ゆるやかな性 Heshe Ləəy

2020.10.28

14揺らぐ「観光立国」と、まなざし:にじむ視界と境界線「ゴーゴーバー」(後編)

 

「もしもし、シャチョーさん?」。とある夏日の19時頃。聞き覚えのない女性の声が電話口で聞こえた。耳に残る、独特なイントネーションだった。訪れたフィリピン、マニラ市内のホテルの一室。どうしてか、出国時よりやや小ぶりになったバックパックの中を確認しつつ、夜ご飯でも食べようかと準備していた矢先。ただの間違い電話だろうなと思い、とっさに「ちがいます」と日本語でゆっくり応えた。「sorry」とだけ言って、電話はあっさり切れた。
 翌朝、現地で落ち合ったマニラ在住のフィリピンの友人に話してみた。
「ああ、あのホテルでしょ? あそこは、ホテルとお店がつながっていて、日本人のお客さん中心に名簿情報流してるって噂だよ」。知っていたのなら、事前に言ってほしかったと内心思いつつ、昨日の一部始終を思い出した。たしかにホテルへ到着して早々、宿帳に名前や国籍などを明記したし、パスポートのコピーも取られた。なにやら親しげなひとたちが受付で楽しそうに談笑もしていた。主に日本人男性客向けのフィリピンパブは、どうやら顧客名簿に記された日本人名を頼りに、各室へ通じる電話を順番にかけるローラー作戦を実行している、だなんて、にわかに信じがたい話だ。わたしの名前はユニセックスで男女どちらとも取れるから、フィリピンの人からすると紛らわしく、判別がつきにくかったのかもしれない。

 こうした日本人が多く滞在するエリアに位置する宿と夜のお店と呼ばれる店舗とのつながりは、意外と強いのかもしれない。一歩街へ出れば行き当たる「PHL48」(AKB48をもじったような)、「おもてなし」など、日本人男性を対象にしているであろうバーやパブらしき店名の数々が嫌になるくらい目に飛び込んできた。友人によると、こうした場所で出逢い、結婚した日本の中年男性とフィリピン女性のカップルを目にする機会も多く、フィリピン人男性と日本人女性の組み合わせはほとんど見ないという。

 お近くタイでも、フィリピン同様、似たような店が立ち並ぶ。バンコク市内には通称スクムウィットと(「スクンビット」とも)言われる、日本の六本木のようなエリアがある。スクムウィット通りやその周辺には、日本人らしきひとの比率が圧倒的に高い。夜にはもしや東京にいるのではないかと錯覚するほどで、「タイの日本人街」とも言われる。バンコク・スカイトレイン(BTS)のアソーク駅、バンコク・メトロ(MRT)のスクムウィット駅からほど近い場所に「ソイ・カウボーイ」はある。ビキニ姿などで肌を極度に露出した女性が踊り、客はその姿を眺めながら飲食を楽しむ「ゴーゴーバー」発祥の地ともされる歓楽街。数十軒以上ものバーが立ち並び、異様な空間に迷い込んでしまったような不思議な気分。

 はじめてこの場に足を踏み入れた10年前。場違いな日本人女学生のわたしに対して、好奇の視線が投げかけられるのは当然だった。当時、はじめてのバンコクで「そんな通りがあるらしい」と噂には聞いていたものの、現地をよく知るNGO職員や友人からは「あまり行かないほうがいいとは思うけど……」と忠告されたばかりだった。光り輝くピンクのネオン街が生み出すなんとも言えない雰囲気と、あふれんばかりの外国人観光客でごった返す眼前の光景に、ただただ圧倒された。
 唖然として立ち尽くしていると「誰か探してるの?」と流暢な英語で声をかけられた。(やっぱり来ないほうがよかったのかもしれない……)。振り返ると、声の主は20代らしきタイ人男性。小柄で優しそうな印象だった。こんないかがわしい場所で声をかけてくるひとを信用していいのだろうか。そんな心の声を無視し、己の直感を信じて、目の前に立つ微笑みの国の彼に話を聞いてみることにした。

