熱帯のニーチェ 奥野克巳

2017.7.12

15走りまわるヤマアラシ、人間どもの現実

 

南欧で愛好されるもの――イタリアのオペラ(たとえばロッシーニやベリーニのそれ)であれスペインの騎士小説(ジル・ブラースをフランス的趣味でくるんだものが一番われわれには親しめる)であれ――のすべてにおける野卑さ加減を、私は見逃しはしない。だが、その野卑さは私の気分をそこねはしない。それは、われわれがポムペイ遊覧の際とか、また実際すべての古代の書物を読む際にすらも出会うところの俗っぽさが、気分をそこねないと同じである。これはどうしたわけだろう? そこに羞恥がないためなのか、それともあらゆる野卑さが、同じ種類の音楽や小説に見られる高貴なもの、可憐なもの、情熱的なものなどと同様に、泰然と自信にあふれて登場するためなのか?「動物も人間と同様におのれの権利をもつ。だから動物も思いのまま走りまわっていいのだ。しかも、わが親愛なる人間どもよ、お前だってまだこうした動物なんだ、なんといおうと!」――これこそ、私には、当面の事態のモラルであり南方的なヒューマニティーの特色であると思われる。

『喜ばしき知識』

 

等間隔の森、ヤマアラシ
 マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)のバラム河中流域の森に、1970年代になって、あいつらがやって来た。それまでのように数人ではなく、入れ代わり立ち代わり大人数で、あいつらは森の中に足を踏み入れた。しばらくすると、あいつらは小脇に抱えて轟音を立てるものを持ちこんで、切れ目を入れて、木々をあっという間に切り倒すようになった。来る日も来る日も、唸るような轟音を響かせながら、木々を次々に切り倒した。そのため、昼間に巣穴でゆっくりと眠っていられなくなった夜行性のヤマアラシは、居心地のいい巣穴をつくることができる場所を求めて、別の場所に移った。森は、いつの間にか、いたるところで分断されるようになった。森と森の間には、切り倒した木々をひとまとめにして背中に載せ、不快な轟音とともに高速で移動するでっかい生きものが、昼間だけ行き交うようになった。そいつらはいつもあいつらの言うことを聞く僕(しもべ)で、先頭にいつもあいつらを載せていた。ヤマアラシが居心地のいい場所を求めて移動する時には、そいつらが通る場所を通らなければならない場合があったが、そいつらに踏みつけられたり、跳ね飛ばされたりしないように注意しなければならなかった。ヤマアラシは、とにかく木の実などの食べ物があって、居心地よく暮らせる場所を目指して移動した。そこかだめなら、また移動した。そして、さらなる場所へと。

