ゆるやかな性 Heshe Ləəy

2020.7.24

12パートナーと、「結婚」のゆくえ(後編)

 

 多様な性に寛容だと思われがちなタイでは、20世紀初頭から近代国家への歩みのなかで、タイのエリート層によって、西洋列強に対する文明国たる証明として、1920年代には婚姻について、単婚と一夫多妻制をめぐる議論が激しくなったという。こうした文脈の中で、「良き女性」「悪しき女性」の区別についても論じられた。タイ研究者によると、国内におけるセクシュアリティをめぐる議論は、常に西洋のまなざしを強く意識するなかで構築され、西洋のタイへのまなざしとともに相互に強化しあってきたと指摘されている。(※1)

 2018年12月、タイのチャンオチャ軍事内閣は同性婚に準じた関係を認める「市民パートナーシップ法案」を閣議で決定。(※2)当時の国内政局不安により、議会での承認の時期は未定だったものの、最近になってようやく動きがあった。タイ政府は、20207月、同性カップルの結婚を事実上認める「市民パートナーシップ法案」を承認したと発表。17歳以上であれば、結婚に準じる「パートナー」として登録できるとされているほか、養子を迎える権利、配偶者の財産を相続する権利なども認められる法案だという。今後、議会で可決されれば、アジアでは台湾に次いで2番目に同性カップルの権利を認める法律が制定されることになるそうだ。(※3

 タイ東北部に位置し、数千人ほどが暮らす村で生活する20代後半のカトゥーイであるチェリーはパートナーとまたちがった関係の築き方をしていた。生まれもった身体は男性だが、心は女性。自らをカトゥーイと名乗り、服装もフェミニンなものを好む彼女。身長はタイでは高身長と言われる180cm超。一般的にタイでモテるとされる黒髪のロングへアが似合い、タイを訪れるといつもよく面倒をみてくれる姉御肌。彼女と出会ってから、何度目かの夏。紹介したいひとがいると言われてついて行くと、木々で生い茂る土地にいくつか建ち並ぶ高床式の家に招かれた。竹や木材で編まれた建物には、タイ人男性とその両親と思しき2人、子どもが3人いた。はじめての日本人に戸惑いを見せながらも、家族らしきひとたちはわたしを暖かく迎え入れてくれた。

 追々チェリーに話を聞くと、病で先妻に先立たれてしまった同世代の男性とその子どもたちと同棲し、男性の両親とも一緒に生活しているという。ここぞとばかりに日本人をもてなそうと、子どもたちと一緒に庭の鶏(食用)を捕まえてはこちらを見やり、「捕まえたぞー!」とガッツポーズをして見せるチェリー。60代の義理の父母は、そんな彼女の無邪気な様子を終始微笑みながら眺めている。「息子が自分やわたしたちよりはるかに大柄で女性の服を着たチェリーを連れてきて、新しいパートナーだと紹介してきたときには、びっくりして。最初は戸惑ったし、正直偏見がなかったわけじゃない」。「チェリーと一緒に暮らして思うのは、息子が愛したひとがたまたまカトゥーイなんだということ。息子を愛してくれるひとが、たまたまそうだった。男女どうこうというよりも、息子やその子どもたち、わたしたちを大切に思ってくれているのは、一緒に暮らしていればいやでもわかる」のだと話してくれた。チェリーは、男でも女でもなく、またカトゥーイであるまえに、チェリーなのだ。タイの戸籍上、チェリーは「男性」で未婚のシングル(独身男性)にカウントされ、ふたりの関係も正式な婚姻制度のもと公的に認められた夫婦とその家族、とはならないが、チェリーを呼ぶ家族の声は愛する成員への情で溢れていた。

 全国的にプライド・パレードが盛んに行われ、LGBTQI+差別解消運動が活発化する昨今。こうした動きがどちらかというと各地で低調に映るタイでは、「差別を解消して権利を獲得できれば、本当にあなたが望む幸せが手に入るの?

と、改めて自問せずにはいられない場面に出くわすことがある。

 カトゥーイの研究で博士号を取得したタイの友人、ノイは「キリスト教の文化圏で生まれ育ってきたファラン(一般的にタイ語で欧米人を指す語)は、背教者として罰せられる対象にもなる可能性があるから、法的権利を求めて声をあげる必要があったのはわかる。でも、わたしたちの国のカトゥーイはそもそもの背景が違うし、いま権利運動をしているタイのカトゥーイも、どこか欧米的な価値観やムーブメントに迎合しすぎている感じがする」と、国内で一見活発化して見える動きについては懐疑的な意見をもっていた。そんな話を聞いていたカトゥーイのぺーは、「タイ国内でのセクシュアルマイノリティにかかわる権利運動は、ブームに乗り遅れないようにしているだけのグループも多い気がする。実際、欧米発の活動団体が目立つしね。わたしの周りにも、以前は仲良く同棲していたのに、パレードに参加しはじめて、次第に仕事との両立に疲れていって、パートナーとの関係性も悪化して、別れちゃったカップルも結構いるよ。大事な相手とまで別れて、本当はなにが欲しかったのかわからないよね」ともらしていた。非欧米社会の性的マイノリティとされる人々は、欧米の価値観に依拠した言説を積極的に参照し、導入することで、アイデンティティを確立しながら、権利獲得運動の成果をあげる一方で、同時に欧米的なセクシュアリティ・モデルをも受容してしまうことで、本来の曖昧さを許容する姿を失いつつあるのではないか。さまざまな研究者からも指摘されるように、実際にタイでも研究者が選択的に西洋の古い理論を用いることで、反ホモセクシュアル的な言説を強化していることも、しばしば指摘されるなど、新たな問題や事態が表面化しているのかもしれない。(※4