 一見タイ語と無縁そうなわたしが東北なまりのタイ語を話しはじめるなり、彼は途端に笑顔になり、驚くほど包み隠さず、立ち話でいろいろと教えてくれた。ざっとまとめると、ここはいわゆる「夜の街」で、本来女性はあまり好んで訪れない場所であること(興味本位で立ち寄ることはあっても、入店は制限される場合もある。また、一般的に男性同性愛者向けのナイトスポットとして知られる「ゴーゴーボーイ」へ訪れる日本人女性が昨今は増加傾向にあるとも言われている)。(※1)このエリアでは、外国人観光客が主要な客層で、アメリカ人が持ち込んだ「ゴーゴーバー」というスタイルのメッカであること。そして、主に働き手となっているのは、貧困層が多い東北部出身者やセックスワーカー。東北のノンカーイ出身の彼自身はボーイのようなガイド役で、店内の受付をしたり、時間に余裕があるときはこうして路上に出てきて客引き(いわゆる「ポン引き」)をしたりしているということだった。

「カトゥーイ(Kathoey)のようなひとも働いているの?」と聞いてみると、「いるには、いるよ」という反応が返ってきた。「こないだは、ファラン(欧米人)がバーから連れ出した女性が実は男で。あとになって、騙したなって文句を言いにきたよ」と笑っていた。次第にエリアの雰囲気に馴染み、冷静に周囲を見渡してみると、平均的なタイ人女性より頭一つほど飛び出た女性の姿も見受けられた。おそらく彼女たちの中の何人かは、夜の街で働くタイのカトゥーイなのだろう。各種サービス業をはじめ、航空会社の職員やショッピングモールの化粧品売場、コンビニエンスストア(「タイで歩けばセブン-イレブンにあたる」と言われるほど、至近距離で各所に点在している)など至る場所で見かける機会はあったものの、このようなエリアでカトゥーイを見かけたのははじめてだった。

 タイにおける非合法の性風俗産業の規模を正確に把握できる統計はなかなかないものの、研究者らによる推定によると、1993年から1995年にかけて、年間の商業的性サービスは当時タイのGNPの約3.3%に相当する1千億バーツの経済効果をもたらしたとされている。(※2)その後、2014年の国連合同エイズ計画(UNAIDS)の報告では、性風俗産業の従事者は123530人以上にも達するとされ(※3)、実際にはそれ以上の人数がいると推察される。

 なぜこれほどまでにナイトバーが栄え、外国人観光客を含む多くの客で人気の場所になったのだろうか。後に、ベトナム戦争なしには、この光景を語れないことを知った。1967年、タイとアメリカの間で条約が締結された。その名も「RR」。「レスト&クリエーション(保養・休暇)」目的の施設を提供することを定めたもので、ベトナム戦争に従軍した米兵の慰労目的として設けられた。以降、休暇訪問地として多くがタイを訪れたことから、次第に米兵向けの娯楽施設が乱立するようになり、その一端を担っていくのがサービス業、とりわけ性産業だった。バンコクはもちろん、パタヤやプーケットのようなビーチリゾートでは、いまでも多くのアメリカンスタイルのバーが数多く見て取れる。
 1970年代から80年代にはかけては、欧米や日本の旅行業者が売春を旅程に組み込んだツアー、セックス・ツーリズムを企画・販売していて、なかには「社員の慰労旅行」という名目のものもあり、日本人男性は上顧客だった(※4)という。

 いまとなっては、大々的なセックス・ツアーを組む旅行業者は見かけなくなったものの、個人レベルで売春をする観光客は少なくない。そのため、現地では店舗運営に注力する外国人経営者も存在し、なかには日本人の姿も目立つ。50代後半〜60代前半と覚しきある日本人男性は(自称経営者兼YouTuber)は、バンコクのタニヤをはじめ、市内で性的サービスを提供する店舗を複数経営している。
 実は20205月、YouTubeのとある企画を機に現地でも批判が殺到し、日本のSNSなどでも一躍話題になった投稿者と見られる人物でもある。「タイ ナンパ対決!」と題したこの企画では、現地在住の日本人中年男性2名が路上でタイ人女性をナンパ。「握手をする」「ホテルに行く」など、段階ごとにスコア表を設け、結果的にどちらが高得点を獲得できるのかを競い合うというゲームだった。現地のタイ人女性を中心に「タイ人をばかにしている」、「女性はゲームの対象じゃない」など、嫌悪感を募らせる批判が相次いだ。わたしのタイの友人が当時更新したFacebookの投稿には、この事件に対して「日本人が嫌いになった」などのコメントとともに、日に日に怒りマークの数が増えていき、日本人のひとりとしても、なんだかいたたまれなくなった。日本でも現地駐在経験があるひとやタイ好きの一部によっては批判されたものの、目立つメディアで取り上げられることはなかった。

