鶏まみれ 繁延あづさ

2023.8.31

09かけ離れている

※一部、刺激の強い写真を含みます。あらかじめご了承ください

 

 

 私は見た。私は嗅いだ。私は聞いた。たくさん殺した。
 そして、とてつもなく汚れた。

*

 食鳥処理場を出て、白昼の駐車場に戻る。まだ真っ暗闇のなか車のドアを開けたのは今朝のことなのに、もっと時間が経っているような気がした。運転席に座っても、全身に浴びた体験が多すぎて、うまく処理できない。目にした光景や、臭いや音が、バラバラのままぐるぐる巡っている。沸き立つ混乱を鎮めるように、私は車を走らせた。処理場からの距離が離れていくに従って、少しずつ気持ちが落ち着いていく。そうだ、夕飯の買い物しないと。

 スーパーの野菜コーナーには菜の花が出ていた。寒いけど、もう春らしい。野菜を眺めていると、急にお腹が空いてきた。さっきまで何も食べる気しなかったのに。カゴに商品を入れるたびに、ひとつ、またひとつ、と日常に戻ってきたような心地になる。店内を進むと見慣れた風景が見えてくる。鶏肉のコーナーには、ムネ、モモ、キモ、ハツ(心臓)、砂肝、せせり、ささみ、手羽などが、食品トレイの上でピカピカ光って並べられている。砂肝もきちんと整頓されて、処理場で目にしたものからは見違えるようだった。どれもとてもきれい。ああ、ここにつながっていたのか。さっきまでの光景が蘇ってくるも、どこか実感に欠けていた。狩猟に同行して、獣が殺され肉になっていくのを見たときのような、あの決定的な接続感はない。肉になる前と後が、あまりにもかけ離れている。

 

 

 この日は夫の帰りが待ち遠しかった。話したかった。ようやく切り出せたのは、夕飯の後片付けを終えて、夜ふたりで洗濯物をたたんでいるとき。

「すごかった。夥(おびただ)しい数のニワトリがさ、吊り下げられてどんどん流れてくるんだよ。ぎっしり隙間なく、ずっと。それを、たった一人で首を斬る人がいてさ、そこを手伝ったんだ。頭まですっぽり覆われて目の部分しか開いてないのに、その目のまわりは血だらけになっちゃってさ。全身にいろんなもの浴びるんだよ。こんな仕事があるのかと思って。こんなに……、こんなに、とうとい仕事があるのかと思った」

 言葉を探りつつ話すなかで、“尊い” は不意に出てきた。ふだんは使わない。これ以上ないくらいほどの仕事だと伝えようとして、ポロッと出てきた。夫に話せたことで、私はようやくスッキリした。けれど、一緒に驚いてくれるはずの夫は抑揚のない声でこう返してきた。

「ふうん。でも、食鳥工場って最低賃金だけどね」

 え⁉︎ 虚を突かれたような気がした。そういえば時給を聞いてなかった。というか、賃金のことなど頭になかった。面接のときは、働けるかどうかばかり気にしてたから。でも、まさか、あの仕事が最低賃金? そんなはずはない。

「なんでわかるの?」
「だって、いつもハローワークに求人でてるから。首斬る人は多少色がついているかもしれないけど、基本は最低賃金だと思う」

 信じがたい。だって、あんなに――すごい仕事だから。それじゃあ、あまりにもかけ離れている。チグハグだ。私の感覚がおかしいのだろうか。

 

 

 朝から娘が「浴衣(ゆかた)着たい」と言っている。私の母は物持ちのよい人で、私が保育園のころ着ていた浴衣を先日送ってきてくれた。孫娘にちょうどよい頃合いと思ってのことだろう。娘は昨年の七五三から和装に関心を寄せており、届いた浴衣に大喜びしていた。でも、まだ3月である。浴衣なんて寒すぎると話すも、どうしてもと言うので、丈の確認も兼ねて着せてみた。日ごろやってあげられないことばかりだから、浴衣ぐらいはという気持ちもあって。丈はちょうどいいみたい。帯を締めると感激したようすで、今度は「ゲタはいて外いってくる」と言う。いや、それはさすがに風邪ひきかねない。せめてもと足袋(たび)を履かせることにした。ヘンな格好、でも本人は満足そうである。

 外に出たついでに、雑草をむしってニワトリ小屋の隙間から差し出す。すると、われ先にとコッコたちが鋭いクチバシで啄(ついば)みはじめる。みんな元気そう。産卵箱に手を入れると、卵が6つ。この小屋のコッコは7羽。産卵が増えてきた。そういえば雑草も増えてきた。カラスノエンドウも生えてる。確かに、もう春らしい。
 うちのコッコを眺めていると、昨日見た食鳥処理場のニワトリたちが思い出された。見た目は同じニワトリ。違いを思わずにはいられない。

 

 

 わが家でも、これまでにニワトリの違いについて気づかされることはたくさんあった。例えば、長男が養鶏を始めるときに飼ったのは、ボリスブラウンと烏骨鶏の2種。ボリスブラウンは卵用に品種改良された鶏種で、産卵率も良好。平飼い養鶏でもよく飼われている種だ。一方、烏骨鶏は品種改良されていない野生に近い鶏種で、多くの野鳥と同じように抱卵性(両脚の下で卵を抱くように温める習性)があり、子育てもする。言い換えれば、卵用に品種改良されたニワトリの多くは、抱卵性や子育ての習性を失っているということ。この違い、採卵の効率につながっている。