木材を積載してロギングロードを走る材木運搬車

木材を積載してロギングロードを走る材木運搬車


 森のある特定の場所の木々を切っただけなら、近くに移動して巣穴をつくるだけでよかったのだが、あいつらは、森の木と植物すべてを根こそぎにして、あっという間に森を丸裸にしてしまった。隠れる場所がなくなったため、巣穴をつくることさえできなくなってしまった。かつて高木の森があった場所は、見渡す限り、何もない土地になった。熱帯の太陽の暑熱を遮るものがなくなり、陽光は土の上に直接降り注ぎ、酷い暑さのため、日中はその上を歩くことさえできなくなった。そのうちにあいつらは、黒いビニールで包まれた土の中に刺された苗木を、どこかから次々と持ち込んできた。それらを、丸裸になった土地に、10メートルほどの一定の間隔を置いて等間隔で植えはじめた。
 等間隔で植えられた苗木はみるみる成長し、大きな葉を四方に垂らして、立派な油ヤシの木になった。2~3年すると、木々は実をつけるようになった。すると、あいつらがやって来て、長い鉄の棒を使って、高所に成った実を取り、それを一ヵ所に集めて、轟音を立てて走る生きものに載せて、どこかに運び出して行った。ガタガタと揺れながら走るその生きものも、いつも前面にあいつらを載せていた。
 この等間隔に植えられた油ヤシの木から成る、これまでになかった森ができて、ヤマアラシにとって喜ばしかったことは、その実が食べ物となったことである。その堅い実には、ヒゲイノシシとヤマアラシ以外の動物は歯が立たなかった。ヤマアラシは歯が強く、堅い殻を噛み砕いて、その実を頬張った。あいつらのせいで、森からの退却を余儀なくされたヤマアラシは、その代わりに、あいつらが植えた等間隔の森にまでその生存域を広げることができた。夜になると、ヤマアラシは、新しい森に出かけて、その実を齧ったのである。
 等間隔の森は、いつまで経っても、かつての森のようにはならなかった。油ヤシの木は、いつも等間隔で立ち並んでいた。それは、育てるために持ち込んだ油ヤシをあいつらが溺愛し、周囲の草を枯らしてしまう除草剤を撒いたためであった。そのうちに、ヤマアラシが齧る実がなんらかのかたちで作用したのか、ヤマアラシの胃の中には石ができる割合が増えた。ヤマアラシには、古くから胃石ができることがあったが、除草剤の化学成分が実の中に入りこみ、それを食べたヤマアラシの体に変化を生じさせたのではないか。あいつらが、そんな噂をしているのを聞いたことがある。
 あいつらは、気がつくと、新しい森にやって来るヤマアラシの捕獲に熱中するようになった。それは、ヤマアラシの胃石を得るためだった。等間隔の森に食べ物がある喜びを感じたのは束の間で、ヤマアラシはあいつらの狩猟の標的にされるようになった。胃の中に石があるかどうかは、外見からは分からない。まずは捕まえ解体して、胃の中を調べる。
 そのうちに、不思議なことが起きるようになった。あいつらの中に、ヤマアラシを生きたまま連れ帰る者たちが現れた。鉄の檻の中に入れて、飼い育てている。どうやら等間隔の森からアブラヤシの実を拾って行って、それを餌にしてヤマアラシを育て、胃の中に石をつくらせようとする魂胆があってのことらしい。

等間隔で植えられた油ヤシの木々

等間隔で植えられた油ヤシの木々


クアラルンプール、華人
 人口750万人のマレーシアの首都、クアラルンプール在住の40歳代の華人女性Cは2010年に大腸癌と診断され、大腸の一部を手術によって切除した。2014年現在、癌は再発していない。Cは術後の2011年に市内の漢方薬局を訪ね、「箭猪棗」(ヤマアラシの胃石)の服用を勧められた。その後、定期的にその漢方薬を購入し服用している。ヤマアラシの胃石は、十字軍の時代にアラビアの伝統薬としてヨーロッパにもたらされたという記録が残っており、いわゆる「ベゾアール石」(鹿や牛の胃に出来る欠席の一種で、ヨーロッパでは特効薬として珍重された)の一つとして知られてきた。
 クアラルンプールの商業地区にある、Cの行きつけの薬剤店には、直径 3~4cmほどのヤマアラシの胃石がショーウィンドウに展示販売されている。また、粉末にして紙に包んだヤマアラシの胃石が売られている。紙包みには 0.1グラムのものと 0.2 グラムの2種類がある。0.1 グラムの包みは 250RM(7,500円)、0.2 グラムの包みは500RM(15,000円)である。Cは毎月その店に足を運んで、0.1グラムの胃石の粉末を4 包購入する。クアラルンプールでは、1gあたりの相場は 2500RM~2800RM(75,000円~84,000円)であり、華人の富裕層のみが買うことができる特効薬である。
 その漢方薬店は、ヤマアラシの胃石を店の主力商品の一つとして位置付け、店主自らが編集した胃石の効能に関する DVD 付きの小冊子も無料配布している。ヤマアラシの胃石は中国本土の「中医」(中国に伝わる伝統医療の体系)の体系の中には位置づけられてこなかったが、東南アジアの華人社会では早くからその薬効が知られていた。癌やデング熱、感染症以外にも、身体にできる腫瘤一般に効くとされ、クアラルンプールには、Cのように効能を信じて服用する人がいる。他方で、その薬効を疑問視する人たちもいる。マレーシア各地からだけではなく、インドネシアからもヤマアラシの胃石がマレー半島に流れてくる。C自身は、原産地については全く知らない。