 同氏は風俗店の経営者として、SNSでの発信も活発に行い、Twitterの投稿では連日、その日に出勤するキャストの時間帯と顔写真、簡単なプロフィール文も添えられている。女性の写真とともに添えられる源氏名のようなニックネームが、おおよそ日本で聞き馴染みのあるもの。タイでは本名が長く、一般的にニックネームで呼び合う習慣があるので、サービス上、日本人客に名前を覚えてもらいやすいということなのかもしれない。3カ国語(日本語、英語、中国語)表記のサービスメニューと料金も掲載されている。
 日本の某有名飲食チェーン店の名前を真似たある店舗の価格設定は、「マッサージ」45分で2100バーツ(日本円で約7100円)、65分で2500バーツ(約8400円)、90分で2700バーツ(約9100円)、「バスルーム利用」の場合はプラス200バーツ(約600円)。また、「20分間のフェラチオ&手コキ」は1000バーツ(約3300円)、人気オプションとして「電マ」は200バーツ(約600円)、剃毛300バーツ(約1000円)、「びりびりストッキング」は400バーツ(約1300円)……
 さまざまな客のニーズに応えるメニューが並ぶ。タイの平均月額賃金、約13700バーツ(約46800円)(※5)を踏まえると、決して安くはない額であることがわかる。一般的に給与待遇がよいとされる現地の日系企業に就職するよりも、金額だけで言えば割がいことは否定できない。

 コロナ禍のタイではナイトスポットをはじめ、一時ほぼ全業種において休業措置が取られたものの、依然隠れ営業を続けていた店舗を警察が摘発するに至った事例もあるという。(6)現在は徐々に営業を再開しはじめた店舗も多いが、報道を見ていると、客足が戻るにはまだまだ時間がかかりそうだ。日本人観光客が激減したことを受け、YouTubeでのライブ配信も頻繁に行われるようになった。ある日は、日本時間深夜2時にもかかわらず、日本人ユーザーを中心に500名ほどの視聴者がいた。店内のラウンジと覚しきソファーには、女性数名と日本人オーナーが隣り合って座り、飲食をしながら視聴者にメンバーを紹介。投げ銭方式のように、視聴者の申し出がある度、店内ではボトルが次々と開けられていく。オーナーと従業員は90分ほどの生配信の間、終始和気あいあいと話し、関西弁まじりの日本語やタイ語がミックスされたテンポのいい会話のラリーが続いた。

 日本の映像制作集団「空族」がテーマを“娼婦・楽園・植民地”に据えて制作した映画「バンコクナイツ」(2016年)(※7)では、一般的に「マッサージ・パーラー」と呼ばれる業態の様子が描かれている。ピンクのひな壇に腰掛け、胸にナンバープレートをつけた女性たちが指名を待つ光景が印象的だった。ブルーのバッジは「ロング」(朝までOK)、レッドのバッジは「ショート」(2時間)のように、それぞれ色分けがなされている。

