熱帯のニーチェ 奥野克巳

2017.4.12

12倫理以前、最古の明敏

神自らが人間の負債のためにおのれを犠牲に供し給う、神みずからが身をもっておのれ自身に弁済をなし給う。神こそは人間自身の返済しえなくなったものを人間に代わって返済しうる唯一者であり給う、――債権者自らが債務者のために犠牲となる、それも愛からして(信じられるだろうか?――)おのれの債務者への愛からして!

『道徳の系譜』

 ブラガ川に注ぎ込む支流、アレット川の河口近く。大小さまざまな岩と石が堆積し、川幅は10メートルほど。川底から1メートルほど上がった岸の土の上には木々が生えていて日中の暑熱を防ぐため、狩猟キャンプを築くには格好の場所である。そこに、一週間ほど前から、3家族10人ほどのメンバーが集う高床式の小屋が建てられていた。
 男たちは、昼はそこから森の中へ、夜になると近くの油ヤシ・プランテーションに出かけて、狩猟をした。それまでに、すでに2頭のヒゲイノシシが獲れ、人々の胃を満たしていた。
 その日は、日が暮れる午後6時ころからずっと雨が降り続いていた。8時くらいには蚊帳の内側に入って、すでに熟睡していた私は、午後10時ころ、「大水だ、気をつけろ (jaau bea, jaga)! 」という男の声でたたき起こされた。その瞬間、川の流れが、大音量で私の耳へと届けられた。懐中電灯を照らしてみると、黒々とした濁流が狩猟小屋のすぐそこにまで迫ってきていた。川幅はふだんの倍ほどになり、水位は1メートル以上も上がっているようだった。
 豪雨と泥流の音で聞こえなくなっていたが、女たちは、狩猟小屋の外に向かって、大きな声をはりあげて、唱えごとをしていた。見ると、不安と恐怖に掻き立てられたのであろう、数人の女たちが、狭い小屋の中に木を敷き詰めただけの床の上を小さく歩きまわっていた。手を高く振り上げて、声を裏返らせて、遠くにまで届くように、必死に祈りのことばを唱えていた。

うなりを上げ、稲光を放つ
人を石にする雷がやって来た、大地をこわし、大地を台無しにする
あなたよ、どうか退いておくれ、私たちにそう約束しておくれ

01 168

黒く立ち込める雨雲

 

 このまま水量が増え、水位がどんどん上がれば、我々はいったいどうなってしまうのだろう。いまさら、小屋から降りて、川岸へ避難することなどできそうにない。もはや、逃げ場がない。みなこのまま、大水に飲みこまれてしまうのだろうか。私はキャンプに集う10名ほどのプナンとともに、底知れない恐怖に怯えた。
 やがて、雨と川の音は次第に小さくなり、それから1時間ほどすると、女たちの必死の祈りが通じたのか、川の水は引いていった。狩猟小屋の人々とともに、私は安堵のため息をついた。

