熱帯のニーチェ 奥野克巳

2017.3.11

11ないことの火急なる不穏 2


 プナンが暮らすブラガ川上流の森にもまた、トイレが見当たらなかった(「第2回 朝から屁祭り」参照)。「ある」べきものが「ない」世界、それは、人類学者がフィールドでよく経験するたぐいのものである。私もまたそうした落差をじかに経験するようになった。
「ある」べきものが「ない」事態を、ここでは仮に、〈物理的な不在〉、〈精神的な不在〉、〈言語的な不在〉の3種類に分類した上で考えてみたい。そんなにくっきりと三つに分けられないが、一つの見取り図として。物理的な不在とは、今しがた述べた、トイレがないというような事態であった。

 精神的な不在については、反省心が「ない」事態に関して、すでに述べたことがある(「第3回 反省しないで生きる」参照)。精神的な不在と呼べるかどうかは心許ないが、プナンには、精神病理というべきものが見当たらない事態を、ここでは取り上げたい。
 現代社会では、うつ病やパニック障害などの精神的な病いで悩んでいる人たちがたくさんいる。こころの病いを抱えているという言い方をすることもある。それは、心の問題ではなく、神経生化学的な問題である。通院して投薬をすると、ひどい副作用に悩まされることもある。
 1990年代半ばに私が現地調査を実施した、プナンと同じボルネオ島に住む、焼畑民カリスの社会には、狂っている、精神病であるとされる人たちがいた。しかも、それには、〈ラオラオ〉と〈マウノ〉という二様態があった。ラオラオは真正の狂気であるマウノへの移行期で、マウノには、情緒不安定となり、突然暴れて人を傷つけたり、来る日も来る日も道に石を積み上げたりといった行動を見せる人がいた。マウノの中には、町の精神病院で診察してもらった人もいた。
 驚くべきことに、プナン社会にはそういった精神病、こころの病いを抱えている人がいない。本当にそう言い切れるかどうかについては慎重でなければならないが、少なくとも私はこの10年間で、精神を病んだり、こころの病いを抱えていたりするプナンに会ったことがない。
 西洋の精神科医が見て、ある文化に特有の精神病理であるとカテゴライズされた「文化依存症候群」(ラター、アモック、極北ヒステリーなど)を除いて、近代以前の社会にははたして、うつ病などの精神病理が存在したのだろうか。憶測の域を出ないが、プナン社会のように、精神病理が存在しないような社会があったのではないかと思われる。現代社会でうつ病患者が増加しているのだとすれば、それは、一種の現代病にほかならない。精神を病むという「ある」を見つけだすことはできても、精神を病むことがないという「ない」を見つけ出して、それを一般化して語ることは意外と難しい。
 仮に、プナン社会に精神病理のたぐいがないことを認めるならば、彼らは、なぜ精神を病むことがないのだろうか。まず、プナン語には、精神病、こころの病いを表す言葉がない。また、私自身の経験から言えば、プナンでは、独りで思い悩んだり、あれこれ考えあぐねたりするようなことがない。そうした時空間がないのだとも言える。のべつ誰かが「私」の傍にいるし、「私」のことを気にしている。思い悩む暇がないほど、個が集団に溶け込んでいる。ヒゲイノシシが獲れたら、夜の3時であろうが4時であろうが叩き起こされ、食事をするように強いられる。そうしたことが、こころの病いが「ない」という事態に関係しているのかもしれない。

朝もやの森を通って魚釣りに出かける女たち

朝もやの森を通って魚釣りに出かける女たち



 次に、言語的な不在について、幾つか事例を上げてみよう。プナンには、「おはよう」「こんにちは」「元気ですか」「さようなら」といった交感言語使用がないこともすでに述べた(「第6回 勃起する裸児」参照)。プナンは、感謝を述べるようなこともほとんどない。「ありがとう」という言葉がない(「第4回 熱帯の贈与論」参照)。
 プナン語には、「薬指」の呼び名がない。日本語で「指」に付けられた名前は、「親指」から順に、一般に、「人差し指」、「中指」、「薬指」、「小指」である。鎌倉時代に「薬師指」と呼ばれ、これが江戸時代に「薬指」と呼ばれるようになったという説がある。その指が薬指と呼ばれるようになったのは、それが、薬を水に溶くのに用いられたからだともいう。
 英語では、順に、thumb、index finger、middle finger、ring finger、little fingerである。中国語では、「拇指」、「食指」、「中指」、「無名指」、「小指」である。中国語の「無名指(むめいし)」は、名前がない指という意味である。
 中国語で、名前がない指と呼んでいる指に、プナンはそもそも名前を付けていない。人間の経験として、その指が、何かをする時に、単独で使われるようなことは稀であると言ってもいいのではないか。薬指で頬紅をつけたり、何事かをしたりすることは、特別なことのように感じられるのではないだろうか。
 プナン語では、親指から順に、pun(親指)、uju tenyek(人差し指)、 uju beluak(中指)、ingiu(小指)と、指は全部で4本である。薬指が欠けている。指は5本あるのに、指の名前が4本だけに付けられている。シニフィエとシニフィアンのアンバランス。有史以来、プナンは、それを呼ぶことはなかった。
 そのように考えると、中国語で「無名指」と呼ぶのは、もともとは、名前がなかったところへ、他の指にすべて呼び名があるのに、その指にだけないのはおかしい、何か名前をつけておいたほうがいいと、人々が判断したからではないかと思えてくる。名前がない指をそのまま放っておくのではなくて、名前がないということを、その指の名前にしてしまうという、ややまどろっこしい名づけのプロセスがあったのかもしれない。
 他方で、プナンは、名前がない指にあえて名前をつけなかった。ある意味で、あっぱれである。ないのであれば、それでもいいとして放ってきた。しかし、あってもなくてもいい、名前さえ与えられない指を、どうして人間は持っているのか。進化生物学は、そのことをいかに説明しているのかについて、私には皆目分からない。
 考えてみると、薬指は、単独ではそれほど役に立つものではない。指が5本集まった時に一体化して、手としての機能が高まるのかもしれない。プナン語では、「指」と「手」は同じ “uju”(ウジュ) という語で表される。プナン流に考えれば、薬指は手の中に機能として埋め込まれているということができるのかもしれない。事実なるものはない。あるのは、ただ解釈のみである。

