サボる偉人 栗下直也

2023.8.31

05ベンジャミン・フランクリン 頑張っているアピールをしよう!


 中学生のころ、ある歴史上の人物について友人が話し出し、非常に困惑した思い出がある。
 私もその人物については知っていたが、全く人物像が違ったからだ。

 ベンジャミン・フランクリンだ。

 フランクリンは雷雨の中で凧をあげて、雷の正体が電気であることを証明した科学者として知られる。現代の常識で考えれば、落雷で死ぬ可能性もある無謀な実験だが、そんなエキセントリックさが友人にはたまらなかったらしく「科学者って頭おかしいよな」と興奮しながら、しゃべり続けていた。
 当時、私は学校の勉強を完全に放棄していたが、歴史の本だけは読んでいたので、ベンジャミン・フランクリンについては知っていた。ただ、私の中でフランクリンは米国独立運動にかかわった政治家だった。

 私は政治家と雨の中で凧をあげて実験する科学者が全く結びつかなかった。「えっ、なんで政治家が雷の中で凧あげるの」と聞きたかったのだが、「何、言ってるんだよ? フランクリンは研究者だよ。クリシタって、やっぱりバカじゃん」とイジられたくない一心で黙っていた。たぶん、ベンジャミン・フランクリンという同姓同名の科学者がいるのだろうとその場をやり過ごした。

 それから数年後にベンジャミン・フランクリンの多才さを知った。政治家、科学者のほかにも実業家、教育者、文筆家の顔を彼は持っていた。そして、我々の現代の暮らしに身近な功績も少なくなかった。

 1784年、パリに滞在していたフランクリンは夜に遊び、昼まで寝ているパリ市民をみて、ひとつの案を思いつく。そして、「朝早く起きて、夜早く寝れば、高価なろうそくも夜に使わずに済む」と雑誌に寄稿する。当たり前といえば当たり前のことしかいっていないのだが、彼はパリ市で夏の間に使うろうそく代まで試算していた。早起きして日光を活用する生活を送れば9600万リーブルの得になると論じた。
 ちなみにリーブルはフランの前のフランスの通貨だ。現代の貨幣価値への換算は難しいが、一説では月50リーブル程度あれば、子供が2人いる世帯で生活できたともいわれている。いかにろうそく代が莫大であったかがわかるだろう。

 この寄稿が夏に標準時を1-2時間進めるサマータイムの発想の起源になったといわれている(実現するのは百数十年後の1916年まで待たなければいけない。第一次世界大戦で燃料節約や労働時間を延ばすためにドイツが年間を通じて夏時間を採用。欧州主要国も続いたが、終戦で元に戻った)。

 フランクリンの発想は怠惰なフランス人を皮肉ったジョークとも伝わるが、私はかなり真剣だったと思えてならない。というのも、彼は倹約家としても歴史に名を残すからだ。

「時は金なり」とは資本主義社会の現代では誰もが一度は意識したことがある格言だが、この言葉を著書に記したのがフランクリンだ。時間こそが最も重要な資源であり、時間を大切にした人間だけが成功できる。稼ぎにつながらないことは、すべて時間の無駄遣いとまでいっている。

 現代の自己啓発書のような内容だが、彼は資本主義の夜明けの時代に時間の重要性や節約や勤勉の美徳を説いた。生活習慣を見直すポイントをまとめたり、人間関係の重要性を教えてくれたり、自己啓発書のまさにパイオニアなのだ。みんな、生活を見直せば、金持ちになれるぜ! 成功できるぜ! と書きまくった(実際、『富に至る道』というわかりやすいタイトルの本まで残している)。

 数々の格言は新しい社会の成功の羅針盤として、人々を感化しまくった。

「知識への投資が最高の利子を生む」
「怠惰は死海だ。それはすべての善行を吸い込む」
「口論は長く続かない。もし片方だけがほんとうに悪いのであれば」
「馬鹿な者は面倒だが、自分を賢いと思っている馬鹿はもっと面倒だ」
「満腹は悪の母である」
「謙虚さは善、おずおずとした恥じらいは悪」
「自分自身を騙すことが、この世でいちばん簡単なことだ」
「絶望は何人かだけを破滅させる。憶測は多数の人を破滅させる」
「プライドが増加すると、運が低下する」
「知らないのは、習う気がないほど恥ずかしくはない」
「何であれ、怒りから始まったものは、恥にまみれて終わる」
「彼が何者であるか、で彼を判断してはいけない。同様に彼がどれだけ所有しているかでも、彼を判断してはいけない」