 人間の場合、妊娠中や授乳中は排卵(生理)が停止する。同じように、ニワトリの抱卵期が人間の妊娠期に近く、子育て初期も含め産卵しなくなる。だから、人間による品種改良は、抱卵も子育てもしない、ただ産卵しつづける鶏種へと向かっていったのだと想像する。卵はその時点で体外に出ているのだから、温めるのは親鳥でなくとも代替可能。ニワトリの品種改良は紀元前にもさかのぼるというから、年季が入っている。長男は小遣い稼ぎのために養鶏をはじめたが、産卵率の高い卵用鶏種のほうが周囲の人が買い求めやすい価格と量を確保できると考えたらしかった。その一方で、小さいころから野生動物に関心の高かった彼は、観察のために烏骨鶏を飼っていた。実際、烏骨鶏はポツリポツリとしか卵を産まなかった。それでも、烏骨鶏にヒヨコたちの代理母になってもらったりもして、元来ニワトリに備わっている生態を目の当たりにできた。家畜用に品種改良されたものとそうでないニワトリの違いは、人とニワトリと家畜化の長い歴史を思わせられる。

 

 

 こんなふうに、わが家の養鶏でも採卵の効率と品種による違いは認識してきたと思う。でも、そういう意味では、そもそも食鳥処理場のニワトリたちは肉用種のブロイラーであり、採卵用のニワトリとはおのずと鶏種も特徴も異なる。でも、私の感じた違いはそういうことじゃないような。

 もうひとつ、庭先養鶏で気づいたことは、人にとってのニワトリの位置付けだったように思う。末っ子が「コッコに名前つけたい」と言ったとき、長男は「名前はつけない。ペットじゃなくて家畜なんだ」と言った。「産卵率が落ちてきたら絞めて肉にする」と言う長男と、「殺さないで」という娘のやり取りもあった。どんなに彼が “家畜” だと位置づけても、娘には可愛がる対象でもあり、そこにはハッキリした線引きはない。私も次男も、その間を浮遊していたように思う。エサを持っていけば寄ってくるような生き物を世話していれば、気持ちが寄っていくことだってある。生き物の種類ではなく、個々の関わりのなかで生じる情緒のようなもので、それは抑制するよう働きかけていてもコントロールし切れるものじゃない。おそらく長男もそれが分かっていたからこそ、飼いはじめるときにわざわざ家族に「家畜だ」と言い張り、「最後は絞めて肉にするつもり」と宣言しつつも、「いや、できるかわからないけど」と最後に言い添えていたのだろう。けれど、食鳥処理場にいたニワトリは、少なくとも昨日はそんな曖昧さは感じられなかった。もっと、かけ離れていた。

 

 

  “庭先養鶏にしても、山の獣にしても、〈数〉 にならない、ひとつひとつの個体だった。ニワトリたちが庭の産卵箱に入って卵を産んでいる姿を目にしていたし、猪や鹿も、一頭一頭を積み重ねるように食べてきた。それも、わが家の5人で。それぐらいがちょうどよかったのだろう。
 でも、養鶏業者になれば、私たちにとってニワトリは、間違いなく数になるだろう。その卵を食べてくれる人も、数に思えてしまうのかもしれない。そうなれば、この台所の感覚もまた変わっていくのだろうか”

 養鶏に踏み出すかと思案していたときの予感は、まったく別の場所で、早くも、呆気なく的中してしまった。正直なところ昨日の私は、最初のほうこそ一羽一羽という感覚はあったが、そのあとは完全に数になっていた。振り返って思うに、おそらくあのスピードがそうさせるのだろう。
 家で絞めるときは、一回で頸動脈を斬るよう集中するのはもちろんだが、そのあとも息絶えるまで左で頭部をつかんでいる。羽をバタつかせるコッコを鎮めるように、左手にその踠(もが)きを受け止めるように。それは、最初に絞めて捌くことを教わったときの名残りでもあるけれど、今やそうするしかないとも思っていた。
 狩猟についてって獣を殺すときも、家でニワトリを絞めるときも、共通するものがあった。なぜか、どうしても、そこで相手(動物)と自分を入れ替えて想像してしまう。私は殺す側ではなく、殺される側になるという奇妙な想像だ。これは私個人の癖なのか。それとも人間の性(さが)なのか。いずれにしても、その想像から逃れられないから、自分も苦しくなる。息絶えるまで手にしてしまうのは、入れ替わった自分を放っておけないからかもしれない。贖(あがな)いと鎮魂と。そうした養鶏から、数になっていく養鶏へ。私もそこへいくのだろうか。

 明日はまた食鳥処理場へ行く。ふう。暗いため息が漏れる。正直なところ、考えるだけで気持ちがズンと重くなる。数になってしまっても、だからといって何も感じないわけじゃない。胸の奥がぎゅうと縮んで固まるような感覚。

 

 

 娘の髪が伸びて、先週から毎朝私が結うようになった。女の子だから身だしなみくらい気をつけてあげたい。でも、明日も4時半には家を出ないと。どうしようかな。ねむい。

 

(第9回・了)