 主人公は、タニヤ通りの店「人魚」の指名No.1のタイ人女性、ラック。タイでも最貧困層が多いとされるイサーン(タイ東北地方)はノンカーイ出身の出稼ぎ組で、家族との確執を抱えている。スクムビットエリアよりさらにディープな日本人専門の歓楽街とも言われるタニヤ通りで働く彼女たちは、ショート2500バーツ(約8000円)、ロング3500バーツ(約11000円)という料金設定のもと、毎晩流暢な日本語で客を出迎えている。
 ラックは、ヒモ的存在の日本人ビンを連れまわしながら高級マンションで暮らす一方、彼女の支える大家族は、ラオスとの国境を流れるメコン川のほとりで暮らし、彼女のバンコクでの収入が頼みの綱である。多くの研究者が指摘するように、とくに東北部や北部において、家族のなかで親を経済的に支えることへの強い期待を娘が担い、実家への継続的な送金手段として、性産業への参入を選択せざるを得ない場合も多い(※8)。ラックの家族は、そのお金を娼婦が稼いだ汚らわしいもの恥ずべきものと見なしながらも受け取り、生計を立てているのだった。一般的に男性の婚前、婚外性交に対しては比較的寛容である一方、女性の場合には恥であるとして歓迎されないような「性の二重基準」が、「規範から外れた存在」としての売春婦を生み出す構造につながっているとも言われる。(※9

バンコクの日本人街・タニヤ通りのランドマーク「タニヤプラザ」(2014年、筆者撮影)

 フィールドワーク地として、そしてタイで最も好きな地域として、わたしも通う東北部のイサーン地方は、ラオスとの国境に位置する立地柄、国境紛争に翻弄され続けた歴史をもつ。近隣国からの出稼ぎ労働者も多い地域として知られ、伝統的なモーラムと呼ばれる独特の音楽があり、東北ノンカーイ出身のポンシット・カンピーの名曲には「きみを買い戻す」というような、出稼ぎへ行く女性を思うような歌詞も存在する。(※10

 実際に現地を歩いていても、タイ人女性と日本人男性や外国人観光客という組み合わせはよく出会うが、タイ人男性と日本人女性のようなカップルはほとんど目にしない。なかには、現地で出逢ったタイ人女性を伴ってパタヤ、プーケット、サムイで休暇を過ごす観光客もいて、結婚にまで至るケースもあるという。また、定期的にタイを訪れる日本人男性が帰国している間、セックスワーカーやコイビトに毎月4万バーツほど(日本円で約14万円)海外送金しているような例もあるそうだ。現地に勤務する日本人が、愛人契約のようにして、お気入りのバーガールと余暇を過ごしたり、半同棲状態でプレゼントや相手の借金返済にいそしんだりする姿もみられる。(※11
 実際にタイで留学し3年の滞在経験がある『ゴーゴーバーの経営人類学』の著者の話によると、日本人男性の多くはタイでの商業的性交渉の経験があることを隠そうとはせずに、むしろ当たり前のことであって、恥ずかしいことでも悪いことでもないように感じられたそうだ(少なくとも、男性同士の会話では)。

 2019年の夏。国際機関のバンコク支部で働く日本の同期をたずねた。この日は彼女の家に泊めてもらう予定で、仕事終わりに合流した足で夕食を食べに出かけた。
 バンコク市内のある飲食店では、わたしたちと同世代のタイ人女性と、たぶん父親世代にあたる5060代の日本人男性の姿もちらほら見られた。正直違和感がないとはいえない組み合わせに、どんな会話をするのか気になってついつい聞き入ってしまった。ある50代後半と思しき日本人男性は、片言のタイ語で店員を呼び、立て続けにメニューを指差し注文しはじめた。大盤振る舞いだとばかりに豪快に笑いながらビールを飲み干し、20代くらいのタイ人女性の肩に手を伸ばすそのひとは、どこか誇らしげに見えた。なんだかなと思っていると、向かいの友人のため息交じりの声が聞こえた。
「なんかさ、恥ずかしいよね……
 タイで日々仕事に励む友人の目には、「同じ日本人として」という、うしろめたさもあるのかもしれない。彼女が見るタイと、その日本人男性の目に映るタイの姿には、おそらくズレがある。

 彼女の職場は日本人も多く集う歓楽街にほど近い場所にあり、仕事帰りに駅へ向かう道すがら、夜の街ではずむ日本語が自然と耳に入ってくるという。同僚のタイ人スタッフのほとんどは、日本人に対しておおむね好意的ではあるものの、日頃そうした光景を目にしすぎているからか、「自分の娘世代の女性を買うなんて」と、日本人男性や外国客に対しては、必ずしも肯定的な見方ばかりではないことも教えてくれた。

