薄暮の光でセノーテを ― ユカタン半島上映記 小田香

2023.4.18

08セノティーリョでの上映 4/16

セノーテXooch

 午前9時起床。バヤドリッド滞在で毎日通ったカフェも今日でお終い。ウエイターさんも毎日同じ方。スムージーおさめをしつつ書き物。

 マルタとYも仕事があるため、クリスチャンはカフェの中にある小さなプールで泳いでいる。大きなイグアナが日向ぼっこなのか、壁の上で頭を持ち上げたり、お尻をもちあげたり。Yが声をかけていたが無視されていた。

 グスタボは昨晩26:30のバスでメリダに発った。メリダの空港から早朝の飛行機でベラクルースに。

 アウグストとクリスチャン曰く、水没した携帯は米の袋の中に1日入れておくと良いらしい。乾燥剤の役割。すぐさま米を買い、携帯を詰める。

 昼食を済ませてセノティーリョに移動。車で1時間くらい。セノティーリョは撮影の初期に訪れた町のひとつで、アナニアスという男性がガイド(マルタは現地プロデューサーと呼んでいるので、その方が適切かもしれない)を担ってくれた。

 彼はセノティーリョに生まれ、アメリカに働きに出たが、家族のいる故郷に戻る。アメリカでは中華レストランで働いていた。現在はセノティーリョ周辺のセノーテの管理や、旅行者向けの滞在場所や食事を用意する仕事などをしている。気のいい、優しい人である。

 パートナーのレヒーナもセノティーリョに生まれ暮らしている人で、劇中にも彼女が語ってくれた、セノティーリョにあるセノーテ・ウシルの話が出てくる(ウシルには羽をもった大蛇が住んでおり、それがセノーテの主である)。

 セノティーリョに到着後、まだ少し時間があったので、ウシルに行ってみようとなった。リサーチで訪れてはいたが、入らなかったセノーテ。泉自体は大きくはないが、深さは150メートルほど。他のセノーテと水の行き来があるため、水に流れが生まれ、人が引き込まれることがあるらしい。

 現地の青年たちが数名泳いでいた。ライフジャケットがなかったので、マルタだけ中に入った。「Marta is a fish.」(マルタは魚やな)とYが言った。

 ウシルは変化のないように見えた。バヤドリッド周辺のセノーテよりもアクセスしにくいというものあるだろう。

 セノティーリョにはもうひとつ美しいセノーテがある。
 セノーテXooch。
 Xoochを日本語に変換したいが、何度聞いても発音できない。音を文字に落とせない。

 ウシルではみな泳げなかったので、Xoochの方にも足を向けた。セノティーリョの町から繫がるボコボコの小道を20分ほど走る。アウグストの車に道の岩や木の枝が何度もドン!バシャバシャとぶつかり、悲壮な音をたてている。 

 前から見知った顔がバイクに乗ってやって来た。アナニアス。「Kaori! Augusto!」と名前を覚えていてくれた。嬉しい。

 Xoochに向かっていることを伝えるともう閉まっているらしい。マルタが交渉し、少しだけならと開けてもらえることになった。日が暮れかけているので急がないといけない。上映時間も迫っている。

 井戸のような穴から伸びる傾斜のきつい階段でセノーテに降りていく。陽の光がないので暗く、足元が見えない。アナニアスが懐中電灯で照らしてくれる。

 セノーテXooch。美しい。静謐。いくつもの鳥の声がセノーテの中を周回している。大きな自然に、仲間入りさせてもらっているような、じぶんの存在がセノーテに浮かんでいる落ち葉や枝と同じになるような、稀有な感覚。何に対してか、誰にかわからないが、生きて存在することを許されたような。

 日が刻々と傾き、夕闇にXoochが包まれていく。いつも日中に撮影していたので、こんなに暗いセノーテを体験したのは初めてで、ぷかぷかと浮かんでいると、静かな感動が迫ってきた。

***

 上映時間に遅刻してしまった。上映前挨拶はできなかった。セノティーリョでも上映場所は中央広場のバスケットコートで、周辺に屋台がでていたので、スパゲッティとチキンサンドイッチ、すっぱ辛いチップスを購入。それらを食べながら来てくれた人たちと一緒に座って『セノーテ』を観た。

 劇中に出てくるバンドもセノティーリョを拠点にしており、家族の方が来てくれていた。インタビューをさせていただいた最年長のドン・ホセは、2年前に亡くなっていたことを知った。
 シャーマンのドン・シルビオのパートナーも亡くなったらしい。

 アナニアスをはじめとするご協力頂いた方々にお礼を伝え、質問時間。
「どんな視点でこの映画をつくったんでしょうか?」

 どんな視点でじぶんは映画をつくれるのだろう。常にカメラの横にある問い。視点は私の個人的な体験からくるものであり、個人的な体験は多くの人との出会いと関係によって生まれる。彼ら(人間だけでなくセノーテ自体も含む)との交差がなければ私の視点は生まれず、私(の映画)は存在しない。私の映画。監督の名は前に出るが、私たちの映画と呼ぶべきだろう。

 トーク時、目の前に(その時点では知らなかったが)日本人の女性と、白人の女性が座っていた。日本人のまりさんはツゥルムに10年ほど暮らしており、SNSか何かで『セノーテ』の上映のことを知ったとのこと。セノーテで映画制作をはじめようとしているフィルムメーカーのご友人を誘って観に来てくれた。遠方から、有り難い。

 トーク後、2年前に亡くなったドン・ホセのお孫さんからとてもあたたかな感情をいただいた。お話しされている間、じぶんはスペイン語がわからないから何をいっているのかは理解できないが、トーンや雰囲気から伝わってくる感情があった。