 デンプンを抽出するためのサゴヤシの木を求めて、森の中を遊動し、生活用水を供給する川の傍らに一時的であれキャンプを張っていたノマド時代のプナンにとって、大水や落雷は、潜在的な脅威だった。ボルネオ島に地震はない。所持品をほとんど何ももたない小屋住まいのプナンにとっては、火事も何ものでもなかった。洪水と落雷こそが、有史以来、彼らにとって最大かつ唯一の「自然災害」だった。
 洪水、そして、それを引き起こす雷雨は、「雷のカミ (balei gau)」がもたらす現象であるとされてきた。プナンのカミ概念の範囲は広い。獲物をもたらす狩猟のカミ、クシャミを頻繁にさせるクシャミのカミから、天空には雷のカミや稲光のカミがいる。
 日中容赦なく地上に照りつけ、強烈な暑熱を浴びせかける熱帯の太陽によって、湿り気を帯びて立ちのぼる蒸気は、やがて雷雲のかたまりとなって、「グウォウォウォーン」という、つんざくような響きとともに、天空全面でうなりを上げる。そのうなりは、時には、あたりの空気をも震わせる。あるいは、ある時、空の遠くの一部だけが灰色から黒々となり、稲妻がそちらのほうからだんだんと近づいてくる。それは、時間とともにより鋭い明光を発し、ますます凄まじい音を轟かせるようになる。そうした自然現象は、プナンにとって、天上のかなたからの、雷のカミの恐るべき怒りとしてイメージされてきた。
 怒りとは、他者あるいは自己の「まちがった振る舞い」(ポニャラ)に対する憤りである。雷のカミは、時に、人間のまちがった振る舞いに対して怒髪天を衝くように怒りを爆発させ、まちがった振る舞いをした当事者を含めて、あたり一面に怒りをぶちまけることがあるといわれる。時には、激しい雷雨とともに発生した洪水が生きとし生けるものすべてを流し去り、時には、雷に打たれた人がその時のままの姿かたちで石や岩になり、落雷で焼けただれた大地が火の色と人々の血の色で赤く染まるとされる。人面石は、過去に石化したかつての人間の名残であり、赤色土もまた荒れ狂った雷のカミの所業の証であるとされる。プナンが住むブラガの森で、雷のカミを激しく怒らせるまちがった振る舞いは、時に、人間が野生動物を苛んだり、動物に対して非礼なことをしたりすることに帰せられる。

狩られたウォーレスクマタカの羽を広げる

狩られたウォーレスクマタカの羽を広げる


 狩猟小屋の梁に吊るされていた籐のバッグに入れてあった獲物をちらっと見て、私が「おっ、ニワトリ(dek)か」と呟いた時、目の前にいた男は、その言葉を聞いてたいそうあわてふためいた様子を見せた。彼は、「ちがう、それは、はね罠にかかったコシアカキジ(amai, iteu datah jin biu)だ」と、大きな声で言い直した。その言葉は、当のコシアカキジに耳に入らなければならかった。その時私は、コシアカキジを、それと姿かたちが似ているニワトリとまちがえて呼ぶことが強く禁じられていることを知った。それに対して、ニワトリをコシアカキジと呼ぶことは問題ない。つまり、野生を飼い馴らされたものとまちがえて呼ぶことは、強いタブーであって、私の発話は、コシアカキジをあざ笑い、苛むことになる、まちがった振る舞いなのだった。まちがった振る舞いは、すぐに訂正しなければ、雷のカミへと届けられ、その怒りを買うことになる。
 別の機会に、森の中に仕掛けてあったはね罠に掛かって生きたまま持ち帰られたコシアカキジは、狩猟キャンプのリーダーがそれを屠るまでの数分の間、人々に沈黙を強いることになった。彼は、何も言うな、何もするなと、人々に命じた。コシアカキジに対してまちがった振る舞いがなされた場合、雷のカミの怒りに触れると考えられたからである。まちがった振る舞いは、野生動物が死んでからよりも生きているときに聞かれたり、なされたりしたほうが、危険度が高いと考えられている。

 狩られて持ち帰られた獲物に対して、まちがった振る舞いをしてはならない。

 そのような禁忌は、すべての野生動物に加えてイヌ(猟犬)に対して適用される。
 プナンはよく、狩猟でしとめられた動物は解体・料理して、できるだけ早く食べるだけだという。その間に、まちがった振る舞いをしないように注意しなければならない。フィールドワークを始めた当初聞かされたのは、マレーグマ(buang)とテナガザル(kelavet)は、解体から食べるまでの過程で、その名前すら発してはならないということだった。どうしても名前を言わなければならない場合には、「忌み名(ngaran lumu)」に置き換えなければならない。buang(マレーグマ)はプンガーに、kelavet(テナガザル)はイタックという名に代えなければ、まちがった振る舞いになる。
 その後、次第に、主な野生動物には、狩られた後に、通常の名前に代えて用いられる忌み名があることが分かってきた。主な動物とその忌み名は、以下のようなものである。意味がはっきりしないもの、近隣諸語の動物名を借用するもの、形態や行動の特徴などで言い換えたものがある。