クアラルンプールの漢方薬局

クアラルンプールの漢方薬局


 ヤマアラシの胃石は、マレーシアとインドネシアの熱帯雨林に住むヤマアラシの胃の中で産出される。それを直接取り出した人々の手を離れて、数千キロを隔て、胃石は乾燥させられ、細粒化され、薬剤店で売られ、人間によって嚥下され、身体組織に入る。動物から胃石へ、胃石から細粒へ。人から人を介して人へと運ばれる。動物の胃から取りだされた石が、人間の胃に流れ込む。

南シナ海、華人
 マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)のバラム河中流域の町マルディには、ヤマアラシの胃石を扱う華人の仲買人がいる。60代の華人商人。20世紀初頭に大陸で生まれ、中医の知識を身に着けてサラワクに移住し、雑貨店を開いた父親から漢方を教わったその華人は、雑貨業の傍ら、ヤマアラシやリーフモンキーの胃石、ツバメの巣、沈香などの森林産物も扱っている。ヤマアラシの胃石は、ツバメの巣と異なり定期的に入手できるものではないし、取引量も少ない。
 ヤマアラシの胃石を、マレー半島やシンガポールへと輸出する華人の仲買人が多く住むのは、南シナ海に面した都市ミリである。市街地で海産物やツバメの巣や沈香といった森林産物やヤマアラシの胃石を商う華人の店には、先住民オラン・ウル(「上流の人たち」。カヤン、クニャー、プナンなどの先住民集団の総称)が、ヤマアラシの胃石を売りに来ることがある。
 ミリの華人商人たちは、高額商品であるヤマアラシの胃石の買い取りの難しさを口にする。偽物を売りつけるオラン・ウルに悩まされてきたからである。偽物は、粘土や軽石を下地に、ヤマアラシの胃の内容物とサゴヤシの澱粉を混ぜて成型される。経験ある仲買人でなければ、ヤマアラシの胃石の真贋を判断するのは容易ではない。バラム河中流域のロング・ラマに居住するカヤン人の仲買人Jは、胃石の真贋を判断できるようになるまでにかなりの財産を失っている。
 サラワク州の内陸で産出される野生動物の胃石に関する文献記述は、19世紀後半にすでに見られる。1881年の報告で、エヴェレイトは、リーフモンキーからも胃石が採集されるが、高価なのは稀少品である「グリガ・ランダック」と呼ばれるヤマアラシの胃石だと述べている。彼はまた、先住民バカタンが、細かくて軽い粘土を胃石のように象って華人を騙したことがあるとも書いている。