 彼女の住むアパートのほとんどは、日本からの駐在員や、日系企業勤めの単身赴任者の男性で構成されているという。食事を済ませ、彼女と帰宅すると、きっとお隣さんで40代くらいの男性もちょうど帰宅したところだった。真面目そうな感じだ。日本人かなと思い、目があった。「あ、こんば……」。
 咄嗟に挨拶しようとすると、どこからともなく華やかな匂いがツンと鼻をついた。そりゃ、香水もするよなと我に返った瞬間、その男性の後ろに、わたしたちと同じ20代後半のタイ人女性が見え隠れした。わたしは一瞬まずいと思いつつも一瞥すると、相手はまったく動じることなく、自宅へ入ろうとしている。おそらく「夫婦」ではないだろう雰囲気を察し、友人と軽く会釈をして逃げるようにして部屋に入った。
 わたしたちが悪いことをしたわけじゃないのに……。そう思わないこともなかったが、なんだか見てはいけないもの、というより見たくないものを見てしまったという、いやな感じがあとになってこみ上げてきた。ちらっと友人に目を移すと、いままでに見たこともない呆れ顔をしていた。
「こないだはさ、また別のタイの人だったんだよね。夏休みのはじめ頃は、日本人の奥さんらしきひとが訪ねてきたから、たぶんそのひとが本妻だと思うんだけど」。さっきのタイ人女性は、あの人の現地妻的な存在なのだろうか。一見、そんなひとには見えない。でも、そんなひとにもわたしたちからは見えない顔があるのかもしれない。その日、立て続けに目にした瞬間を思い出してしまったら、妙に考え込んでしまい、その夜はあまり寝付けなかった。

 一般的なタイ人の価値基準の中では、セックスワークは道徳的に好ましいことではないとされているそうだ。実家の両親には、バンコクでの自分の職業を偽っている場合も(もちろん薄々さとられている場合も)ある。タイ人男性に対しては、「同じタイ人には見られたくない」というある種の恥じらいや、うしろめたさもある。だからこそ、一般的にタイ人男性客の来店が拒否されるようなゴーゴーバーなどの業態においては、必ずしもタイ的な価値観を共有しない外国人客相手であることが安心材料ともなり、一見恋人同士のような、制度外とも言える曖昧な関係に発展する可能性もはるかに高くなる。(※12

 現在、タイでは売買春は違法であるものの、現実には法の網の目をかいくぐるようにして行われている。一般的に「ゴーゴーバー」では、「バーガール」「スタッフ」として雇用されるものの、気に入った客に飲み物を注文してもらい、相手との交渉がまとまれば、店に「ペイバー」代金(店舗により異なるものの、おおよそ1000バーツ、約3300円程度が多いという)を支払い、退店。「『店外』でのことはどうぞご自由に」というケースも多い。日本のソープランドのような店や、表向きは「タイ古式マッサージ」とうたっていても、店内では性的サービスも行われている事例が度々報じられている。
 警察による各地の性風俗店への立ち入りがあるものの、厳密な捜査が行われているかどうかは怪しい。「ポン・プラヨーデ」(タイ語で「みんなの利益になる)」(13)といって、現地警察が黙認している場合も少なくないそうだ。実際、2017年に英国のデイリー・メール等が挑発的にパタヤを「世界の性産業の首都」「悪名高きセックスツーリズムの地」などと報じたことを受け(※14)、イメージ回復を狙うタイ警察が売春容疑で数十名を逮捕したこともあり、その中には男性同性愛者を含む、国外からの労働者もいた。一種のパフォーマンス、見せしめとしての抜き打ち捜査も行われている。

「その行為は決して売春などではなく、旅先でのロマンスに過ぎない」。ゴーゴバーに通い、セックスワーカーとの関係をもつ客からよく語られる話だという。言われてしまえば、「旅先のロマンスの形」と「商業的な性交渉の機会」の境界や区別は曖昧だ。多くの観光客がゴーゴーバーを訪れる理由として、社会一般に期待される男性としての責任を押し付けられずに済む関係を、気楽に楽しめることも指摘されている。コスパよく、手っ取り早く関係を結べる、というメリットもある。しかし、こうした発言自体がなされる時点で、タイ特有の曖昧な売買春の当事者となってしまったことを、客は知らない。(※15