華人商人に売るために沼地で生け捕りにされたセンザンコウ

華人商人に売るために沼地で生け捕りにされたセンザンコウ



 プナン語で指と手が同じ単語で表されることに似ているのが、水と川を言い表す言葉である。水も川も、プナン語では”bea”(ボー)である。川は確かに水である。日本語で川といった場合には、それは原子レベルでは水に違いないが、川は一つの普通名詞として、よりまとまった自然地理上の存在物のイメージを喚起する。広辞苑を引くと、川とは、「地表の水が集まって流れる水路」とある。プナン語では、川と水は同じであるが、洪水にはlenyapという語が与えられている。つまり、一方に川と水があり、他方に洪水がある。洪水はたんなる川や水とは異なる水理なのである。それは、対象規定という存在者の輪郭の問題でもあり、存在の意味の問いに対する大きな問題提起なのではあるまいか。
 次に、今日、プナン語で道は”jalan”(ジャラン)であるが、それは、インドネシア・マレー語からの借用語であると思われる。プナン語には、もともと「道」という語がない。森に入ると、彼らは、道というものを認識しているようには思えない。藪を切り拓いて歩いていくと、そこには跡ができる。それは、彼らにとっては、道ではない。彼らはそれを”uban“(ウバン)と呼ぶ。足跡である。
 獲物を追って突き進み、その痕跡が線としてつながって、「道」のようなものになる。しかし、彼らはそれを道と呼ばない。なんとも呼ばない。ゆえに、動物が通る「けものみち」という概念もない。熱帯雨林では、そのうちに木々が繁茂し、痕跡は消えて無くなる。プナンは、そうしたものを道であるとは思っていない。つまり、森の中には道はない。いや、彼らには道の概念がない、いや道の概念が私たちのそれとは違うのかもしれない。プナンにとって、道とは、もっぱら木材伐採会社や政府が作った道のことを指す。ちなみに、広辞苑を引くと、道は、「人や車などが往来するための所。通行する所」とある。そもそも森の中では、そうした意味における道が不要だということは、直観的に分かる。
「迷う(petawang)」という言葉をしばしば耳にした。森の中を自由に行き来し、移動する遊動の民プナン。彼らは森、森の空間の配置、動植物のすべてを知り尽くしていたのではなかったのか。森の民が森で「迷う」とは、いったいいかなることなのか。
 アヴンという男は、プギン川沿いの森にイヌを伴って出かけたが、迷って、木の下で夜を明かした。ブニという男が、翌朝、カヌーでプギン川の周囲を捜索し、呼び声を発して、アヴンを見つけ出した。バヤとラセンも森の中で迷った。二人で猟に出かけて、二日経っても狩猟キャンプに戻ってこなかった。人々は総出で二人の探索にあたった。バヤとラセンは、ある川から森の中の山稜へと上がって、そこを越えた川筋に降りたという。その後、最初の川筋に戻らずに、別の川筋に入って、そのうちに迷ったという。プナンが森で迷うことは、どうやらふつうのことらしい。
 そもそも、「道なき」森の中で、プナンはどのように位置取りをするのか。プナン語には、方位・方角を示す語がない。東西南北、東北、東南、西南、西北…という語がないということは、それらの概念を用いて、空間認識をしないということである。もうひとつの「ない」事態。
 プナンは、自らのいる場所を、川の上流と下流、山の上と下によって特定する。「山」と「川」および「上」と「下」の組み合わせによって、位置取りをする。川から山に上がって、山を歩き回って、下がって「元」の川へと戻る。つまり、水の流れと高い場所によって、自らの位置を特定するのである。山を歩き回って、次の川へ出て、そのまた次の山に上がった場合、川を挟んで二つの山を越えて、「元」の川へと戻ることになる。ほとんどすべての山とか川に名が付けられており、彼らは、森を移動する時、つねに山の名前と川の名前に注意を払う。場所の名を確認することが、すなわち位置を確認することになっている(“ロン”(河口)も重要であるが、ここでは省略する)。
 プナンは、基本的には、目標物に向かって一直線に進むかのように見える。目標物は、獲物である場合が圧倒的に多い。逆に言えば、森の中には、訪ねていかなければならなかったり、目標としなければならなかったりするべき「場所」が、それほどたくさんあるわけではない。
 直線距離の移動は、AからBへ、最短のルートをたどって行われる。彼らは森の中で、行く手を阻む刺のある植物などを切り裂きながら突き進む。しかし、登ることができない岩とか、倒木が無限にある。彼らは、障害物を迂回しようと努める。何度も何度も迂回すれば、それだけ「迷う」可能性が高まることになる。実際の地理はかなり複雑である。山を越えても、目の前に、越える前と同じ川筋が現れるかもしれない。また、動物の足跡や鳴き声を追うことに集中していて、現在位置を確認することを怠ることもある。そのようにして、プナンたちは迷ってしまう。
 プナンの3組の親子とビントゥルの町に出かけたことがある。コンクリート建築物が立ち並び、車がひっきりなしに行き交うさまを見て、男は息子に「ほら、中国人の世界だ(dale kina)」と説明した。その時、プナンの空間認識に関して、ひじょうに印象的な出来事があった。
 町には大きな道が3本平行に走っていたので、私は彼らに、その真ん中の道筋のちょうど真ん中あたりにホテルがある、どこかに出かけて帰ろうとする場合にはこのことを思い出してほしいと教えた。すると、大人たちは口々に、その説明ではいったいどこにホテルがあるのかさっぱり分からないと言った。直後、ひとりが、川はどこに流れていて、どっちが上流でどっちが下流なのかを聞き返してきた。それで、私たちはまず、町の端に流れているクメナ川が川岸に行って、そのことを確かめたのである。三組の親子は、その後、散り散りに町を歩いた。
 先述したように、彼らは川や山の上と下を目印として位置取りをする。それは、目標物を対象としてきっちりと見定めた上で、そこへの行き方を探るというよりも、自分が川との関係および川の上か下のどちらに向かっているのかを意識することを介して、自らの場所を知るというやり方である。獲物が目標物であることが多い以上、プナンの空間認識にとっては、自分と山や川との関係のほうが大事である。その意味で、認識する自我(主体)と行くべき目標物(客体)が、きっちりと切り分けられているわけではないのだと言える。客体は、主体と山・川の相互作用の後に現れると言っても間違いではない。
 他方で、私たちは目標物や場所を把握し、その位置を特定するために、方位・方角を用いる。いわば、鳥瞰図的に、上方から空間を描きだすわけだ。地図による想像力。そのやり方は、目標物という客体を一義的に認識する自我というデカルト的な認識論の図式に親和的であるように思われる。現代人は今日、人工衛星を利用して、現在位置を割り出すGPSに頼るようになってきている。間違えずに乗りさえすれば、電車やバスは、私たちを行きたいところに運んでくれる。そうしたやり方は、目標物に自分をどんどんと近づけていくような、主客二元論的な認識論の土台の上にますます研ぎ澄まされているのではないだろうか。ただ、そうした機械に頼ってもなお、私たちは道に迷ってしまうことがある。