mabui (イノシシ)→ besuruk
pasui (ビントロング)→ risui
kuyat(カニクイザル)→ lurau
payau(シカ)→ lage
telauu(ホエジカ)→ penyan
puan (バナナリス)→mebop
dek(ニワトリ)→ iap
kati(ナマズ)→ ageu

bangat(リーフモンキー)→ nyakit (カヤン語から)
medok(ブタオザル)→ umeng (カヤン語から)
pelano(マメジカ)→ bilun (カヤン語から)
aam(センザンコウ)→ besikit (クニャー語から)

belengang(シワコブサイチョウ)→ bale ateng(目が赤い)
tevaun(オナガサイチョウ)→ baat ulun(頭が重い)
kuai(セイラン)→ juit mekeu(座る鳥)
kelasi(赤毛リーフモンキー) → kaan bale(赤い動物)
palang alut(タイガーシベット)→ kaan merem(夜の動物)
datah(コシアカキジ)→ juit date(平らなところにいるトリ)

 まちがった振る舞いには、動物の名を(まちがって)呼んだり、動物のみにくさをあざ笑ったりすることが含まれる。また、イヌが糞便をするのを笑ったり、交尾をするのを見てはやし立てたり、さらには、川のサカナを獲りすぎたりすることなども含まれる。
 大水にのみこまれてしまったり、稲妻に打たれて石になったり、血を流したりといった雷雨や大水に起因する災厄を、プナンは「マルイ(malui)」と呼ぶ。天候の急変を、人のまちがった振る舞いのせいだと考え、逆にそれが起きないための禁忌を発達させてきた。
 そうした天候の激変をめぐる観念と実践は、それぞれの社会ごとに差異はあるものの、ボルネオ島、マレー半島および東インドネシア一帯で広く報告されてきた。それらは、民族誌学では一般に、「雷複合(thunder complex)」と呼びならわされている。雷複合とは、「ある違反、とりわけ動物に対する違反行為が、天候の異変をもたらす」という考えと、その考えに基づく行動の体系のことである。雷複合に関する民族誌的な関心は、マレー半島のセマンの人々とボルネオ島のプナン人々の間でほぼ同じような信仰と行為の体系があることを報告したロドニー・ニーダムの1964年の論文にまで遡ることができる。その報告と考察を出発点として、その後、東南アジア島嶼部各地から事例報告がなされ、考察や検討が加えられてきた。
 しかし、雷複合は、過去の遺物ではない。それは、今日でも、プナンを含むボルネオ島の非イスラーム系の先住民の諸社会に、強弱の度合いの差はあれ、浸透して広がっている観念と実践である。

 プナンの子どもたちは、森の中で狩られて持ち帰られた動物を弄ぶようなことを、解体や料理の合間に、往々にしてしがちである。だからこそ、「してはいけない」という禁忌があるように思える。また、そうした禁忌を犯さないために、すでに述べたように、狩猟した動物は素早く解体して、料理して、食べなければならないとされる。
 そのように、禁忌に注意を払うことだけに専心するプナンの態度は、フィールドに入ってしばらくの間は、私にはどこかモノトーン的で、趣に欠けるように感じられた。なぜなら、そこには、人間を生かしてくれる自然の恵みである獲物に対する「感謝」の気持ちのようなものが含まれていなかったし、食べものが有り難いものであるという意識がどこにも見あたらないように思われたからである。
 私たち日本人は、食べものを前にして、私たち人間の糧となってくれた存在に対して、衷心から「有り難い」という気持ちがあるかどうかは別にして、「いただきます」と、手を合わせて感謝の意を表明する。日本各地の畜産工場や動物園などの施設にはしばしば、人間のために犠牲となってくれた動物たちの魂に感謝を捧げ、その荒ぶる魂を鎮めるための獣魂碑や供養塔などの石碑が建てられている。そうした私たち日本人の日常に比べて、まちがった振る舞いをしてはならない、すれば雷のカミが怒って災いが降りかかるというだけのプナンに特徴的な態度と思念は、自然の恵みに対して、いのちを授けてくれることに感謝を示すことなく、それらをただただ平然と受け取るだけの、慎ましいとか恭しいとかとは無縁の振る舞いであるように思えたのである。
 ところが、プナン人が感謝の言葉を持たず、感謝をめぐる固有の表現を持たないということが次第に分かってくると(「4 熱帯の贈与論」)、逆に、自然から与えられた恵みとしての獲物に対して、感謝を表明することがないそのような平明な態度こそが、プナンの〈倫理〉、あるいは〈倫理〉に限りなく近いものなのではないかと思えるようになった。

