サボる偉人 栗下直也

2024.5.31

09葛西善蔵 お酒を飲めば何でもできる?

 


 人間はどのような状態で独創性を発揮するか。

 原稿に煮詰まり、部屋の掃除をしていたら、10年ほど前の経済誌を見つけた。経済記者をしていたころに買ったのだろうが、何で後生大事に保管していたのだろうかと目次に目を通していると、特集が名だたる企業の商品開発担当者たちのインタビューだった。数十人の担当者にいくつかの質問を投げかけているのだが、その質問の中に「企画が思い浮かばないときに何をするか」という私にドンピシャの項目があった。なぜ雑誌を保管していたのか合点がいくと同時に自分の成長しなささに呆然としながら、解答欄をみてみると答えはひとぞれぞれで興味深い。「自然に触れる」、「スポーツをする」、「人と雑談をする」、「電車に乗る」などなど。「部屋の掃除をする」という答えもあったので、「そうか、俺は現実逃避で掃除をしているわけではないんだ。掃除をしながら原稿を書く行為は前進しているのだ」と自分で自分をほめたくなったのだが、残念ながら、その日は一文字も書く行為につながらなかったのは言うまでもない。

 煮詰まったときに机の前でひたすら考え続けてもアイデアが浮かばないことは今も昔も、職種を問わず共通しているようだ。
 古代ギリシャの哲学者たちは考えが煮詰まると散歩に出たことで知られる。ソクラテスもプラトンもアリストテレスも歩きながら会議した逸話が残っている。近代の偉人ではベートーヴェンなどの音楽家も歩きながらアイデアを練ったことが有名だ。歩くことは、人々が考え、問題を解決し、創造的なアイデアを思いつくのに役立つ。

 意識高い系界隈の人からすれば、「何をいまさら」との声も聞こえてきそうだが散歩と思考の関係性を裏付ける研究は21世紀になり、いくつも発表されている。科学的にも人間は座っているときよりも歩いているときの方が、独創性が向上することがわかりつつあるようだ。ただ、どうだろうか。確かに散歩は効果があるし、体にも良い。ただ、いかんせん、アイデアが思い浮かばなければ、焦るばかりではないか。「散歩どころではない」という人が実際は大半だろう。真夜中にいきなり散歩に出かけたら家人は心配するだろうし、目が血走った状態で歩いていたら職質されても不思議ではない。結局、多くの人は〆切が迫る中、部屋の中でうなり続けるしかないのではないか。大正、昭和初期に活躍した作家の葛西善蔵もそのひとりだ。

 中央公論社で葛西の担当編集者だった木佐木勝の仕事はひたすら待つことだった。

 葛西は寡作で遅筆の作家だった。30歳を過ぎてから『早稲田文学』に掲載した「子を連れて」で注目を集めたが、それから6年で書いた小説は9作。いずれも短編で妻子持ちの葛西の生活を支える術にはならなかった。

 葛西の場合、仕事がないわけではない。本人は書くつもりはあるのだが、創作意欲が湧かないと書けない。金のためと妥協した原稿は書かない。自分の中で創作の神が降りてくるタイミングをひたすら待ち続ける。
 ただ、木佐木にしてみればたまったものではない。依頼は雑誌用の原稿なので締め切りも当然ながら動かせない。葛西がいつ書き始めるかわからないから、木佐木は早朝に葛西宅に押しかけて、晩まで居座る。そこまでされたら状況的に仕事をせざるをえないと思うのだが、それでも葛西は書かない。
「そんなに付きっきりでなくても…」と思われるだろうが、徹底的に監視しないと葛西は創作意欲を無理に引き出そうと奥の手を使いかねなかった。

 酒の力を借りるのだ。

 酒飲みにはわかるはずだ。酒を飲むと力がみなぎり、何でもできるような感覚になる。やれる、何でもできる。サラリーマンならばムカつくパワハラ上司にガツンと言えそうな気がしてくる。作家ならば歴史的な作品が書けそうな気がする。いわずもがな、それは錯覚なのだが、判断が鈍くなり、ある意味で思いっきりがよくなるので「えいや」と奇跡的にできてしまうときがある。

 昭和の流行作家で最近復刊が相次いでいる獅子文六はエッセー「泥酔懺悔」でこう書いている。
 

「若い頃は、酒を飲むと、普通の倍ぐらい、体力が殖えたような気がした。ムヤミに駆け出したくなって、そのとおり、実行してみると、非常に速力が早く、イキ切れなぞをしない。腕力も倍加する」