 もちろん、両者の関係性が経済的なものによるのか、社会的・心理的なものによるのかは明確な境界もないし、白黒つけにくいものでもある。互いの言語や文化を共有し得ない状況では、曖昧な関係性を築くにはむしろ都合がよく、どちらかというと、有利にもはたらいてしまう。ゴーゴーバーの店内で出会い、客が店外に連れ出した無法地帯でこそ、事件は起こりやすい。実際に互いの交渉のもとに成立したとされる性交渉でも、相互の認識がずれていて、言い分も異なる。
「お互いの好意あっての性行為だった」「本気の恋愛で好き同士なのに、なんでお金のやり取りが必要になるんだ」と言い訳をして、金銭の支払いを拒む客。「これは仕事なのだから、きっちり支払ってもらわなければ」「普通のカップルのセックスとはちがう」と主張するバーガールやセックスワーカー。不明瞭で、正しい合意が取りにくい(取れない)状況がそうさせてしまうのは否定できないし、店を共に出た相手が語る名前も職業、年齢、国籍も、すべて真実とも限らない。匿名的な存在だからこそのスリリングで、あとくされもない、清算可能な関係性を築けるのかもしれない。最初は単なるお遊びに過ぎなかったはずの関係をこじらせ、相手にのめり込みすぎて散財してしまうような客もいる。

 こうしたトラブルが起きても、セックスワーカーたちは警察をはじめ、公的サービスにもなかなか相談できないことが多い。そして、このコロナ禍で現状が一変してしまったのは、わたしたちだけではなく、彼女たちも同じだった。HIV/AIDS、セックスワーカーにまつわるサポート活動で知られる現地団体「SWING」や、UNAIDSの調査によると、セックスワーカーの多くは政府の支援対象とはならず、そのなかでも約9割が新型コロナウイルスの影響で失業、もしくは収入源を失ってしまったという。(※16)また、新型コロナウイルス感染への恐れが、HIV検査に訪れようとする人々の足を遠ざけ、結果的に医療機関へアクセスしにくいセックスワーカーが増加する現状も指摘されている。これまで多くの外国人客を献身的にケアしてきただろうセックスワーカーが、このような非常事態では、ケアされ得ない対象とされている現実には、心が痛んで仕方がない。わたしは全面的な肯定論を必ずしも取るわけではないけれど、いわゆる「セックスワーク」と称される活動を、彼女たちの必要において正当なものと認めることが、多くのセックスワーカーたちが今現在置かれている不当な労働環境や、暴力・性的感染症などに関連した極端な高リスク状況を改善する機会を生むであろうことも、忘れてはならないのだと思う。(※17

 なぜタイの夜の街を謳歌する客や日本人男性を思うと、やるせなくなってしまうのか。先述のYou Tube企画に、なぜ嫌悪感が沸き起こってしまうのか。友人やわたしがなぜタイで見かけた日本人男性に対して、「恥ずかしい」「見たくないものを見てしまった」という感情を抱いてしまったのか。共通しているのは、彼らの言動の奥底に、どこか偏見や差別を感じ取ってしまったからではないかということ。少なくとも、女性やセックスワーカーへのリスペクトは感じとれずにいた。「タイでセックスワーカーなんかになってしまったかわいそうな子たち」「身体を売らないとお金に困ってしまう貧しいひとたち」と都合よく決めつけ、自身をある種の救済者として正当化し、優越感を保とうとするひともいる。端的に言語化すれば、その姿は相手の「擬似的な親密性」の演出に気づけない客の姿として傍目には映る。共通の言語や文化を完全に共有し得ない相手だからこそ、日本人男性としての自尊心が傷つけられる恐れも少なく、優位に立って関係を築くことができ、都合のよい関係が続けられる。