行き先を示すためにロギングロードに置かれた油ヤシの

行き先を示すためにロギングロードに置かれた油ヤシの


 一般に、何らかの贈り物を誰かから受け取る時、意識するにせよしないにせよ、受け取った側は負債をかかえ、返礼の義務を負うことになる。人は、そのようにして否応なしに、人間同士の贈与交換の網の目に巻き込まれていく。他方、自然から与えられた恵みもまた、私たち人間の心の中に負い目の感情を生み出す。自然からの純粋な贈与は、本来的には見返りが期待されないのであるが、そうした「聖なる」贈与に対してもまた、人間の心の中に、人間同士の、いわゆる「俗なる」贈与交換のモデルが拡張されてきたのではなかったか。いや、人間同士の俗なる贈与が先にあって、そのモデルが聖なる贈与へと拡張されたのだという理解は、おそらく正しくない。どちらが先で、どちらが後かという問題ではない。
 いずれにしても、恵みを与えてくれると考えられる人間を超えた存在に対して返礼がなされ、恵みを与えてくれることを期待して先回りし、人間の側から供物や捧げものなどの聖なる贈与がなされることは、地球上の各地に見られる儀礼などから数多くの報告がある。私自身が1990年代半ばに現地調査を行った、ボルネオ島の焼畑稲作民カリス社会でも、畑地の選定から播種、収穫に至るまで、それらの作業を行う直前に、その都度ニワトリやブタなどの家畜が屠られ、神々や祖霊が呼び出されて、その血と肉が捧げられた上で、恵み多きことが祈願されていた。聖なる贈与によって、人々は、自然の背後にいる超越的な存在と交渉する。
 他方、プナンは、そうした込み入ったことをしない。儀礼や祭礼の機会を設けて、超越的な存在と折衝しようなどとはしないのである。印象として述べれば、プナンは、自然の恵みを与えてくれる存在を自然の背後に見いだして、その純粋な贈与に対して負い目を抱くことがないようなのである。ではいったい、プナンは、彼らを生かしてくれる自然の恵みに関して、いかに考えるのであろうか。
 プナンは、原初の段階では、感謝の念を抱くことなく、返礼することもなく、森や川から得られたものを黙々と消費するだけだったのかもしれない。しかし、獲物を含む糧は、自分たちが相手よりも技能面で勝っているということだけで必ずしも得られるのではない。得られる時があれば得られない時もある。その意味で、獲物のあるなしは、何らかの力によって左右されているように感じられたにちがいない。自然の恵みに関して、彼らはそのように、もやもやと釈然としない気持ちを抱いていたのではあるまいか。その後、そのような心を持て余すようになり、次第に、そこから一歩前に踏み出してみようとしたのかもしれない。その時、獲物に対する禁忌が発生したのではなかったか。
 かくして「森の中で狩猟して持ち帰った獲物を弄んではならない」「獲物の前では何も語らず、できるだけすぐに解体して料理して食べなければならない」という行動の指針のようなものを、プナンは発達させるようになった。問題は、そうした禁忌の実践が、プナンにとって、何ほどの意味を持っているのかという点にある。仮に、禁忌をここでは、ある種の〈倫理〉のようなものであると考えてみようと思う。獲物に対して内面化された精神と態度を、はたして〈倫理〉と呼んでいいのかどうかはっきりとしないが、ここではしばらく諸学の先達の智慧を借用して、〈倫理〉とは何かを手短に整理しつつ、プナンの雷複合について考えてみよう。
 まずは、哲学から。前田英樹は、著書『倫理という力』の中で、法律、道徳、神話がどうして生まれたのかに関して、以下のように述べている。