 
 こんなことが本当に起きるならば、運動選手はみんな酒を飲んでトレーニングすればいいではないかと突っ込みたくなるが、酒飲みに真面目に突っ込んではいけない。速力も腕力も倍増! ではなく、倍増した気になるだけである。何でもできる、やれるのではなく、やれる気がするだけである。さすがに大谷翔平になれるとは思わないかもしれないが、宝くじならば当たる気がして、有楽町の宝くじ売り場に並びたくなるのだ。

 葛西も行き詰まると(いつも行き詰まっているのだが)、酒のマジックにすがろうと「一合だけ飲んでいいかい」などと木佐木に尋ねる。渋い顔をしても、隣家の住人が「酒を飲もうぜ!」とおしかけてくると、これ幸いと酒盛りを始める。木佐木をチラ見しながら、「まあいっか」と飲み、踊り始める。「まあ、いっかじゃねえよ」とブチ切れる木佐木。確かに、木佐木でなくても切れるだろう。どんだけ仕事をしたくないのだと。

 実際、木佐木の前任の担当者は葛西に酒を飲まされ、べろべろになってしまい、全く原稿をもらえず、下戸の木佐木に交代となった経緯があった。
 

 木佐木は他の担当作家も抱えていたが、葛西は隙あれば酒を飲むものだから、目を離せない。付きっきりで、大晦日も善蔵宅で過ごすことになる。
 結局、木佐木の苦労もあり、善蔵は原稿を書き上げたが、ここまで手厚く面倒を見なければ書かないとなれば、なかなか作品はできあがらない。

 葛西は木佐木が関わっていた頃までは貧困に喘ぎながらも創作していたが、昭和に入ると酒と肺病の悪化でいつ死んでもおかしくないような状況に陥る。
 遅筆が故に、量産できない。量産できないから、生活も苦しい。残した作品は生涯で60作ほど。短い作品ばかりで、100枚を超える作品は一つしかない。
 晩年は酒まみれで口述筆記になるのだが、自分で書こうが他人が書こうがやはり遅い。
 作家の木山捷平は葛西の口述筆記を担当した編集者からその模様を何度も聞かされたという。

「酒ずきの善蔵は一ぱいやりながら口述をはじめた。はじめたのが午後の三時ごろで、終わったのが午前の三時ごろだった。口述の途中で善蔵は何べんも便所に行った。墨をすって唐紙に大きな字を書いたりした。口述が行きづまると、畳の上を這いずりまわって犬が小便をする真似をしたり、牛がなく真似をした。手をこすって垢を出したり、郷里の津軽民謡を口ずさんだりした」

 奇行のてんこ盛りである。確かに何度も飽きずに人に話したくなる内容だ。葛西が恐ろしいのは、たまたまこのような奇行に及んだわけでなく、日常的だったのである。特に犬の物まねは大好きだったようだ。
 
 好き放題で周囲をかき回した葛西だが、葬式には約200人が参加する。香典は700円集まったという。現在の貨幣価値に換算すると700万円ほどになる。香典と別に、作家の佐藤春夫などが金を出し合い、遺族への寄付金を募った。集まった金額は316円。葛西は酒癖が悪かったが、素朴であっけらかんとしており、文壇の内外にファンも多かった。編集者たちが原稿をひたすら待ったのも葛西に何かを見出していたからだろう。酒屋の店主は葛西にほれ込み、生前はつけで酒を回してくれただけでなく、生活費まで用立ててくれた。死後に借金を清算しようとしたところ、その金額は1200円あまりだったという。今だったら1000万円を軽く超える。どれだけ飲むんだ。てか、こんなに優しくしてくれる人がいたら誰だって働かずに、原稿を書かずに、ウンウン唸って酒を飲む。

 人間は死に方が問われるとはよく聞く。ほとんど仕事をせず、ウンウン唸って、酔っぱらったら全裸で四つん這いになってワンワン叫んでも、多くの人が惜しんでくれたら人間の最期としては素晴らしい。いったい、自分が死んだら何人が惜しんでくれるか。それは結局、なんのために働き、どう生きたかの通信簿でもあるといったら言い過ぎだろうか。そんな青臭いことをたまに考えてみるのも悪くない。

 

今回の教え: ウンウン唸って酒を飲む。

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