油ヤシプランテーションと夕焼け

油ヤシプランテーションと夕焼け



〈物理的な不在〉、〈精神的な不在〉、〈言語的な不在〉に分けて、プナン社会で私たちが「ある」べきだと思っているものが「ない」ことを見てきた。「ある」べきだと思っているものが「ない」ことに気づくことは、自らが生まれ育った土地で慣れ親しんだ事柄や事実の不在に驚くことにほかならない。存在するものがない事態は、ある種の不穏を含んでいる。そのため、私たちの思考を喚起する潜在的な力にもなりうる。
 なじみの薄い土地に長期に留まって、参与しながら観察を行う文化人類学者は、しばしばそうした経験をする。それは、事実そのものではなく、「ある」べき事実がないという、逆立ちした穏やかでない経験である。そのことは、事象や現象をその根源にまで立ち返って考えてみることの手がかりとなる。不在は、私たちの魂をゆさぶるような、根源的な問いとなる。
 不在は、私たちとの「違い」というような、緩いものではない。やや大げさに言えば、私たちが日々経験する事柄や概念のカタチそのものが、見あたらないという火急の事態である。それは、認識する自我による「ある」と「ない」との間の差異の発見ということだけにとどまらない。若き人類学者でありハイデガリアンである高橋くんが思考した(かもしれない)ように、実は、ものの性質や証拠だけではない、存在そのものの意味にかかわる課題を含んでいるのかもしれない。

 

参考文献

ハイデガー、マルティン 1994 『存在と時間』(上)(下) 細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫
貫成人 2007 『ハイデガー すべてのものに贈られること:存在論』青灯社
三浦雅士 1984 「歴史と始原」野谷文昭+旦敬介編著『ラテンアメリカ文学案内』冬樹社

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2017年4月12日(水)掲載