 人間という生物に社会を作らせようとする根本のものは、自然よりほかにはないだろう。自然が人間に群れを作らせるために与えたものは、本能ではなく、知性だった。・・・(中略)…知性は何とか努力して、共同体の維持につとめる。法律、道徳、神話はこうして発明される。・・・(中略)…共同体に向かって知性の活動全体に染み透るような倫理への根源の欲求が、自然そのものによって植え付けられていなくてはならない。そうでなければ、人間社会は、つまり人間そのものは、自滅してしまうだろう。自然はそれ(=倫理)を植えつけたのである。・・・(中略)…私たちは知っている。私たちの身近で磨かれる無数の技術が、倫理への隠れたひとつの欲求によって、強く、深く動かされて組織されることがあるのを。日常のこうした技術がなかったなら、私たちの社会はもっとはるかにすさんだものになっているに違いない。

 前田は、日々のあらゆる技術の研磨・研鑚の過程の中に〈倫理〉のようなものが宿っていたという。〈倫理〉は、そのようにして、共同体の中に、知性によって生み落とされたものでありながら、人間に社会をつくらせようとする自然を出自とする。要するに、〈倫理〉の起源は、我々人間の内側にあるのではなく、自然にあるのだという。
 前田の論点は、マルク・キルシュ編『倫理は自然の中に根拠をもつか』という学際的なシンポジウムの成果をまとめた本の主張に大筋で重なる。そこでは、「我々の行動のあるものが、独自の道徳的な根拠をもっていると考えられていたのに、実は生物学的な土台、自然的な基盤をもっているということが示される」。倫理は、人間の行動に起源があるのではなく、自然の中に土台があるというのである。さらに、そこでは、〈倫理〉の進化論的な説明が大きくクローズアップされる。

 倫理とは、ある種に属する生物体が、その生存の様式を、その生き残りと適応度を確保する形式だということだ。ヒトという種は、生物が進化の途上でとっている形の一つでしかなく、これも一般法則に従う。倫理は、我々を通じて、生命の役に立っているのだ。

〈倫理〉が生命の役に立つとする観点からのそうした説明は、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」説に対して、それだけでは説明できない、生物の〈倫理〉行動のありようを捉えようとした、マット・リドレーによる『徳の起源 他人を思いやる遺伝子』にもつうじる。

 こうした〈倫理〉をめぐる哲学や生物学の諸研究に対して、人類学がなしえるのは、山の向こうとこちら側において、つまり文化によって〈倫理〉行動とそれに対する考えが異なっていることを示すことだけでは、おそらくない。人類学は、〈倫理〉が、人間社会においてあるいは人間的なるものを超えた領域においていかに出現したのかという問いに対して、上で見た諸説を補強しうるように思われる。
〈倫理〉の発生の起源に関しては、中沢新一からひとつの見通しが与えられている。

 人々が、まだ狩猟をおこなっていた時代には、人間が手にすることができる富や財産のなかに、およそ堅固なものは、なにひとつ存在しなかった。ときたま獲物として手に入る動物も植物も、生命を育て、いつくしむ森の神のものであった。人間は森の神からこれらの獲物を、「贈与」として受け取るのだ・・・(中略)・・・動物の豊かな肉体が、獲物として人間にもたらされる・・・(中略)…人間が自然にたいしていつも礼儀深く、感謝の気持ちをおこたらないかぎり、森の神は人間への贈与を続けてくれた。ここから自然のエチカ(倫理)が発生したのである・・・