(日本語訳は『弱さに一瞬で打ち勝つ無敵の言葉』青木仁志、ライツ社)

 まるで日めくりカレンダーに記されている格言みたいだが、驚くなかれ、世界で初めて格言入りの日めくりカレンダーを考案したのもフランクリンといわれている。

 そして、これらの格言に自己啓発書の大家デール・カーネギー(意識高い系の人が必ず読む『人を動かす』の著者だ)、「投資の神様」ウォーレン・バフェット、テスラやスペースXの経営者であるイーロン・マスクまでもが影響を受けたと公言している。「米国建国の父」として、100ドル札に肖像画が描かれるのも納得の大物感である。

 フランクリンの人生を振り返ると、若いころのフランクリンはハチャメチャである。父親の稼業を継ぎたくないので家出をしたり、兄の元で働いている時にヒッチハイクで逃げだしたり。金を借りて酒を飲むわ、私生児をもうけるわ、勤勉さはみじんも感じられない。

 フランクリンはこうした過ちを二度と犯さないように日々の生活を習慣化して管理することで節制や勤勉を実現したとされている。

 だが、どうだろうか。 
 人間が習慣によってそんなに変わるのだろうか。
 雀は百まで踊りを忘れないし、コンビニの前でたむろしていたヤンキーは歳をとってもヤンキーのマインドを忘れない。聖人君子のように行いを改められるのだろうか。疑問が浮かぶ。現代でも自己啓発書の著者が言行一致しているなんて誰もが思ってはいないではないか。

 象徴的なエピソードがある。
 1778年、フランクリンがアメリカの使節団としてパリを訪れる。当時すでに国民の英雄となっていたフランクリンがどのような一日を送るのかは同行した面々にとっても興味深いものだった。だが、一同は仰天することになる。

 フランクリンが全く働かないのだ。

 われわれに委譲された仕事は、わたしが果たさない限りはけして終わらないとわかった。……フランクリン博士の生活は、放蕩につぐ放蕩の様相を呈している。……遅い朝食を取り、それが済むやいな沢山の馬車の群れが彼との接見にやってくる。……哲学者やアカデミーの会員たちや経済学者たちもいる……だが群を抜いて多いのは女性たちだ……外出すると、帰りは夜の九時から十二時にもなり、時間などおかまいなしだった。

(『働かない』トム・ルッツ、小沢英実・篠儀直子訳、青土社)

 フランクリンがスケジュール通りにこなすのは会食だけ。会食の約束以外は時間にルーズで何もしないので、仕事は遅々として進まない。同行した面々が堪忍袋の緒を切らして、「フランクリン博士があまりにも怠惰すぎる」と本国に意見したところ、なぜかフランクリンについて文句を言っていた面々が罷免され、フランクリンだけがパリに残ることになる。

 彼の著作を注意深くよめば、彼が決して勤勉だったわけでないことがわかる。自ら勤勉であるように見せかけることが勤勉であることよりも重要であるとまで書いている。
 そして、自分は道徳をものにしたとはいえないが、うわべだけは道徳的になれたことで成功したとも述べている。つまり、勤勉であるかどうかよりも勤勉に見えるかどうかがポイントなのだ。

 こんなエピソードも残している。

 彼は印刷業で若いころに成功するが、勤勉ぶりが評判になり信用されるようになった。そして、成功したあとも、勤勉に見せかけることを決して怠らなかった。
「紙の束を手押し車に積んで賑やかな 通りをみずから店まで引いてゆき、ドアまで着いたらすぐに雇い人たちに代わらせるといったことをして勤勉さを人目にさらすようにしつづけ」た。どのような職場でも見渡すと一人はいる「俺、頑張っているアピール」野郎だ。「そんな人はいずれメッキが剝げる」と思うのだが、フランクリンくらい功績も名も残した人にそれが成功への近道といわれれば黙るしかない。

「なんだかな…」と思うかもしれないが、フランクリンのいうことは間違っていない。「いや、間違っているでしょ」という反論が聞こえてきそうだが、歴史はフランクリンを否定しない。私たちの多くが彼を勤勉で倹約な人だと200年以上、思い続けたことがそれを物語っているではないか。

 

今回の教え:勤勉であることよりも、勤勉に見えることが大切。

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