バラム河中流域の漢方薬局で売られていたヤマアラシの胃石

バラム河中流域の漢方薬局で売られていたヤマアラシの胃石



バラム河、カヤン
 カヤンは、オラン・ウル最大の民族である。バラム河中流域沿いに位置するN村の60代前半のカヤンのKがロング・ラマの高校に寄宿しはじめた1970年代の初め頃、N村の近辺で商業的な森林伐採が始まった。州政府からコンセッションを与えられたリンブナン・ヒジャウやWTKという森林伐採企業がやって来た。企業は住民たちと森林伐採の契約交渉をし、森から近隣の町ロング・ラマへ至るロギング・ロード(森林伐採道路)を開通させた。その後、華人のマネージャーやインドネシアからの違法労働者たちが続々と押し寄せ、貯木場と伐採キャンプが賑わいを見せた。高校を中退したKは一時、木材企業のキャンプで働き、その後、村に戻り結婚した。周辺の森の木々は切り倒され、1980年代の半ばになると、森は丸裸の状態になった。
 Kの祖先は、20世紀の初頭にインドネシア・東カリマンタン州からバラム河流域に移住してきた人たちである。それ以来、森に出かけては、ヒゲイノシシやその他の野生動物を狩って、その肉を糧としてきた。
 彼らは、樹上のリーフモンキーを射撃したり、塩なめ場で待ち伏せたりして、捕まえる。ヤマアラシは肉厚で好んで食べられる。ヤマアラシの巣穴を見つけると、火を焚いて煙を巣穴に送り、昼間は眠っているヤマアラシを驚かせ、飛び出してくるところを捕まえる。リーフモンキーやヤマアラシに胃石があることは稀だった。見つけた場合には売り払われた。
 リーフモンキーは、樹上性の葉食の霊長類である。長い尾と長い腕を持ち、木枝を駆け上り駆け抜ける。他方、ヤマアラシ科の哺乳動物は、背中から身体の側面が棘で覆われたげっ歯類である。ボルネオには 3 種類のヤマアラシがいる。尾の毛がストローのような空洞のマレー・ヤマアラシ、毛が細長く房状のボルネオ・ヤマアラシ、刺毛が短く、尾が長く鱗状で、尾の先端が房状の、ネズミ・ヤマアラシで、これは大きなネズミに似ている。リーフモンキーとヤマアラシの3種には、胃の中に入った異物が石灰化することが古くから知られてきた。
 動物行動学者の研究によれば、ネズミ・ヤマアラシは、熱帯雨林の倒木などの隠れた場所に土を20センチ~1メートル掘って、複数の巣穴をつくり、それらを移動しながら、単雄単雌(一夫一妻)で、子どもたちと一緒に暮らす。「ヤマアラシのジレンマ」は、寒いけれども互いの棘のために身を寄せ合うことができないという、ショウペンハウアーのアレゴリーであるが、実際には、ヤマアラシはひっつきあって巣穴で眠る。
 Kは、1970年代半ばから2000年までの間に、リーフモンキーから3個、ヤマアラシから1個の胃石を手に入れ、ロング・ラマのカヤンの商人に売った。漢方薬の材料だということくらいの知識しかない。
 N村の近隣では2005年になると、森林伐採企業によって丸裸にされた土地に油ヤシの苗が植えられ、その2,3年後に、ヒゲイノシシとヤマアラシが夜間に油ヤシの実を食べに来るようになった。ヤマアラシは、油ヤシ・プランテーションにまで生存域を拡大させたのである。それらを狙って、N村の人たちは夜の待ち伏せ猟を始めた。
 ヤマアラシの胃石はその頃には、それまでとは比べられないほどの高値で売れるようになっていた。同時に、油ヤシ・プランテーションのヤマアラシからは、かつてと比べてたくさんの胃石が獲れるようになった。除草剤に含まれる化学物質が、石灰化を促すのではないかという噂が流れた。
 N村の人々は、夜間狩猟に加えて、2010年頃から、プランテーションの中に檻罠を持ち込んだ。檻罠の中に油ヤシの実を置き、夜にそれを食べに来るヤマアラシを捕まえるのである。Kの弟は、檻罠で捕まえたヤマアラシから胃石を手に入れて、マルディの華人に35,000RM(105万円)で売った。N村では、2010年代になると、高額で売却されるヤマアラシの胃石の獲得熱がますます高まった。
 そのうちに、ヤマアラシを檻罠で生け捕りにして村に帰り、檻の中で飼い始める者たちが現れた。Kもまた、2013年に檻罠で捕まえた2頭のヤマアラシを家の庭で飼育し始めた。うち一頭を2014年に殺し調べたところ、出来かけの胃石があった。もう一頭は2014年3月の時点ではまだ飼育中である。Kは、餌として果物や野菜の他に油ヤシの実を与える。ヤマアラシの胃石には油ヤシの繊維が含まれていることが多いため、生け捕りにしたヤマアラシにも油ヤシを食べさせ続ければ、運がよければ胃石が取れるかもしれないと、KやN村の人たちは考えている。

檻の中で飼われるヤマアラシ

檻の中で飼われるヤマアラシ


 ヤマアラシの飼育は、胃石取得を主な目的として、バラム河中流域のカヤンの村々に広がっている。ロング・ラマ在住の前述のカヤン商人Jは、もともと森林産物を扱っていたが、2010年から、ヤマアラシの胃石の取引に力を入れるようになった。Jは、オラン・ウルの居住域を訪ね歩き、ヤマアラシの胃石を購入するだけでなく、ロング・ラマの店でも胃石を買い取る。オラン・ウルはその店にヤマアラシの胃石や生け捕ったヤマアラシを持ち込んだりする。
 Jは、生きて持ち込まれたヤマアラシを家族に自宅の庭で飼育させている。10頭ほどいる。ヤマアラシの飼育は、今のところ「胃石目的でやっているのではない」。Jからヤマアラシの胃石を購入する顧客は、ミリやクアラルンプール、シンガポール、中国広東省など、東南アジアから東アジアを含む広いネットワークにまで広がっている。