 中沢は、人間がひとりでは生きていくことができない、取るに足りない、ちっぽけな存在であることに自らが思い至ることに、〈倫理〉の発生の起源があると見ている。別の角度から言えば、〈倫理〉が作動することのベースには、知識や力量において、人間を圧倒的に凌駕する存在(=神や父母、隣人)に対する敬念や畏れがある。
 自然の中にある力への恐れや敬いが、モラルやマナーと呼ばれているものの深層にあるのだとすれば、「ああしなさい」「こうしなさい」「こうすることがマナーですよ」というような、人間が人間に対して言葉をつうじて与えるような、うわっ面の教育や指導だけでは、〈倫理〉にまではけっして届いていかないはずである。つまり、倫理やマナーは、生死を含む人間の実存の問題に深くかかわらない限り、個人の内面にどっしりと根を降ろすことはない。そのことを敷衍して述べれば、自然の脅威や震えあがるような恐ろしさが感じられる時こそが、〈倫理〉なるものを手に入れる絶好のタイミングなのかもしれない。

 先学たちの考えを見たいま、ふたたびプナンの雷複合を取り上げてみよう。ここでは、ニーチェが贈与の中に本源的にひそむと考えた「負債(負い目)」や、その裏返しの概念である「感謝」を導きの糸としながら、考えてみたい。
 中沢は、狩猟をしていた時代、人類は、動物や植物が人間を超えた力をもつ森の「神」のものであると考えていたと述べていた。それらを、人間は自然からの純粋な贈与として受け取り、〈倫理〉を発生させたとも中沢は言うが、実は、その間の経緯は、もう少し複雑ではないか。つまり、人間は、自然の恵みの背後にそれを左右する森の神を見出すようになるのと同時に、そうした神に対して負い目を感じるようになったのではなかったか。
 人間が神に負い目を感じたならば、感謝の気持ちを表明したり、それを弁済したりすることになるだろう。感謝の気持ちを怠らず、礼儀正しくあることによって、あるいは儀礼祭祀によって、人間は神に対して、負い目と負債を返そうとする。その過程の中に、〈倫理〉や道徳が発生する契機がひそんでいたのである。
 しかし、すでに述べたように、プナンには、感謝の概念がなかった。彼らはあらゆる贈与に対して、負い目を感じるようなことはないように見える。そこでは、何かが分け与えられることに対して謝意が表明されることはなく、分け与えるという振る舞いは、一般には、「よい心がけ」だと評価されるだけである。そもそも、プナンにとって、自然の恵みが分け与えられるということ自体、至極当然の出来事なのである。プナン社会には負債と感謝が本源的にない。この事実が示唆するのは、そこには、〈倫理〉と呼びうるようなものが入りこむ余地がなかったという可能性である。つまり、プナンは、〈倫理〉が発現する手前の段階にいるのだ。
 そうだとすれば、雷のカミは、自然の恵みを分け与えてくれる存在者として思念されていないことになる。カミは、プナンにとって、負い目を感じて、感謝を捧げる対象ではない。稲光を明滅させ、轟音を響かせて、あたりかまわず襲いかかる雷。それを起こす雷の神は、ただただ恐ろしい存在なのではないか。人間にできるのは、恐怖にいてもたってもいられず、言葉と身振りによって、祈りを唱えることぐらいのことである。自然は、人間の力によってコントロールできるような生易しい現象ではない。不意に襲いかかる、恐るべき他者なのである。その圧倒的な力の前に、人間には何もなすすべがない。