 自国では性的魅力に欠けるとみなされているひとでも、自分に対するタイ人女性の上手な接客や対応が商売上のものではなく、あくまでも本心からのものにちがいない、と錯覚することができる。いわゆるフィクションを、買うことができてしまう。バーガールやセックスワーカーは主に経済的利得を目的として「あくまで仕事としての親密さ」をもって付き合う。取引の機会として、より好条件の客との長期的な付き合いを得るための機会を逃さぬよう、日々仕事に励むプロでもある。一方で、相手客は「自分は特別扱いされている」「お金などは関係なく、互いに愛しあっている」とロマンスを求める。たとえ、相手の立ち居振る舞いが単なる「擬似的な親密さの演出」(※18)に過ぎなかったとしても。

 残念ながら、見聞きするかぎり、このような現実に自覚的ではない客も多くいる。商売抜きでの好意や親愛の情によって、希望的観測のもと自らの男らしさや性的魅力を誇示したり、再認識する機会を求めていたりする日本人男性の姿を、垣間見てしまったのだと思う。このことを、従来のジェンダー観の揺らぎによるものだとする意見もある。(※19)変わりつつある社会環境の中で、伝統的な価値観のなかで自らのアイデンティティーを保つための、一種のあがきとして、考えることができるという。彼らが家庭内でかつてのような家長としての顔を失いつつある現実への代償行為としての側面もある。このような文脈において、セックスワーカーとの関係性は、一時的であれ自身を回復できる機会として捉えることもでき、その側面がセックスツーリズをはじめ、多くの客を惹きつけてやまないのかもしれない。

 2020年5月。コロナ禍において、ある日本のお笑い芸人の風俗嬢に対する発言に対して、さまざまなメディアで批判が殺到した。「コロナ禍で大変な状況になるのだから、風俗嬢として働く上玉の子が増えるだろう」。おおむねこのような内容だった。不謹慎だ。風俗嬢を、性風俗産業全般を侮辱している。身勝手で女性蔑視の発言だ。
 どの指摘もただしそうに思える反面、どうしてか全面的に賛成できないでいる、宙ぶらりんな自分がいた。そこには、「風俗嬢」と呼ばれるひとたちの、働く者の声は不在で、みえなかった。このような議論のなかで忘れ去られがちな当事者目線こそ、わたしたちには欠けているのかもしれないと。自身の立場性の揺らぎを感じつつ、加熱する騒動に参加できずに、ただ立ち止まってしまった。

 繰り返しにはなるが、単なるセックスワーク肯定論を述べたいのではない。未成年の参入が多いとされるタイのセックスセクターの現状を思えば、なおさらだ。でも、置き去りにされてしまっている現場の声にこそ、耳を傾けてみたいと思った。このご時世、なかなか外出できなかったこともあって、できるかぎりの書籍や映像、各種資料にもあたってみた。なかには、ある著者がタイを訪れた多くの白人男性客にインタビューし、まとめた記述があった。(※20)彼らは故郷では、悲しみや孤独感、虚しさなどに苦しんでいたものの、タイ人女性との関係のなかにようやく慰めを見い出せたのだという。しばしば母国では、経済社会的に下位層に位置していたり、年齢や外見に過度にコンプレックスを感じたりしている性的弱者でもあったとされる人々の姿が、描かれていた。少なからずこのような人々がいるからこそ成り立つのがタイのセックスセクターでもあり、少なからずともこのような人々は彼女たちの働きに救われた。
 そう考えると、さきの芸人の発言は不愉快だったことは否定できないけれど、もしかすると日頃から風俗嬢に救われ、彼女たちとの時間に癒しを見出すなかで、時流の変化における市場の動向を瞬時に、敏感に嗅ぎ取った一常連客の発言と見ることもできるのかもしれない。

 一方で、そのインタビュー集にはこんなタイ人セックスワーカーの発言もあった。定期送金をしてくれて、タイに訪れるときだけ時間をともにする日本の中年男性客に対し、「歳だし、好みのタイプの顔じゃない。タイで一緒に暮らすのだけは、ごめんだ」と。日頃は、現地の恋人や他の客との関係性を続けるセックスワーカーや、すでに借金の返済は住んでいるものの「貧しい実家にも、お金を返していかなければならない」と客には伝え、複数人から金銭的なサポートを得ているセックスワーカーの姿も描かれていた。
 彼女のたちの本心は一体どこにあって、どこへ向かっていくのだろうと、客とセックスワーカーの声のあいだで揺さぶられずにはいられなかった。まだまだ、わからないことだらけである。それはきっと、物化できないひとの心の機微に触れずにはいられないテーマであると同時に、「是か非」の二項対立で考えるには、あまりに複雑な関係性であることにほかならないからだと思う。曖昧で複雑なテーマを、複雑なまま捉えていくことも、ときには大切なのかもしれない。