 そもそも同性愛者の社会運動はどのような経緯を経てきたのだろう。本来、一般的に異性間のみで認められている結婚こそ、異性愛者の既得権益の象徴に他ならず、婚姻はあくまでも拒絶の対象で、羨望の対象ではなかったとの指摘もある。しかし、90年代には多くのゲイやバイセクシュアル男性がエイズで亡くなる中、パートナーの介護や看取りの権利を同性パートナーが奪われる現実に対して、排除された側の男性がパートナーの介護や看取りを可能にするため、配偶者としての制度的な「お墨付き」を必要とするようになったという経緯もある。このような背景も考えると、同性カップルに必要なのは一般的な「結婚」という形なのか、それとも具体的な生活上のニーズを満たすならば別の制度でもよいのかという問いも生まれてくる。「『名』を取らずに『実』を取る方向性も、検討対象として浮上してくる」という指摘に(※5)、ハッとさせられた。

 結婚というのは、恒常的にセックスのパートナーを得るために制度化され、ときに生存戦略として機能してきた部分もある。それが、LGBTQI+の人々のように、一般的な男女の関係ではなくなると、居住の契約、医療現場での立ち会い、相続などの場面で不具合が生じる現実もある。一向に進まない法整備の現状に対して、徐々に受け皿となるような民間サービスも充実してきた。こうした動きを喜ばしく思う反面、どうしてか複雑な気持ちにもなる。それは、「LGBT問題として主題化されるような差別からの解放は、LGBTの人々が『社会的に』幸せになることを意味しても『性愛的に』幸せになることを必ずしも意味しない」(※6)と、タイでの経験から薄々感じ取ったからかもしれない。

 また、ノイや他の研究者も指摘するように「現代の欧米社会で性的マイノリティーの人権を擁護する運動が活発で社会的権利を保護する法制化も進んでいるのは、性的マイノリティーの存在を否定する基本的な宗教規範がある社会環境の中で法的な保護なくしては生存権が守れないという危機感があったから」とも言える。一方で、芸能や接客業など、限定的な形であれ、江戸時代の陰間や、現代のニューハーフ世界のようなトランスジェンダーという存在を社会が受け止めるシステム(受け皿)があった日本と西欧とでは、社会構造が根本的に異なるのではないだろうか。逆に言えば、だからこそ日本では性的マイノリティの人権運動も、法的な整備もなかなか進まないという指摘(※7)は、いまを生きるわたしたちに多くの示唆を与えてくれる。日本に暮らすわたしがほかの国の営みにも目を向けたとき、欧米的な概念や法的権利や運動のあり方に縛られすぎず、規範のすき間を、ただただ好きな相手や仲間とともに生きる豊穣を感じずにはいられない。

 長く築かれてきたヘテロセクシュアルの恋愛・結婚観もまだまだ強固ななか、明確なシナリオなき性愛を育むのは、そうたやすくはないのかもしれない。だからこそ、法制化が生きづらさを打破する突破口になることも多々あるし、そのような動きが進むことは喜ばしい。でも、「『結婚は男と女のもの』対『性別にかかわらずすべてのカップルに結婚制度を』という対立に問題を単純化」(※8)しすぎないよう、「カップルでなくとも、パートナーがいなくても、流動的な生や揺らぐ性を生きるわたしのような独り身さえも、いずれは内包され得るような、より開かれた広義の人間観的なものに基づく何か」があってもいいのかもしれない。

 最初からわかりやすく、お手本通りの「パートナー」「カップル」「夫婦」「家族」の輪郭をきれいに描けなくたっていい。模範解答らしきものを一度手放してみる。常識的な大人からは甘い考えだと非難されるだろうけど、パートナーと向き合うなかで生まれる一つの選択肢として結婚というのもある、くらいに、いまは思っておきたい。クィア・スタディーズ的な視座をかりるとすれば、いまの自分や特定のパートナーとの関係性は決して永続的ではなく、変わりゆく存在なのだろうとも思う。だからこそ、この先、このまま未婚でも、それ以外でも、誰からどう言われようと、必ずしも社会的承認が得られない形であろうとも、ただただ好きなパートナーや仲間とともに、情愛による結びつきで繋がり、求め、求められる喜びを全身で抱きしめる、チェリーのようなひとでありたいと思うのだ。そんなことを考えながら、「タイ人だけはやめておきなさいね。いい加減だから(笑)」というチェリー一家の冗談なのか、本気なのかよくわからないあの助言が、夏になると思い出される。

タイ・チェリー宅からの帰途にて(2016年8月、筆者撮影)

 

(※1・4) 『ジェンダー人類学を読む―地域別・テーマ別基本文献レヴュー』(宇田川妙子、中谷文美 編、世界思想社、2007年)
(※2) 西日本新聞「タイで同性婚合法化へ 関連法案を閣議決定 アジア初、関係者は期待」(2018年12月30日付)
(※3)「タイで同性婚 事実上合法化へ」(2020年7月9日、TBSニュース)
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4023882.html
(最終閲覧日:2020年7月9日)
“Cabinet backs bill allowing same-sex unions”, Bangkok Post, 8 July 2020
https://www.bangkokpost.com/thailand/general/1947992/same-sex-marriage-endorsed?cx_placement=thailand(最終閲覧日:2020年7月9日)
(※5・8)『LGTBを読みとくークィ・スタディーズ入門』(森山至貴、筑摩書房、2017年)
(※6)『どうすれば愛しあえるの:幸せな性愛のヒント』(宮台真司、二村ヒトシ著、KKベストセラーズ、2017年)
(※7) 『女装と日本人』(三橋順子、講談社、2008年)

(第12回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2020年8月13
日(木)ごろ掲載