ブラガ川、プナン、クニャー
 ブラガ川流域のU村に半定住生活する狩猟民プナンの男が、2012 年のクリスマスの直前に、油ヤシのプランテーションに夜の待ち伏せ猟に行って仕留めたヤマアラシの胃袋の中から石を手に入れた。かつてその地域に名刺を配って、ヤマアラシの胃石を探し求めていたロング・ラマのカヤン人商人Jに電話をかけ、それを 21,000RM(60万円強)で売った。そのうちの7,000RM を頭金にして、翌月には 78,000RM の四輪駆動車トヨタ・ハイラックスを購入した。5 年間のローン支払いとし、毎月1,300RMずつ払っている。
 彼は、油ヤシ・プランテーションのスモール・ホルダー(小規模事業者)である近隣の焼畑稲作民クニャーから仕事を請け負って、その車でプナンの送り迎えや資材の運搬などを担っている。プナンにはリーフモンキーやヤマアラシの胃石だけでなくその他の森林産物を焼畑稲作民や華人たちと交換してきた古い歴史があるが、これだけの大金を手にすることは、これまでなかった。
 U 村には、同じように、ヤマアラシの胃石を売って大金を手にしたプナンや焼畑稲作民クニャーがいる。一人で猟に出かけ、猟が得意なことで広く知られているあるプナンの男は、2013 年 5月に油ヤシ・プランテーションでヤマアラシを捕まえて、胃の中に石を見つけて、11,000RM(30万円強) でミリ市の商人に売った。クニャーの男性はハイラックスを一台持ち、 頻繁にビントゥルやミリなどの都市に出かけている。彼は、これまで 4 回ヤマアラシの胃石を手に入れて、売ったことがある。それぞれ18,000RM(54万円)、12,000RM(36万円)、10,000RM(30万円)、15,000RM(45万円)で、ミリの華人に売った。合計160万円強の資金を元手に、雑貨店を開き、次々に経営を広げている。彼は油ヤシ・プランテーションでヒゲイノシシだけでなく、ヤマアラシがやって来るのを狙って猟をする。ヤマアラシを獲って、家族でその肉をよく食べる。その中から胃石が見つかるのはごく稀なことだという。木材伐採の仕事でやって来て、プナン女性と婚姻したU村在住のインドネシア人男性は、これまで 2 回ヤマアラシの胃石を手に入れた。それぞれ、15,000RM(45万円)、8,000RM (24万円)でミリの商人に売った。
 プナンがまだ森の中に住んでいた1970年代までは、ヤマアラシの胃石は取れたとしても、商品価値が低く捨てていた。しかし、今日、ヤマアラシの胃石は数万RM(30万円~100万円)で売却される。一方、リーフモンキーの胃石はせいぜい数千 RM(5~6万円~10万円)である。胃石と言えば、かつてはリーフモンキーであったが、今日ではヤマアラシが取って代わった。
 ブラガ川流域では、バラム河流域とは違って、ヤマアラシの飼育は試みられていない。人々は、森林伐採とその後の油ヤシの植栽によって攪乱された森からヤマアラシがもたらす胃石の産出をじっと黙って待ち続けるのだ。それは、A.ツィンが、攪乱された森で、野生のキノコの生の過程から得られるマツタケの産出を、利益を生み出す制御された農業という再生産体制の外側に見出したことに似ている。
 現在、ヤマアラシの胃石の最終消費地であるマレー半島の都市部では、サラワクの先住民たちの売値のおおよそ 3 ~4倍の値が付けられている。ある華人仲買人によれば、ヤマアラシの胃石はダイヤモンドより高価である。そのようなヤマアラシの高い経済価値が、サラワクの先住民に車を買うことを可能にしていることは見たとおりである。。

 

参考文献

Evereit A. Hart 1881 “On the Guliga of Borneo”. Journal of the Straits Branch of the Royal Asiatic Society pp.274-5
松川あおい 2015 「熱帯雨林に棲むヤマアラシを探して」『はじめてのフィールドワーク①アジア・アフリカの哺乳類』東海大学出版部。
ツィン、アナ・ロウェンホープト 2017 「根こそぎにされたランドスケープ(と、キノコ採集という穏やかな手仕事)」藤岡周訳、pp.128-150、『現代思想』vol.45-4(特集:人類学の時代)、青土社。

 

 

この連載は月1更新でお届けします。
次回(最終回)2017年8月14日(月)掲載