 バンコク、とりわけゴーゴーバーは、タイ人従業員と外国人客にとって、ローカルとグローバルの結節点とも言える出会いの場として機能している。近年では、ドラマをはじめとする輸入メディアの影響を受け、西欧的なジェンダー観を受け入れつつある若年層にとってはより敷居が低く、参入しやすいとも言われている。セックスツーリズムはタイ観光に欠かせない重要なコンテンツとしてすら捉えられていて、典型的なホスピタリティ産業のひとつとしての顔ももつ。そして、親密性を売る「親密性産業」として、また紛れもないケア労働として、観光立国タイを支えているのがゴーゴーバーである。かつての「じゃぱゆきさん」のように、先進国において、自国の女性たちのみでは担いきれなくなったケア関連の労働分担が東南アジアの女性たちに押し付けられてた結果として捉えられる側面も(※21)、否定はできない。

 経済的(合理的)なものと経済外的(非合理的)なものとの複雑な絡み合いのなかで、共創的に築かれる、セックスワーカーと客の関係性。ときとして、客の金銭状況や接触頻度に応じて、意図的に、戦略的に相手を選別し、自身や家族の生活の重要な収入源とするセックスワーカー。そこには、典型的な悲壮感あふれる可哀相な存在としてではなく、ビジネスのプロとしての顔も見ることができる。彼女たちは、想像以上にしなやかに、たくましく生き、日々ケアワークに携わるひとりでもあること。自身にだけ向けられたと錯覚してしまうような「好意」は、彼女たちの“日常”にとっては単なる仕事上の割り切りによる一行為にすぎないかもしれないこと。“非日常”に安慰に身をゆだね過ぎてしまい、関係にそれ以上の意味を求めてしまう客の前には、これらはむしろ不都合な事実として、立ち現れるのかもしれない。

 

(※1)高田胤臣「タイのナイトライフに増える日本人女性。最近、ちょっとした話題になった『ゴーゴーボーイ』って?」ハーバー・ビジネス・オンライン(2019年11月17日)
(※2,4)綾部真雄編著『タイを知るための72章』【第2版】(明石書店、2017年)
(※3)UNAIDS/JC2656, THE GAP REPORT 2014, SEX WORKERS(English original, July 2014, updated September 2014)
(※5)厚生労働省、2018年海外情勢報告[第5章―東南アジア地域にみる厚生労働施策の概要と最近の動向(タイ)](2018年)
※6)「戸惑うタイ歓楽街 感染拡大防止へ休業命令」(西日本新聞、2020年3月)
※7)映画「バンコクナイツ」公式サイト
(※8,9)宇田川妙子、中谷文美編『ジェンダー人類学を読む―地域別・テーマ別基本文献レヴュー』(世界思想社、2007年)
(※10)空族(富田克也・相澤虎之助)『バンコクナイツ 潜行一千里』(河出書房新社、2017年)
(※11,12,15,17,18,19,21)
市野澤潤平『ゴーゴーバーの経営人類学』(めこん、2003年)
※13)性産業の抑制は難しい、タイ「罪の街」(AFP BB NEWS、2017年5月17日)
※14)“Is Thailand's Sin City really cleaning up its act? Thai official claims sex tourism capital ‘does not allow prostitution' as sex worker sells herself for $60 just yards away”, Daily Mail 28 March 2017
※16)“We cannot provide only HIV services while sex workers are hungry”: Thai community organization steps in, 01 JUNE 2020, UNAIDS
(※20)Kruhse-MountBurton, Suzy “Sex tourism and traditional Australian male identity”, London, 1995

 

(第14回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回、2020年月11月26
日(木)ごろ掲載