口が閉まっている。車を停めドアを開くと、すぐそばを流れる小川の音が耳に入った。水が流れる音って、こんなに心地よいものだったか。入り口に立つと、ふわっと風が背中を押してきた。そのまま4人でしばらく風景に見入った。山の谷間に、光に満ちた風景がある。

 

 

 坂口さんが興奮気味に「ここすっごくいいですねー」と言うと、囲さんが嬉しそうに笑った。たしかに、桃源郷かとも思える幻想的な景色だ。でもそれは、たまたま日暮れ前のマジックアワーのおかげで2割増しに見えているだけ、と写真を仕事にしている私は冷静に思ったりしていた。それでも、その2割差を引いても、ここは美しい場所だとも思った。夫も一緒になって「いいですねー」と言っている。調子を合わせているのか、どう思っているのかよくわからない。

「あそこにしようと思う。あれ以上はない」 

 帰りの車で夫がポツリ言った。
 春に浮かれたか。 

 

 

 

 

(第10回・了)

 

本連載は、今回にて終了となります。
長らくご愛読を賜り誠にありがとうございました。

※本連載に書き下ろし原稿を加え再構成した単行本が、亜紀書房より2024年初夏頃に刊行となる予定です。