 では、動物を苛んではならない、獲物は忌み名に代えて呼ばなければならないという、プナンの動物に対する禁忌やその実践は、いったい何のためにあるのか。狩られた動物に対して無礼を働くことを押し止めるような数々の禁忌は、その侵犯が雷のカミの怒りに因果律的に結びついているという意味で、人間とカミとの聖なる贈与における折衝の可能性に部分的につながっているように見える。しかし、たとえそうだとしても、雷のカミの怒りである雷鳴や大水は、人間に負い目を感じさせるような振る舞いではけっしてない。カミによって、「善」(自然の純粋な贈与)と「罰」(雷鳴と大水)の両面を織り交ぜた振る舞いがなされるならば、プナンには、負い目は感じられないはずである。カミは、つねに激しく怒り、人間を困らせる存在でもある。
 雷(のカミ)は、人間だけでなく動物を含めて、生きとし生けるものすべてに無慈悲に容赦なく襲いかかる。その点で、人間と動物は、カミの前に平等である。こうした地点から眺め直すならば、プナンの動物に対する禁忌の景色が一変する。動物に対する禁忌とその実践は、人間と動物が、「魂」を持つ同等存在としてあるということのひとつの表現なのではあるまいか。
 プナンにとって、カミは、人間の負債のために自らを犠牲にするような、全知全能の超越的な唯一神でもない。カミは、人間が、それと対等な存在である動物に無礼をなすと、怒りを爆発させるような、ある種、人間的な、あまりに人間的な存在者なのである。

動物を苛むと雷のカミの怒りを買う
恐るべしカミの怒り
動物を苛むべからず

 この箴言は、自然の恵みを与えてくれる神に対して負い目を感じ、感謝を捧げるようになり、神に対する聖なる贈与を始める手前の、人類のプレ〈倫理〉のありようを示している。
『道徳の系譜』の中で、ニーチェは以下のように述べている。

 値段をつける、価値を見積もる、等価物を考えだす、交換する――これら一連のことは、ある意味ではそれが思考そのものであるといってもよいほどまで、人間の原初の思考を先占していた。ここで最古の種類の明敏が育て上げられたのである。

 人間の原初の思考である「最古の明敏」は、自然の恵みに対して、負い目の意識や感謝の念から成る儀礼的な実践を経ることによって、やがて〈倫理〉として立ち現れたのではないだろうか。

 最後に手短に、この部分に触れた、デイヴィッド・グレーバーの『負債論』のニーチェ批判を取り上げたい。ニーチェは、貸し借りの関係は、人々の間に負い目を生み出したという。借りがあることは罪責であり、人類が共同体を形成しはじめると、部族が個人に対して平安と安全を与えるようにより、共同体の人々は負債を持つようになった。ニーチェによれば、人々は部族の共通の祖先に対する負債を供犠によって支払うようになったが、共同体が強大化するとともに、祖先は神に、やがてキリスト教の神へと転身した。
 グレーバーは、こうしたニーチェの前提は間違っていると見る。ニーチェは、人間本性についてのブルジョア的な前提に立っていて、人間を合理的な計算機であると見てしまっている。グレーバーによれば、ニーチェは、計算すること、記憶することの拒絶が真の人間のしるしであると捉える狩猟民社会の「打算の拒絶」、すなわち、誰かが何を誰に与えたか計算したり記憶したりすることを拒絶するという人間社会の根源の姿に目を向けそこなっている。グレーバーが、贈与によって、貸し借り計算をして、負債をつうじて互いを奴隷に還元し始める世界から遡行して考えてみなければならないと述べるとき、彼もまた、ニーチェ以前に、倫理以前の思考に達しようとしていたのである。つまり、最古の明敏を考える地点に。 

 

 

参考文献

キルシュ、マルク編 1995 『倫理は自然の中に根拠をもつか』産業図書
中沢新一 2009 『純粋な自然の贈与』講談社学術文庫
ニーチェ 1993 『善悪の彼岸 道徳の系譜』(ニーチェ全集II)信太正三訳、ちくま学芸文庫
Needham, Rodney 1964  “Blood, Thunder, and Mockery of Animals”. Sociologus 14(2): 136-148.
前田英樹 2001 『倫理という力』講談社現代新書
リドレー・マット 2000 『徳の起源』岸由二・古川奈々子訳、翔泳社
Viveiros de Castro, Eduardo 1998 “Cosmological Deixis and Amerindian Perspectivism”.  Journal of the Royal Anthropological Institute, n.s. 4(3): 469-88.

 

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回2017年5月10日(水)掲載